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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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存在理由(37)

2010年12月16日 | 存在理由
(37)

 朝、由紀ちゃんは女性らしい素敵な服装であらわれ、ぼくを間違いなく魅了したのだった。昨日のうちに友人に話し、ぼくは別行動をとることを告げていた。彼らは、それで問題がないようだった。

 実費の分だけ精算し、ぼくは荷物を抱え、駐車場で待っている由紀ちゃんのところに行った。車のドアを開け、となりに座りこんだ。彼女は、パット・メセニーが好きで、その一瞬やわに聞こえるギターが車内に流れていた。
「友だちは変に思わなかった?」

「いや、ひとりで運転するより、同乗する人がいた方がはるかに楽しくなるよ、と言って賛成してたよ」
 車は走り出し、まわりの風景も適度に変わっていった。冬の樹木から、海岸線に変わり、すこし窓を開けると、潮のにおいがいくらか漂ってきた。そして、そのことは開放感につながった。

「いいにおいだね」と彼女は、横目でちらとこちらを見て、ささやいた。
「そうだね」とぼくは、いくらか眠たい体を深くシートに沈めながら、また、窓を閉めた。

 海岸線のお土産屋を何軒か通り過ぎたが、自分にも必要だったことを思い出し、どこかのひとつに寄って、とお願いした。
 典型的な干物を店先に並べている前に車を着けてもらった。これなら、配っても誰も嫌がらないだろうということで、小さな瓶に入っているものをいくつか物色した。

 そこから、家まで何事も起こらないだろうと安心していたのだが、急に由紀ちゃんはまじめな顔つきになり、言い出しにくいことなんだけど、と言って少しの間だけ黙った。

 その間に、パット・メセニーは、やわな音楽ではなくある面ハードな音楽なのだなと、考えをあらためる時間があった。
「ニューヨークに留学することになった」
 ぼくは唖然とし、「えっ」という言葉を、ふと出してしまったと思う。

 前の彼氏ともそのことは話しており、そのことが二人の溝を作ってしまったとも語った。「そうなんだ、それなら仕方ないよね」と理由を聞いた自分は言った。その理由とは、彼女も遊んでばかりいたわけではなく、雑誌社を仕切る立場に参入するため、コネと語学を身につける必要と、兄からの命令があったらしい。この辺は、自分ひとりで、生き方の判断をすればよいだけの自分には分からなかったが、違うよその国には、それに見合った違うルールがあるのだろう。

「空港まで送りに来てくれる?」
「もちろん、行くよ」と、平然とした顔をつくり、口調にも気をつけ答えた。ぼくは、このことにいたくショックを受けていたのだろうか。

 それから数日して成田にいる。いくつかの荷物のまわりにぼくは陣取った。彼女の友人も何人かいたので、親密に話す時間はあまりもてなかった。この前の車内での会話が、遠い記憶にかわっていく。彼女の様子は、さびしい気持ちがないといったら嘘なのだろうけど、そうした素振りはあまり見せなかった。それより、若い女性に特有なものだと自分は考えている、この後の未来に焦点があっているような、後戻りはできないという印象的な表情だった。そして、しばらくたって彼女は手を振り、ぼくも手を振った。

 職場に午後にもどると、部長の視線とあった。いつも怖いが、きょうはそんな表情より、いたわりの方が強いような目だった。たぶん、ぼくの行き先を知っていたのだろうか。ぼくは、わざと聞こえるような声で、取材先の名前を口に出し、疲れたという嘘の告白までした。

償いの書(6)

2010年12月16日 | 償いの書
償いの書(6)

 結局、その連休の間、ぼくは電話をしなかった。8年間も離れていたのだから、7、8日間、声を聞かないことなど大したことではないのだと考えたからだ。だが、その数字がかかれたメモを見て、声を聞きたくなかったといえば、嘘になった。なんども眺めては、後悔しながらもふたたびその同じ場所にメモを戻した。

 そして、あっけなく連休は過ぎ去ってしまい、ぼくはまた地下鉄の満員電車をさらにひとりぶんだけ窮屈にする人間として、そのなかにくるまれている。

 ぼくは、いつものコンビニエンス・ストアに立ち寄り、習慣化してしまうであろう行動をとった。品物ではなく、ぼくは最初に裕紀の存在を目で探しているのだ。彼女はそこにいて、ぼくの方を振り向いて、にっこりと微笑んだ。
「楽しい休みになった?」と、裕紀は近寄ってきて、ぼくに尋ねた。

「野球を見に行った。裕紀は、どうだったの?」
「楽しかったよ。買い物もできたし、たくさんおしゃべりしたし、リラックスもできたし」
「よかったね」とぼくは言い、そこに含まれている自分、彼女の世界の登場人物になった自分を想像しようとした。

 だが、彼女は、「じゃあ、またね」と言って、直ぐにひるがえって、ぼくを残し、店から出て行った。ぼくは、電話をしなかったことを問い詰められればいい、と考えていたが、彼女は関心がなかったのかもしれない。朝の短い時間では、交流を深くすることなど不可能なのだと、自分の判断を甘やかした。

 しかし、ぼくのこころの奥には、裕紀の存在を立証する種がまかれはじめたのだ。それを、ぼくは考えることで毎日、適度に水を与えていたらしい。気がつくと、それは大きな存在になっていて、もう少し広い場所にかえる必要があるようだった。こころの片隅になど置いておける存在などでは、そもそもなかったのだ。それは、当初から気付いていたのだが。

 ある日、休みが明けてから、1週間ほど経ったのだろうか、ぼくはいつも通り、仕事が終わったあと、部屋でビールを飲みながらテレビを見たり、音楽を聴いたりしていた。そこにある彼女の電話番号が、もうどうにも無視できない状態になって、とうとう電話をすることになった。ぼくが、彼女と電話をしていたころは、彼女と直接話す前に誰かが取り次いだりもした。ぼくは、あのころの不安感を取り戻そうとしていた。しかし、彼女がそこにいれば、彼女以外はもう出ることもないのだと思って安心した。

「もしもし、近藤です」
「ああ、ひろし君、やっとかけてきたんだ。わたしからは、あまりしづらかったもので、ごめんね」
 といいながらも、ぼくは、何かを性急に伝えることなどなにひとつ持っていないことも事実だったのだ。ぼくらは、あれこれと重要じゃないことを話しながらも、それぞれがぼくらの空白の期間の価値観の変貌などを(それほどには変わっていなかったが)知る要素にも、その会話はなったのだった。

 そうしながらも、ぼくは空いていた数年間も彼女を失っていたことなど考えられないでいる錯覚におちいっている。彼女は、ぼくと別れ、両親を失い、兄弟との関係もこじれてしまっていたが、本質的な優しさを、いっさい、失っていないようだった。ぼくは、そのことに驚き、そのことになぜだか戸惑った。ぼくだったら、さまざまなものを呪い、いろいろなものを恨んだだろう。自分を正当化するために、誰かを傷つけるようなことまで考えたかもしれない。しかし、彼女はなにごとも素直に受け入れ、善意に考えるようだった。

「裕紀は、どこまでも優しいんだね」と、ついぼくは、思ったことを言ってしまった。

「なんで? どういうところが?」ぼくは簡単に説明がつかず、自分が彼女にした酷いことにそれは触れるのかもしれないからだが、なんとなく話をごまかしてしまった。そして、機会が与えられるなら、彼女に一生をかけて、償う作業をしたいものだと思っていた。それを、彼女が受け入れてくれるのかは、また別の問題だった。

 ぼくは、電話を切り、いろいろな用事をしながらも、ついつい彼女のことを考えてしまっている自分がいることに抵抗を覚えたり、やはり嬉しいことだと考え直したりしている。彼女も同じような気持ちであってくれたらいい、とも思っていた。それは、恥ずかしながらも恋のスタートだったのだ。ぼくらにとっては、再スタートになるのだが。ぼくらではない、ぼくの気持ちがそうなのだ。

 こうして、ぼくは雪代を手放してしまったやるせない気持ちを、裕紀の存在で消そうとしていたのかもしれない。ぼくは、もし、運命のひとがいるならば、ひとりであってほしいと考える世界があるならば、そこの住人ではないのだなと、少しだけ考えた。その答えは、もっと年をとったときに決めればいいのだろうとも思い直している。

 ぼくらは電話の回数を重ねていくうちに、話の流れとして、いくつかの予定を立てることになる。彼女に現在、交際相手がいないことも確認したし、ぼくにもそういう相手がいないことは、早い時点で彼女は知っていた。それで、好奇心の多い年頃のぼくらは、プランを組み立てては、そのうちのいくつかを実行することになる。世の常として。