goo blog サービス終了のお知らせ 

辛口の中にも愛を!!ビデオグラファー愛

赤ちゃんから皇室を撮るカメラマン
そんな自身の創意と意志を伝えるブログ

同じ現象でも、結果より過程を誇張すると、違った意味になり怖いと感じる時がある。

2016-06-23 00:35:04 | 日本の情景
最近では、上海の某アトラクション施設オープンの話題が気になるところであった。

要は、マナーが良いか、悪いかという話で、
とりわけ、マナーが悪いという結論に落ち着いている。

でも、これって紙一重的な感じだと思う、
それが悪なのか、単純に熱心なのか、捉え方で180度展開が変わる。

逆位に言えば、熱心なファンが多く訪れました、という
話でも、何ら疑問はないニュース映像が大半であった。

まぁ、否定はしませんが、結論ありきも良し悪しで
私も被害者である。

詳細は述べませんが、とある仕事でディレクターの
だらし無さを指摘したがために嫌われてしまい、
その仕事から外されてしまぅった経緯があります。

撮影的には何ら問題はないのですが
口は災いの元ですね。。。と、いういい事例だと思います。

どう見ても、だらし無さは一目瞭然で
今まで、他の人が注意をしなかったこと自体が問題だと
私は思いますが、それっきりですね。。。

これって、前記の「紙一重的な捉え方だ」と一緒だと私は感じます。

指摘されて、良かったのか、もしくは悪かったのか
本人次第で、私を敵視してしまったがための報復でそうなった。
ある意味、私も反省する点が、全くないとは言い切れないが
撮影した成果物が問題なくても嫌われてしまったのである。

ですから、捉えられ方で、いくらでも本質がねじ伏せられて
しまうなーと、強く感じてしまう。

私もどこまで迎合できるか分からないが、
他に方法があったかぁーと、省みない訳でもない。

まぁ、ご縁がなかったとして
半分諦めています。(もう1年くらい前の案件ではありますが。。。)

逆に、空いた時間で新規開拓しているので
今思えば、結果として売り上げも下がることなく
むしろ、上がってきたので怪我の功名みたいな感じである。

とわ言え、ついつい指摘してしまうのは
性分なので、今更どうしようもないし。

そのディレクターも、私から見れば大人気ないと感じてしまう。

特に、ゆとり世代とは言いたくないが、
そんな傾向が強いのが、ませにその世代であるし
覇気がない分、ついつい、指摘してしまう。

そんな自分も、他人様のことを申せるほど人格者ではないが、
だらし無さは許せないことが多いのが、1970年生まれのだと感じる。

カメラマンとして、撮影したもの以外のところで
批判されるのは意図としませんが、譲れないことは自分の中では明確に
しているつもりです。

話を戻すが、
本質は本質として皆んなわかっているが
途中のプロセスで何かあれば、すぐに根も葉もないことで
レッテルを貼ってしまう習慣をなくしたいと強く感じる。

こんな私ですが、おかげさまで、貧乏暇なし
とりわけ10月までは多くの案件を担当することができ
うれしい悲鳴をあげています。

偏見って嫌な言葉の一つですが、
これから、どうあるべきかを考える直す
タイミングが近いと思う。


同行撮影って相手のペースなんでカメラマンは忙しいけど、こちらの要望をお願いできる話法がある。

2016-06-22 05:37:03 | 写真撮影
つまり、通信販売のコメントのような感じです。

過度に相手を刺激せず、こちらの要望を伝えるます。

だって、撮影できていないと
あとあと、「こんな写真ないかなぁー」なんていうことになると
カメラマンとしても悲しい気持ちになってしまいます。

ですので、カメラマン思考の写真を撮っておく必要があります。

で、話し方としては、
「旅行の記念なんで、ぜひ、〜の様な写真を撮りたいです!」
というと、旅行を仕切っている旅行代理店だったり
旅行をしている本人だったり、大抵は応じてもらえます。

相手に対して、話し方なんだなーと、強く感じます。

まぁ、時間的に制約があると難しかったりしますが
9割以上はカメラマンの要望通りになります。

相手にお願いするとき、可能なことを前提になるけど
お願いすることをイメージできる話し方でお願いすることが
コツなのかもしれません。

単に撮影したいんです、でもいいかもしれませんが
漠然としすぎるので戸惑いが出てきてしまい
即答ができないんだと思います。
要は、そのときの会話では、どのくらい撮影で時間が
かかるのかもわからないのが、拒否される要因なんだと思われます。

前者の、「〜の様に撮影したい!」と、お願いすれば
まずは、イメージが湧きます。

まぁ、そんな難しい内容は話さず。

撮影のときの人物の背景に、神社の鳥居とか塔をを入れたいとか、
変顔をしてとか、腕を上げてポーズしてみてとか、
単純明解さが必要でもありますが、
イメージを相手にしてもらえる、話し方も大切だと感じています。

むしろ、カメラマンだからこそ
相手にイメージさせることができないと、ビデオにしろ写真にしろ
撮影できない時代なのかもしれません。

とりわけ、話法を向上させようとは強く思いませんが、
カメラマン目線で、
自然にいろんな対応ができるよう、
日々、勉強して実行しています。


多感な頃の子供と接する時こそ、接する側も、丁寧な言葉遣いで接すると素直に応じてもらえます。

2016-06-22 05:09:06 | 日本の風習
無事に関西の同行撮影が終わりました。

3日間のうち、土砂降りだったのが初日だけで
予定通りの撮影を終えることができました。

もう、学校写真をし始めて何年も経ちますが、
子供たちと話すときこそ、こちらも、横柄な態度にならず
丁寧な言葉遣いに徹するように心がけています。

別に、先生や保護者が居ても居なくても同じに
接します。

まぁ、時折、彼ら彼女らの同行で
頭にくることもあるんだろうなぁーと、
学校写真を撮影するときにあると思いましたが、

実際、頭にくることは殆どないんですよね、
だから、声を荒げることも殆どないし
体力的にも余計に気づかれせず撮影に集中できます。

恐らく、他のカメラマンのだったら
頭にくることも、少なかれあると思うけど、
実は、頭に来ない心構えを持っていたりします。


それは。多感な中学生時代の動向は、このような感じであるということ。

を、念頭に置いていますので、それが基準であり
頭にくることもありません。

そんなことあって、おバカな行動をしていても
心の余裕があるので、声を荒げたり、怒ったりすることもないし、
逆に、こちらも言葉つかいを丁寧に語りかけると
素直に応じてもらえるので、スムースに撮影が進行できます。

もう一つ、面白いことは、
子供たち皆に限ったことでは無いんですが、
肝心なことを伝えるときこそ、ちょっと、声量を小さめに
話したりします。

狙いは、こちらに注意喚起を促す感じなんです。

つまり、小さな声で問いかけると、
話を聞こうと、瞬間的にこちらに注目するんですが、
それが狙いです。

まぁ、感じとしては6割くらいの成功率ですかね。。。

接する中で、いろんな子供たちと対話をしますが、
カメラマンと言うよりも、同世代のお友だちっていう
関係性を短期間で築きたいので、
大人的な対応もあまりしていないといった感じ.

カメラマンが来た、今回は何か面白そう、と思ってくれれば
こちらも満足です。 撮影は二の次ですね。
子供たちと話をしに来たっていう心構えですね。

意外と、子供と話すといろんなことを教えてくれるので
こちらもいい刺激になりますし、

へー、この子たちの世代って、意外といろんなことを
深く知っていたりするので感銘を受けます。

ただねー、10か月のお付き合いなのが悔やまれます。
(卒業までの期間)

集合写真って撮影するのは一瞬で有っても、何年も残るので撮影は責任重大

2016-06-21 05:30:14 | 写真撮影
今日 野外で撮影する予定だったが
雨天のため、場所を変えることを余儀なくされる。

でも、想定内なので問題なし。
逆にどこで撮影して、`1日のうちどこのタイミングで
撮影するかが決まれば、瞬間で撮れてしまう。

逆に集合写真ほど難儀な撮影はない。

まず、人の並び方!
30人くらいなら、1列10名ほど並びで3列。
単純に並ぶか、身長の低い人を真ん中にセンターにする
とかアレンジが有るが、大抵、撮影には時間をかけられないので
その場の雰囲気で瞬間的に変える。

学校でも企業でも。
40名くらいを1グループとして
90秒くらいで撮りきる。でないと、撮影される側も
飽きてしまうので、良い表情が撮れないし
目つむり、も多くなる。

そして大事なのが、構図の背景
背景で写真のイメージがガラッと変わる。

たとえば、お寺の五重の塔を構図のセンターにするとか、
鳥居をどのくらいの高さまで入れ込むか
天候によっても変える。

空が、晴天で青空か曇天かにもよるし、
鳥居の色が、赤とか色によっても
構図に入れ込むサイズを変えている。

列も、前列と後列の顔の隠れがないかも瞬間的に
確認してテスト撮影をする。

これを全部併せて、60秒から90秒で
並ばさせて撮影完了させる、なれれば、なんて事無いけど
生涯残る写真撮影なので責任重大である。

やはり、写真は瞬間芸で、ビデオ撮影と違って
度胸がないと出来ない撮影なのかもしれない。

レコードとかカセットテープとか沢山あります。合理化でなくなってしまうのは寂しいです

2016-06-20 05:59:53 | 音楽
今有るものとして、
ベータのビデオデッキ、アナログレコード、アナログのカセットテープ、
レーザーディスクを持ってる。

当時、と言っても中古で買い求めたりしているが
アナログって、非合理的だあーと感じるが
その手間が良いんです。

レコードなんて、針で擦るのでどんどん痛んでくるし
ホコリに弱い、熱で歪むこともあるので保管が面倒と、
あまり良いことが無dいが、それでも、奏でる音は
スペック的に見てコンパクトディスクにはかなわない
けど、ハマってしまう。

みんなこれで音楽を聴いていたし、
下手すると、野外にレコードを持ち出して
聴いていることもある。

今、こんな手間をかけて音楽を楽しむなんて
皆無ですよね。手軽の外で聴けることが第一条件なんですね。

でも、手間がかかってこそ物や人が動き
物流も向上するような感じがする。

極論かもしれないけど、合理的すぎると働く事を
忘れてしまう様な気がする。
人間に変わって機械が仕事をし始めるということかな。。。

非合理的な所にも良いところがあって
人と人tの対話も増えます。

今は、淡々とパソコンに一人で向かうことが
多いので、関係に希薄になりがちです。

自分が働き始めた頃、アナログ感が絶頂期な頃で
よく怒られた。
怒られてこそ、仕事を覚えたし他人の考えも
察する事が出来た。

まぁ、昔に戻って欲しいとは申しませんが、
この非合理的な世界のいいとこ取りを
復活できかなぁーなんて、真剣の考えたりします。

撮影という仕事も、カメラ操作が簡単になり
誰でも手軽に撮影出来るようになりましたよね。

子供でも女性でも。。。

蔑視するわけでな無いけど、
これによって、ビデオカメラマンとか写真館の
仕事も減ってきました。
こんな感じで、いろんな所に機械が参入すると
カメラマン仕事だけではなく、
いろんな業種から人が居なくなる。

考え方はいろいろですが、
ますます、合理化と仕事の関係を考えてしまうし、
何が出来るか模索している。