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先人たちの知恵―⑭

2007-05-19 00:29:36 | 先人の知恵
フランスに住んだ日本人先達たちの言葉を紹介しているこのシリーズ、今回は趣向を変えて、日本に住んだフランス人のメッセージをご紹介しましょう。本のタイトルは『日本待望論~愛するゆえに憂えるフランス人からの手紙』(1998年発刊)。著者は、オリヴィエ・ジェルマントマ氏。1943年生まれ、ご自分で言うように根っからの反骨「ゴーリスト」(ド・ゴール主義者)。ソルボンヌの学生のときに起きた68年の五月革命では、数少ないゴーリストの先頭に立ち、奮闘。アンドレ・マルローなどの薫陶を受ける。雑誌の編集やフランス国営文化放送の番組制作に携わりながら、自作の小説などを発表。そして、多くの国を旅し、特にインドと日本から人生に多大な影響を受ける。幾度も訪れている日本の文化には造詣が深く、その精神文化を広く海外に紹介した功績がたたえられています。(オリジナルのフランス語のニュアンスをいかすためでしょうか、日本語訳が読み難いところもありますが、ご判読ください。)


(禅や日本の精神文化についてのフランス語の本も多く出版されています)

・かつての政治的才腕によって、貴国は、西欧による植民地化を免れた唯一の偉大な文化国家として尊敬を勝ちえてきました。それなのに、ここに至って、あまりにしばしば被植民地の人々なみのメンタリティをもって振る舞われるとは、何故でありましょうか。この国際化の時代にあって、日本なればこそのチャンスを見逃すつもりなのでしょうか。あまたの源泉が自国の地底から湧出しているというのに、あたら猿まねをもって事足れりというのでしょうか。

・経済力だの技術革新だのは、もしそれが転じて政治活動とならないならば、一個の甘餌にすぎません。なるほど、いまだに日本の侵略の害を言い立てる国々があることは、私も知らないわけではありません。しかし、むしろ、恐れるがよろしい。日本の存在意義が、もしも車やテレビを彼らに売りつけるためだけであると彼らが知ったなら、それこそは却って新たなるジャパン・バッシングの火種になりかねないということを。日本の政治家たちは何をしているのでしょうか。日本の経済力を元に、そこから政治的光芒が輝き出て、これが圧制や金権主義からの解放のために役立ってほしいと、いかばかり人類が祈願しているか、そのことが彼らには分かっていないのではないでしょうか。日本のエネルギー、日本の伝統文化、それらの秘宝を、どのように彼らは役立てようとしているのでしょうか。いずこの民族においても生命は統一体とされ、とすれば、霊性革新なくして政治革新はありえない道理であるにもかかわらず――であります。日本の皆さん、いまこそ自分自身を取りもどすべき時なのです!

・沿岸のデザインと山々のたたずまいにおいて、これほどまでの天衣無縫ぶりを発揮した聖地としては、ほかにはギリシアしかありません。日本は、海と契りを結んだ国ゆえに、風雨寒暖の気候変化はげしく、ここから、特殊性のみならず、孤立感も育まれてきました。我らは余人によっては理解されがたしとする感情も、あるいはそこに起因するのかもしれません。他面、だからこそ、他国理解のために日本人が傾注する並々ならぬ努力も生まれてくるのでしょうけれども、いずれにせよ、貴国をめぐる絶えざる誤解は、こういった地勢的条件と無関係ということはありますまい。

・我々の生きるこの新紀元の時代は、まことに惨憺たる哲学の影響をこうむっており、何かと申せば、自然を支配しようとの論理の一本槍なのです。山は動かす、川は曲げる、風致は損なうといった、ただもう人間の力を誇示せんがためのがむしゃら振りで、儲けのためなら何でもやるという以外に、法則一つあるわけではありません。何千年にもわたって、全地球上の文明は、自然から教訓を得て、そのリズムに従おうとつとめてきました。人間は、自然の掟をいくらか掴みとったことから、その叡智に学ぶという謙虚さなどどこへやら、己がたらちねの母の身肉を刧掠する不心得者さながら、猪突猛進を続けてやむことがないのです。

・我々西洋人の精神構造は「対立」に基づき、あなたがた日本人の精神構造は「和合」に基づいています。願わくは、この特異性を保持せられんことを! けだし、破壊せずに統合する能力は、セクト主義や原理主義が猖獗をきわめつつある現代において、絶対必要不可欠なる特質だからであります。この特質あらばこそ、日本人は、他の諸価値を拒否することなく自国文化の天分を保持する柔軟さを身につけていられるのです。他の諸価値も、それぞれの次元においてレゾン・デートル(存在理由)があるのだ、と。

・日本人の行動がいかに優れた性質のものか、これには、まさに間然するところがありません。とはいえ、出発の方向が間違ってはならぬ、と言いたいのです。いかにも小生は、日本人の肝芸ともいうべき直観や、理屈に引きずられない臨機応変の能力に瞠目させられています。ただ、皆さんは、世界史の観察に不慣れです。アジアの末端という地理的位置と島嶼性からして、諸文明の大変動や、征服被征服の関係、民族移動、諸帝国の興亡などを実見する機会に欠けていたわけですから。勝鬨を聞き、また廃墟に立てば、おのずと観察眼は養われるものなのですが・・・日本民族は孤立の中で国民性を陶冶してきました。反面、批判精神が十分育たなかったということはないでしょうか。しかし、状況は変化しました。戦前の領土伸張から、痛恨の敗戦、さらには米軍占領期をへて、いまや地球上隈なく日本人が旅行して回る時代となり、そこからあなたがたの心眼は開かれるに至りました。しかし、まだまだ、欠けているものがあります。それは、たとえばインドやヨーロッパにはふんだんにあって日本には希薄な何ものかなのですが、何かと申せば、いわば、歴史の呼吸を感ずる能力といったものなのです。易不易に対する感触、とでも言ったらいいでしょうか。ある種の近代化の醜悪さは日本の独自性を損ない、ついには破壊しかねないという事実を、なぜ認めようとなさらないのでしょうか。発展と文化の尊重を両立させるための力と創意を、ありあまるほど身のうちにたくわえていながら、です。

・日本に滞在したことのある西洋人が二、三人、顔を突きあわせれば、この国の人々の信じがたいほどの献身ぶりについて、身近な体験談に花が咲いて止むことがありません。どこどこの銀行の女店員が、都市の半分も駆けまわって忘れ物の書類を届けてくれたとか、なにがし教授にちょっと質問したら二日もかけて返事をしてくれたとか。あるいはまた、客が不満を示したというだけで、しかじかの職人が只で仕事をやりなおしてくれたとか、エトセトラ、エトセトラ・・・。プロの良心などというものではありません。それにもまして、自己滅却なるものが我々を打つのです。「義」を見てせざるはといった態度、「美質」へのこだわり、こういったことが、日本人の礼節、謙譲と結びついて、この人なら信頼して大丈夫だ、できればこんな人と起居を共にしたいとの感動を起こさしめる民族として、今日まで「ジャポネ」の名声を培ってきたのです。

・このようにインドが自国にふさわしい政治経済的モデルを立てえずして、困難を極めている姿に、我々としては、改めて植民地化による深い傷痕を見いださずにいられないのです。最初は回教徒による、次にイギリスによる植民地政策の名残です。こうしたことに鑑みて、吹き荒れる「世界化」の嵐に直面して、なおかつ自民族の特殊性を堅持するには、清明なるエネルギーの発露を必要とし、それは結局、夷狄の支配を潔しとしない民族からしか生まれようがないであろう、と思われるのであります。私は、大いに日本にそれを期待しているのです。

・確かに、大国としての政治を貴国が、いつ、自由に行えるようになるかといえば、それは、このことを証明してみせたときであると言えるでありましょう。我らが政治は、いわゆる「軍国主義」時代に日本が準拠したと同じところに準拠するにあらず、と。このことを、あなたがた自身に対して、また世界に向かって証しだてたそのときに、初めてこの自由は獲得されるでありましょう。

・異文化に心を開こうとすると、どうも日本人は否応なく自国の一部をあえて否認する挙に出たがるもののようです。しかし、いったい、なぜなんです。文化と文化は、並び立たずというものではありません。相補って互いに豊かになるべきものです。両立できないものがあるとすれば、深層の日本と、扇動的で営利本位のサブカルチャーとの間のことにすぎません。世に蔓延しつつあるものが、後者なのです。どちらを取るか、まさしく、一刀両断をもって臨むべきでありましょう! 神道を深く持し、武士道精神を涵養し、日常生活の美への敬意を全身にみなぎらせた日本人であれば、我ら西洋人の世界に来たりて、十年、二十年暮らして、なお泰然たりということは、十分にありうることなのです。祖国の伝統に飽くまで忠実でありつつ、なおかつ、このつわものは、悠々と己の教養の幅を広げていくことでしょう。日本の安寧は一にかかってこの吾得にあります。万が一にもこれが得られなければ、貴国にとっては二つの不条理な道しかありますまい。伝統的諸価値の否定と――ああ、いま見られるものはこの傾向なのです!――不毛なナショナリズムへの埋没と・・・。

長くなりますので、今回は2回に分けてご紹介します。続きは、明日のお楽しみに!

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