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悪童の書 cf

2014年11月09日 | 悪童の書
cf

 あれは確実に「いじめ」だったよな、と後悔という名の苦味成分満載で構成されているレシピの後味の悪さを噛みしめている。当然のごとく、加害者の方だ。年齢的に十才以前のころのことだろう。クラスに肌の浅黒い少女がいた。中東の目だけ露出させる衣装でも着させると似合いそうだった。当時はそんな土地があることも知らなかったが。

「誰に会ったと思う?」

 学区というのが歴然とあり通える(選べる)範囲が限定されて決まっていたが、それでも、都立高の受験に落ちたため、補欠で学区以外の都心の方に通いだした友人がいった。なんだか腑に落ちない。銀座近くまで通えることになっている。その彼がぼくに質問している。ぼくに分かる訳もなく、タレントか何かかと想像をめぐらす。意外なことに歴史の彼方に置き去りにしていた女生徒の名前を突然にもちだした。

「そう。どうだった?」ぼくらは共にいじめたという後ろめたさを抱いていた。
「それがさ、親しげに、ひとなつっこそうに名前を呼ばれたんだ。○○くんだよね? という風に」

 ぼくの腑に落ちない感情はさらに加速する。彼女は恨んでもよさそうなのだ。ぼくらは放課後に掃除をしている。チリトリを使わせずに手でゴミを拾わせた。いま、こう書いていても寒気でぞっとする。なるべくなら封印したいところだが、それでは自分の美化につながってしまうので、隠し通帳をも敢えて公開するように過去の秘密のかさぶたを引っ剥がす。

 彼女は不満ももらさずに、激高もしないで、ただ言われた通りに実行した。それでぼくらのバカなこころは満足を得られたのだろうか。リーダー的なひとの申し出を盲目に受容した。さらに旗を振った。同罪よりもっと悪い。

 もし、自分がされたら、ぼくは胸ぐらをつかんで、できるだけの仕打ちをしたはずだ。どちらが度量が大きいのだろう。恨んでもいない。謝罪も求めない。ただ、小学生時代のクラスメートに再会してうれしそうにしている。そのことが、ぼくらの罪をより大きいものにする。告げ口もしない。あんなことをされながらも、明日もランドセルを背負って学校にくるのだ。

 反対。追加情報。

 ぼくらの中学は小学校を二つ分足した生徒が集っていた。自分のいない学校でいじめっ子だったという生徒もいる。あんなに小柄なのになんで? というのが自分の率直な感想だった。その事実(過去の栄光)も知らないので、たまにイキガルと自分は冷酷に彼の面子を台無しにした。胸をすっとさせるひともいたかもしれず、兄が恐いんだよ、と情報をくれるひともいる。自分は、自分に不利益な振る舞いをすることを許さなかった。生意気という物質が微量でもあると、ぼくはコショウに敏感な鼻がむずがるように、くしゃみのように暴力をふるったり、居丈高になったりした。幼い。だが、さらに重要なこととして、もう弱いものをいじめることを止めていたと思っている。それでも、加減が過ぎる生徒のことをたまに無視した。あるひとりはその期間をふりかえって、

「あんなに、充分、勉強できる機会はなかった」と、いささか誇らしげに語った。みな、打ちのめされないタフな性分を有しているようだ。

 これらの友人たちとそれぞれ愛用品をトレードする。仲が良い間は。当時の年齢もさまざまだが、プロレスの二大雑誌のバックナンバーを交換し、釣り用のリールを差し出して何かを手に入れ、誕生日に買ってもらったミクロマンのボスの代わりに悪役の親玉をもらい、ジャンパーを数千円で売った。なぜか、自分が差し出したものの方をくわしく覚えている。でも、ひとは他人のもっているものも欲しくなるのだ。それらもすべてない。

 いじめの問題であった。対処の仕方を強いる。ケンカには負けてはいけないという風土もある。その吹き溜まりに腕力の無駄な行使があった。被害者こそ、あわれであった。

 自分は酔ってグチを言う。津や干潟の役目を果たしているのだろう。あからさまな権力など大人は現実にすぐに反映させない。しかし、陰口もあれば、誰かの仕事が自分の利益や不利益として生じる。関係ないと一線をおけるほど興味を打ち消せる体質でもなく、好奇心というものが炭酸飲料を振ってしまった後のように発露を求めている。自分は現実を等身大で見なければならないのだ。観察と過去の失態の複合体こそが自分であった。

 兄は、ぼくがついさっきまで遊んでいた友人の名前を告げ、「あいつ、お前のこと、ほんとはキライだと言ってたぞ!」と急に言った。いま、考えればあたまがおかしいと否定できるが、当時は、少量の陰を自分のこころに落とすことになった。もちろん、次の日も楽しく遊ぶので、そんな憂慮は取り越し苦労なのだが、それでも、子どものこころはヤワなものである。

 その少年少女たちのこころを無残にも痛めた、しかし、ぼくが兄から言われたぐらいの傷しか得ていないのかもしれない。採点と失点をいつも自分に甘くする。三十五年前の出来事などとっくに時効なのだ。そして、これから三十五年後も誰もいない。その狭い期間の小さな罪。この繰り返しがひとびとの歴史だ。データとしてなら簡単に一気に消去できる世の中になってしまっているのに、生存させることも求めている。



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