ゴルフの練習:自分のフォームをビデオに撮って見る

2007年11月26日 | 人生は物欲は避けがたい。



素振りをいれて、6回クラブを振っていますが、1回目と2回目がまともにあたったスイング、後の3回はトップとフックでした。

よくごらんいただきますと、後ほど手首のコックが早いことがグリップエンドとおなかの隙間の動きで見て取っていただけると思います。

クラブを腕から挙げるのでなく、腰の回転につられてクラブが上がっていくのが正しい振り方であることがお判りいただけると思います。

携帯電話や、コンパクトデジカメなら動画が撮れますので、ぜひお試しいただきたいものです。

山路王子神社(一壺王子):和歌山県海南市下津町:熊野古道

2007年11月25日 | 人生は旅である。
すばらしい銀杏の紅葉を見つけましたので写真を上げます。

こちらは、熊野古道沿いに在する神社群である「九十九王子」の一つ、一壺王子です。(海南市)
このあたりです
鳥居前の説明看板によると

藤原定家(ていか)が後鳥羽上皇の参詣に随行したときの日記に「一壺王子」、藤原頼資(よりすけ)が修明門院(しゅうれいもんいん)の参詣に随行した日記に「一坪王子」とみえるのが、この王子社です。
また、頼資が後鳥羽上皇と修明門院の両院御幸(りょういんごこう)に随行した、建保五年(1217)の日記によれば、10月4日、この「一壺」に小屋形が作られ、両院は昼食をとっています。この王子社は、江戸時代には、市坪(一坪)王子、山路王子社あるいは沓掛王子社と呼ばれています。
ここから、蕉坂峠に向かう急坂となるため、山路・沓掛などと呼ばれたのでしょう。また、江戸時代には、この王子社は市坪・大窪・沓掛三か村の産土神でした。そのため明治時代以降も神社として残り、沓掛村の里神八王子社等を合祀しています。
現在は山路王子神社となっていますが、かつては安養寺という別当寺があり、鐘楼がその名残をとどめています。毎年十月十日の秋祭りに奉納される相撲は「泣き相撲」ともいわれ、小児の健康を願うもので、県の文化財に指定されています。

山間の細い川沿いの集落に一際黄色くそびえる銀杏の木。もうすぐやってくる冬じたくを急いているいるようにも感じられます。

あなたは、どんな秋を過ごされていますか?

下仁田ねぎパイ:ご当地パイ

2007年11月18日 | 人生は食である。
下仁田ねぎパイをいただきました。

しもねた、、、、ではなく、下仁田ねぎとは?

早速パッケージに印刷されていた原料供給元の「甘楽富岡農業協同組合」を検索。

トップには、「ようこそ!かぶらの里へ JA甘楽富岡ホームページ」が表示されます。んん? かぶらの里だって?サイトにアクセスしましたところ、たしかに下仁田ねぎも栽培しているようですが、今はかぶらが一押しのようです。これからの季節おでんの かぶら を私は好きです。


では、次に群馬県甘楽郡下仁田町のサイトに行ってみましょう。さすがにこちらには「下仁田ネギ」の話というページがあります。

それによりますと、

ねぎは我が国では、「日本書紀」にネギの名が出てくるほか、平安に編集された「本草和名」にも書かれています。
下仁田ネギについての由来は明らかではないが、江戸文化2年11月8日付で『ネギ200本至急送れ、運送代はいくらかかってもよい』という趣旨の江戸大名、旗本からのものと思われる名主宛の手紙が残されており、当時すでに下仁田ネギが栽培され、珍重されていたことがわかっています。


ということであります。

ネギはねぎとして、下仁田ねぎパイであります。

お味は、ずばり、、、、、、微妙~~~。

一つ一つ袋に入ったパイを口に入れると、そこには下仁田ねぎの世界が広がるのであります。

第一印象は、「ネギ臭いパイ」。しかしポリポリと味わうとネギ特有の甘みがパイ生地と溶け合って新しい味覚を覚えるのであります。食べるたびに"微妙"が"絶妙"に変わっていく摩訶不思議なパイであります。

ご当地パイとして全国にその名声をとどろかす浜松は"うなぎパイ"に比べると、圧倒的な存在感を人の脳裏に焼き付けるでありましょう。一生忘れられない味ですね。

ネギ類は加熱するとほのかに甘みを感じてそれが、ネギの美味しさといえるのではないでしょうか。そういった意味でこちらのねぎパイもなんともいえない美味しさをかもし出しております。

たしかに、糖分の多いネギほど美味しく感じるという研究結果があります。 農林水産省 農林水産研究情報センターのレポート

[要約]

加熱調理後のネギの“総合的なおいしさ”に対しては、官能評価の“甘み”の寄与率がもっとも高く、生ネギの分析値でブドウ糖と果糖の含量が多いネギは、加熱調理後おいしいと評価される。



下仁田ねぎパイはこのネギの"甘さ"を上手に使って作られたお菓子です。日本人も古来から食しているネギの奥深さを感じさせる逸品と言えます。


セカンドライフでのプロモーションについての一考察:真性同期型

2007年11月15日 | 人生はマーケティングもある。
リンデンラボのセカンドライフでのコミュニケーションの特性についてWiredVisionで濱野智史氏がかなり長文の考察を上げられています。



ここで、濱野氏は
『「(セカンドライフは)コミュニケーション空間に参加する主体が、同じ現在(時間の流れ)を共有するという、インスタント・メッセンジャー(IM)やチャット等と同じ性質を持っています。つまり、セカンドライフは「真性同期型」のアーキテクチャであるということです。」』

そして、

『セカンドライフが取り入れているのは、誰もが自由にオブジェクトを持ち込み、仮想空間上の土地を所有することができるという、いわゆる「UGC(User Generated Contents)」のプラットフォームとしての性質です。』

としています。

以上の観点をベースに考えると、セカンドライフで"楽しいコミュニケーション"を体験するという状況は。「そこで、何かを作ること」そして、「そこにいる人たちと同じ時間を過ごすこと」と言えます。私の個人の体験でも、どこか知らぬ入り江の画廊で、奇妙な魚の絵を前にそこにいた画家と「これは貴方の絵ですか?」「はいそうです。」「そちらはどちらですか」「はい、カナダ東海岸です」といったコミュニケーションに、空間を越えた不思議な同期感を覚えたものです。

ただし、

『実際には、「プライベートSIM」(企業がセカンドライフから購入するメタバース上の「一区画」)に「共在」できるユーザーの数は、現在のところだいたい 40人から50人程度が上限になっています。つまり、セカンドライフは、実際には同じ場所を共有できるユーザーはかなり小規模だということです。』

というのも事実であり、仮に、企業のプロモーションSIMを想像すると、ある時間に数十人の人がそのSIMに集まって、何かをする、と言う状況はあまり起りえず。せめて、私とその企業の担当者(たいてい立ったまま死んでいることが多いですが)が、サシで何かを話すとか、2~3人でゲームをするといったところが精一杯かと思います。

たいてい一人しかいないのであれば、リアルタイム3Dといった空間はただ目新しいだけでwebサイトでのプレゼンテーションとたいした差はないと感じられます。

ついでに書くと、「Akiba」SIMにある有名な 「Arare Cafe」には、いつも数人以上のアバターが集まっていますが、それぞれのアバターが着ている色とりどりのコスチュームを楽しむ以外は、現場でなされているのは単なるマルチメンバーチャットなわけで、こちらも別にリアルタイムに3D画像を処理するほどの環境で行われなければならないようなコミュニケーションじゃないよな、と正直思うこともあります。
ArareCafeについて

濱野智史氏の考察は数回にわたって続くのですが、企業SIMの運用については、「訪ねても誰もいない」というのは「当たり前」という状況を元に考えた方が良いように思います。たとえば、足あと機能といったものの実装といった対応も考えられます。

「人の入っていない感」と言う印象を与えると言う意味では、企業のショールームも実はこれとおんなじことなんですけどね。(だから、長続きしない)