第79話から80話にかけ数年の月日が過ぎたようで、少年だった男生(ナムセン)は立派な若者へ、ゲソムンの嫁もイ・セミンも一気に老け込んだようだが、どうもスッキリしない。
ヨンゲソムンのクーデターが642年、ドラマではまだ始まってもいない安市城の戦いが645年だからその間3年も無いはずなのである。少々時代考証(というか演出)が甘くないだろうか・・・と、軽いツッコミを入れておいて。
それはさておき、第80話も重要なネタ満載である。
●日本へ行くというキム・チュンチュ
キム・ユシンやフムスンが止めるのも聞かず、後方支援を取り付けるため日本に向かうと宣言するキム・チュンチュなのだが、その中にとてつもなく重要な台詞がある。
日本は滅亡した伽耶の子孫が国の礎を築いた所です
今は百済が王族を派遣し勢力を持っていますが
考えようによっては我々とも利害関係がある
●日本の大殿(テジョン)の描写
日本の国王(?)に謁見するチュンニ。で、国王陛下ってだれ?
時代で言えば皇極天皇の治世のはずなのだが、男性ということは蘇我入鹿か。
もっともドラマでも名前が明らかにされていないぐらいだから、この辺はあまり深く考えても仕方が無い。
それにしても、驚いたことにヨン・テジョはやはり日本に来ていた!
ヨンゲソムンの父親が日本にやってきたという話は日本側の史料には記述がないと思うが、三国史記か何かにはそういう描写があるのだろうか。
それとも単にドラマ上の話?
中大兄皇子と中臣鎌足の共通の師匠に南淵請安という渡来系の人物がいる(中大兄皇子と中臣鎌足は、請安の塾に通いながら蘇我氏打倒の計画を練ったとされる)。
淵=ヨンであるが、これはちょっとムリがあるか。
●プヨ・プン王子とは
日本の国王との会談をすませたチュンニがトヘ大師(高句麗出身の僧侶:タムジン大善師の弟子)と話をする場面があるが、その際トヘ大師の横に座っていたのが百済の王子である。
「こちらは百済からお越しのプヨ・プン王子です」
漢字で書くと「扶餘豊」だが扶余豊璋もしくは単に余豊璋とも書かれる。(「扶余」は百済の歴代王の姓であり、朱蒙の出自である「プヨ」のことでもある)
豊璋は義慈王(百済第31代王)の息子であり、日本書紀にも人質として日本に滞在していたことが記録されている。
●ヨンゲソムンとソンヘの会話
日本へ行った使者はどうなっただろうか
チュンニのことだ
チュンニ殿は日本の言葉も操ると聞きました
それに天下を周遊し見識も備えています
心配無用です
じき日本で
三韓による外交戦争が始まる
実に意味深である。
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