名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

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清州ジャンクション下は弥生の村だった

2013年05月08日 | いにしえから学ぶ

連休はさしたることなしに終わる。コマイ仕事と、掛川行きでオシマイ。

 6日の最終日には清須市までの仕事があり、帰りに貝殻山・貝塚資料館へ寄る。「朝日遺跡ーよみがえる弥生の技術」展です。この地は東海地方でも最大級の規模です。名二環の清州ジャンクションの下に遺跡があります。昭和50年代の発掘時に見学にいきました。

 集落の周りには環濠があり、その外側には逆茂木(さかもぎ)といって茨の枝を束ねた柵や、乱杭という丸太を鉛筆のように削り何本も突き立てた防御施設があった。おおくの戦争があったのでしょう。鏃・青銅器の武器はそれを語ってます。

 ガラス玉・管の製品も多く、装飾や祭祀に用いられたんでしょう。相当高度な技術です。

 戦争に備える生活、もし負けたなら妻子は拉致ということも・・
 稲作もせなならん。土器も作り、ガラス製品も作る。鏃から農作業道具・金属の銅鐸・武器まで。遊んでる時間はない。きっと分業もなされたし、専門家的なグループもあったんでしょう。また交易は不可欠です。村落にない技術・モノは他に求めなければならない。すでに「市」的な交流はあっただろう。

 また祭祀は重要です。村落の安寧を祈願する・・・・「まつりごと」は現代人の想像を超えるものでしょう。出土品から読み取れるものとして、この「祈り」に関するものきわめて多し。

 想いをめぐらすときりなし・・・人のくらしは今とかわりなし。人間の歴史はオモシロイ。


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