朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

7世紀東アジアの交流事情

2011年05月19日 | 善徳女王

だいぶ時間が開いてしまったが、ひさびさに時間の余裕ができたのでドラマ「善徳女王」のDVD見直しを再開した。
昨年末までに第50話(ミシル自害の回)まで見終わっていたので、第51話から。この回では、真平王が崩御し、トンマンがとうとう女王として即位する。

ところで、写真はその即位式の一場面。隣国から招待された使節団だが、その風貌・衣装から、いわゆる西域の国からやってきた一行と思われる。(カターンおじさんがいたら面白いのに)

所詮ドラマの話でしょ、と思う人もいるかもしれないが、この時代、重要な儀式の際に近隣諸国を招待するのはむしろ常識的なことだったわけである。

高句麗第26代嬰陽王の時代、隋との戦いに圧勝した際には京観(キョングァン)と呼ばれる記念塔を建立するが、ドラマ「ヨンゲソムン」では、その完成式典に訪れた近隣諸国の使者たちがこと細かに描写されている。この中には倭(日本)の使者も含まれている。(ヨンゲソムン第17話

少し時代が後になるが、8世紀になって日本で東大寺の大仏が建立され、その大仏開眼会(かいげんえ)に導師として招かれたのは天竺(インド)の僧だった。これが唐(中国)の僧ではなかったというのが重要なポイントで、敢えて唐を外した・・・つまり、唐の支配(干渉)からの完全独立を意味するものだったという話もある。

時代を遡って、聖徳太子の時代、飛鳥の地にはペルシャの影響がぷんぷん匂うのだが、これは長くなるのでまたにしよう。


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