50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

レオナルドの情熱~理解と創造

2007-04-30 01:42:50 | 美術・音楽
ご存知、レオナルド・ダ・ヴィンチ。彼の「知識と創造への情熱」をテーマにした展覧会が、パリ6区にあるRefectoire des Cordeliers(コルドゥリエ修道院食堂)で行なわれています。

1230年に造られた修道院の食堂跡で、1826年からは医学部の校舎として使われましたが、今はパリ市の展示会場となっている建物です。

外観と趣を全く異にしてというか、期待にそぐわず、今風のおしゃれな入り口になっています。

“La Passion Leonard~comprendre et creer”(情熱レオナルド~理解と創造)。創造するために、まず多くのことを理解しようとしたレオナルドの探究心。そしてその結果としての作品。そのつながりを提示している企画展です。

会場入ってすぐのスペースは、レオナルドの考案した多くの科学的アイデアの紹介です。

この自転車は、レオナルドの考案したアイデアを弟子の一人が書きとめたメモを元に制作したものだそうで、自転車も元々はレオナルドのアイデアだったのでしょうか。ほかにも、大砲、船、重量のあるものを持ち上げる装置など、彼のメモを元に制作されています。

空への憧れも強かったようで、こうしたグライダーの祖先のようなものや、人力飛行機の先祖、背中につける翼なども展示されています。こうした制作物の多くは、なぜかマドリッドのスペインの国立図書館に所蔵されているようです。

レオナルドの残した13,000ページにも及ぶ膨大なメモ。その中にはこうした工学的発明といってよいアイデアや、

人体や動物の克明な解剖図、そしてデッサンなどが含まれています。

会場には、こうした直筆も展示されています。

これらの知的的好奇心を元に制作された芸術作品。しかし、完成し、現存するものは意外に少ないので驚いてしまいます。絵画は僅か17点だそうで、しかも未完ではないかともいわれる作品も含まれています。しかし、それらは人類の宝とも言われる傑作ぞろい。その中から『モナリザ』と『最後の晩餐』を選んで、新しい技術によって、オリジナル・カラーの解明などを行なっています。

ニスを取り除くシミュレーションなど、そのプロセスは映像でも紹介されています。


科学的なアプローチを基に創造されたレオナルドの作品を、現代の科学の力で解明する・・・なかなか的を得た展示方法ではないでしょうか。

創造のためには、真実を知ること。その探求に情熱を傾け、その結晶として僅かな、そして偉大な芸術作品を残したレオナルド。そのことに改めて思いを馳せる企画展です。


Refectoire des Cordeliers
15, rue l’Ecole de Medecine
(6月24日までの開催・6月16日のみ休館)

*なお、主催者が日本でもこうした企画展を開催したいそうです。ふさわしいコンタクト先をご存知の方がいらっしゃいましたら、弊ブログまでご連絡いただければ幸いです。


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先人たちの知恵―⑫

2007-04-29 02:04:48 | 先人の知恵
今回ご紹介するのは、『フランスという幻想~共和国の名の下に』です。著者は、河村雅隆氏。NHKでプロデューサーとして活躍された氏が、1991~93年にロンドンに駐在。その間、頻繁にパリにもいらっしゃったようで、しかもその前後も含め、テレビ・メディアに身をおく方の視点でフランスをしっかり見つめてこられたようです。そのフランス像を文章にまとめたのがこの著作で、1996年に出版されています。10年以上も前に書かれていますので、変化してしまった部分もあるかもしれませんが、本質を見抜いた慧眼に接することの出来る部分が多く残っています。フランスに関する部分を中心に抜粋してご紹介しましょう。


(Le Mondeの週末号に挟み込まれる翌週のテレビ・ラジオ欄です。)

・フランスにおいては、政治家も一般の人たちも、自分たちの国のことを、よく「レピュブリック」と呼ぶ。もちろんその意味は「共和国」ということなのだが、その言葉には、「フランスの政治体制は君主制でなく、あくまで共和制なのだ」という、はっきりした意思が込められているように思えてならない。

・世界の数ある国の中で、国民一人ひとりの愛国心の強さという点にかけて、フランスは文句なしにトップクラスにランクされるだろう。しかしその国民に「ではフランスとは、一体どういう国家なのか」という質問をしてみたら、返ってくる答えはそれこそ百人百様のものではないか。

・人間には確かに、「衣食足りて礼節を知る」というところがある。経済が順調で、今日よりも明日、明日よりもあさってのほうが生活が向上していくという確実な見通しが持てる時、人間は他人に対して、ゆとりを持って接することが出来る。しかし、逆に社会が停滞してくると、人々は自分たちの既得権益をしっかり守る方向へ走り始めるだろう。そしてその時、人々の警戒感や敵意は、そのコミュニティにあとからやってきた少数者たちに対してまず向けられがちなのである。

・歴史的に見て、国民国家の祖国フランスとは、一方で極端なまでの「自国第一主義」を貫いてきた国でもある。そうした姿勢は、戦後の核開発をめぐる動きを見るだけでも明らかだろう。そこでは、核の実験場となったアフリカや太平洋の国々に対する配慮など微塵も感じられなかった。あるのはただ、それらの地域と世界の中で、フランスの「プレザンス」を主張し続けたい、という強烈な国家意思だけだったのである。

・フランス人の多くは長い間、「フランスのように豊かな国が、何を好きこのんでヨーロッパの他の国々と一緒にならなければならないのか。自分たちが『犠牲』になる必要などどこにあるのか」と素朴に信じ込んできた。そもそも彼等にとって、統合されたヨーロッパのイメージとは、フランスをヨーロッパ全体に広げたものだ、というくらいのものでしかなかったのである。しかし進行しつつある現実は、フランス人たちにそんな幻想を抱き続けることを許さなくなってきている。「フランスの栄光」と「ヨーロッパの統合」とは両立し得ないのではないか――フランス人たちは今頃になって、そんな思いを噛みしめているようなのである。

・そして、次々に起きてくる新しい動きは、フランス人たちに対して、「フランスとは、EUを構成する重要な要素ではあるが、そのひとつの地域にすぎない」という認識を強いつつある。そのような自画像を認めることは、自分の国を第一と考え、大国意識を持ち続けてきた人たちにとって、苦痛でないはずがない。統合に向けてのうねりの中で、フランスは今、国民国家から脱皮して新たな国家像を構築できるかの、産みの苦しみの中にいるのである。

・多くの国では、企業の内部というのは、管理職(幹部)は管理職、労働者は労働者というように、はっきりしたかたちで「二分化」されているということだった。(略)日本の会社だったら、大卒だろうが大学院卒だろうが、新人はすべて現場の研修からスタートするのが当たり前のことだが、東南アジアなどでは、彼らが工場の現場に足を運ぶことは滅多にないし、また日本流の制服を着用することには強い抵抗があるのだという。こうした傾向は、むしろヨーロッパの企業においても本質的には違っていないと言ってよい。いや、歴史的に見れば、むしろ東南アジアの企業のほうがヨーロッパの企業のやり方の影響を受けて、そのような手法を採り入れたのである。(略)日本の組織は現場から遊離したエリートの存在を許さないのだが、世界の中で見れば、そういった原理で成り立っている社会というのは例外でしかない。

・フランスは名だたる中央集権国家である。官庁のエリートは(その大半は先述のグランゼコールの卒業生であるが)、日本の旧国鉄の「学士組」のように、超特急で昇進を重ねていくのである。

・エリートの存在を認め、それを特別扱いする社会というのは、優れた個人に存分に力を発揮させるためには、極めてよく出来ている。しかし一方そこでは、そのアイディアを商品化したり、社会全体のものにしていくことは、困難となってくる。フランス人の考え出す計画や製品については、「アイディアは素晴らしいが、それを実行に移していく段になると問題が多発する」という評価が常についてまわる。大きな計画を実施に移したり、高度なアイディアを商品化していくためには、ひとりでも多くの「普通の人間」の参加が欠かせないのだが、そうしたことは、ひと握りのエリートが世の中をリードしていく社会においては、期待しがたいのである。
しかし、こうした欠点にかかわらず、フランスの社会において、「エリート主義」が姿を消すことは今後もあり得ないだろう。時として反撥を示すことはあっても、フランス人たちは本音のところでは、中央集権体制やエリートの存在というものを、間違いなく是認しているからである。そして、社会のそうした雰囲気を受けて、フランスのエリートたちは、自らがエリートであることを意識し、エリートであることの処遇を当然のものとして要求し続けていくのである。

・フランスの政治の動きを見ていてわかりにくいのは、冷戦構造が崩壊した今になってもなお、左翼(gauche)対右翼(droite)という図式で国内の政治的な対立や葛藤が説明されることが多い、ということである。この図式は「左」の本家、ソ連が崩壊してしまった後も、フランス国内においては有効とみなされ、現実の政治はこの対立軸を中心に動いているものとされるのである。(略)このように左翼の勢力が強力であり続けている大きな理由は、一般にフランス人には観念的思考やイデオロギーを好む傾向がある、ということなのだろう。人間の観念や思考を限りなく純化させていけば、その過程において、マルクス主義のような思想が「勝ち残って」くるのは当然のことと言ってよい。何せその哲学は形而上学的と呼ぶに値する、強固でスッキリした体系を備えたものだったからである。
さらに、こうした思想の影響を最も強く受けたのが知識人と呼ばれる人たちだったことも、フランスの左翼運動の大きな特徴だった。もちろん、ついこの間までは、どこの国でも知識人のかなりの部分が「左翼」のシンパだったことは否定出来ないのだが、フランスの社会において、知識人といわれる人間は、いわば特別扱いを受けてきた存在だけにその影響力は大きかったのである。

・それにしても左翼勢力がフランスの政治の中で置かれている立場というのは微妙なものである。フランス人たちの思考パターンは、「心は左に、財布は右に・・・」であるとよく言われる。確かに、彼らが「左側」に置いているのはあくまで観念にすぎないのであって、現実の生活や金のからんだ問題になってくれば、話は別である。そして社会党など左翼勢力は、フランス人のそうした性向を承知した上で政治的な「選択」を行なっているようなのである。

・フランス人たちの愛国心の強さ、中でも自国の言葉に対する愛着と誇りの強さは、改めて言うまでもないが、彼らは国内だけでなく植民地に出てもフランス語を教育することに極めて熱心だった。そして、旧植民地の人たちも、そうした期待によく応えてきたのである。
しかし、旧植民地の人々がなぜフランス語を熱心に学んできたかと言えば、それは、その言葉を習得することによって、大きな現実的なメリットが期待できたからである。公務員として職を得るにしても、貿易に従事するにしても、フランス語が出来るということは極めて有利は条件たり得たのである。
そのように、フランス語はアフリカにおいて、これまでずっと重視されてきたのだが、フランスがもしアフリカとの関係をドライに見直すようになってきたら、アフリカ諸国におけるフランス語学習への意欲が一気に衰えていくことは目に見えている。現実的なプラスが期待できなくなったとき、誰があれだけ難しい言語を苦労してまで習得しようと考えるだろうか? そしてそうした兆しは、既にセネガルなどでは現実のものとなっている。そこでは、伝統的なフランス語に替わって、英語を勉強し始める人の数がどんどんふえてきているのである。

・「フランスにフランス人がいなかったら、どんなにか素晴らしい国だろう!」フランス人と一緒に仕事をしたりする中で、その尊大さや自己中心的な態度に閉口し、思わずこんな文句を憶い出したことのある人は少なくないと思う。最近はやや変わってきているとは言うものの、彼等の「中華思想」に驚かされるケースは、今も決して珍しくはないのである。それにしても、客観的に見ればフランスの国際的地位が低下しつつある中で、彼等がかくまで誇りと自尊心を持ち続けていられる源泉とは、一体何なのだろう。私には、彼等の中に、「自分たちは先の戦争の戦勝国だったのだ」という意識が強烈に存在しており、それが事あるごとに表面にでてくるように思えてならない。

長い引用でしたが、いかがでしたか。今話題の大統領選挙を理解する上でも参考になるような、フランス政治の要諦も分かりやすく書かれていますね。政治以外でも、首肯すべき点が多々あります。自分と同じような視点でフランスを見ている人もいるのだと、うれしくなった方もいるのではないでしょうか。

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カンヌ60周年。

2007-04-28 03:28:27 | 映画・演劇・文学
カンヌ国際映画祭・・・1946年から行なわれるようになった世界三大国際映画祭のひとつ(他にヴェネチア、ベルリンの国際映画祭)。40年代と50年代に開催されなかった年があるため、今年が第60回目だそうです。開催は5月。もうすぐですね。

そうした機運を盛り上げるため、今、パリで60年の歴史を振り返る写真展が行なわれています。

メトロの駅などに大きなポスターが貼られています。中央で大仰なポーズを取っているのは、2002年のシャローン・ストーンです。

写真展の会場は、デパートの「ボン・マルシェ」。入り口の上にも大きなパネルが飾られています。

さて、会場には、映画館と同じように観客用の椅子が並んでいます。しかし映画館と違うのは、椅子に座っているのが観客ではなく、それぞれの年を雄弁に語るパネル入りの写真。

第1回から見ていくと、多くの懐かしい俳優、監督たちにめぐり逢えます。

ジャン・ギャバン、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーヴ、イヴ・モンタン、メリナ・メルクーリ、アラン・ドロン、トリュフォーをはじめとするヌーヴェル・ヴァーグの監督たち、アーノルド・シュワルツネッガー、イザベル・アジャーニ、マギー・チャン・・・

そうした中に混じって、日本から二人の監督の写真が展示されていました。

1980年に『影武者』でパルム・ドールを受賞した黒澤監督。この年の主演女優賞は、アヌーク・エーメが受賞していたのですね。

もうお一人が、1983年のカンヌでデヴィッド・ボウイとともに記者会見に臨んでいる『戦場のメリークリスマス』の大島渚監督です。

会場では、写真だけでなく、映像でもカンヌの歴史を振り返っています。

上の写真では、1995年のジャンヌ・モローへの敬意を表するイベントの模様を紹介しています。ヴァネッサ・バラディとのデュエットがとても印象的です。また、映画にかかわった多くの人たち(監督、俳優、衣装、批評家など)へのインタビューも流されていて、すっかり見入っている人も多くいました。


いく人かの監督のメッセージも壁に掲げられた会場で、最後の椅子に座っているのは・・・

そうです、今年の記念すべき第60回のカンヌ国際映画祭。どんな作品が、そして誰が、どのような賞を受賞するでしょうか。楽しみに、もう少し待つことにしましょう。

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ユゴーの家。

2007-04-27 01:49:37 | 映画・演劇・文学
ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo:1802-1885)・・・ご存知ですね、『レ・ミゼラブル』などでお馴染みのフランスを代表する詩人・作家です。ユゴーが1832年から1848年までの16年間住んだ住まいが「ユゴーの家」(Maison de Victor Hugo)として公開されています。



場所は、観光客の多いマレ地区でも、とくに有名な場所のひとつであるヴォージュ広場の6番地。行かれた方も多いことでしょう。広場を取り囲む建物の一角(Hotel de Rohan-Guemenee:ロアン・ゲメネ館)に280㎡のアパルトマンを借りて住んでいたそうです。その住居部分(3階)が通常公開されていて、2階が特別展会場、1階が受付になっています。

ユゴーはこの住まいに、奥さんのアデルと4人の子供たちと一緒に移ってきました。その時はすでに、ロマン主義文学の端緒となった『エルナニ』の戦いや『ノートル・ダム・ド・パリ』の成功で、有名になっていました。新しい芸術の潮流、ロマン主義の旗頭・ユゴーの周りには多くの若き芸術家たちが集まっていました。デュマ、メリメ、サント・ブーヴ、ヴィニー、ラマルチーニ・・・彼らの語らいが今でも聞こえてきそうです。


中国風の客間もあります。


中世風のインテリアでまとめた食堂。


書斎のようですね。多くの本が残されています。


家族の写真も展示されています。これは、ユゴー夫婦と娘の写真。


そして、寝室。


ユゴーの遺品も展示されています。

レジオン・ド・ヌール勲章のようです。ユゴーは、ここに住んでいる間に、アカデミー会員や国会議員にも選出されています。

これは愛用の書類入れのようですね。かなり愛着があったのか、底の方は擦り切れています。

直筆の書類も展示されています。下から3行目がVictor Hugoというサインです。

いたって平穏な暮らしがあったようにも思えますが、兄の恋人だったアデルを奪って妻にしたり、生涯の愛人ジュリエットとの生活があったり、ナポレオン三世のクーデタに反対した結果、長年の亡命生活(1855-1870の15年間)を余儀なくされたり・・・やはりそれなりに波乱万丈の人生だったようです。

詩・劇・小説など多くの文学作品を書くとともに、共和主義者として帝政と戦ったユゴーは、「言葉のあらゆる意味において、フランス文学最大の現象である」といわれています。その生誕100周年を記念して1902年に誕生したのがこのユゴーの家。どこからかユゴーのペン音も聞こえてきそうです。

なお、すぐ脇のアーケードでは弦楽器によるコンサートがよく行われていて、今でも文化の香りをさせるエリアになっています。


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ジャグラーの店。

2007-04-26 03:25:40 | パリ
パリでは時々、ジャグラー(曲芸師、フランス語ではjongleur:ジョングルール)を見かけます。

ポンピドゥー・センターの前やモンマルトルなどで見かけたことはありませんか。サーカスでも、人気者です。ということで、人気のあるジャグリングをやってみようという一般の人も結構いるのかもしれないですね。ジャグリング用品を扱う専門店(フランス語でjonglerie:ジョングルリ)を見つけました。


場所は、市庁舎のすぐそば。BHV(特に日曜大工関連が充実したデパート)の脇の道Rue de Temple(タンプル通り)にあります。


扱っているのは、バルーン、ボール、クラブ、ハット、トーチ、ナイフ、シザーボックスなど、ジャグリングでおなじみの品々。


そして、変装用のカツラ、化粧品。さらにカードや手品で使う品々。


さらに、季節は過ぎてしまいましたが、カーニバルにぴったりのマスクも。

でも、1軒だけでパリではジャグリングが人気というのはちょっと言い過ぎかと思っていたら、もう1軒、奇術の店がありました。それも、同じ道を北へちょっと歩いただけの所。

その名も“Le Magasin de Magie”(奇術の店)。

扱っているのは、カード、ロープ、スカーフなど、奇術でよく使われるもの。


ジャグリングやマジック、やはりパリで人気があるようです。座興としても受けること間違いなし、のマジックやジャグリング。そう簡単ではないかもしれないですが、パリで曲芸に、挑戦! 皆さんもいかがですか。

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近代写真の父・ウジェーヌ・アジェ展

2007-04-25 00:12:48 | 美術・音楽
Eugene Atget(ウジェーヌ・アジェ:1856-1927)。ボルドー近郊に生まれ、水夫や役者などを経験した後、1888年頃から写真を撮り始める。

しかし、彼が撮った写真は、当時の商業写真。つまり、画家たちが作品を描くに当たっての資料用写真を撮っては販売していたようです。従って、決して芸術論や写真論を語ることもなく、テクニックにしても新しいものを追求したわけではない。それでいて、彼の写真からは、純粋さ、ひたむきさが見る者の心に突き刺さってきます。強烈な印象を残すことになります。それゆえか、近代写真の父とも言われているようです。

彼の作品の回顧展“Atget, une retrospective”が、国立図書館・リシュリュー館で行なわれています。


彼が撮ったのは、19世紀末から20世紀初頭にかけての、パリの街並み、庶民の暮らし、住まい、公園などです。全く気取ったところのない、普段着のパリ。それは、彼のドキュメンタリー性と感受性が捉えた呼吸するパリです。街の息遣いが聞こえてきそうです。

サン・ルイ島(上)とポン・ヌフ(下)。

いろいろな商売。八百屋、魚屋、そして箒などの日用品を売る店。

当時の住まいの中。

パリの街を走った車。

すでに完成していたパッサージュ(アーケード街)。

左はベルトン通り(rue Berton)。先日、バルザックの家で紹介した「通り」ですが、なるほど、今も当時も同じ佇まいですね。こうして100年前と今を比較できるのも、写真の記録性のお陰かもしれません。そのことに早くから気付いていたからこそ、アジェは街の記録、庶民の暮らしの記録を多く残したのかもしれません。

アジェは芸術としての作品発表などを一切行なわなかったせいか、ほぼ無名で亡くなっていますが、彼の晩年にその写真に心酔したのが、マン・レイのもとで写真を学んでいたベレニス・アボットというアメリカ人の女性カメラマン。上のアジェのポートレートも彼女の作品ですが、彼女の働きで、アジェの多くの作品がニューヨーク近代美術館によって買い上げられました。その結果、散逸を免れ、一大コレクションになっているそうです。

美的価値よりも記録の集積としての写真の価値に重きを置いたアジェ。フランスよりはアメリカで評価されているのかも知れません。やはり商売よりは芸術論の国フランス・・・それでも、会場には多くの観客が来ており、ここはパパが子どもの頃住んでいたところよ、などと話しながら懐かしそうに見入っている老婦人など、回顧展にふさわしい雰囲気ではありました。


Bibliotheque Nationale, site Richelieu
58, rue de Richelieu
7月1日までの開催(月曜祝日休館)

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フランス人も、占いがお好き。

2007-04-24 01:04:43 | パリ
日本では新聞や雑誌に必ずと言っていいくらい、その日の運勢が出ていますよね。星座占いだったり、干支占いや九星だったり、あるいは血液型占いだったり。それだけ信じる人、あるいは気にする人も多いということなのでしょうか。では、フランスでは・・・


Metro(メトロ紙)です。星座占いです。その日の運勢が星座別に紹介されています。


matin plus(マタン・プリュス紙)です。同じく星座占いですが、vie social(社会生活)とcoeur(精神状態)に分けてその日の運勢を紹介するとともに、その星座生まれの有名人を紹介しています。日本にもある紹介方法ですね。

こうした占いが毎日掲載されていえるということは、フランス人にも運勢占いは人気があるということなのでしょう。そして、星座占いが中心。しかし、魔術や錬金術などの歴史のあるヨーロッパだけに、もちろん他にもいろいろな占いがあります。そこで、ちょっと覗いて見たのが、サン・ジャック通りにある占い専門の本屋さん。


ビュシエール出版という名の書店ですが、La Diffusion Scientifique(科学的普及)という文字が大きく出ているように、決していかがわしい本ではなく、占いを科学的に追求した書物の出版販売を行なっているようです。店で働いていたのは、ごく普通の女性二人で、いかにも占星術師、といった感じでは全くありませんでした。科学的に占いを探求するという店の姿勢の表れなのかもしれないですね。


占いといってもいろいろありますが、やはりショーウインドーの周囲に書かれているAstrologie(占星術)、Esoterisme (秘教)、Spiritualite(霊性)、Culture Humaine(人間科学)関連の本が中心のようです。占星術以外にもタロット占い、ルーン、水晶占い(スクライイング)などの占いに関する書籍、また宗教関係の本、そしてヨガなどに関するものがぎっしりと並んでいます。

そして、書籍以外にも占い関連の商品も一部扱っています。

タロットカードや、中国でよく占いに使うものなどが並んでいます。

ヨーロッパには古くから占いあるいは魔術に関する伝統があり、それらの中には宗教や都市伝説と重なり合う部分もあり、またあまり表沙汰にならないものもあります。magie noire(黒魔術)、magie blanche(白魔術)、franc-maconnerie(フリーメイソン)、テンプル騎士団、薔薇十字団・・・隠れた歴史ゆえか、オカルト趣味か、こうした事柄に関する興味が尽きないようで、多くの出版物があります。こうした一面は『ダ・ヴィンチ・コード』などにも出てきますね。こうした方面に興味のある方は、ぜひ専門の書店を覗いてみてはいかがでしょうか。

そして、サルコジ対ロワイヤルの一騎打ちとなった決選投票、どちらがが勝つのか占いは・・・などということは、合理的精神のフランスでは冗談にもならないのかもしれないですね。日本では、どこかがすぐやりそうな気もしますが。

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パリの投票所。

2007-04-23 00:51:07 | パリ
22日は、日本では統一地方選挙でしたが、フランスでは大統領選挙。ただし、この日の投票で過半数を獲得する候補者が出ないと、上位2候補による決選投票が2週間後の5月6日に行なわれます。

さて、フランスの投票、どのように行なわれるのでしょう。投票所は? 日本でしたら学校とかが投票所になりますが、フランスでは? 


もしかして区役所ではないかという勝手な憶測で、とにかく出かけてみました。選挙当日の5区・区役所前ですが、入り口に選挙ポスターが掲示されています。一応係員もいますし、中に入れるのかどうか、一瞬躊躇しましたが、実際は何のチェックもなく簡単に入ることが出来ました。


投票所とTribunal d'instance(小審裁判所:日本の簡易裁判所に相当)は左へ、選挙管理事務所は右へ、と表示されています。当然、左へ進んでみました。


ありました、投票所です。初めて見ましたが、フランスの投票所、こんな感じなんですね。日本と似ていますね。まずは投票者の身元確認を行い、その後に、投票。


プライバシー保護のためカーテンで仕切ってあります。でも投票ブースが少ないのでしょう、行列になっています。でも、フランスでは至るところで行列ができますから、みんな慣れっこ。問題ないようです。日曜ですから、子どもの手を引いて来ている父親もいました。

投票ブースが少ないからとはいえ、行列が出来るほどですから、投票率は高かったのではないでしょうか。三つ巴とかいわれ、関心も高かったのでしょう。しかも雲ひとつない快晴で、気温も25度前後と、天気にも恵まれました。投票は午後8時まで。そして、即日開票。深夜(日本時間23日朝)には大勢が判明しているものと思われます。その結果への反応などは、また明日以降お伝えしたいと思います。(なお、一部の市町村では今回から電子投票も実施されたそうです。)


*午後8時の投票終了とともに、各メディアがいっせいに予測を発表。
 ・サルコジ候補 =30.0%
 ・ロワイヤル候補=25.2%
 3位のバイルー候補は18%台で、上記の2候補が決選投票へ!
 出口調査などに基づいた予測なのでしょうが、これで決定という報道ぶりです。

*あまりに予想通りだったせいか、TF1の選挙特番、Le Monde(ル・モンド紙)のテレビ欄では11時10分までの予定だったのですが、10時15分で終了してしまいました。


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Decroissance~反成長運動

2007-04-22 02:04:08 | マスコミ報道
デクロワッサンス・・・社会の成長一辺倒に異議を唱え、ここで立ち止まってもう一度私たちの人生について、私たちの住む地球について考えてみようという運動が、いま注目を集めているそうです。


ちょっと古いですが、7-8日付のLe Figaro(フィガロ紙)です。「反成長を選んだ消費者たち」という見出し。この記事によると、1970年代初頭、デザイナーのGebe(ジェべ)氏が「ここで、立ち止まり、考えてみよう」とAn 01(01年)という運動を始めたのがこの運動のスタートとか。麦藁帽子を被り、必要もないものを買うために毎日8時間も働くよりは草の中に寝そべることを選んだ人たちが共鳴。写真にあるような共同生活を始めたそうです。電話・クルマ・テレビなどを拒否した生活・・・アメリカにこれに近い生活を送っているグループがいますが、フランスでは生活信条というか、思想的、あるいは政治的理由からこうした生活を選んだ人が多いそうです。

こうした運動が、いま再び脚光を浴び始めています。永続的な成長はマイナス面を伴っており、現在の成長はすでに地球のキャパシティを超えてしまっている、という指摘が多くの人を捉えはじめ、賛同者を増やしているとか。限界のない社会の成長はありえない・・・確かに環境問題を見れば、肯ける指摘ではあります。もし地球のすべての人々がフランス人と同じような消費活動を行うと、地球が3つないと賄えないそうです。

今の私たちの生活を見直し、不必要なものが多ければ、過剰な消費を止めよう。過剰な消費、過剰なモノに囲まれた生活は、かえってストレスを増やす原因で決して幸福に結びつくものではない・・・これも一理ありますね。次から次へと、追い立てられるように新製品情報を入手しては、購入。買ったつぎから、次世代新製品の情報が流れ出す。ひたすら新しい製品を買うために働き消費していく生活。これでいいのか、という疑問の提示なのでしょう。先進国の人々がただ便利さだけを求めてモノを生産・消費してきたつけが環境問題として噴出し始めている。そのタイミングで、「反成長」といった活動に目が向けられているのではないでしょうか。もちろん、参加者の中には、写真のような地域では電気もない生活を送るのは可能かもしれないが、都心のアパルトマンでどうやったらこうした運動を実践できるのか、といった疑問も提起されています。そうですね、単に昔の生活に戻れば、みんなが幸せになれるというわけでもないと思います。きれいごとのようですが、一定の利便性を残したままで、環境にやさしく、人にもやさしい社会をどのようにして作っていくのか・・・。

こうした運動が一部の人たちの間の単なる流行で終わってしまうのか、あるいはこうした異議申し立てをきっかけに多くの人たちが自分の生活や環境を見つめなおし、我らが故郷・地球を守るためにそれぞれが自分のできる範囲で何ができるのかを考えるきっかけになるのか・・・。

このようなことも考慮に入れた上で、1票を投ずる相手を決める有権者もいるのではないでしょうか。22日、フランス大統領選挙の投票日です。

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ジャンヌ巡礼の旅~ルーアン―③

2007-04-21 01:34:22 | フランス
ノルマンディの古都にして中心地、ルーアン、今の人口は約10万人。繁華街にはデパートのプランタンもありますし、主だった金融機関、通信関連企業、食品・ファッションのブランド・ショップなどが軒を並べています。その中心街のシンボルが、時計塔。

このアーチ型の門は16世紀に作られたものだそうですが、時計自体は14世紀の作とか。遥かな時の流れを刻んできたようです。なお、この門には登ることができます(月曜休館)。

この門の下からノートル・ダム大聖堂へ向かっての道は歩行者専用道路になっています。ウィンドーを覗きながら散歩を楽しむにはもってこい。ちょっとわき道に入ると多くのカフェもあり、疲れたら一休み。そのカフェの料金(コーヒー一杯)は1.8ユーロで、2.2~2.8ユーロのパリよりはちょっぴり安め。でも、マクドナルドのビッグマックセットは、逆にパリの5.5~5.9ユーロが6ユーロと少し高くなっています。その街の物価だけでなく、競合状態や売上高などにもよるのでしょうけれど。

中心街、いわゆる旧市街には、今でも多くの木骨組みの建物が残っています。

その外観は残したままで内部を改造したり、1階をショップに改造したりして、上手に使っているようです。伝統と新しさの融合は、いかにもフランスらしいですね。

木骨組みの建物と教会・・・これは、いかにもルーアンらしい風景です。

木骨組みの家々が続いている細い道・・・まるで中世に迷い込んでしまったような感じさえします。

そして、もうひとつ、ルーアンらしいものと言えば、八重桜。公園にはもちろん、街路樹としても多くのところで花を咲かせていました。

木骨組みの家とさくら。アップにすると・・・

たぶん八重桜なのではないかと思うのですが・・・。

花といえば、もうひとつ・・・

藤ですね。ルーアンまでの車窓からも、この花を多くの場所で見ることができました。

そして、日本的、というかアジア的なものと言えば・・・

漢字で「指圧」と書かれています。木骨組みの建物で指圧を受ける。ルーアンの思い出になるかもしれないですね。私は遠慮しましたが・・・。

ルーアン出身の文化人と言えば、『ボヴァリー夫人』などで有名な作家のフロベールと17世紀の三大劇作家の一人、コルネイユ。『ル・シッド』などで有名なコルネイユがこの街で生まれたのは1608年。その生家がジャンヌ・ダルク教会のすぐそばに建っています。

黄色のバナーが建物や周囲の雰囲気にそぐわない気もしますが、一応場所を明示しています(夏は水曜から日曜までの午後、それ以外の季節は週末の午後のみ開館)。なお、コルネイユには思わぬところで対面することが出来ます。

ジャンヌ・ダルク博物館に彼の蝋人形も展示されています。

ジャンヌ・ダルクの終焉の街、今に残る木骨組みの家々、多くの歴史ある教会、そして河口近くのゆったりしたセーヌの流れ・・・見所はそれなりに多いのですが、何となくしっくりこない・・・どうしてなのだろうと思っていたのですが、帰りの列車に乗るためにルーアン駅に着いて、はたと気付きました。もちろん門を閉ざした教会が多く拒否された印象があるのも事実ですが、駅の脇にある、小さな、小さな広場、そこにある緑の木々を見て気づきました。街に緑の街路樹が非常に少ないことが原因だったようです。そのため、落ち着いたきれいな街という印象がなく、どこか埃っぽい印象がしてしまう。残念です。私だけの印象かもしれませんが。ようやく最後に見つけた緑の街路樹、駅のすぐ横にある小さな一角がルーアンの印象を救ってくれました。

この木々のお陰で、ルーアンの旅も、それほど悪いものではなかったと思えています。

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