不思議なことに「日本書紀」にはヨンゲソムンの遺言が記録されている。
『日本書紀』巻二七天智天皇三年(六六四)十月是月◆是月。高麗大臣盖金終於其國。遣言於兒等曰。汝等兄弟。和如魚水。勿爭爵位。若不如是。必爲隣咲。
664年10月 高句麗の大臣ヨンゲソムンがその国で亡くなった。子供達に以下のような遺言を残した。
おまえたち兄弟は
魚と水のように和合し(一緒になり)
爵位を争ってはならない
もしそうでなかったら
必ず隣国の笑いものになる
※「咲」は「笑」の古字
ドラマ「ヨンゲソムン」最終回では、ヨンゲソムンの”生没年の具体的な記録は残されていない”というナレーションがあったが、上にあるとおり日本書紀には記録が残っているわけである。(ただし、実際は翌665年のことと解釈されているようだ)
史料によっては没年が666年となっているものもあるようだが、いずれにせよ高句麗滅亡の年(668年)の前には既に亡くなっていたはずなので、ドラマの終盤で唐の将軍イ・ジョクとヨンゲソムンが語り合う場面はあり得ないということになる。