朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

チルスクとソップムの乱

2010年11月04日 | 善徳女王
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●「善徳女王」第51話

ミシル亡き後、武装解除を申し渡されたチルスク(【柒宿】)とソップム(石品)は、その命令に従わず引き続きトンマン暗殺を遂行することを決意する。

この部分は、(以前にもネタに書いたが)史実をベースにしているものだ。

『三国史記』真平王53年(631)の記事に次のような記述がある。(以下、平凡社の「東洋文庫」版より引用)

『夏五月、【伊飡】の【柒宿】(しっしゅく)が【阿飡】の石品(せきひん)と叛逆をはかった。王がそのことを知って、【柒宿】を捕え、これを〔王都の〕東の市場で斬罪に処し、さらに九族まで罰した。』

歴史上、善徳女王が即位したのが632年であるから年代的には辻褄が合うが、話の流れはドラマとはまったく異なる。もっとも「善徳女王」のドラマの筋書きのほとんどが架空のものなので、いまさらツッコむまでもない。

史実から離れ、ドラマとして見た場合には、前回から見所が盛りだくさんである。

チルスクの最期も壮絶なものであった。
誤って自らの手でソファを死なせてしまったあと、その後悔の念をミシルに語る場面があったように記憶しているが、おそらく、チルスクはやっと死ねる機会、自らの死に場所を見出したのだろう。

脇役の人生もキチンと描かれているところ。これがこのドラマの魅力のひとつでもあると思う。

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