爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

壊れゆくブレイン(9)

2012年01月02日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(9)

「免許を取って、車もある。でも、誰かとドライブする相手もいない。これって、淋しいと思う?」まゆみは、少しふてくされたように言う。
「考え方次第なんじゃない」
「言い方が、おじさんくさい」
「どこか行きたいの?」
「まあ、どこって、こともないんだけど・・・」
「ぼくは、ある家族と親しくなってね」言いよどんだが、なぜか口に出してしまった。
「それで?」彼女は目を見開き、次の出方を待った。
「どちらにしろ、いいプランなんだ」
「なにが?」期待と不安に目の表情が変わった。
「まゆみちゃんはバイトをしたいと言って、そうだ、あれから何か決まったの?」彼女は首を横に振る。「片方に勉強を教えてもらいたがっている女の子がいる。勉強はできるんだったよね?」
「ばっちり。でも、誰?」

「雪代の娘なんだ。誰か紹介してくれないかって。その子が勉強したいといっているわけではない。お母さんの方が、ちょっと心配してるだけなんだ」
「普通、そうだよね」
「でも、ちょっと気難しいところがあるんだって」
「本人を知ってる?」ぼくと雪代の関係は、まゆみも認識していた。
「何回か会った」
「それで?」
「それでって、良く知らないよ。情報は、それだけ。一緒に長い時間を過ごしたわけでもないからね」
「この話は、どこの結論に向かっているの?」
「まあ、しばらく過ごしてお互いの気があえば、勉強を教えるのなんて簡単だろう」
「ヘレン・ケラーとあのひとの話ね」
「まだ学校では、そんなことを教えてくれるんだ」ぼくは感心する。「それで、ドライブがてら、どっかに行こうか?」ぼくらは予定を立てる。

 そのことを雪代に話す。スタートとしては問題ないようだった。気が合わなければ、それで終わり。友だちになれば、ついでに勉強を教える。そこにお金も発生するが、それだけではない何かがそこに含まれていた。

 ぼくは、助手席にすわり、となりではまゆみが運転している。野球帽のようなものを被り、真剣な表情でいた。後ろには雪代と広美がすわっていた。運転する女性に興味をもっている様子を示したが、あからさまにそのことを表さないシャイさが広美にはあった。でも、興味を隠し切れなくなって(それが、普通の少女というものだ)いろいろな質問を繰り出す。
「ひろし君は、いつからまゆみちゃんのことを知ってるの?」ぼくが、まゆみちゃんというものだから、彼女もそう言った。すると、それ以降は雪代もそう呼ぶようになる。

「ちっちゃい頃から。ぼくが、バイトをしていたお店にいた女の子。広美ちゃんより、ずっと幼かった」
「可愛かった?」それが、重要な問題でもあるかのように広美は訊ねた。
「可愛かったよ。そのころには妹も生意気になっていて、兄を批判することを覚えてきていたからね。人間は、無邪気さが必要だよ」
 運転しているまゆみは黙っている。真っ直ぐ、前を見つめ、時折り眩しそうな表情をした。
「でも、生意気だったよ。いま、考えると」ハンドルを左に回しながら、自分が評価されることに飽きたのか、まゆみは口を挟む。

 すると、ある公園に着く。そこには、アスレチックのような器具があり、活発な子たちにとっては一日中、遊べる場所だった。
「スポーツ、なんかしてた?」広美がそばに寄り、上を向いて訊く。
「バスケット」
「そうなんだ」
 そう言って、彼女たちは手をつなぎ、遠くに離れていった。ぼくと雪代はシートを敷き、食べ物や飲み物を取り出し、だらだらと寝そべっていた。
「気が合いそう?」雪代は、心配という性質をあまり持っていないのか、そう訊ねながらも、こころはどこか別のところにあるようだった。
「合うんじゃない。まゆみちゃんもあんな感じだった」
「じゃあ、そのうち、しっかりして、スポーツもして、大学に行くようになるかしら、広美も」
「なるでしょう」
「サリヴァン先生」ぼくは、この前、その話を事前にしていた。「わたし、子育てに向いていないのかも」
「だって、あんなに大きくなってるじゃない」
「あんまり、教えてこなかった」
「なにを?」
「いろいろなこと。生活に役立ちそうなこと」
「そんなこともないだろう。だって、仕事ではたくさんのひとに指示してきたじゃないか」
「あれと、同じように、子どもにも多くのことを期待してきた。でも、それもどこかの時点で辞めてしまったみたい。いや、辞めたかった」

「ふうん」そう言いながらも自分は雪代の発言の確信は分からなかった。ぼくは雪代の作ったサンドイッチを食べ、そのままシートの上で少しうとうとした。「風邪、ひくよ」とか、「少し、散歩しましょう」という声がきこえた。ぼくは、自分の短い生涯を夢のなかか、それとも現実なのか分からない地点でもてあそび、楽しんでいた。目を開けると、雪代がいて、ぼくの方を見ていた。

 それから、荷物を脇に置き、ぼくはスニーカーを履きなおし雪代と歩き出した。草を踏む音がして、遠くでは子どもたちの歓声がした。すべりやすそうなところで、雪代はぼくの手を握った。いつか、こうした時間が来ることを数日前の自分か、もしくは、まだ少年だった自分は知っていたのかもしれない。それぐらい、この瞬間には永続性のようなものもあり、また神秘の一瞬とでも呼べそうな気がした。