最近では、上海の某アトラクション施設オープンの話題が気になるところであった。
要は、マナーが良いか、悪いかという話で、
とりわけ、マナーが悪いという結論に落ち着いている。
でも、これって紙一重的な感じだと思う、
それが悪なのか、単純に熱心なのか、捉え方で180度展開が変わる。
逆位に言えば、熱心なファンが多く訪れました、という
話でも、何ら疑問はないニュース映像が大半であった。
まぁ、否定はしませんが、結論ありきも良し悪しで
私も被害者である。
詳細は述べませんが、とある仕事でディレクターの
だらし無さを指摘したがために嫌われてしまい、
その仕事から外されてしまぅった経緯があります。
撮影的には何ら問題はないのですが
口は災いの元ですね。。。と、いういい事例だと思います。
どう見ても、だらし無さは一目瞭然で
今まで、他の人が注意をしなかったこと自体が問題だと
私は思いますが、それっきりですね。。。
これって、前記の「紙一重的な捉え方だ」と一緒だと私は感じます。
指摘されて、良かったのか、もしくは悪かったのか
本人次第で、私を敵視してしまったがための報復でそうなった。
ある意味、私も反省する点が、全くないとは言い切れないが
撮影した成果物が問題なくても嫌われてしまったのである。
ですから、捉えられ方で、いくらでも本質がねじ伏せられて
しまうなーと、強く感じてしまう。
私もどこまで迎合できるか分からないが、
他に方法があったかぁーと、省みない訳でもない。
まぁ、ご縁がなかったとして
半分諦めています。(もう1年くらい前の案件ではありますが。。。)
逆に、空いた時間で新規開拓しているので
今思えば、結果として売り上げも下がることなく
むしろ、上がってきたので怪我の功名みたいな感じである。
とわ言え、ついつい指摘してしまうのは
性分なので、今更どうしようもないし。
そのディレクターも、私から見れば大人気ないと感じてしまう。
特に、ゆとり世代とは言いたくないが、
そんな傾向が強いのが、ませにその世代であるし
覇気がない分、ついつい、指摘してしまう。
そんな自分も、他人様のことを申せるほど人格者ではないが、
だらし無さは許せないことが多いのが、1970年生まれのだと感じる。
カメラマンとして、撮影したもの以外のところで
批判されるのは意図としませんが、譲れないことは自分の中では明確に
しているつもりです。
話を戻すが、
本質は本質として皆んなわかっているが
途中のプロセスで何かあれば、すぐに根も葉もないことで
レッテルを貼ってしまう習慣をなくしたいと強く感じる。
こんな私ですが、おかげさまで、貧乏暇なし
とりわけ10月までは多くの案件を担当することができ
うれしい悲鳴をあげています。
偏見って嫌な言葉の一つですが、
これから、どうあるべきかを考える直す
タイミングが近いと思う。
要は、マナーが良いか、悪いかという話で、
とりわけ、マナーが悪いという結論に落ち着いている。
でも、これって紙一重的な感じだと思う、
それが悪なのか、単純に熱心なのか、捉え方で180度展開が変わる。
逆位に言えば、熱心なファンが多く訪れました、という
話でも、何ら疑問はないニュース映像が大半であった。
まぁ、否定はしませんが、結論ありきも良し悪しで
私も被害者である。
詳細は述べませんが、とある仕事でディレクターの
だらし無さを指摘したがために嫌われてしまい、
その仕事から外されてしまぅった経緯があります。
撮影的には何ら問題はないのですが
口は災いの元ですね。。。と、いういい事例だと思います。
どう見ても、だらし無さは一目瞭然で
今まで、他の人が注意をしなかったこと自体が問題だと
私は思いますが、それっきりですね。。。
これって、前記の「紙一重的な捉え方だ」と一緒だと私は感じます。
指摘されて、良かったのか、もしくは悪かったのか
本人次第で、私を敵視してしまったがための報復でそうなった。
ある意味、私も反省する点が、全くないとは言い切れないが
撮影した成果物が問題なくても嫌われてしまったのである。
ですから、捉えられ方で、いくらでも本質がねじ伏せられて
しまうなーと、強く感じてしまう。
私もどこまで迎合できるか分からないが、
他に方法があったかぁーと、省みない訳でもない。
まぁ、ご縁がなかったとして
半分諦めています。(もう1年くらい前の案件ではありますが。。。)
逆に、空いた時間で新規開拓しているので
今思えば、結果として売り上げも下がることなく
むしろ、上がってきたので怪我の功名みたいな感じである。
とわ言え、ついつい指摘してしまうのは
性分なので、今更どうしようもないし。
そのディレクターも、私から見れば大人気ないと感じてしまう。
特に、ゆとり世代とは言いたくないが、
そんな傾向が強いのが、ませにその世代であるし
覇気がない分、ついつい、指摘してしまう。
そんな自分も、他人様のことを申せるほど人格者ではないが、
だらし無さは許せないことが多いのが、1970年生まれのだと感じる。
カメラマンとして、撮影したもの以外のところで
批判されるのは意図としませんが、譲れないことは自分の中では明確に
しているつもりです。
話を戻すが、
本質は本質として皆んなわかっているが
途中のプロセスで何かあれば、すぐに根も葉もないことで
レッテルを貼ってしまう習慣をなくしたいと強く感じる。
こんな私ですが、おかげさまで、貧乏暇なし
とりわけ10月までは多くの案件を担当することができ
うれしい悲鳴をあげています。
偏見って嫌な言葉の一つですが、
これから、どうあるべきかを考える直す
タイミングが近いと思う。