金蛙 扶余 高句麗 帯素 伽耶 徳曼
唐突だが、ドラマ「朱蒙」や「善徳女王」をご覧になった方にはなじみのあるキーワードの数々。
実は、ある目的で抽出したものである。
これらをカタカナに直してみるとこうなる。
クムア プヨ コグリョ テソ カヤ トンマン
さてさて、問題はここからだ。
これらをそれぞれ英語圏の表記(アルファベット)に直してみると・・・
Geumwa Buyeo Goguryeo Daeso Gaya Deokman
うーむ、なんだか妙である。
ぐむわ?ぶよ?ごぐりょ!?でそって誰やねん。がや?どおくまん(ぷろ)とか。
ちなみに朱蒙以来高句麗王の姓である「高」も、英語ではGoなのである。(英語版Wikipediaをご参照あれ)
どうしてこうも濁っているのか。
どうにも不思議だったのだが、韓国語(朝鮮語)を少し勉強してみてようやくそのナゾが明らかになってきた。
ただし、僕は学者でも何でもないので、以降の説はあくまでも個人的見解であることを断っておく。
端的に言うと、朝鮮語にはおそらく濁音、半濁音という概念がないのだ。
朝鮮語には14個の基本となる子音があるのだが、そのうち韓国でgiyeok、digeut、bieupという名称の子音の「発音」はそれぞれこのように表記される。(※発声記号であってアルファベットそのものではない)
[k/g] [t/d] [p/b]
つまり、たとえばgiyeokという子音はkでもあり、gでもあるということ。逆にkでもgでもないと言った方が正解かもしれない。日本語で言う「カ行」と「ガ行」が未分化の状態というわけだ(「たぶん」だよ)。
これがすんなり納得できないのは幼少から日本語に慣れてきた日本人だからなのであって、でも、日本人だって英語のr(アール)とl(エル)を正確に聞き分け発声できる人はほとんどいないだろう。
だからネイティブの朝鮮語でgiyeokという音が、日本人にはkに近いものとして聞こえるが、英語圏の人にとってはgに近く聞こえるということなのだと思う。もともと話し言葉と文字は完全に一致するものではないし、国が変われば犬の鳴き声だって変わるのだ。(そういえば、日本ではワンワンなのに、英語ではbow wowでやはり英語の方が濁っているよね)
英語圏の人々の方が濁音の発声に敏感で少しでも濁っている音は濁音と認識する。
日本人は完全に濁っている音と認識されるものしか濁音と認めない。
そういう文化的背景があるのかもしれない。
ところで、普段気づかないが、実は日本語の中にも文字と言葉の発声が完全一致していないケースがいくつかある。
一番わかりやすい例は「リンゴ」と「ゴリラ」。
リンゴの末字の「ゴ」と、ゴリラの頭の「ゴ」は、文字上は同一だが発声される音は完全に異なる。(まったく同じに発声することも可能ではあるが)
リンゴの「ゴ」は鼻から抜けるような発声であり、力強く発声されるゴリラの「ゴ」とは別の音だ。おそらくGoguryeo(高句麗)のGoはリンゴの「ゴ」に近い音なのではないかと思う。
(似たような例でもっと身近なものとして、「僕が」、「私が」の「が」とガラスの「ガ」はやはり別である)
もうひとつ。
ハ行には仲間はずれがひとつある。これはおわかりかな?