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人妻をナンパしていると、数メートル先に夫らしき姿を発見。どうする、オレ? オレの待ち受ける未来、危うし。確実に危うし。待ち侘びるのは、火あぶりの刑。
こんな出だしを見境もなく書きはじめた自分は、どう落とし前をつけるのだろう。落とし前田のクラッカー。
フィクションであれば、冷や汗はいらない。走れ、メロス。走れ、マキバオー。走れ、シンボリルドルフ。
物語と道徳の問題をすり替えることをためらわない。古着のジーンズを君たちは、嫌悪感もなく履けるのか? 古本屋の棚にひそむ本に、前任者、前所有者によるラインマーカーとしての託宣や、善悪の判断を勝手に委ねてしまったことに後悔の雑念はないのだろうか。これで、ごまかしは有効になったろうか。
走っている。陸上部の練習の頑張り以来、走っている。窃盗の未遂なのにつかまる。しかし、彼はどう、ぼくを断罪するのだろうか。
緋文字。スカーレット・レター。ナサニエル・ホーソーン。
それは確実に有罪になるべきことを実行した確信犯に与えられるべき称号だった。ぼくらの間に同意もない。反目もない。愛すらもない。愛って、ところで、何だ?
災いなるかな、パリサイ人よ。あなたがたは天の扉を閉ざしてしまう。
番台にすわって、銭湯の風呂の温度を入れないぐらいに熱くしてしまう。
あとで自分たちはぬるくして、適温の湯に浸かる。
皿と杯という外側を清めるが、内側は放縦と貪欲が支配している。
引用もまた、ごまかしの隠し玉である。内側の放縦な欲求の発露として、口説く段階を路上で露呈したのはまぎれもなく自分であった。足よりも脳が活躍している。ここで、もし転んだら最悪だ。恥の上塗り。
ぼくは彼女が結婚しているとなぜ気付き、どうして理解していると思い込んでいるのか。遠目で年代だけで判断している。独身は、やはり独身らしい容貌をしているのだろうか。指輪の有無も分からない。
責められる理由もない。密通でもない。声をかけた、あるいは、かけ損なっただけである。万引きしようと思っただけで、もう泥棒と認定されるのだろうか。席をゆずろうと一瞬でも考え、そのまま実行しなくても善人との賞賛を得られるのだろうか。行動こそが最終ジャッジである。
「もう、ここを歩くなよな!」と、彼は宣告する。彼の主張は正しいのだろうか。ぼくの行動を規定する運命を彼は握っていいのだろうか。
ぼくは解放される。この恥をドラム缶に入れて沈め、海の底で永遠に眠らす覚悟でいた。しかし、物語を操る亡霊が、ぼくに題材の提供を強要する。おもしろい話を集めろと胸ぐらをつかんで。そう取材に答えてくれたひとは熱心に語ってくれた。
声をかけたはいいが、作戦は皆無である。食事でもするのか。またプールにでも飛び込むように休憩という表札を目指して突き進むのか。ぼくにノルマを全うさせる体力や気力はあるのか。ノルマンディーには上陸するべきなのだろうか。
賢い人間になりたかった自分は、いつの間にか、道で追われている。自分の行動に対する言い訳を発明し、絞り出さなければならない。「あまりにも、きれいだったので」すると、きれいに手入れした花壇の花を勝手に摘んでもいいという結論に達してしまう。「ついてきそうだったので」こうなると、迷子の犬を拾ったという理屈になる。
「ということがあってね!」と、会話のついでに話す。失敗談の披露が生きるということ。
「その日、ふたりは夜、燃えましたよ」導火線。ぼくというウラン。こんな下品な発言をする友人がいる気楽さと憂鬱。その発言を引き出してしまったのも、ぼくの行動に端を発していた。
ナンパの失敗はひとりでトボトボ帰るという最後のはずだが、ぼくの荷は重い。酔いも霧散してしまった。知り合いを抱けばよいのだ。その知り合いになるには、一度目というのが必ず訪れる運命ではないのか。ぼくは初回を華やかに彩る覚悟でいたのではないのか。
しかし、懲りない。自分の値打ちを高く見積もらなくなるのだ、大人は段々と。そして、きれいさを残す女性は稀少になるのだ。サンゴを遠くまで取りに来るのだ。船に乗って。ぼくも同じことをしようとしただけで、結果、夫に拿捕される。領海侵犯という罪の名で。
審判にさらされる自分。答弁も下手くそだ。冤罪という神々しさに覆われている。
失敗を記しているだけで、もし、成功だったらぼくは書くことを遠慮しているだろう。そして、病気をもらう。その原因をもらう。ものごとを笑いにできるセンスのあるひとびとたち。
「ボールが止まって見えるという野球選手。絶好調の風俗嬢にはなにが見える?」
「肉眼で、クラミジアが見える」
テレビを見て大笑いする。ぼくは、自分に自信があったのだろうか。そこそこのハンサムを内心でモデル・チェンジ(劣化)し忘れたのか? お金を払ってまで、その行為をしたくない。アップル・ストア前のように行列や、順番待ちの札でも無制限に配りたい。
しかし、ひとりも手に入れられない。逆に所有者に追われている。逃げ切りたい。でも、つかまったときのみっともなさも充分に味わってみたい。その比較。両方は手に入れられない。どちらかだ。匿名ということでインタビューに応じてくれたひとの弁だけ入手した。どうも影武者がいそうな気もする。
人妻をナンパしていると、数メートル先に夫らしき姿を発見。どうする、オレ? オレの待ち受ける未来、危うし。確実に危うし。待ち侘びるのは、火あぶりの刑。
こんな出だしを見境もなく書きはじめた自分は、どう落とし前をつけるのだろう。落とし前田のクラッカー。
フィクションであれば、冷や汗はいらない。走れ、メロス。走れ、マキバオー。走れ、シンボリルドルフ。
物語と道徳の問題をすり替えることをためらわない。古着のジーンズを君たちは、嫌悪感もなく履けるのか? 古本屋の棚にひそむ本に、前任者、前所有者によるラインマーカーとしての託宣や、善悪の判断を勝手に委ねてしまったことに後悔の雑念はないのだろうか。これで、ごまかしは有効になったろうか。
走っている。陸上部の練習の頑張り以来、走っている。窃盗の未遂なのにつかまる。しかし、彼はどう、ぼくを断罪するのだろうか。
緋文字。スカーレット・レター。ナサニエル・ホーソーン。
それは確実に有罪になるべきことを実行した確信犯に与えられるべき称号だった。ぼくらの間に同意もない。反目もない。愛すらもない。愛って、ところで、何だ?
災いなるかな、パリサイ人よ。あなたがたは天の扉を閉ざしてしまう。
番台にすわって、銭湯の風呂の温度を入れないぐらいに熱くしてしまう。
あとで自分たちはぬるくして、適温の湯に浸かる。
皿と杯という外側を清めるが、内側は放縦と貪欲が支配している。
引用もまた、ごまかしの隠し玉である。内側の放縦な欲求の発露として、口説く段階を路上で露呈したのはまぎれもなく自分であった。足よりも脳が活躍している。ここで、もし転んだら最悪だ。恥の上塗り。
ぼくは彼女が結婚しているとなぜ気付き、どうして理解していると思い込んでいるのか。遠目で年代だけで判断している。独身は、やはり独身らしい容貌をしているのだろうか。指輪の有無も分からない。
責められる理由もない。密通でもない。声をかけた、あるいは、かけ損なっただけである。万引きしようと思っただけで、もう泥棒と認定されるのだろうか。席をゆずろうと一瞬でも考え、そのまま実行しなくても善人との賞賛を得られるのだろうか。行動こそが最終ジャッジである。
「もう、ここを歩くなよな!」と、彼は宣告する。彼の主張は正しいのだろうか。ぼくの行動を規定する運命を彼は握っていいのだろうか。
ぼくは解放される。この恥をドラム缶に入れて沈め、海の底で永遠に眠らす覚悟でいた。しかし、物語を操る亡霊が、ぼくに題材の提供を強要する。おもしろい話を集めろと胸ぐらをつかんで。そう取材に答えてくれたひとは熱心に語ってくれた。
声をかけたはいいが、作戦は皆無である。食事でもするのか。またプールにでも飛び込むように休憩という表札を目指して突き進むのか。ぼくにノルマを全うさせる体力や気力はあるのか。ノルマンディーには上陸するべきなのだろうか。
賢い人間になりたかった自分は、いつの間にか、道で追われている。自分の行動に対する言い訳を発明し、絞り出さなければならない。「あまりにも、きれいだったので」すると、きれいに手入れした花壇の花を勝手に摘んでもいいという結論に達してしまう。「ついてきそうだったので」こうなると、迷子の犬を拾ったという理屈になる。
「ということがあってね!」と、会話のついでに話す。失敗談の披露が生きるということ。
「その日、ふたりは夜、燃えましたよ」導火線。ぼくというウラン。こんな下品な発言をする友人がいる気楽さと憂鬱。その発言を引き出してしまったのも、ぼくの行動に端を発していた。
ナンパの失敗はひとりでトボトボ帰るという最後のはずだが、ぼくの荷は重い。酔いも霧散してしまった。知り合いを抱けばよいのだ。その知り合いになるには、一度目というのが必ず訪れる運命ではないのか。ぼくは初回を華やかに彩る覚悟でいたのではないのか。
しかし、懲りない。自分の値打ちを高く見積もらなくなるのだ、大人は段々と。そして、きれいさを残す女性は稀少になるのだ。サンゴを遠くまで取りに来るのだ。船に乗って。ぼくも同じことをしようとしただけで、結果、夫に拿捕される。領海侵犯という罪の名で。
審判にさらされる自分。答弁も下手くそだ。冤罪という神々しさに覆われている。
失敗を記しているだけで、もし、成功だったらぼくは書くことを遠慮しているだろう。そして、病気をもらう。その原因をもらう。ものごとを笑いにできるセンスのあるひとびとたち。
「ボールが止まって見えるという野球選手。絶好調の風俗嬢にはなにが見える?」
「肉眼で、クラミジアが見える」
テレビを見て大笑いする。ぼくは、自分に自信があったのだろうか。そこそこのハンサムを内心でモデル・チェンジ(劣化)し忘れたのか? お金を払ってまで、その行為をしたくない。アップル・ストア前のように行列や、順番待ちの札でも無制限に配りたい。
しかし、ひとりも手に入れられない。逆に所有者に追われている。逃げ切りたい。でも、つかまったときのみっともなさも充分に味わってみたい。その比較。両方は手に入れられない。どちらかだ。匿名ということでインタビューに応じてくれたひとの弁だけ入手した。どうも影武者がいそうな気もする。
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