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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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償いの書(11)

2010年12月30日 | 償いの書
償いの書(11)

「美紀ちゃん、可愛かった? きれいだった? どうだった?」

 ふたたび、ぼくの前には雪代がいた。昨日の結婚式の様子を彼女に問われている。ぼくは、いろいろと妹に便宜を働いてくれたことを感謝しようとしていた。ぼくらは、むかしよく来た喫茶店にいた。音楽は、いつもその日にあったピアノ曲が流れていた。ラベル? ソナチネ? ぼくは遠くに置いてあるCDのジャケットの小さな文字を眺めようとしていた。

「うん、きれいだった。あんなに清楚な感じが出せるなら、むかしから、しておいて欲しかった」と感想を述べた。

「特別な日だからね、ひろし君のときもわたしがしてあげようか?」と、からかうような目付きでぼくに訊いた。しかし、その返事はぼくの喉からすらすらと出てくるはずもなかった。それにしても、ぼくは、彼女の雰囲気がすこし変わっていることに戸惑っている。その原因をさがすと、体型がすこし変わっていることに気付いた。彼女がトイレに立ち上がったとき、お腹が膨らんでいることを知ったのだ。戻ってきたときに、ぼくは問いかけないわけにはいかない気持ちになっている。

「お腹に、いるんだ?」
「そう、あと3、4ヶ月で誕生する」
「良かったね」
「うん、いつか、お母さんも経験したかった」
 ぼくは、その相手となる男性のことを思い浮かべ、もしかしたら、自分がその立場にいたかもしれない可能性のことについても考えた。
「どっちなの? 男の子?」
「まだ、知らない。でもね、男の子だったら、ラグビーやサッカーをしてもらいたい。それを、お母さんのわたしが力いっぱい、応援する」

「良いコーチがそばにいるもんね。もし、女の子だったら?」
「わたしが好きになった男の子のはなしをしてあげる」
「島本さんのこと?」
「彼もそう。あと、油断すると浮気ばっかりする年下の男の子がいた。彼の話もしてあげる」
「なんだ、知ってたんだ。問い詰めてくれれば良かったのに」
「彼のことも好きだったし、年上の女性が気色ばんで問いただすなんて、わたしの美学としてなかった。やってはいけないことだと思っていた」
「ごめん、いろいろ」

「いいのよ、もう。でも、あの子はそれにもう耐えられそうもないから、しないでちょうだいね」雪代は、裕紀を連れて、ぼくが戻ってきたことをしっているらしい。
「もう、しないんだ」
「だと、いいんだけど」
「仕事も順調なんでしょう?」
「うまくいってる。優秀なスタッフも掻き集めたし。ひろし君は、東京の生活になれた? うまく生活がはまってる? 軌道に乗ってる?」

「なんとかね。だんだんと、こっちに戻りたいと思ってた気持ちを忘れることもたびたびある」
「大人になるって、忘れることだし、手から漏れていく水みたいなものだからね。それも仕様がないよ」
「雪代がしてくれたことは忘れてないよ」
「いや、いつか忘れるよ」

「だって、雪代だって子どもにぼくのことを話してくれるって、いま言ったばかりじゃないか」
「そうだね、いつか少年か少女になったこの子に会ってくれる? そして、いっしょに遊んでくれる?」
 ぼくは、そのことを想像してみる。その子とサッカーボールを蹴りあっている映像が浮かび、むかし、バイト先の店長の娘と、学校に入学する前に文房具を買いにいった思い出を楽しんでいる。そのくらいの年齢になった雪代の子どもと、自分がそれだけ年を積み、また、そのときには自分にも子どもというものがいるのだろうかという空想ももてあそんでいる。

「もちろん、喜んでそうするよ。その機会が訪れることを楽しみにしている。それまで、元気に活発な子になるように育ててくれよ」と、言った。ぼくらは、たくさんの約束を交わし、交わしたことを忘れたとしても、その言葉を言わないわけには、その当時はいかなかったのだ。
「あと、何日かこっちにいるの?」
「明日の夕方には帰らなければいけない。仕事もそう待ってくれないから」
「あの子も?」
「うん、あの子も」

「今度は大事にしてあげた方がいいかもね」
「浮気しないでね」
「そう、浮気もきっぱりとやめて」ぼくらは、笑った。母になる雪代という存在をぼくは認めなければならなかった。時代は変わっていくのであり、歴史は動くものなのである。彼女のその膨らんだお腹をみつめながら、ぼくはそのことを痛感した。話し終えたぼくらは、彼女を店の外まで送り、もう一度、ぼくは店内に戻った。店主にきちんとあいさつをして、音楽談義をすこしだけした。彼はぼくの質問に的確に答え、会話は有意義なものになった。そして、その彼の王国を今後も死守してくれるようぼくはこころのなかで願っていた。移ろってゆくものも美しければ、この店の変わらない点も、それは、また美しいものなのだからだ。

 ぼくは、ひとりで店を出て、裕紀のホテルに電話した。雪代と会うことは告げられなかったが、彼女は知ることになるのだろうか。新婚旅行に出かける前に、妹と山下が彼女のもとを訪れ、手紙を残していったそうだ。裕紀の存在は誰からも愛されることになる。そして、過去にぼくが取った行動を全員が彼女に済まないという気持ちを抱き続けているのも、また動かない事実だったのだ。

存在理由(43)

2010年12月30日 | 存在理由
(43)

 人との出会いで自分の枠がいくらか広がる場合がある。ぼくの同期は、季節ごとに洋服を替えるように女性を替えた。自分は、そうした努力を怠ったのだろうか、いつも最前列にはみどりがいた。しかし、聖人でもない自分には、2番や3番にも誰かが出てくる。卑怯なことは、分かっているが、自分でもどうしようもなかった。だが、先頭にみどりを置くことを辞めるつもりもなかった。

 待ち合わせて4人で、居酒屋に行った。同期は、かなり親しげに付き合い始めた女性と接し、知り合ってから十数日しか経っていないとは傍目には思えなかった。彼のいつも大らかな態度に自分は圧倒された。自分は、あのぐらい親しい関係になるには、数カ月や数年をふつうに要した。

 ぼくの家にも近い場所に住むさゆりという子は、その年代の女性としては、おとなしい印象を与えた。自分のことをあけすけに何でも話すようなことはなかった。そのことでかえって話を引き出したい気持ちにさせた。また、自分のオフィスに戻った時には、あのようなおとなしさで、きちんと自分の意志を伝えて仕事ができるのだろうかと、いくらかの心配も自分にさせた。その気持ちがあって、頼りなげな表情を眺めながら、話をすることに熱中していく。多分、他の人にインタビューしないことには、仕事にならない自分には、いくらか訓練されてきたのだろう、それを使って情報を引き出していく。

 彼女は、24歳だった。いまの会社に4年間も働いている。もう一人の子が言うには、とても業務において優秀なのだそうだ。優秀というのは、完成に近づくために段取りがきちんと把握できているのだろう。そして、失敗する要素の芽を摘み取っていくのだろう。

 ぼくの周りには、しっかりした女性が多かった。そのためか、そうした女性の美点を当たり前のように考えていた。さらに、自分はそれらを愛していた。しかし、目の前にいる女性は、いかにも頼りなげでやさしい気持ちを自分に付け加えた。

 それぞれが満腹になり、酔いも手伝って開放的なきもちになった。同期の失敗を忘れさせ、元気づけるという名目であったが、彼にはそうした計画も実際には必要ないようであった。逆に、自分は元気をもらっていた。

 店を出ると、コートを着ていても何の役にもたたないような寒さに包まれた。同期は、すぐに消えた。明日の朝は、元気な顔で出社してくれればいいと思った。

 ぼくは、さゆりさんと地下鉄の入口に向かった。空席がみつかり、そこに座った。話をきくと彼女にも学生時代から付き合っている男性がいて、その関係はいまでは最初の高揚はすでになくなっているようだ。それで、二人が一緒にいることが自然なことだ、という境地にもいかず、ちいさな不満が彼女にはあるらしい。あるらしいが、彼女はそのことを堂々と言えることはできないみたいだった。変えてほしい部分も口にだせないまま、また、最終的に関係を打ち切ることもないようだった。すべては、静かな流れに漂っている葉っぱのように、水面をぷかぷか浮いているような関係性だった。

 それをきいて、自分も同じようなものではないかと考える。愛しているのは確かだし、だれよりも大事に温めていきたい関係だが、とくに手を入れなくてもうまく動いている機械のように歯車もかみ合っていた。しかし、もっと能率を高める余地もありそうだった。かといって、具体的な対策は、戦況を見極めることのできない一兵士のように先延ばしにする。弾もそれなりに拳銃にはつまっているし、食料も確保できている状態だ。

 このように同じ共有することを並べたて、感情移入することによって、防御の壁を打ち壊し、親しさを深めていくことが自分の方法であるようだった。30分間ぐらいの地下鉄の車内で、行われた小さな奇跡だ。

 誰かのこころが、自分を信頼し、なんでも話せるようになり、友情がうまれ深まっていくことに、それが学生時代の延長ではなく、社会に足場をつくった人間としての嬉しさに、このころは敏感になっていたのだろう。それは、自分にとって、とても栄養になり、人生をカラフルにさせるものだと気付き始めた。

 駅に着いた。改札を抜け、ぼくは南口に向かった。彼女は、北口に行った。休日に暇なときには、一緒にコーヒーでも飲もうという、不確かな約束をとりつけ、自分の気持ちにちいさなさざ波がたち、それでも、暖かな気持ちをもって、家にむかった。自分のアパートには思いがけなく電気がついていた。鍵をもっているみどりが来たのかな、と彼女の不定期な休日のことと照らし合わせて考えた。