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存在理由(40)

2010年12月23日 | 存在理由
(40)
 
 最初の仕事が経済関連だったので、向き不向きがあるかもしれないが、こつこつと個人的に経済も学んでいった。しかし、そのことは確たるゴールがないまま、世の情勢を掴むことにも繋がっていく。みどりがスポーツ関連に熱を入れている会社に勤めているので、その面でも知識を増やしていきたいとも思っていた。もし、会社という組織に将来的に属さない未来があるなら、一定の量の基礎知識と、また別の一点に集中した深い知識の両方とも必要だと思っていたからだ。

 スポーツという面では野球という競技がある。自分も学生時代に一時、打ち込んだことがある。前にもいったが、PL学園のあの二人の存在が、ある人々の希望の象徴になったのも事実だし、またある方角から眺めてみると、挫折感のきっかけになったのも否定しようがなかった。そうだ、自分は才能をもたずに生まれてきたのかという確かな証明でもあった。

 みどりは、日本のサッカーが将来、世界的に通用するスポーツになるのかの証拠を求めていようとした。日本人が力をいれてきた野球ですら、世界に名をとどめはじめる選手はまだ先の話だった。

 2月には、野球という競技が本格的に始動をする時期でもある。大勢の新聞記者や雑誌社の面々もそこに集まる。まわりの視線が集中するところにスターも生まれるのだろう。

 それなりの記事も雑誌にのることはあったが、本来はまだ入りたての青二才でもあった。人手が足りなくなると、ただの雑用として、それらの人々の運転手として行動したこともあった。沖縄や九州に行き、機材を運び、さまざまなものをセッティングし、また逆のことをして日々が吸い取られて行くことも多々あった。面倒だと思う間もなく時間だけが過ぎていった。

 そうしながらも、自分の頭と足を使った行為を通して、考えることも訓練していく。野球を見れば、この競技でメジャー・リーグに通用する選手は、そう遠くない時期に出てくることは分かった。多分、それは野手ではないはずだった。投手という孤立した存在で、颯爽と日本人も活躍するはずであった。それは名もなき、まだ見たこともない聞いたこともない人間であると予想した。しかし、実際は、牛を象徴としたチームの投手が、このあと活躍し出した。

 その選手の存在をそう遠くない地点でキャンプで見る機会もあったはずだが、疲れてホテルで寝ていたのだろうか、それとも、その地域の名所でも歩き回っていたのだろうか? 惜しいことをしたものである。

 学校で学んだ知識がある日、自分の知り得た情報を通して更新しなければならないと思ったのもこの頃のことだ。冷戦ということばですべてを表せる状態が、ぼくの学生時代には確かに存在した。しかし、その片方は、消えつつ運命になり、片方は異常なまでにその後、肥大化していく。そうした均衡が必要だったのか判断したこともなかったが、ソビエトは解体していった。ある政治家は、自分の言葉で西側に敬意を示し、そのことで過去の情報も世の中に流通し、より良い世界を求める希望を与えた代わりに、国自体が崩壊していった。世界は、より機動力を求めていくように見えた。

 知識が増えれば、幸福になれるという訳でもなかった。疑問は、執拗に存在し続け、それらは解決をもたらす力が世界にはないことをアピールし続けた。

 その頃の自分の生活は、長いこと続けているみどりとの関係を軌道から逸らすことを絶望的に恐れていることをひしひしと感じていた。そう必死になっていたわけでもない。休日には、仕事とは関係なく、そんなことは可能なのかどうか説明できないが、サッカーを観戦したり、ぼくの希望として、映画にもいったりした。数年も付き合えば、それを壊して、よりよい何かを求める気持ちもなくなっていったりする。その時の自分も女性に対してはそうだったのだろう。仕事では、少し進めば、自分には足りないことばかりで、責任もそんなにないことを知り、決定するのも誰かに任せていることが不甲斐なくもあり、わずらわしくもあった。

 煮詰まって来ると、いまの環境とは違う場所に存在する自分を確かめたくなるという発想が出たのもこのときだろう。休みをとって、友人と南国に行った。たくさんの太陽を浴び、潮風をかんじ、水着の女性に見とれ、夜はたくさんの酒を飲んだ。その開放感を通じ、また違った空気が抜けることを喜んだ。

 日本に戻ってくると、この夏にはじまるオリンピックの競技に出る選手の予選や、注目を浴びるだろう人々が紹介されていく。自分のピークをある日に設定することが目標となり、その自分の目標が他の人々の期待と直結し、それが裏切られると反省と釈明を求められてしまう人間のむごさの祭典だ。

 みどりもサッカーの情報収集をしている。現地に行って、取材をすることが決まっていた。若い人たちは、自分を市場に売り込むチャンスの場でもあり、そのことを証明すると、たくさんの金銭が動くことになる。

 自分も仕事をしながら、たくさんの人と接しながら、もまれて大きな人間になろうとする時期だった。多くの対向車とすれ違いながらも、接触事故も起こさずに、エンジンを駆動しながらもガソリンをなくすこともなく、ただひたすらに走ることが必要な期間だった。


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