爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 b

2014年08月10日 | 悪童の書
b

 結局は、大まかに突きつめれば、「疑う」ということが左であり、「信じる」という行為そのものが右でもあったのだ。

 プラモデルという既に必要な一式がパッケージされたものが販売されている。信じるという究極の形のような気もする。あのなかにあるもので、すべてが成し遂げられる。疑う余地を挟むことすらできない。

 ある日、学校の授業も終わり、家に帰る。そこにいとこのお兄さんの姿がめずらしくあった。大人の視点であの状況を振り返るならば、ぼくの母になにかの相談があったかもしれず、もしくは、金の無心のために訪れたのかもしれなかった。両方とも子どもの立場だったら手放しで喜んだが、片方はもう大人になりかけていた。だから、そこには遠い日のような密着もなく、ある距離がふたりの間にはあった。

 ぼくの机の引き出しには、完成されなかったプラモデルのいくつかのパーツがあった。捨てるのももったいなく、かといって完成するための部品がそろっていないので、子どもの感覚ではどうしようもなくなった代物だった。その不揃いな部品を組み合わせて、あとは接着剤の効果で数体のものを彼は暇な時間に作り上げていた。ぼくは驚く。A面とB面をくっつけるのを連続させると、ひとつの物体になり得るものだと思っていた。あるひとつの、例えばバックミラーのような些細なものでもなくなれば、いくら頑張っても車にはならないのだと決めかかっていた。だが、数体の完成品が机のうえに並べられていた。所有権はどこにあるのか?

 思いがけないことに、いとこの兄は、「これ、作ってあげたんだからいくつか貰ってもいい?」と訊ねた。

 理由としては、自分のためではなく、近所の子にあげたいらしいという意図のようだ。それに、君には、もうこんなに、今日以外のものでもあるじゃないか? という理論や説得が働いているらしい。その後の経過をぼくは憶えていない。母に諭されたような気もするし、頑なに拒否したい一面も自分にはあった。それを買ってもらうための甘えもお願いすらも自分のもとから出たのであった。駆け引きの時間と懇願こそが、ぼくの所有を頑なに訴えた。

 しかし、ぼくは大きくいえば「取り引き」というものに直面した最初の機会としてこのことを憶えている。そこには交渉の余地があり、妥協の産物もうまれる。多少の利益や損失を未来にいる自分の目を通して考えるのだ。ぼくは完成品というものだけを信じ、そうならないものを見捨てていたのだ。創意工夫というものは疑うという観点から出てくるのだろう。完成予定図をコマ切れにして。

 疑うひとは、信じたがるひとの信じている真実、あるいは現実より、偉大なものを提示し、実証し、過不足なく実行しなければならない。疑念というのは、そこまでいってはじめてスタート地点にたどり着く。スタートでは何事も解決できず、完膚なきまでに成し遂げて疑いは完成する。すると、疑いは、信じるということとほぼ等しくなり無意味になる。ぼくは、仕事も、愛も、性交渉も信じていない。ならば、結論はどういうものか? 答えはどこに?

 あらゆる野党(政治に限定しない。レギュラー以外の総称)は必然的に失敗する、ということを飾った文で書こうとすると、こうなる。でも、疑うことは甘美である。責任もない。信じるひとの言い草は? いるなら、お化けを連れて来い! という言葉に尽きる。通帳の残高。疑いの貞操帯を一心に信じる。

「性交渉を信じないって? そんなの虫歯が痛いから、とにかく早く削って埋めてということと同じでしょう」と、彼女は言った。ぼくは下品だと思った。その下品に付き合わされている以上、ぼくも上品とは、さらさら言えなかった。「信じるもなにも・・・。飛んでいる蚊を潰すのは、信じているから? 正しいと決めたから? ただの衝動だよ」ぼくは追い打ちをかける彼女の口をふさぐ。やりきれない。

 ぼくはプラモデルだけを相手にする子どもではもうなかった。取り引きのようなものもいくつか経験した。誕生日に買ってもらった大切なものも廃れれば友人たちに売ったか、交換してもらった。そのときに必要なものは、これか、またはあれに代わる金銭だった。

 彼女は、ぼくのこころを把握していないが、ぼくの肉体を信じているようだった。喜びの供給源として。その代償として、彼女は自分のこころをぶしつけな言葉で傷つけられる。そこに均衡があった。均衡だけがあった。

 ぼくは家畜たちの臓物を食すのを愛するひとのように、女性たちの傷ついたこころを欲した。だが、その重さを計りかねている。彼女たちは不用意に泣き、その後、からっと笑っていた。ただガソリンを補充するようにその過程を繰り返していた。ぼくがいなくても笑い、ぼくのトゲトゲした言葉がなくてもどこかで泣いた。その一連の流れをエネルギーとして彼女は動いた。生きるというのは結局は、虫歯の治療となんら変わることはなかったのだ。小さな心理。

 ぼくの疑いは経常的になり、だからその状態を信じてもいた。ソファは安らかでぼくは身体を横たえる。バック・ミラーのなくなったプラモデルの車体。その部品を埋める穴。欠如の無言の叫び。いつか引き出しの奥から出てくるかもしれない。その時には、幼少時の夢中になった記憶など寒々しいものとなっている。



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