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Untrue Love(124)

2013年03月12日 | Untrue Love
Untrue Love(124)

 身支度をすませ、実家を出た。太陽がまぶしかった。アパートがある駅まで電車に乗るとなかは閑散としていた。楽な姿勢でもどれたが、身体はなぜか重かった。目にうつる土曜の午前中の商店街はのどかだった。ぼくは場違いなスーツ姿のままそこを歩いている。のんびりと犬を散歩させる老人がいて、店の前を掃いたり、水を撒いたりして準備をしている店員もいた。土曜のランチのお客をあてにしての行動だろう。だが、ぼくは今日も明日も予定がなかった。

 部屋にもどって洗濯機をまわした。待っている間に窓をあけて、ベランダとの境目に腰掛け、ビールを開けた。ただ、空は青かった。ぼくはそこでぼんやりとしながら実家にあった祖父の遺影を思い出している。最近になってもまだ見る彼の唯一の写真だ。本人はそれにしてくれと頼んだ憶えもない。家族が最終的に選んだものだろう。照れくさそうにしているまじめな顔。それは老人に近いということが相応しいものなのだ。少年や少女であってはいけない。だから、ぼくはそれを準備する必要も、選別される予定もない。誰も決して準備などしないものかもしれない。大慌てで決められるものだ。

 缶が空いて、洗濯機の終わりを告げるブザーが鳴った。その機械の行程は終わっても、こちらの作業はこれからはじまる。ぼくはベランダに自分の分身を干した。風と太陽にさらされ直きに乾くだろう。そうしながらも、ぼくはきょうの予定を考えあぐねていた。

 干し終えると電話が鳴った。不思議なことだが、鳴るまではぼくはそこにあることも忘れていた。急いだからか躓きそうになり受話器をとると、紗枝の声がした。

「休みのお昼にいるんだ? 夜までずっといるとか?」

 ぼくはありのままを告げる。見栄も虚勢もいらない知人がいることを思い出して嬉しかった。それで、夜に会う約束を取り付けた。だが、それまでの時間も長かった。ぼくは玄関にすわり、扉をあけて風を感じながら靴を拭いた。それは木下さんがくれたものだった。数ヶ月だけでその物体は新品であることを止め、ぼくの足の形を模倣した。さらに靴のかかとはぼくがいくらか傾いて歩いていることを告げていた。これも遺影になりえるものかと考えている。ぼくのある種の肖像。その用事もすぐに済む。それから、また部屋に戻って机の上に飾られたぼくといつみさんとキヨシさんと咲子の写真を眺めた。それはいなくなったひとたちの写真ではない。ある日の通過を記念してのスナップだ。髪型が変わり、服装が違っても、そのときの彼らはそこに存在しつづける。ぼくの過去もまたそこにいた。数ヶ月前の過去がだんだんと延びていく。ぼくはあの写真がなければ祖父の印象を薄めさせてしまうのかもしれない。だが、彼らにはその心配も杞憂だろうと思っていた。

 時間にはまだだいぶ早かったがぼくは家を出た。洗濯物はもう乾いていてすでに取り込んでたたんでおいた。その代わりに空は梅雨らしいものになってしまった。明日の日曜は雨なのだろう。きっと、一日家にいて過ごしてしまうことが予想された。冷蔵庫の食料を思い浮かべ、今日の帰りになにかを買い足しておこうと決めた。忘れなければだけど。紗枝と会って、ぼくは楽しい気持ちを抱くだろう。数ヶ月ぶりにあって、どう印象は変わったのだろうか。世間の波を浴びることによって、彼女に大きな変化を及ぼすとも思えなかったが、それなりに大人になっていくのだろう。その回答も間近だった。

 待ち合わせの場所に着くと、雨がぽつぽつと降ってきた。ぼくは傘を広げた。半数ぐらいのひとは持っていなく、ビルに駆け込むひとや、駅の屋根のある入り口に向かうひともいた。ぼくはまだ時間があったので本屋で強まりだした雨を避けることにした。入り口付近の足元の目立つ台には夏の旅行をすすめる雑誌が多く並んでいた。ぼくは行き当たりばったりに一冊を手にする。そこの土地で楽しむ二、三日のプランや大体の予算を見た。払えない額ではない。二倍にしてもそうだった。しかし、予定を合わせることからはじめなければならない。それよりもっと重要なことはぼくはいったい誰を選ぶのであろうかという自分の意思だった。そのひとに断られたら、次はあのひとにしようという問題でもなかった。ぼくは、誰かに訊ね、了承か却下のどちらかを受け止めるべきなのだ。それで、断られたら終わり。そういう簡単な結論を求める時期だった。だが、その選択がいちばん難しかった。先延ばしにすればするほど、ぼくには不可能の分量が増していく気がした。

 自分が誘うだけではない。もし、誘われたとしたらどうだろう。きっぱりと断るのだろうか。もう、学生ではないのだとぼくはその本屋で発見する。遅いかもしれないが、それが事実だった。均等ではない複数の柱をつかってぼくは家を建てようとしているようだった。小さくても、短くても、ひとつの柱を選んで家をきちんと建てようと願うべきだった。そう思いながらぼくは雑誌をもとの場所に戻した。また手にとって、ページをめくればその場所で楽しんでいるぼくと意中の誰かの写真があってほしかった。それがぼくの答えであるべきなのだ。他人任せのなにものでもないが。ふと、壁を見ると時計の時刻は待ち合わせの時間の直前になっていた。彼女はひとりで待つことを嫌った。それをさせないためにぼくは急いで店を出て、傘を差すことも忘れて、走って目的地まで人波を掻き分けて向かった。

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