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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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償いの書(3)

2010年12月09日 | 償いの書
償いの書(3)

 ぼくは、ちょっと離れた彼女の姿を認識しつつも、そこにたどり着けないもどかしさも感じていた。いくつかの信号がぼくの歩みをさえぎり、最短距離で彼女に近付きたかったのだが、それは思い通りには行かなかった。まるで、それは、悪い夢でも見ているように、なかなか自分の思い通りのゴールには至りそうもなかった。しかし、ぼくの視界には、彼女の姿がはっきりと映し出されていた。

 ぼくは、そのもどかしさの中でも、やっと彼女の視線の範疇に入る。
「お腹すいちゃった。けっこう、待ったんだよ。やっぱり、来ないのかと思った」
「ごめん。なんか難しいお客さんの応対を最後にして、なかなか抜け出せなかった」と、ぼくは言った。言い訳を、もったたくさんしたかったのだが、彼女との距離感が分からないまま、ぼくは攻撃とも防御ともつかない言葉を捜し続けた。
「ひろし君は、この辺に詳しくなったの?」

「まるで、全然」と、自信があるような、それでいてまったくないような言葉を呟いた。

「じゃあ、あそこに行きたいと思っていたんだけど、付き合ってくれる?」と裕紀は言い、ぼくらの歩みを促した。彼女の望みの店に着くと、ある爽やかな男性に案内され、ぼくらは店の奥の静かな場所に通された。連休前で混んでいると思っていたが、意外とそこは静寂が保たれていた。そこから、失われた関係の狭間を埋めようと、ぼくらの会話は手探りながらも交わされていく。

「東京に来たのは、最近?」
「あの、コンビニでぼくを見つけたのがその頃なら、そこから始まったばかりだよ。裕紀は?」
「向こうの大学を卒業して、4年ぐらいここに住んでる」
「ひとりで?」
「ひとりで」
「家族は?」

「なんとなくだけど、いろいろあった。たまに、ほんのたまにだけど、ひろし君のことは、ゆり江ちゃんにきいていた」
「あの、ゆり江ちゃん?」
「そう。彼女と親しくしてくれていたみたいで、ありがとう」ぼくは、いろいろと言い辛いことを身にしみて感じていた。「ひろし君は頑固なひとだと、あの子はいつも言ってた」
「それで、家族もこっちに?」
「言い辛いけど、私が留学している場所に遊びに来たとき、自動車事故にあった」
「それで?」
「それで、亡くなった」

「向こうで? ゆり江ちゃんは何も教えてくれなかった」
「言わないように口止めしていた。ひろし君のこころは意外と柔だから。わたしはシアトルで学んでいたけど、休暇のときのロスアンジェルスで」
「まだ、19ぐらいのときじゃない?」
「なんで?」
「ぼくは、空港で似た人を見た覚えがある。いや、いつかは、忘れたけど、裕紀に似た子がそこにいた」
「多分、そのとき、両親は旅行で来て、いろいろと案内しようと思っていた」ぼくは、その機会のことを告げられないでいた。
「ひろし君も旅行で」
「まあ」
「誰と」ぼくは無言でいる。「あのひととなんだ?」

 ぼくは返事をしないでいたが、彼女は理解したようだった。そこで、ぼくは話題を転換させようとしていた。
「ぼくのことを恨んでいた?」ぼくはついに質問した。それを、いつも恐れていた、ということは隠していたのだが。

「多分だけど、恨んでいない。あの計画を練ったのは、父親だった。それで、留学をわたしにさせようとした。自分の娘の名誉が汚されるのを彼は恐れていたんだと思う。わたし自身は、ひろし君が、ただ1回間違いを犯しただけで、ほんとうは、私を大事にしてくれていると思っていた。それを根源的に突き止めたかった。そうなんでしょう?」と、彼女は、あれ以来別のひとになったような大人びた表情をした。「違うのかな?」

「そうかもしれない」と、自分の発言の軽率さをたしなめようと、ぼくはグラスにはいった赤い渋めのワインを飲んだ。
「でも、どっかでは憎もうと思っていた。わたしのこころを踏みにじったひろし君のことや、あの女性のことも忘れることができなかった。もっと、シンプルな恋をわたしは経験したかった」
「ごめん」
「謝ることないよ」

 彼女は自分のこころの深い部分を表していたことを恥じるように、そう言った。「でも、過去の楽しい思い出に変換できれば、どんなにいいことだろうとも思っていた」

 ぼくは、いろいろなことが頭の中に流れ続け、返答できずにいた。

「若いころの間違いって、自分のことじゃなければ、たしなめる必要もないほど寛大になったりできるんだけどね」
「こんなに、最初から突き詰めることなんかしたくないと思っていた。もっと別の話をしましょう。名刺をみたけど、ラグビーの先輩のお父さんの会社にひろし君は勤めたの?」

「その通り。それで、ずっと地元で骨を埋めようと思っていたんだけど、違う道を歩んでしまった」
「後悔してる?」
「もう、分からない。ここで、裕紀に会うことにもなったんだし」
「後悔してる?」
「するわけないじゃん」と、言って、ぼくは、時計を見た。時間は性急にぼくらの持ち時間を奪おうとしていた。

存在理由(32)

2010年12月09日 | 存在理由
(32)

 玄関での人影が、一人の女性の映像にかわり、それも若い女性にかわって、自分の知っている由紀という名前の女性と重なる。その女性は、20代の女性であるという別のヒントを自分の中で与え、認識し、それが裕福な女性であるということも、つまらないながらも確認する。そういう家柄の一員であることはどういうことなのだろう、と想像する。

「コーヒーか紅茶でもいれようか?」

 窓の外を見ていて、背中をこちらに向けている由紀ちゃんに話しかける。「そうだね、私がいれようっか?」と言って、やっと振り向いたが、その動作には続かなかった。ただ、こちらに反転したときの髪の毛が夕日に映え、きれいに見えたことだけは確かだった。

 そのシルエットがあれば、きちんと恋人がいる男性にでも軽い打撃を与えることは可能だろう。そして、自分は絶えず関係性が壊れないことを願っているような気がする。そのことは臆病なことなのだろうか。その時は分からずにいたのだが。
「はい、どうぞ」

 いつの間にか、テーブルに座った彼女は、いつもと違い健康な元気あふれる表情にかけていた。なにか、あったんだろう、そうした話がそのうち切り出されるのだろう、と想像した。しかし、その想像はすぐには実現しなかった。

 彼女は、部屋の感想をいい、こうしたところに自分もひとりで住んでみたかったとか、自分ではなにかを率先して動かなくても、必要なものはそれなりに手に入ってしまう、というような、つまらない生活であると自分を憐れんでいるような素振りをみせた。勝手な判断をすれば、ぼくはそちらの住人になりたかったよ、と思ったが口には出しづらい状況だった。

「家具とか選ぶの楽しいでしょう」
「そうだね」と相槌はうつが、それはほとんど大学の先輩たちから譲り受けたものだった。製品としては上等なものだが、それはいささか歴史に取り残されつつある遺物だった。そろそろ、悲鳴を上げる前に買い替えなければならないものも数点だが出てきている。

「音楽でもかけようか」彼女の答えも聞かず、スイッチを入れた。小さなブーンというモーター音が静かな部屋の中に響き、その後、あるうまいとも言えない女性の歌手がささやいた。人間の真価など、どこで決めればいいのだろう。この歌手以上に音程がはっきりとれ、声量も豊かにある人など大勢いるのだろう。だが、やっぱり、こうした雰囲気の、なにかを切り出す手前の瞬間には、このある意味へたで気だるい音楽が、じっとりと空気を埋めてくれる。

 自分のおなかがなった。みどりの部屋でお菓子をつまんでいたはずなのに、若い身体は燃料を求め続けた。
「フフフ」と小さな声で由紀ちゃんは笑い、「いま、お腹なったよね?」ときいた。きいた途端に思い出したように、お土産があったんだ、と小さな箱をテーブルに置いた。

 そこには、柔らかそうなシュークリームがはいっていて、それは、由紀ちゃんが選びそうな形と色だった。
 ぼくは、紅茶を継ぎ足し、夕飯への影響もいくらか考えながら、口に含んだ。それは、あまりにもデリケートにできていて、へんなところからクリームが漏れた。

 由紀ちゃんも食べたが、そのような光景にはならずに、口紅のいろも当初と同じようにそこに残っていた。

 音楽が止まってしまったことも忘れていたが、調子の悪い水道の蛇口は、ふとした時に水の粒をステンレスに落とす。その音が頻繁になった。築年数がかなり経ち、その為、立地条件や日差しなどに恵まれていながらも安く借りられていた場所なのだが、この時は、すこし恥ずかしい気をおこした。お前が主張するのは、今じゃないだろ、と心の中できつく叱った。

 ぼくは、蛇口を固く締め、そのときに玄関に置いてある彼女の華奢なハイヒールをいまさらながら、こんなもので歩いてきたのか、あの大雨ではぬかるんでしまう道を、と考え、また戻ってくると、彼女はハンカチをだし、目のあたりを押さえているようだった。

「え、どうしたの?」
 質問したぼくの声は、どこにも届かず、光と音の速さ、という公式を浮かべたまま、心臓の鼓動の速さだけは確実にスピードを上げたようだった。 

存在理由(31)

2010年12月09日 | 存在理由
(31)

 みどりの部屋でいっしょにビデオ・ムービーを見ている。小さな声で彼女の解説も聞こえてくる。オランダの景色は、原色と淡い色の中間あたりで、とどまっている。

 見慣れない魚の食べ物を、彼女は外で食べている。その横で、何年も使い込んでいる自転車に乗って通り過ぎる人々がいる。
 急に場面は変わって、サッカーの練習をするためのグラウンドが映っている。まだ、少年と呼べそうな年齢の人たちに、熱心かつ、ときにはクールに見守っている、髪の毛の少なくなっている男性がいる。彼女は、その人に話しかけ、その男性も作り笑顔を浮かべながら、返答している。

 また、画像は突然かわり、路面電車なのだろうか、その音が微かに聞こえる横をみどりは歩いている、チケットを買って、とある美術館に入る姿で終わっている。

「どう? イメージできる?」
「うん。もっと見たくなるし、やっぱり一度行ってみたくなった」
「そうだよ、行くといいよ」と、彼女は確約されたことを知っているような口調で言ってのけた。

 人は生まれたところとは別に、故郷を見つけるべきなのだろうか。どうしても、郷愁を誘うような街が出てくる、と旅行好きな先輩たちは言う。自分は、まだそのような未知なる、また根源的な気持に通じる場所を見つけられずにいる。

 二人で、音楽をききながら彼女の入れた紅茶を飲んでいる。なんの焦りも心配もない、こうした休日がいかに自分を癒したかは、いまの自分が知っている。

 その後、彼女は自分で買ってきたニット帽をかぶり、二人で都会でありながらも、その地位を押し付けられたくないような街並みを歩いた。まだあった銭湯から出てきた老人たちは、なんの野心もない人たちのように満足げな表情をみせ、紅潮した顔でそれぞれの帰途についていた。

 みどりは学生の時からの友人が結婚を決めたというような話をした。ぼくは、今後50年近くも一緒に過ごす人を選べる人たちをうらやましいと率直に思った。彼女も、そうした囲いが欲しそうなニュアンスを匂わせた。それで、ぼくは知らない振りをすることになる。

 明日の会議の用意があるので、駅まで送ってもらい、ぼくらはそこで別れた。手を熱心に振る彼女。さっき、彼女の家で見た、小さいときのころの彼女と全く変わっていない表情を、ここで再び見つけることになる。

 ぼくは、電車の座席に座っている。日曜の夕暮れの、空席がいくらか目立つ車内だった。競馬で勝った人なのだろうか、新聞を読みながら自分の手応えに満足しているような人。乳母車に乗っている子供に、熱心に話しかけるお父さん。それをにこやかに見つめる妻。

 人々の営みがあった。自分の虚飾で取り繕っているような雑誌の誌面を浮かべる。そこで、ぼくはポケットからある文庫を取り出し、すべてが失敗に通じるような、それでいながらも生きる方法を見つけられない人が書いた短編集を取り出す。自分も出来るなら、そのような文章を書いてみたく思った。しかし、他の人を納得させるような大きな失敗や波乱もなく、まだ汚れていない、また消した跡もないノートのような自分の人生の大きさを測った。

 すると、自分の家の駅に着いた。乗っている人はそうはいないと思っていたが、それでも大勢の人が自分と一緒に改札を抜けた。歩きながら考え事をしていると、あっという間に時間は過ぎてしまう。冷蔵庫の中身を想像し、足りない食材を補てんするべくスーパーに寄った。レジの袋は2つになり、両手はそれでふさがった。

 アパートの前は誰かが水を撒いた名残りがあった。照明が消えそうになっているアパートで、管理人さんはそれに気づいているのかを心配していると、自分の部屋の前に人影がある。集金で誰かが来ているのだろうか、まだ、払っていないものを思い浮かべながら推測していると、その顔はぼくを認め、安心した表情でにっこりと笑った。

「遅いね、来ちゃった」
「あ、由紀ちゃん」なんで、自分の家を知っているのだろう。この前、酔った時に言ったっけ。と、日曜の夕方ののんびりとした脳は、そこで覚醒をよぎなくされ、まあ、どうぞ、と自分の汚い部屋を想像しながらも、彼女をあげた。すると、彼女は窓をあけ、
「なんだ、あそこを通ってくれば近道なのか」と、ひとり言のように漏らしたが、すぐ振り向いて、「ね」と言った。