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償いの書(7)

2010年12月18日 | 償いの書
償いの書(7)

 ぼくがいた町では、それほど選択の範囲がひろかったわけではないことを知る。裕紀と電話で話し、「こんど、映画に行こう」という流れになり、なにを見るべきかで悩む。雑誌で目ぼしい映画を探すも、これといって見たいものが思いつかなかった。

「どんなのがいい?」と訊くと、彼女は、いつも、アカデミー賞で外国語映画賞を取ったものを追っかけている、と言った。ぼくは、その賞がどういうものか分からなかったので、その種類がどのような役割を果たしているのかも理解できないでいた。だが、まだ見ていないというので多分、ペレという映画を見に行ったと思う。それは、また別の機会だったかもしれない。それでも、休日をぼくは裕紀と過ごせるということだけで楽しかったと思うし、もちろんそれで充分だった。

 ぼくらは、混み合った駅前を避け、本屋さんで待ち合わせをした。どちらが早く着くにせよ、時間をどうやっても潰せた。

 ぼくは、コンビニエンス・ストアにいるのと同じように、視線で裕紀を探す。彼女は輸入書のコーナーにいて、写真集を手にとって眺めていた。そこには白黒の写真で撮られたバスが写っていた。ぼくは背中から声をかけ、彼女は振り向いた。本を置くと、タイトルが目に入って、
「こういうの、好きなんだ? 待った?」と訊いた。

「全然だよ。着いたばかり」と答えた。ぼくは、彼女が、その後どのようなものに興味を示し、愛情を注ぐのかを理解しようとしている自分に気付く。ぼくらは、高校生だった頃、そう自分の趣味を押し付けあうほど、なにかにこだわりなど持っていなかったのかもしれない。あれから、7、8年も経てば、自分だけの考え方というものもお互いに芽生えてきていた。

 ぼくらは、映画館の前に着き、2枚のチケットを買い、暗い中で2時間ばかりの時間を過ごした。彼女は過剰に感情移入をするタイプで、いつも大笑いしたり、よく泣いたりもした。

 その映画は、住んでいたところと別の土地で生活を強いられる子どもが出てきて、彼女はその少年のことを考え、そのときも大いに泣いた。ハンカチは彼女の手に握られ、その役目を充分に果たしているようだった。映画が終わると彼女はトイレに入り、メイクも直してきたようだった。ぼくは、その視線が自分に向けられている瞬間を恐れのような気持ちをもちながらも、喜んでいた。しかし、自分は彼女に値しないような間違ったことばかりしてきた人間ではないのか、という思いが時おり起こり、自分を悲しませることになる。

「こういうのが、外国語映画賞というのを取るのか」と、ぼくは冴えない言葉を呟く。彼女は、「今後も、ずっと追いかけるのがいいよ」と言い、ぼくは鮮明にその言葉をおぼえていて、実行しようという気になっている。しかし、彼女のニュアンスとして、それはぼくとなのか、それとも別々の間柄なのかということは分からなかった。

 ぼくらは雑貨屋に入ったり、洋服を眺めたりして、その町と午後を楽しんでいた。ある外国人旅行者らしいひとがたどたどしい日本語で道を訊いてきたが、彼女は、英語で返答し、その旅行者を安心させたのだが、道の説明はあまりうまくいかず、ぼくが言ったものを通訳してもらった。

「もう、ここの地理しってるの?」とその後、彼女は訊いたが、その町でぼくは仕事のお客さんができ、歩き回ったばかりだったのだ。最初は当然、道に迷い、路地は行き止まりになるし困った、という失敗談はあえて伏せていた。

 それから、ある店に入り、ぼくらは食事をすることになった。待っている間や、食事の間も、彼女は映画の話をした。留学したばかりのときにできた友人が映画が好きで、よく見につき合わされて影響を受けてから、わたしも自分から見るようになった、と言った。好きな映画のいくつかのストーリーを上げ、ぼくはその内容を空想して膨らませることになる。「いつか、見たいな」と、ぼくが言うと、「わたしの説明は脚色されて間違っているかもしれないけど」と不安な表情をみせた。ぼくは、別に間違い探しがしたかったわけではないし、彼女が興味をもつことを、自分も知りたかっただけであるということを伝えようとした。
 ぼくらは、休日に会うのは何度目かになっている。

「親しい友人ができた?」と、その都度、彼女は訊いたが、ぼくの答えは新しくはならなかった。上田さんや智美の話をして、たまに会うぐらいだと言った。

「智美ちゃんにわたしも会いたいな」と彼女は、言ったが、ぼくは再会したことをそのふたりになぜか告げられずにいた。どういう気持ちでそうなったのかは知らないが、ただ、今のうちは、言わないほうが良いのかもしれない、と判断していた。

 ぼくは、そのあたりで自分のなかで芽生えた気持ちを隠せずにいて、ついに言ってしまった。
「ぼくと、もう1回、もう1回、あのときのように、ぼくの彼女になってほしいんだけど」
「いつか言われるかもしれないと思っていた。即答しないとダメ?」
「別に、考えてもらっても問題ない」
「わたし以外に誰かを好きにならないか、心配でもある」ぼくは、そういうことを一度したのであった。だが、彼女が直ぐに断らないということだけで、ぼくは充分に幸福でもあったのだ。
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