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物語の連鎖
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悪童の書 ci

2014年11月14日 | 悪童の書
ci

 ひとりという単位。

 もっと前にしたのかもしれないが、明確な映像として追跡できるのは、二十代の半ばに居酒屋のカウンターでカレイの煮付けをつついている姿が、ひとりで飲むことにチャレンジした最初の方のことであった。友人たちと飲む、ということがそれまでは普通のことであった。いま振り返ると、ひとりで飲んだ機会は逆転して多くなってしまったとも思われる。

「淋しい」ということばが辞書に載っているが、本来、自分にはあまりないのかもしれない。分量として少ないというのが正しい表現でもあるようだ。映画館にも入れるし、飛行機に乗って金沢の兼六園にも行き、長崎で眼鏡橋を渡る。ひとりということに何の不満もない。もちろん、親しい友人とも楽しめる。厭世でいられるほど、厄介な性分でもない。

 六人しかいない職場の部屋。三十代の末。無駄話をしている。そのなかに男女一人ずつの割合で、ひとりで飲食店にも入れず、行動の枠を狭めてしまっているひとがいた。

「できるの?」
「ひとり暮らし、ずっとしてて、できなかったら、とっくに飢え死にしてますよ」という極論に達するセリフを吐く。「でも、なにがいやなんですか?」

「あのひと、友だちもいないのかな、と思われてるんじゃないかとか、いろいろ考えて」
「ひとの目が気になる?」
「そういうこと」

 この男性のひとりは優しい性質であった。後年、もうひとり別の優しい男性に会うことになるが、ふたりは双璧であった。どこが? と解説を試みたくなるが、目線や接し方が、「できないことある? 困ってるの?」という感じだからだろう。犬派、と勝手に決める。自分とは正反対であるらしい。ぼくは、多少のギスギス感を愛している。その間に挟まった小さな小石を拾い集めることが、すなわち人生だとも思っている。

 ひとの目が、では、まったく気にならない、周囲は目もない石で成り立っているのかと問われれば、そうでもない。見栄っ張りでもあり、「ダサイ」というレッテルは全存在をかけて身に受けないように励んでいる。すると、反対にひとりで飲んでいる姿に多少、自分自身で酔っているのかもしれない。しかし、当初はそうだったとしても、随分と長い期間、そうしているのだから、これが普通で日常にも化けてしまっているのだろう。ただ単純に酒を飲みたい気持ちが消せないだけ、待ち遠しいだけともいえた。友人など待っていられるか。ひとりで、できるもん。

 飲み物もつまみも酔うスピードも自分自身が決定した。割り勘の支払でレジ前でグダグダという時間もない。ひとに話しかけられ、ひとに話す。何もなければテレビを見て、人生の数分を費やす。面倒な問題もある。政治や宗教はそう簡単に酒場の話題にならないが、スポーツの応援するチームによって、機嫌を上げ下げするひとびともいる。これは、多い。

 ハット・トリックやサイクル・ヒットという幸運が世の中にはあって、オウン・ゴールやフイルダース・チョイスという賭けにも似た不運がある。そういう際どい場面はなかなかやってこないが、手に汗握る瞬間は、コップをつかむ手も緩める。自分の部屋にいるかのように振る舞えるかどうかが試されている。ならば、部屋で飲めばよいという簡単な結論になる。

 ひとは環境を少しだけ変えたい。だが、同じ店にずっと通いつづけ、常連という動かない地位が待ち受ける。おしぼりを手のひらのなかで動かしながら、一言も発していないのに目の前に飲み物が置かれる。これがしたいのなら、やはり、家にいればいいのにとも思う。しかし、家は安楽な地ではないのかもしれない。

 昼の定食屋。おじさんたちが集団で来る。席と人数の関係で二つのテーブルに別れるが席は直ぐに用意できると提案される。だが、その案を即座に拒んでいる。

「なんで?」とぼくはひとり頬張りながら、こころでひとり言を反響させている。おじさんの顔を見て料理がうまくなるわけでもない。今日、重要な話題がありそうにも思えない。ぼくは、淋しさという観念を失っている。

 だが、これだけはひとりは無理だよな、ということを想像してみる。焼肉屋。カラオケ店。だが、すすんで行きたいところでもない。旅先で水族館にもひとりで入ってしまった。熊本で飛行機が水蒸気の過分な空で発着できずに延期になり、困った環境で一日だけ自由が増えたため、動物園にも入ってしまった。ひとの視線など関係なかったのだ。

 通勤ラッシュの改札で毎朝、おばさんふたりが楽しそうに会話しながら通過している。話していないと死んでしまう雪山での遭難のような状況にいるんだという風に見ている。黙っているのも苦ではなく、話さないのも苦痛に感じるときもある。ひとは分かり合えない生き物だと決め、分からないながらも会話でぽっかりと浮かぶイメージを近似値に近付ける努力も惜しまない。たまにだけど。

 ひとり、ラーメンをすする。汚れはじめた新聞を読む。長いことばが短く省略されている。その共通項らしき大元の文字がぼくには教えられていない。誰かに訊きたい。答えを得られれば、うるさがって直ぐに無視したい。勝手な生き物。我がままを押し通せないほど、世間は自分に束縛も不自由さも強要しないのだ。ひとりの勇者の勝利。



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