「春にわれ 乞食やめても 筑紫かな」壱岐の島 勝本港

2022年06月07日 | 人生は旅である。
「春にわれ 乞食やめても 筑紫かな」河合曽良
乞食とは、本来は仏教の托鉢の意とある。芭蕉との旅姿は僧侶のそれであったことはよく知られている。彼らの旅は乞食のそれであった。
曽良は、江戸幕府の巡見使の一員として1710年江戸から壱岐対馬に向かって、人生最後の旅を始める。当時62歳。
芭蕉は、1694年にすでに死没。曽良は、芭蕉との乞食生活の思い出を置いて、九州へと旅立ったのではないか。
壱岐の北端の港、旅の中に身を置いて、来し方を見つめながら、はるか対馬を望み、曽良は何を見据えていたのだろうか。

壱岐の島  勝本港 





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