50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

街中が、美術館。

2008-01-31 05:09:28 | 美術・音楽
週刊の情報誌を見ても、美術展がものすごく多いパリ。そうした情報誌に載る有名な美術館での展覧会はもちろんですが、それ以外にもいたるところでアートに触れることができます。そんな、街の中で見つけた美の世界を、ちょっとだけご紹介しましょう。


①靴とクリスマスカード
まずは、私の好きなモンマルトルの街角から。


“Raymond Massaro~Maitre d’art”(レイモン・マッサロ~アートの巨匠)という看板がかかっていますが、このマッサロ氏、ご存知でしょうか。実は、靴職人。シャネルをはじめ多くのオートクチュールのコレクション用の靴をデザイン・製作しています。JALの機内でカール・ラガーフェルドの日々を追った番組をご覧になった方なら、あ~、あの靴職人、と思い出されるかもしれませんね。試作段階の靴を持っては、自分の店とラガーフェルドのオフィスを行ったり来たりしていた、人のよさそうな職人さんです、たぶん(いつもながら、いい加減で恐縮です)。

周囲の鉄作に掛けられているようなオートクチュールのコレクションに使われたマッサロ氏の作品をケースに入れて展示しているのですが、私にとってはそれ以上に面白かったのが、ラガーフェルドのデッサンやマッサロ氏へ送られたクリスマスカードの数々(マッサロ氏には申し訳ないですが)!


狭い室内ですが、正面にはラガーフェルドの写真とその両脇にはコレクション用のデッサン。写真右端は、クリスマスカード。ラガーフェルドの直筆のようです。


これはマッサロ氏のMをうまく生かしたデザインになっていますね。カール・ラガーフェルドとサインされています。

おじいさんも父親も靴職人という、職人一家に育ったマッサロ氏。しかし、自分には後継者がいない。その寂しさを救ってくれたのが、ラガーフェルドを中心としたシャネルの面々だったそうで、そこに家族のような愛情を抱いて仕事をしているとか。2008年春夏のオートクチュール・コレクションもちょっと前に終わったばかりですが、きっと今回も、マッサロ氏、自分の店とラガーフェルドのオフィスを行ったり来たりしたことでしょうね。コレクションには、多くの人が関わっていますが、そこにはまるで家族のような雰囲気もあるようです。

なお、マッサロ氏は、歌手のステージ用の靴も製作しているそうで、顧客にはシルヴィー・ヴァルタン、ジョニー・アリディ、ミシェル・サルドゥなど錚々たる顔ぶれ。また、ナポレオンの履いていた靴も再現。これは神戸ファッション美術館に展示されているとか。まさに靴職人というより、靴を通しての美の制作者といった活躍ぶりです。


②デパ地下
日本ではグルメコーナーがあったり物産展などが行なわれていますが、左岸のおしゃれなデパート、ボンマルシェの地下にはアート・スペースがあります。以前、カンヌ映画祭の歴史を振り返る展覧会をご紹介しましたが、そのスペースで今行われているのは、写真家、ハリー・グリエール展(Exposition photographique de Harry Gruyaert)。


おきなポスターが店舗建物はもちろんですが、メトロの駅などにも多く掲げられています。


ハリー・グリエール。1941年ベルギー生まれ。14歳のときに父親からカメラをもらい、現像作業の手ほどきも受けたそうです。プロのカメラマンになり、1972年からはパリ在住。1986年には多くの優秀なカメラマンが加入している写真家集団「マグナム」の正会員に。アフリカ、フランスを中心に、世界中で風景を、人物を相手にレンズを向けています。


(スライドでも見せてくれています)

粒子を荒くした幻想的な作品も多いですが、その特徴は、なんと言ってもそのグラフィック的な色彩と素晴らしい造形美。何らトリミングせずに、そのままグラフィック作品として通用するような、ここしかないというアングルで対象が切り取られています。ただひたすら、美しい(このブログの写真では、なかなかその美しさが伝わらないのが残念です)。しかも、その鋭利なナイフのような感性を、幻想的な粗い粒子がふんわりと包んで、いい味になっています。


しかも、展示の仕方が、これまたうまい。パーテーションで迷路のようにしながら、フロアーには半透明の岩のような照明。デパ地下と侮ることはできません。


③神話の世界
日本にも神話は多くありますが、神話といえばなんといってもギリシャ。ギリシャの芸術家は、やはりその神話の世界との対話を続けているようです。


パレ・ロワイヤルの裏手、les allees du Palais-Royalで会期を2月12日まで延長して開催されているのが、ギリシャの彫刻家、Vana Xenouの作品展、“Arrivee-Passage”。

日本語表記はヴァナ・ゼヌでいいのでしょうか、1949年アテネ生まれで、アテネとパリの美術学校に学ぶ。アテネの大学で彫刻を教えながら、創作に励んでいる。ギリシャを代表する芸術家の一人。


公園のような散歩道に13の作品が並べられ、もうひとつの作品は噴水の水の中に。合計14の作品ですが、いずれも、ギリシャ神話から出発した彫刻家の思想が反映されているそうです。明日へ、未来へとみんなが何かに急き立てられるように走っている現代。人は「聖なるもの」を忘れてしまっている。時には、歩みを停めて、過去を振り返ることが大切だ。過去には多くの叡智が積み重なっている。その知恵と会話を重ねることによって、過去と未来に橋をかけることができる。過去を学び、過去に思いを馳せ、そして現代という足元を見つめる。そこから確かな明日が見えてくる・・・プラトンやヘシオドスらの箴言を交えながらの話がいかにもギリシャらしいそうですが、単にギリシャらしいだけでなく、普遍的な意味を持っている。だからこそ、見る人の国籍などに関わらず、何かを考えさせる力を持っているのかもしれません。


この散歩道を散策する人、ジョギングする人たちに大きなインパクトを与えるからでしょう、ネット上などで紹介されることが増えているそうです。その話題ぶりから、フィガロ紙も24日に半ページを割いて紹介したほどです。過去から未来へ、ギリシャから世界へ・・・急ぎ過ぎたかもしれない人類に、オリンピックのように、古代ギリシャが再び大きな意味を持つようになってきているのかもしれないですね。


・・・思わぬところで、素晴らしい芸術作品に出会える。これも、パリの街歩き、その楽しみのひとつです。

↓「励みの一票」をお願いします!
 すぐ下の文字をクリックすると、ランキングにアクセスし、投票になります。

人気blogランキングへ


独身者は○、同性カップルはX。

2008-01-30 05:32:19 | マスコミ報道
独身者は良くて、同性のカップルではダメなものって、いったい何だと思いますか。


23日のメトロ紙ですが、いきなり「家族革命」という見出しです。何が革命的かというと、ヨーロッパ人権裁判所が、同性愛のフランス人女性から出されていた養子を認めるようにという訴えを認めたからです。フランスでは、同性愛カップルに養子は認められていない。しかし、独身なら養子を迎えることができる・・・どこか変ですよね。そこで、風刺漫画になるわけです。「あなたたちは同性カップルだから、養子は迎えられない」という当局に対し、「私たちには性的関係はない」と言い返しています。カップル関係ではなく、同性の独身者同士がたまたま同居しているだけ・・・これなら養子を迎えられるわけです。う~ん、やはり、変。様変わりしている現実に、法が対応できていないですよね。硬直してしまった司法、というイメージに繋がってしまいそうですね。

今回の判断は、同性愛カップルの権利拡大をめざす団体にとってはまさに朗報。フランスでは同性愛カップルの結婚が認められていないので、そのカップルが養子を迎えるのも認められない、という解釈のようですが、実際にはパリやリールなどではかなり寛大な対応がなされているようで、養子・養女と暮らす同性カップルも増えてきているそうです。

しかも現実はさらに複雑になってきている・・・同性カップルにも、別れはある。そのとき、養子はどうするのか・・・頭が痛くなってしまうような問題ですが、フランスでは実際に起こっています。こうした場合は、異性カップルの場合と同じように、二親の間で交互に養育することができるそうです。

現実は小説より奇なり、なんていうと当事者の方々から叱られそうですが、家族にさまざまなカタチが生まれています。以前ご紹介しましたように、片親世帯が増えていますし、再婚、あるいは再々婚の両親とその子どもたち。兄弟といっても血の繋がりはない。また、同性カップルの養子、さらには別れた同性カップルの片方に引き取られた片親家庭・・・


ヨーロッパ人権裁判所の判決が出た直後、同性カップルの結婚とその養子受け入れについてアンケートを行なったそうです。写真は、その結果を伝える28日のメトロ紙。

「同性カップルに、より寛大な反応」という見出しが語っている通りで、同性カップルの結婚については54%が賛成、反対は45%。その養子縁組については賛成47%、反対52%。同性カップルが養子を迎えることにはまだ反対のほうが多いのですが、社会学者曰くは、「ほんの数年前なら、同性カップルに養子を是認するのは三分の一程度しかいなかった。それが、半数近くに増えたのだから、これは大きな社会的変革だ」、ということです。

調査結果は、年齢別、支持政党別にも切っているのですが、年齢別では、年齢が上がるほど拒否反応が強いようです。最も受け入れが高いのは、いずれも25~34歳のブループ。支持政党別では、左派支持層のほうが圧倒的に是認する人が多く、右よりの人ほど反対のようです。保守的政治路線を支持する人は全てにわたって保守的ということなのかもしれないですね。

社会学者はまた次のようにも言っています。今や家族は二つの要素からなっている。カップルと子どもたち。しかもそのカップルはとても壊れやすくなっている。自らの幸せを求めて、いとも簡単に別れてしまう。子どものために我慢するよりは、自らの幸せを求める。従って、カップルが同性同士でも当事者たちが幸せならそれで良いのではないか、と考える人が増えてきており、54%という支持はさらに増えるだろう。しかし、こと子どもたちとなると、子どもの幸せにとって親が同性カップルなのはいいのかどうか、と考える人も多い。なぜなら、子どもの成長には男女の親がいたほうがいいという、19世紀の伝統的心理分析がフランスでは今でも残っているからだ。30年ほど前に離婚が増えた頃、同じような論争があった。しかし、その後も離婚は増えているが、子どもの成長に男親と女親がともに不可欠だという結論は出ているのだろうか。再び、この問題を論じるべき時だ・・・

異性の両親、片親、そして同性の両親・・・子供たちにとってはどのカタチが良いのでしょうか。個人的には、カタチよりは、その育て方、愛情の深さなのではないかとも思うのですが、それは日本的情緒の世界の話なのでしょうか。きちんと子どもたちを追跡し、家族のカタチの影響を分析してくれるでしょうから、その結果を待ちたいと思います。しかし、家族、そのカタチ、どこまで変わっていくのでしょうか・・・

↓「励みの一票」をお願いします!
 すぐ下の文字をクリックすると、ランキングにアクセスし、投票になります。

人気blogランキングへ


時代が変わる、図書館が変わる。

2008-01-29 05:15:34 | パリ
市立図書館とか、区立図書館とか、皆さん行かれることはありますか。本を借りるのが主なのでしょうが、試験前になると学生で混んだりしますよね。フランスの図書館は、今まで、国立図書館やポンピドゥー・センターの図書館、そしてパンテオン脇に建つサン・ジュヌヴィエーヴ図書館をご紹介したことがありますが、パリ市の運営する図書館も、パリ市内に57ヶ所。インターネットの普及、DVDなど新しい記録メディアの浸透・・・こうした世の中の動きに合わせて、順次、改装されたり、建て直されたり・・・2001年以降32の図書館が一部にせよ装いを一新して生まれ変わっているそうです。たんなる本の貸し出しだけでなく、文化の拠点へ。そうした努力の甲斐あってか、市立図書館を利用したことのあるパリ市民が1989年の23%から2006年には43%に増えたそうです。利用は自由なのですが、本などを借り出す際には登録する必要があります。その登録者数もいまや33万人。


そして、先日17日には新たに4つの図書館が同時にオープン。上の写真は、そのことを伝えるメトロ紙です。早速その4つの新しい顔のひとつ、マルグリッド・ユルスナール(Marguerite Yourcenar)図書館に19日に行ってみました。実は17日にドラノエ・パリ市長も出席して開館式を行なったのですが、開館は20日までで、そのあとはまた工事継続のため閉館。実際のオープンは2月14日・・・工事が遅れたものの、市長のスケジュールが決まっていたので、とりあえず17日にソフト・オープニングをしてしまい、グランド・オープニングは2月14日、となったのかもしれないですね。スケジュールに縛られないのも、日本との差。どちらが良いということではもちろんなく、違うということですね。




これが外観です。公立の図書館というイメージではないですよね。おしゃれな外装です。5階建て、3,500㎡。しかも、新しさは外観だけではなく、その充実した機能にも現れています。図書館はフランス語で“Bibliotheque”(ビブリオテーク)ですが、本以外に、ビデオやCD、DVDに保存された記録やデータなどにも対応できるようになっており、すでに“Bibliotheque-discotheque”とか“Bibliotheque-videotheque”などと呼ばれる図書館が増えています。そして、今回オープンしたマルグリッド・ユルスナール図書館は、インターネットもふくめマルチメディアに対応できるということから、“Bibliotheque-mediatheque”(ビブリオテーク・メディアテーク)と呼ぶことにしたそうです。


コンピューター端末が35台。自由にインターネットにアクセスすることができますし、本の検索にも活用できるそうです。しかも、外国語の学習もできるそうで、もちろんその中には日本語の教材も含まれています。

本も充実しており、10万冊近い書籍がそろっているそうです。ここの特長は、環境と持続的発展に関する書籍が充実していること。各図書館がそれぞれの重点分野を持っており、自分の探している分野に強い図書館へ行けば、資料なども見つけやすくなっているそうです。

書籍の中には、もちろんマンガも。そして、アニメのDVDも。図書館でもマンガ、アニメはもう外せなくなっているようです。


また図書館利用の新しいトレンドとして、館内での滞在時間の伸びが指摘されています。昔は、本を返しに来て、新たな本を捜して借りていく。それだけだったのが、今では、新聞や雑誌を読んだり、映像を見たり、あるいは、調べものをしたり・・・館内滞在時間がとても長くなっているそうです。そこで、マルグリット・ユルスナール図書館では、調べものなどに使えるテーブルを96席、またグループで使えるミーティング・ルームも用意しています。さらに、展示会のできるスペースやカフェテリアも。そして、こうした利用希望が増える日曜にも開館することにしたそうです。市立図書館は、土曜開館する代わりに、日曜・月曜が休館。それが、このマルグリット・ユルスナール図書館の休館日は月曜だけ。日曜も利用できるようになりました。ということは、日曜日にも働く館員がいる、ということですね。安息日である日曜日は、流通・サービス業でさえ一部を除いて休みが基本のフランス。しかし、日曜日にも働く人が増えてきています。そしてその流れが市立図書館にも。よく組合がOKしたものです。デパートなどの日曜営業日数を増やしたいという要求も出されています。日曜に働く人が増えてくる・・・これも国際化の影響なのでしょうか。


(フィガロ紙別冊にでていたトロカデロにある市立図書館の内部の様子です)

ビデオ、CD、DVD、インターネット・・・こうした時代の動きに合わせて図書館も文化の拠点としてその装いを変えてきていますが、「それでも、メインは書籍だ」と語っているのは、パリ市・文化担当助役のジラール氏(Christophe Girard)。「新しい技術の発達により全てがいっそうスピーディーになっているが、時には、歩みを止めて、じっくり考えたりすることも必要だ。アイディアや考えが熟成するのを待つことができず、すぐに答えを得ようとするのは、創造性とは全く相容れないことだ。」・・・変化の速い今日、それでも創造性やしっかり練られた思考はその輝きを失うことはないでしょう。スピードと思考の深さ、創造性、それらをどのように調和させていくのか・・・大きな課題ですね。

↓「励みの一票」をお願いします!
 すぐ下の文字をクリックすると、ランキングにアクセスし、投票になります。

人気blogランキングへ


一大事件の主人公、その将来は・・・

2008-01-28 05:33:20 | マスコミ報道
すでにご存知のように、フランスの銀行、ソシエテ・ジェネラル(Societe generale)で一人のディーラーによる49億ユーロ(約7,800億円)という巨大な損失が発覚しました。その額の大きさから、地元フランスでは、もちろん一大ニュース。


25日のメトロ紙です(写真の人物は、この件とは全く関係ありません)。世紀の損失とか、世紀の衝撃とかいった意味でしょうか、こうした事件の今までの記録(1995年、イギリス、ベアリングス社の約1,600億円)を塗り替える一大損失ですから、「世紀の」という形容詞が誇大表現には当たらないほどの衝撃ですね。


同じく25日のフィガロ紙です。不正行為を行なったジェローム・ケルヴィエル氏(Jerome Kerviel)の写真つき(今よりも若い時のものだそうです)でトップニュースです。ソシエテ・ジェネラルに50億ユーロの損失をもたらした男・・・

普段は冷静に事件の背景や今後の課題などを論評するフランスの新聞も、さすがにその衝撃から社会面的関心でまとめた記事も多く出していました。それらを総合すると、このケルヴィエル氏、生まれは1977年1月11日。31歳の誕生日前後に、自分の権限を越える不正取引を繰り返していたことになります。リヨン第二大学で、市場金融の修士号を取得。2000年からソシエテ・ジェネラルに勤務していたそうです。はじめの5年間は、サポート部門に勤務し、その間に社内のさまざまな管理、チェックシステムに精通したそうで、その知識が不正取引を隠すのに役立ってしまったようです。

今日、フランスでもディーラーの成功報酬は大きく膨らんでおり、優秀なディーラーは50万ユーロから100万ユーロ(約8,000万円~約1億6,000万円)の年収になっているそうです。そうした環境にありながら、ディーラーとしては平凡な能力と評されるケルヴィエル氏の年収は10万ユーロ(約1,600万円)ほどしかなく、今回の不正取引でも自分の資産として手をつけた形跡はないそうです。とは言うものの、一般的フランス人よりは高収入で、裕福な人が多く住むヌイイ市に住んでいるようです。

銀行の人事担当者は、ケルヴィエル氏が性格的に弱く、家庭に問題を抱えていたと言っていますし、上司は、これは彼個人がやった行為であると強調しています。ディーラーという職種もありますし、また個人主義のフランスですから、個人で勝手にやったというのもそうなのだろうと肯けますが、上司が敢えて言うのは却って組織を守るためというニュアンスが出てしまうような気もしますね。


同じ日のフィガロ紙の経済面ですが、写真の建物が、ラ・デファンス地区にあるソシエテ・ジェネラルの本社。さすがに立派なビルですね。ここで働く社員にインタビューもしています。ケルヴィエル氏と同じ職場で働く社員にはかん口令が出されたそうですが、それ以外の部署の社員にとっても、ショックであり、この話題で持ちきりだったようです。多くの社員にとっては、この損失による人員削減が行なわれるのかどうか、業績に連動したボーナスに大きな影響がでるのではないか、ボーナスが削減されれば腕のいいディーラーは転職して行ってしまい、銀行の将来が心配になる・・・もちろん、余裕かやせ我慢か、これで不正ランキングのトップに君臨できる! とか言う社員もいるようですが、一方、たぶん悪循環に巻き込まれた若いディーラーが損失を一気に取り返そうとして、さらに抜き差しならない状態に落ち込んでしまったのではないか、しかも世界的株価急落がその損失に拍車をかけたのだろう、と分析する社員も。新聞記事曰くは、タバコを吸いに屋外に出てきている社員たちは普段以上にタバコを吸いすぎたに違いない、何しろ49億ユーロが煙と消えたのだから・・・


ソシエテ・ジェネラルのオフィスは街中にも多くあり、ATMで現金を引き出している顧客もよく目にします。今回の損失、そしてサブプライムローン問題の影響もあったものの、2007年にソシエテ・ジェネラルは55億ユーロの税引き前利益を出すそうです。従って、先のイギリス、ベアリングス社のように倒産ということにはならないようです。しかも今日では、預金者は7万ユーロ(約1,100万円)までは保証されるそうですから、取り付け騒ぎには発展していません。さらに、資本増強のため55億ユーロの増資を行なうそうで、こうした状況と今後の施策等について、ソシエテ・ジェネラル社長名で株主宛、新聞紙上でメッセージが出されています(やはり、あて先は株主、世間様ではないんですね。企業は株主のために存在する・・・)。


25日のフィガロ紙です。通常のビジネスでの困難な環境と特別な出来事が重なったが利益を出していること、特別な事件は、一社員の並外れたシステム上の隠蔽技術によるものだが、それを見抜けなかった管理体制にも問題がある。関係者の責任を明確にし、すでに解雇もしている。そして、社長自らの辞任についても申し出たが、理事会で拒否され、その任を継続することになった。役員たちの支援を得ながら、業績を回復すべく全力を傾注する覚悟である、といったことを述べています。


27-28日付けのル・モンド紙ですが、何も見なかった、何も知らなかった、と言っているとまるで砂上の楼閣のようになってしまう・・・金融監査の無力さ、今回の事件の政府への報告の遅れなどをはじめ多くの解明すべき点が残っていることを指摘しています。

高飛びしたとか、自殺したのではなどといった噂も流れたケルヴィエル氏ですが(このへんは、日本と近いですね)、噂は噂、きちんと(というのも変ですが)検察の取り調べに応じているようです。どこへ行こうと、いかなる銀行も彼を雇用することはもはやない、とフランス銀行総裁がショックのあまりか息巻いていたそうですが、司直の手によって裁かれるようです。ただし、額も額ですが、横領とかではなく、言ってみればマネーゲームの失敗という判例がフランスにはないため、どういう判決が出るか推測は難しいようですが、新聞各紙は5年から15年の禁固刑になるのではと言っています。先輩格にあたる(この言い方も変ですね)ベアリングス社事件の当事者(ニック・リーソン氏)は6年半の禁固刑でしたが、受刑中に事の経緯をまとめて出版(『私がベアリングス銀行をつぶした』)。映像化もされたようです。印税等が入ったのでしょうが、その後の長い人生、どう送るのでしょうか。そして、ケルヴィエル氏の場合は・・・

↓「励みの一票」をお願いします!
 すぐ下の文字をクリックすると、ランキングにアクセスし、投票になります。

人気blogランキングへ


ここはどこ、お湯はどこ。

2008-01-27 02:12:20 | パリ
お湯なしの生活が始まってしまいました! 事の顛末は・・・

24日(木)、自炊の夕食も終え、食器も洗って、さてテレビのニュースを見ようかと思ったら、突然、停電。久しぶりの停電だなと思ったのですが、どうも変。向かいの棟は明かりが点いている。では、この棟だけかと思ってドアを明けてみると、廊下には明かりが・・・ということは、この部屋だけ!? 早速懐中電灯を点けて配電盤をチェック・・・チェックといえば格好良いですが、どこに何があるのか知らなかった!! 何といい加減な借家人。そこで、すぐ大家さんに電話。


これが配電盤なのですが、下にある細長い白っぽいものがブレーカーで、これが「1」にあればOK、それが「0」にあるとブレーカーが落ちている状態。写真ではきちんとなっていますが、停電の際には「0」の位置に。そこで、「1」の位置までひねると、電気が戻った。万歳、何ということない、と思ったとたん、バシッという音とともに、また「0」の位置に。それを何度かやっても同じ状態。そこで、右上にある給湯器用のブレーカーを落として、再度本体のブレーカーを「1」の状態に・・・問題なし。ブレーカーが落ちない。そこで、恐る恐る、給湯器用のブレーカーを上げてみると、バシッ。また停電。それを数度繰り返しているうちに、なぜか、すべてOKに。よく分からないけれど、直ったようだから、よしということにしよう!

それが、翌日、つまり25日(金)の夜、また全く同じ状態に。食器を洗い終えると、また我が家だけ停電。この夜は前日使わなかったシャワーも・・・そこで、漏電すると危ないという大家さんのアドヴァイスもあり、翌朝まで給湯器用のブレーカーは落としたまま。それでもすでに沸いていたお湯は使えますので、シャワーもOK。翌朝は復旧しているだろうと思って、眠りについた・・・までは良かったのですが・・・


(給湯器を下から見上げたところ)

翌朝、給湯器用のブレーカーを上げると、バシッと、停電。しかも、給湯器をよくチェックすると、底から少し水漏れ。どうも、どこかで水漏れしていて、それでショートするのかもしれません。たぶん、食器を洗うくらいのお湯の使用量だと、水漏れも少なく、自然に乾いてしまい、停電も解決。それがシャワーを使用したあとだと水漏れの量も多く、翌朝でも水漏れしたところが乾いていない。それで、また停電。ということのようです。給湯器用のブレーカーは上げられませんので、もうお湯はほとんどなし・・・というわけで、お湯のない生活になってしまいました。パリの冬にお湯がない! 雨の日に傘がない、と井上陽水は確か歌っていたと思うのですが、パリでのお湯なし生活は、大変!


でも、こうしたことはよく起きるようで、生活便利電話帳がときどき配られてきます。その中には、しっかり、電気修理、暖房・給湯修理、配管修理なども含まれています。それだけ需要がある、つまり故障が多いということなのでしょうね。私のお世話になっている方々でも、夏に給湯器が故障して修理に3週間、真冬に暖房が故障して修理に1ヶ月、天井からの水漏れ修理に2週間・・・皆さん苦労しています。私もついに仲間入り。これで、立派なパリ生活経験者! なんて威張っている場合じゃなく、早速電話を!

しかし、ここは親切な大家さんに頼ることにしました。何しろ、外国訛りの怪しいフランス語で連絡すると、対応がいい加減。順番も後ろに。フランス人がきっちりと依頼すると、意外と迅速丁寧な対応に・・・こうしたことは、今までも引越しなどの際に、電話の開設・修理をはじめいくつかで経験済み。親切な大家さんで本当に助かります。

でも、26日は土曜日。いくら24時間、いつでもOKという触れ込みの修理屋さんでも、連絡が取れないようで、来週からの対応になりそうです。

しかも、この日は洗濯をすることにしていた・・・


乾燥機はないのですが、部屋に洗濯機があるので便利にしているのですが、洗濯の際にもお湯は使うので状況がさらに悪化するのでは、と近くのコインランドリーへ。

部屋に洗濯機がない人も多いようで、あちこちで目にします。


洗濯機がずらり。料金はエリアや店によって異なるようですが、私が行ったところは、洗濯が4.5ユーロ、乾燥が10分1ユーロ、普通20分必要なので2ユーロ、〆て6.5ユーロ(約1,040円)。


26日(土)はアジア系の利用者が多かったですが、家族でやって来て、乾燥が終わるまで楽しそうに語らっているファミリーも。

さて、さて、長いお話になってしまいましたが、給湯器が直るにも、長い時間がかかりそうです。文化の花咲く都、パリ・・・しかし、そこで暮らすのは、それなりの覚悟がいるようです。お湯の使えない期間、ホテルでシャワーを使うことも兼ねて、小旅行でもするとしましょうか。のんびり行きましょう・・・仕方ないですものね、ここは、パリ!

↓「励みの一票」をお願いします!
 すぐ下の文字をクリックすると、ランキングにアクセスし、投票になります。

人気blogランキングへ


壁に耳あり、障子にフィガロあり。

2008-01-26 03:18:07 | マスコミ報道
今日のタイトルにあるフィガロとはもちろんお馴染みの“LE FIGARO”、フィガロ紙です。フィガロ紙が血眼になって(かどうかは分かりませんが)集めた情報を開示しているので、ご紹介しようと思います。フィガロ紙の、耳寄り情報。題して、“Les confidentiels du Figaro”(フィガロの秘密情報)・・・



毎日、生活欄の最終ページに掲載されています。フリー・ペーパーの好調さに、論評ばかりでなく、ちょっといい情報、おもしろネタも紹介しようという事なのかもしれないですね。では、最近の耳より情報をいくつか・・・

①ビル・ゲイツ
マイクロソフトの共同創業者・会長、ビル・ゲイツ氏はご夫妻で世界の貧困や病気と戦う“La Fondation Bill et Melinda Gates”(ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団)という慈善団体を主宰しているそうですが、はじめてヨーロッパへ協賛者を募りにやって来るそうです。パリへは2月20日。議会やNGO、資産家などに会って、協力を依頼するそうです。世界一の資産家でも、一人ではまかないきれない、それほど世界には貧困・病苦に苦しむ人たちが多いということなのでしょうね。日本には、来ているのでしょうか・・・

②サルコジ本
メディアへの露出の多い大統領ですが、今度はギリシャでその一族を紹介する本が出版されたそうです。どうしてギリシャか・・・ご存知ですよね、母方がギリシャの出身。本のタイトルは、“Moi, le petit-fils d'un Grec”(私はギリシャ人の孫)。2人の研究者と1人のジャーナリストの共著だそうです。その概略によると・・・大統領の母方の遠い祖先、Mallah(マーラー)家は、16世紀末、スペインを追われ、ギリシャのサロニカへ(レコンキスタ運動の完成とともに多くのユダヤ人がスペインから追放されました)。時代は下って、大統領の曽祖父は宝石職人として成功を収めたそうで、その子どものひとりが医学の勉強にフランスへ。第一次大戦にはフランス軍の軍医として参戦。休暇でパリへ行った際に一人の看護婦と出会い、恋に落ちる。カトリックに改宗し、1917年、彼女とめでたく結婚。二人の間にできた娘の一人(Andree Mallah:アンドレ・マーラー)は、やがてハンガリーからの亡命者(Paul Sarkozy:ポール・サルコジ)と出会い、結婚。その間にできた子どもの一人が、ニコラ・サルコジというわけです。しかし、その父ポールは1960年にその家庭から出て行ってしまう。時に、サルコジ少年5歳。それ以降、母方のおじいちゃんに一族の昔話を聞いて育ったそうです・・・ということで、ギリシャとサルコジ大統領の絆は強いといっているようです。でも、すでに父方のふるさとハンガリーには大統領として凱旋していますが、確かギリシャにはまだだったような気が・・・

③ジュール・ヴェルヌ
といっても、『八十日間世界一周』などでお馴染みの作家・ジュール・ヴェルヌではなく、エッフェル塔にあるレストラン“Le Jules-Verne”(ル・ジュール・ヴェルヌ)です。かの有名なシェフ、アラン・デュカス氏に管理を委託し、ますます話題のレストランですが、何しろ予約を取るのが一仕事、どころか、忍耐勝負だそうです。予約の電話が一日500本。電話が繋がるまで26分という人もいるそうです。しかも、満席で予約きるのは、観光客の減る冬場でも2ヶ月先。それならば、昼食はいかがですか、というのがフィガロ紙のお勧め。昼食なら運がよければ翌週の予約ができることもあるそうです。しかも、安い。といっても、昼食で75ユーロ(約12,000円)ですが。ディナーは、2回転で、18:30からが155ユーロ、20:30からが190ユーロ(約3万円)だそうですから、確かに比較すれば安い・・・ただし、エッフェル塔を標的に、というテロリストの通信を傍受したという報道もありました・・・



④プラネット・ハリウッド
上の写真、シャンゼリゼ大通り78番地にあるテーマ・レストラン“Planet Hollywood”、1995年にシルベスター・スタローンや今やカリフォルニア州知事のシュワルツェネッガーら設立者を迎えて盛大に開店したのですが、経営がうまく行かなくなり、ついにパリから撤退だそうです。同じ建物に入っているディスコ(“le VIP Room”、ゴールドマン・サックスの子会社の管理下にある)も移転だそうです。3,800㎡というスペースが相変わらず人気のシャンゼリゼに空くことになり、不動産業界の大きな話題になっているとか。それにしても、ゴールドマン・サックス、いろいろなところに顔を出しますね・・・

⑤TGV
世界一はやいTGVを持つフランス国鉄(SNCF)は、高速鉄道網によって、貨物の取り扱いを増やそうと、エール・フランスやフランス・ポスト、フェデラル・エキスプレスなどと新会社を立ち上げるそうです。夜間でも運行でき、重いものでも運べるという強みを生かして、シャルル・ド・ゴール空港を拠点に、そこからロンドン、ケルン、アムステルダム、そして将来的にはマドリッドを結んで、鉄道による輸送網を構築したいそうです。昼は旅客、夜は貨物・・・まさに、もっと働いてもっと稼ごう、ですね。

⑥大統領とヨーヨー
といっても、遊んでいるわけではなく、支持率の上がり下がりのこと。その報道に関して、サルコジ大統領がユーモアで切り返しているそうです。調査結果が信じられるためには、支持率が悪くなくてはいけない。なぜなら、良い数字だと操作したのではないかと言われるのだから・・・名言です。

・・・現実は小説より奇なり、そして、フィガロにはおもしろネタが―――ときどき、ご紹介しますね。

↓「励みの一票」をお願いします!
 すぐ下の文字をクリックすると、ランキングにアクセスし、投票になります。

人気blogランキングへ


工事は続くよ、いつまでも。

2008-01-25 04:46:12 | パリ
『線路は続くよどこまでも』という歌、覚えていますか。学校で習ったような気もしていたのですが、実際は、1967年にNHK「みんなのうた」から広まった歌だそうです。もともとは、アメリカの大陸横断鉄道建設に携わったアイルランド系の工夫たちが歌い始めたのがはじまりとか。歌にも歴史ありですね。

どうして、この歌を思い出したかというと、メトロの駅の工事、それがいつまでも続いているからです。どこまでも、ならぬ、いつまでも。いつ完成するのやら。エンドレスの工事、なのでしょうか。

そうした工事、1ヶ所に限りません。

例えば、半年近くも6号線を停めず通過させて工事していたモット・ピケ・グルネル(La Motte-Piquet Grenelle)駅。昨年秋、予定通りに6号線も停車するようになったのですが、エスカレーター工事はまだ続いています。使用停止になってはや10ヶ月。

2月中には完成する予定とポスターに書かれていますので、きっと完成するのでしょうが、駅舎改修工事がどうしてこんなに一年近くもかかるのでしょうね。

基本構造を補強しているのか、完成しても、外観はほとんど以前のまま、ということもよくあります。プラットホームを見る限り、この駅もその一例になりそうです。いったいどこをどういじっているのやら・・・

時間がかかるといえば・・・

レストU(学食)の最寄り駅、ポール・ロワイヤル(Port-Royal)駅のエスカレーター改修工事。4ヶ月と表示してありますが、実際には昨年の8月から使用停止になっていましたので、5ヶ月。写真のように工具は置いてあったので、作業はしていたのでしょうが、作業をしている人を一度も見かけませんでした。もちろん、24時間見張っているわけではないのですが。

ようやく最近完成した状態ですが、確かに足の踏み場はきれいになっています。きれいに、より安全になるにこしたことはありませんが、でもこの短いエスカレーターの改修に5ヶ月。エスカレーターの長さは工事期間に関係ないのかもしれないですが、それにしても、ずいぶん時間がかかりますね。

また、こちらは、動く歩道のメンテナンス。

メンテナンスに、12日間だそうです。シャトレ駅の地下連絡通路にある、長~い動く歩道。ここはたまたま全部で3本あるので、他の2本を活用すればいいのでしょうが、時として、2本、あるいは1本しかないところで1週間くらい止まってしまう場合もあります。それでも、動く歩道ならまだしも、長いエスカレーターが止まってしまうと、階段を歩くしかなく、これは大変です。特に、登り!

こうした工事に共通しているのは、作業している形跡があまり見られないこと。特にフェンスで覆ってしまうと、工事担当者が作業現場に出入りする姿も見られないですし、工事の音も聞こえてこない。フェンスの中で、誰が、何人くらいの人が、いつ作業をしているのやら・・・全く分からないうちに、一応工事は予定通りに終わるのですが、使用に支障をきたさない部分には未完成のところも。モット・ピケ・グルネル駅は、さすがにこれ以上引き延ばせないのか、1月中旬から、急にドリルの音などが聞こえるようになりました。

十分な人数をかけて短期間で終了させようというふうには考えていないのでしょうね。少ない人員で、時間をかけて。信頼できるプロの職人は、そんなにいる訳ない。だから、人数は限られる。その分時間もかかるのさ、ということでしょうか。時間に関する感覚がどうも違うようですね。それに、人員を増やせば人件費がかさみますが、時間はタダですから。しっかりした経営です。

“Time is money”(時は金なり)にはなっていないのでしょうね。人生そんなに急いでどこへ行く・・・歩くのもゆっくりです。

私が速足で3歩進む間に1歩。普通に歩くときでも、2歩の間に1歩。ゆっくり、ゆっくり・・・何を慌てているんだい、黄色い人。

でも、フランス人も急ぐときがあるんですね。それは、メトロの駅や連絡通路の階段。そこを下りるとき、まるで脱兎のごとく駆け下ります。若い人は二段おきに駆け下ります。私など、全くついていけません。突き飛ばされて転げ落ちるのを警戒しているのか、乗り換えのメトロにタッチの差で間に合わないことが嫌なのか、とにかく速い、速い。このスピードを仕事に生かしておくれよ、と言いたいのですが、言ったところで、俺がメトロ駅の工事を担当しているわけじゃないよ・・・その通りです。かくして、メトロの駅の工事は続くよ、いつまでも。そして、のんびり行こうよ、俺たちも!(鈴木ヒロミツの出ていたCM、覚えていますか) どんなに自分ひとり急いだって、ここはフランス、よそ様の国。イライラしたって、始まらない、というわけです、はい。

↓「励みの一票」をお願いします!
 すぐ下の文字をクリックすると、ランキングにアクセスし、投票になります。

人気blogランキングへ


オートクチュール、復活す!

2008-01-24 05:38:27 | マスコミ報道
2003年に「イヴ・サン=ローラン」の経営陣のひとりが言ったという一言、覚えていますか・・・「オートクチュールは、死んだ」・・・それから5年、今オートクチュールが蘇りつつあるそうです。その楽屋裏はいかに・・・


(22日に行なわれたカール・ラガーフェルトによるシャネルの2008年春夏コレクションの模様、会場はグランパレ、巨大なツイードのジャケットの周囲がステージです:23日のマタン・プリュス紙)

20日に終わったプレタポルテの2008-2009秋冬コレクションに引き続き、21日から24日まで、オートクチュールの2008春夏コレクションが開催されています。会場選びや演出にも、デザイナーのセンスが反映されるためか、それぞれに「意匠」を凝らしたショーになっています。上の写真のように、シャネルは美術館のグランパレ、ディオールはポロクラブ(Polo de Paris)。でも、もちろん、主役は「衣装」。そして、その楽屋裏では、オートクチュール復活のさまざまな試みがなされているそうです。


歴史も含め、オートクチュールの現状を紹介してくれている21日のフィガロ紙。見出しは、「ニューリッチのお陰でオートクチュールが蘇る」。

第二次大戦直後には、106ものオートクチュール店(パリ・オートクチュール協会加盟店、メゾンと呼ばれるそうです)があったそうで、裕福な女性は有名店で、一般的な女性は自分の街の仕立て屋さんで服をしつらえていたそうです。それが1960年代にプレタポルテが一般に普及するようになると、オートクチュール業界に逆風となり、メゾンの数も漸減。さらに、ライフスタイルの変化に伴い、カジュアルなファションがメインになると、オートクチュールは冬の時代へ。そして、2003年の、もう死んだ、という発言に至ったそうです。

その後、恒例のファションショーすら辞退するブランドも現れ、このまま衰退の一途を辿るのかと思われていたこの業界、内部からの変化と外的要因もあって、復活の道へ・・・内的変化は、経営の効率化。お針子をはじめ多くの社員を抱えていたメゾンが、社員を解雇するなど経営の合理化を積極的に推進。そして、そこへ新しい顧客が増えるというまさに僥倖ともいえる外的変化が。以前は、アメリカ、中近東の富裕層が主な顧客だったそうですが、そこへヨーロッパ各国、ロシア、インド、中国の超富裕層が新たに加わり、ニーズが高まった。コレクションも活況を呈するようになったそうです。

オートクチュールだけでなく、アクセサリー、貴金属、香水などを含めた贅沢品の2006年の地域ごとの売り上げの割合を見てみると、当然ヨーロッパ(東欧、ロシアを含む)が37%で最も割合が多いのですが、南北アメリカが35%、日本が単独で13%、東アジア太平洋地域が11%、その他4%だそうで、中でも東アジア太平洋地域が対前年比18%と最も大きな伸びを見せています。やはり、中国パワーでしょうか。その結果、贅沢品全体の売り上げも2004年から毎年10%近い伸びを示しています。こうして、業績が伸びれば、資本も集まる。参入する新たな資本家も増えてきているそうで、うまい方向に回転し始めると、全てうまくいくという典型になりつつあるのかもしれないですね。そうした潤沢な資金を背景に、今やひとつのショーに2~300万ユーロ(約3億2,000万円~4億8,000万円)が投入されているそうです。ショーに出展されたオートクチュールのその後の売り上げだけでは当然元は取れないそうですが、多くのメディの取材・報道により、広告キャンペーンを行なったと思えば、十分に元は取れる勘定になるとか。


(ジョン・ガリアーノ率いるディオールのショーのフィナーレ、劇的ショーが得意なガリアーノが扮しているのは画家のレンブラント:22日のフィガロ紙)

では、このようなコレクションで発表されたファッションは、どのようなTPOで着られるのでしょうか。最も多いのは、富裕層の集まる結婚パーティだそうです。そして、仮縫い等のためには、世界中どこまでも行くそうですが、上得意は自分と同じサイズのトルソー(マネキン)を店に置いておけるそうで、それが大きな誇りになっているとか。因みに、コレクションで着られたファッション、その販売価格はヴェストやスーツで1万ユーロ(約160万円)、ウェディングドレスで30万ユーロ(約4,800万円)程度が相場だそうです。ドレス一着でマイホーム。そんなふうに思う私のような人間は、言うまでもなくターゲット外です。


(これもディオールのショー、クリムトの絵をファッションで再現しているようですね:22日のフィガロ紙)

オートクチュール2008春夏コレクションが始まったと同時の株暴落。はたしてオートクチュール業界への影響があるのか、ないのか・・・こんな興味で外野から見ていると、ファッションのファの字も知らないと、お叱りを受けそうです。早々に退散することにしましょう―――。

↓「励みの一票」をお願いします!
 すぐ下の文字をクリックすると、ランキングにアクセスし、投票になります。

人気blogランキングへ


フランス人に愛される人たち。

2008-01-23 06:23:49 | パリ
22日は、路上生活者など困窮する人たちへの支援に人生を捧げたピエール神父が94歳で亡くなって一年。しかし、今でも人々の心の中に生きているようで、その墓地を訪れる人は後を絶たないそうです。


22日のマタン・プリュス紙です。他の新聞やテレビ・ラジオなどでも報道されていました。あまりに偉大な人物だったがゆえに、その後継がなかなか見つからないようです。

“EMMAUS”(エマユス)という慈善団体がその活動の母体。路上生活者に食事や宿泊先、さらには仕事を提供するという活動を中心に行っています。古くなった家具などを集めて修理しては販売。その売り上げを活動資金に当てています。


こうした常設の活動拠点も持っています。しかも、その活動に賛同する人の輪がフランスから世界の多くの国々に広がっています。

ピエール神父の活動は多くの人々に感銘を与え、敬愛され続けていました。ジュルナル・デュ・ディマンシュ紙(Journal du Dimanche)が定期的に発表するフランス人に愛される人のランキングでも長年にわたって常に上位にランクされていました。そこで、マタン・プリュス紙は「かけがえのないピエール神父」とその偉大さに改めて言及する記事の脇に、最新(去年12月)のフランス人が愛する人トップテンを紹介しています。その10人とは・・・

①Yannick Noah
ユニック・ノア・・・テニス・プレーヤーとして思い出しますか、それとも歌手としてご存知ですか。1960年生まれ。父はカメルーン人のサッカー選手。母はフランス人。サーブ&ボレーを得意とし、1983年の全仏オープン男子シングルス優勝。現役引退後は、デビスカップやフェドカップのフランスチーム監督として1991年から計4度優勝。しかし、小さいときから音楽が大好きで、ジミー・ヘンドリックスやボブ・マーリーに憧れて育つ。そこで、1990年にデビュー・シングル“Saga Africa”をリリースしたところ、チャート1位になる大ヒット。初アルバムの“Black & what”は60万枚の売り上げ。人気歌手の仲間入りをし、スポーツ選手の引退後の生き方のひとつの成功例となっている。しかも、慈善活動にも積極的で、家のない子どもたちに住む場所を提供したり、子どもたちが自由に使えるスポーツ施設を作ったりする慈善団体を自ら創設して活動を続けている。

②Zinedine Zidane
説明するまでもないですね、ジダンです。サッカー選手。1972年、アルジェリア移民の二世として、マルセイユ郊外で生まれる。2006年ドイツW杯決勝戦を最後に引退。そろそろサッカーの世界に戻ろうかといっているそうで、どういうかたちで戻るか、楽しみ。

③Mimie Mathy
ミミ・マティ。女優、歌手。1957年生まれ。骨系統疾患のため身長が132cmしかない。そのハンデを気力と演技力でカバーして、テレビに、舞台に、映画にと大活躍。歌手としてもデビュー。

④Soeur Emmanuelle
シスター・エマニュエル。1908年、ベルギー生まれの宗教家、作家。トルコや、チュニジア、エジプトの高校で文学を教えた後、1971年からエジプトのカイロで貧しい子どもたちを救済する活動を開始。1993年からは活動の拠点をフランスに移す。今年100歳でなお貧しい人たちの救済活動の先頭に立つ。

⑤Nicolas Hulot
ニコラ・ユロ。1955年生まれのエコロジスト、作家、テレビ番組レポーター。1987年から“Ushuaia”という環境番組のプロデューサー、レポーターとして環境問題に取り組む。フランスにおける環境保護の第一人者で、去年の大統領選挙にも立候補が噂されたほどの人気。

⑥Jean Reno
お馴染みの俳優、ジャン・レノ。1948年、スペイン人を両親に、モロッコのカサブランカに生まれる。代表作には、『レオン』、『ニキータ』など。昨年の大統領選挙では、サルコジ候補支持を表明。

⑦Charles Aznavour
ご存知、アズナブール。シャンソン界の大御所。1924年パリ生まれ。アルメニア系。数多くのヒット曲を持ち、去年、本人曰く「本当に最後のコンサートツアー」を行なったが、その積極的な活動から、まだ先があるのではとも思われている。

⑧Jamel Debbouze
ジャメル・ドブーズ、俳優。1975年、パリ生まれ。モロッコ系。2006年に主演した映画“Indigenes”で他の4人の俳優とともにグループで第59回カンヌ国際映画祭の主演男優賞を受賞。1990年には列車にはねられ、それ以後右腕の自由を失う。列車事故の際には同時に友人もはねられ死亡。過失致死罪に問われるが、無罪に。個性的俳優。

⑨Johnny Hallyday
ジョニー・アリディ。歌手、フレンチ・ロックの王様。1943年パリ生まれ。還暦を過ぎても現役のロックン・ローラー。コンサートに、CMに、大活躍。税金対策に先祖が住んでいたベルギー国籍を申請したり、スイスに引っ越したり、社会面でも活躍。

⑩Michel Sardou
ミシェル・サルドゥ。歌手。1947年、役者一家に生まれる。1965年にデビューし、ヒット曲には『恋のやまい』(La maladie d'amour)などがある。作曲家、俳優としても活躍。去年、最後といわれるコンサート・ツアーを実施。

・・・日本でも有名な人、あまり知られていない人、さまざまですが、この10人が、今フランス人に最も愛されている人たちだそうです。

マタン・プリュス紙は記事の最後を、トップテンにいるこれらの人々はそれなりのきちんとした理由があって今フランスで愛されている。しかし、ピエール神父のように長年にわたって愛され続けるだろうか・・・このように結んでいます。ピエール神父の存在は、あまりにも大きかったようです。改めて冥福を祈るばかりです。

↓「励みの一票」をお願いします!
 すぐ下の文字をクリックすると、ランキングにアクセスし、投票になります。

人気blogランキングへ


唇に微笑を、眼光に鋭さを!

2008-01-22 05:16:26 | マスコミ報道
幸せですか、と尋ねられて、皆さんはどう答えますか。幸せ!でもないし、不幸だ!というわけでもない。中くらいかな・・・めでたさも中くらいなりおらが春・・・では、幸せ!を10とし、不幸だ!を1とした場合、あなたの幸福度は何点くらいでしょうか。


そんな調査の結果が18日のメトロ紙に紹介されていました。最も幸福指数の高かったのは、デンマーク人。逆に最も低かったのは、アフリカのタンザニア人。幸福指数の高かった国は他に、スイス、オーストリア、アイスランド、フィンランド、オーストラリア、スウェーデンと北欧諸国が多くなっています。低い国は、ザンビア、モルドヴァ、ウクライナ、アルメニア、グルジア、ブルガリアなど、東欧諸国が多く、ロシアも9位に顔を出しています。因みにフランスは、図の中では39位ですが、文章中では62位。どちらが正しいのでしょうか。たぶん、39位ですが、同率で同じ順位の国もいくつかあり、国の数では62番目ということなのではないでしょうか。日本なら、同率でおなじ順位の国が複数あれば、その次の国の順位は同率の国の数だけ飛びますよね。例えば、図の中に幸福度の高いほうから5位の国が3カ国ある。すると次の国は、8位。でも、この表は6位と表示。そうした差から来るずれなのでしょうね。

でも、こうしたデータ等の表示の不正確さはフランスではよく見かけます。観念の世界に住むフランス人。何を言いたいのか、主張は何で、主眼はどこにおかれているのかが大切で、結論をサポートするためのデータは時として誤りがある。それでも、明快な意見なりが表明されていれば、大勢に影響ない不備は気にしない。この逆が日本で、データの積み上げ式思考ですから、データに不備があっては結論もいい加減と見做され、重箱の隅をつつくようにチェックする。そのあまりの徹底振りに、結論に達する際には疲れきってしまい、主義主張がぼやけてしまう・・・しかし、われらは、人間。いいとこどりはできないようで、完璧は求めようがない。お互いに、良い点、改めたい点があるということですね。ただ、参考にできることは参考に、改めることに躊躇はしたくないものですね。

さて、今日のテーマは幸福でした。GDP(国内総生産)に替わる新しい指標に、という意気込みの「幸福度」(le Bonheur national brut)ですが、関わったイギリス人研究者によると、物質的な豊かさが必ずしも幸福度に直結するとは限らないそうです。例えば一人当たり国内総生産が958ユーロ(約155,000円)のブータンの人々の幸福度指数は8位(8位グループ)で、イギリスの23位やフランスの62位よりもずっと上位。

「幸福」を長年の研究テーマにしているオランダ・ロッテルダムにあるエラスムス大学のRuut Veenhoven教授によると、幸福に感じる人が多い国は、統治が上手に行なわれ、国民に大きな自由が与えられている国だそうです。そうした国では、国民はより寛容で、創造的になるそうです。また一般的に男性のほうが女性よりも幸福という人が多いのには、二つの理由がある。ひとつは、女性の寿命のほうが長いので、最後は一人きりになってしまうという将来に対する不安感が女性に付きまとっているため。もうひとつは、仕事と家事という二役をこなさないといけない事から来るストレス。男女で役割分担を上手に行い、女性の解放が進むほど、お互いの幸福度が上がるそうです。年齢的には、幸福は“U”字型をしているそうです。30歳までと60歳以降のほうが幸福度が高い。若い内は、いろいろやり直しもしやすい。老後は時間的にも家族の面倒の点でも余裕ができる。その間の30歳から60歳は、結婚・子ども・家のローンなどを背負い、幸せを実感しにくいそうです。

では、調査で最も幸福度の高かったデンマークの人たちの暮らしぶりはどのようなものなのでしょうか。人口1万人のRingkobingという町で住民に聞いたそうです。1443年以降、商人の町としての権利を有している伝統ある町なのだそうですが、人々の暮らしは決して華美なものではなく、とても質素で堅実。共同体の中でどうやってうまく生きていけるかを心得ているのだそうです。このあたりは、日本に近い感じがしますね。また、安全であること。所得の半分が税金に取られるそうですが、そのお陰で健康保険、授業料、養老院の費用が無料。失業率も低く、社会保障が充実している。そして何よりも、人々がネガティブなことをポジティブなものに替える術を心得ている。陽気で、微笑を絶やさず・・・これがこの町の「知性」だといっているそうです。

最も知りたい日本の順位ですが、残念ながらこの記事には紹介されていません。中くらいなのでしょうか。幸せを実感するには・・・質素、堅実、そして満ち足りることを知ること。前向きに、陽気に、唇に微笑を・・・平凡かもしれないですが、私たち一人ひとりに出来ることは、こうしたことなのかもしれませんね。そして、あとは、統治。上手な政治になっているのか。国民を幸福にしようとして行っている政治なのか。統治者に対しては、満ち足りることを知る必要はないのだと思います。眼光鋭く、細心のチェックを。少しでも良い暮らしを、少しでも多くの国民が幸せを感じられるように・・・お上任せではなく、お上のやることにこそ細かいチェックを! それがより多くの人が幸せを感じられるようになる方法なのかもしれませんね。経済では一流でなくても、幸福度では一流の国へ―――。

↓「励みの一票」をお願いします!
 すぐ下の文字をクリックすると、ランキングにアクセスし、投票になります。

人気blogランキングへ