爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 q

2014年08月25日 | 悪童の書
q

 スタンドの斜面を利用してぼくらはスカートの中味を見ている。この段差が有効なのだ。五合目から日の出を見る。御来光。ぼくらは、陸上の選手という仮面をかぶっている。いや、いままでも、これからもぼくの受け取る真実は、走るという行為から教えられ、勝ち取ったものだけなのだ。

 ほんとうは見たくないのだ。昆虫が花の蜜を吸わなければ我慢できないように、ぼくの視線と脳の間に交わされたプログラミングに操られているに過ぎないのだ。ぼくに意志もない。常に、苦し紛れの言い訳というのは、華々しく、香ばしい。

 女性たちは無防備だった。その服装も無防備を助長していた。閉じる、ための機能ではなく、広がる、というのを基本のスタイルにしていた。

 ぼくは走者だ。その証拠にリレーの第四走者として走る準備をしている。ウォーミング・アップも済み、号砲が鳴る。それはぼくを動かすきっかけではない。三人も前の、四十五秒ぐらい前の同級生のための音。ぼく自身の合図は、もうしばらく待たなければいけない。ぞろぞろという表現では遅過ぎる。勇者たちのそれぞれのバトンは手の平から手の平へと確実に渡り、分業の作業が遂行される。連動の美しさ。

 だが、いくら待っても来ない。待ちびと。ぼくはグラウンドでひとり取り残される。なにが、あったのだ?

 孤独というものの本質を、言いかえればあるべき姿を、全員が走り去ったグラウンドでぼくはぽつんとひとりたたずみ味わい、理解したのだ。早く、隠れなければならない。スカートのしたの暖かな世界へ。

 理由はあとになれば簡単だ。スタートの選手が足をつったかどうかで、走ることができなくなった。彼はぼくらのチームのために何度も頑張ってくれた。反対に最後の走者は各校のもっとも速い選手が準備されている。ぼくは何度も追い抜かれる。チームを構成した彼らに随分と迷惑をかけていた。一度ぐらいの失敗を懇々と追及するほど、ぼくは自信がついていなかった。

 スポーツなど一位にならないからこそ、貴く、かつ賢い逃げ道を考えさせるのだ。

 中央線の遠い場所。新宿まで戻っても、さらに地元の町は遠かった。

 ぼくは趣味としてスカートなど好きではないのだ。根本的に。女性はパンツ姿に限る。だが、ぼくの視線は勝手にピントを合わせてしまう。数点の場所に、ズームが寄る。胸の谷間。スカートの奥底。お尻のライン。

 ときに、年齢を度外視して、見誤ってしまう欠点もあった。あっと驚いたときには、もう遅い。ぼくの視力よ、呪われよ! 末代まで呪われよ!

 あそこに何があったのだろう。ぼくらはなぜ、あの暗闇を、あのトンネルを探求することを望んだのだろう。

 そして、ときには難しく、ときには簡単にぼくの盗撮器は合法に侵入の試みを許された。

 なんだ、がっかり、ということも稀で、最終走者は見事、バトンをそこに落とした。

 あの女性たちもバトンの受け渡しが好きだったのだ。遠い場所に出向かなくても。前の走者の失態を待ち侘びることもなく。

 見るで、完結ではない。リレーの選手も家に帰り、風呂に浸かり、走らなかった疲れをとり、母の手料理を食べる。

 時間はバトンなんかの受け渡しに依存することなく勝手に流れてしまう。しつこいが見るというものがゴールラインで胸で切る最後の地点ではない。目があり、手があり、なんだかんだ。

 ぼくはある女性と会話をしている。終わった関係の女性への対処が求められることなどぼくは知らなかった。陸上選手のころなど特に。彼女は短いスカートを履いている。横から、その足の大部分が見えている。

「油断すると、ほら、スカート、めくれちゃうよ。見えちゃうよ!」
「もっと、中も、見たことあるくせに」

 ぼくは、我が耳を疑う。美しく、かつ軽やかなシンフォニーを聴くために取り付けられた耳なのに。せっかくの。だが、こんな恐れるべき下品なひとことを聞かなければならない。アランフェス協奏曲のすばらしさも知っている耳なのに。無闇に叱責できない。過去というものをある日、ふたりは作ったのだ。だが、陸上選手の段差の答えはここで得られる。その走力をただ逃げるために使いたい。無心に。あるいは絶叫して、この場を去りたかった。行き場所は、あのスタンドなのだろうか。ぼくらには犯罪という感覚もない。欲求の捌け口という缶のフタを開けてしまった。

 ぼくの耳はあるいはスタートの合図を聞くためだけに備わっていたのか。誰がスタートを決めるのだ。目覚まし時計だけが許されている唯一の恩恵なのか。

 ぼくの視線はきょうもプログラミングに従う。部品が古くなっても交換もきかない。目の焦点も甘く、反射神経も段々と摩耗する。だが、大元の装置はきょうもきっちりと運行しているようだ。ぼくはピノキオで、おじいさんは意図せずに、ぼくに真理を組み込んでしまった。それで、段差を利用していた。もうあの日々は帰ってこない。山手線だと思っていたのは別の路線だったのかもしれない。その行き先も当然のこと悪いだけでもなかった。見知らぬ、という一点だけを考慮の部屋に入れるだけでも。見知らぬ中味。



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