50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

少女の夢、少女の残酷さ・・・Louise Bourgeois展

2008-04-03 02:05:04 | 美術・音楽
最もフランス的なアメリカ人芸術家の個展、という触れ込みもある「ルイーズ・ブルジョワ展」がポンピドゥ・センターで行なわれています。



最もフランス的・・・当然なんですね、名前でも分かるようにルイーズ・ブルジョワはもともとフランス人。1911年にその名の通り裕福なブルジョワの家庭に生まれ、1938年にアメリカ人の美術史家と結婚、そしてアメリカへ。それ以来ニューヨークに住み、1955年にはアメリカ国籍を取得しています。

1911年のクリスマス生まれだそうですから、今年末には97歳。そこで今回の個展は「回顧展」といわれ、ロンドン、パリ、ニューヨークで行なわれることになっています。しかし、回顧展などといわれると、もう活動をやめてしまった芸術家というイメージも湧いてしまいますが、どうしてどうして、まだまだ現役。その制作意欲は衰えることがないようです。


(会場ロビーに展示された若き日の写真、この1点の撮影はブラッサイ)

そう、制作意欲です。彼女は、自分の表現したいことを、表現したいように、制作してきました・・・そのカタチは絵画、彫刻、デッサン、版画、立体とさまざま。その手法もさまざま。用いた材料もさまざま。そのときそのとき、そのテーマによって変幻自在。理論や主義、トレンドには目もくれず、自分の創作意欲の赴くまま。だからこそ、決してグループに属さず、画壇の周辺に居続けました。しかし、そこには、表現したいという強い意欲が現れており、好き嫌いはあるにせよ、見るものを惹きつける強さがあります。純粋であるが故の強さ。そして、同時に、純粋であるが故の脆さ。

タペストリーの修復などを行なっていた両親。しかし、父親はその愛人を子守としてルイ-ズの周囲に置いた。そうした家庭環境の影響でしょうか、彼女の紡ぎだす世界には、驚き、優しさ、自己認識などとともに白日夢、恐れ、苦痛、人生の不思議さなどが息づいています。少女の夢がカタチとなっただけではなく、幼くして知ってしまった大人の醜さへの少女の嫌悪感が残酷なカタチとなって現れています。


(ルイーズが跪いて、拝まんばかりにしている相手は、ジョアン・ミロ、美術史に独自の地位を占める同士、肝胆相照らす・・・?)

例えば、彼女が多用するピンや釘。これらは何を表現しているのでしょうか。不実、横暴だった父親への怒りなのでしょうか、父親が代表する男への反抗なのでしょうか。あるいは、多くの赤い手は。「赤」に込められた想い、何かを求めるような、あるいは何かを引きずるようなその赤い手が暗示するものは・・・


(情報誌からの複写)

とっても内向的で、それでいて挑発的だったという少女時代のルイーズ・ブルジョワ。その少女のままで創り出している「ルイーズ・ブルジョワ・ワールド」。その多様性の中には、好きになれるものと、なれないものがあると思います。全てが好き、全てが嫌いというわけにはいかない・・・私が気に入ったのは、インクやクレヨンで描いたデッサン、そしてどことなく有元利夫を髣髴とさせる絵画などでした。

そして、なんといっても代表作というか、目に付くのは、巨大なクモ。

ポンピドゥ・センターのロビーにも1点。会場にも、クモに覆われた金網の立体作品が1点。クモの不気味さと、そこはかとない愛嬌。その糸に絡められてしまう恐怖と、心の奥底に隠された自由を奪われてしまうことの心地よさ。彼女の世界では、常に相反するもの同士の間を行ったり来たり、あるいは両極端が共存しています。現実と夢、男と女、秩序と混乱、洋の東西・・・時間も空間も自在に超越して紡ぎだす、独自の世界。少女のかわいらしさの裏に潜む残酷さ・・・子ども、愛、性、遺棄、後悔、思い出・・・人生のさまざまな物語、神話の空間、精神分析の世界へと見るものを誘っていく「ルイーズ・ブルジョワ・ワールド」。永遠の少女には、年齢は関係ないようです。


“Louise Bourgeois”展
200点もの作品が展示されています。
ポンピドゥ・センターにて、6月2日まで。


虚と実・・・ゴヤ版画展

2008-03-23 04:42:34 | 美術・音楽
テーマはスペインの巨匠・ゴヤなのですが、話は近松から始まります。『曽根崎心中』などでお馴染みの近松門左衛門(1653-1725)。この戯作者の残した芸術論が『虚実皮膜論』。芸術は虚構と現実の狭間にある・・・虚構だけではウソっぽい、現実を映しただけではつまらない。その狭間にこそ、芸術は息づいている・・・



『着衣のマヤ』や『裸のマヤ』などで有名なスペインの巨匠、ゴヤ(Francisco Jose de Goya y Lucientes :フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス:1746-1828)の版画作品を一堂に集めた“Goya, graveur”(「ゴヤ~版画家」展)がプチ・パレで開催されています。


18日のフィガロ紙でも紹介されています。ゴヤはスペイン生まれで、宮廷画家でもあったのですが、終焉の地はボルドー。フランスと関係のある画家だったようです。

ゴヤが残した版画集には、“Les Caprices”(『気まぐれ』:1799年までの作品)、“Les Désastres de la Guerre”(『戦争の惨禍』:1810-1820年の作品)、“La Tauromachie”(『闘牛技』:1815-1816の作品)、“Les Disparates”(『妄』:1815-1824の作品)がありますが、それらを中心に、レンブラントやヴェラスケスを手本に修行した初期の作品、そしてゴヤの影響を受けたドラクロワやマネの作品も含めて、ゴヤの美術史の中での位置づけも分かるような展示になっています。


(会場に書かれた、「人はいつも模倣から始める」というドラクロワの言葉)

エッチング、アクアチント、そして当時としては最新の技術であったリトグラフを駆使して、300点もの版画作品を残したゴヤ。この巨匠の最も偉大な功績のひとつが、芸術に「主観」をもたらした事だと言われています。単に対象を正確に描くだけではなく、そこに自らの視点を加えた。もちろん、正確に描くだけの技量もあり、綿密に描いてはいるのですが、そこには作家・ゴヤの視点が色濃く反映されている。客観的に描くとともに、そこに主観性を持ち込んだ。決して客観的事実を逸脱はしていないが、単なる客観的描写には終わっていない・・・


(パンフレットからの複写)
例えば、戦争の悲惨さを描いた作品群。時は19世紀初頭。ナポレオン軍がスペインに侵入。しかもスペイン国内は立憲派、絶対王政派をはじめ、いくつものグループに分かれ、文字どおり内戦。殺戮、暴行、拷問、放火・・・ありとあらゆる蛮行が行なわれていました。それを描くゴヤの版画は毒々しい場面にあふれていますが、しかし同時にそこには叙情性が共存しています。目を背けたくなるシチュエーションでありながら、思わず惹きつけられてしまう・・・


(パンフレットの表紙)
宮廷画家のゴヤが街に出れば、迷信を信じ、決して啓蒙されておらず、そして残忍なスペインの庶民の暮らしがあります。吊るされた死体から歯や舌を抜き去ろうとする人、燃やされる家、しのび泣く貧乏人・・・そうした悲惨で恐怖を催さざるをえないような場面であるにもかかわらず、ゴヤの作品からは皮肉、滑稽さ、幻想性が滲み出てきます。細やかな線影と強烈な白と黒のコントラストが美しくさえあります・・・

目の前の現実は無視していないどころか、インスピレーションの源泉としてどうしても必要だった。しかし、現実をそのまま描いたのではなく、独自の視点で主観的に描いたからこそ、ゴヤの版画は見る人に、恐怖感ではなく、いいな~、うまいな~、すごいな~、という印象をもたらすのではないでしょうか。繰り広げられる状況は悲惨で残忍なのですが、作品自体は幻想的で、美しくさえあるゴヤの版画。それだけに自由を何よりも愛していたのかもしれません。自由主義者弾圧の強まる祖国スペインを後に、78歳にしてフランスへ亡命。その4年後、ボルドーで亡くなっています。しかし、今は祖国、マドリッド近郊に眠る。


主観的幻想と客観的現実、虚と実・・・でも、この作品展は虚でも主観的思い込みでもなく、間違いなくプチ・パレで6月8日まで行なわれています。


風刺画のミケランジェロ。

2008-03-14 02:10:05 | 美術・音楽
ルネッサンスの偉大なる芸術家・ミケランジェロに譬えられる風刺画家、それは誰でしょう。また、この風刺画家はフランスでもっともスキャンダラスな芸術家ともいわれています。いったい、この芸術家は・・・


4日付のフィガロ紙ですが、この特集記事が紹介するように、答えは、ドーミエ。ご存知ですよね。オノレ・ドーミエ(Honore-Victorin Daumier:1808-1879)。18世紀末にドイツで考案されたリトグラフの技巧を駆使して、風刺新聞で縦横無尽の活躍。その人間観察眼が確かなだけでなく、類稀なデッサン力に裏打ちされた作品は、芸術の域にまで高められているといわれています。そのドーミエの今年は生誕200年。その作品を多く所蔵しているフランス国立図書館が、リシュリュー館で美術展を行なっています。


その人生は、そんなにスキャンダラスだったのでしょうか。この答えは、ノンです。8歳の頃、家族でパリへ出てきたものの、貧しくて早くから働きに出たドーミエ。しかし、絵への興味が抑えきれずに、画家に師事。また、ルーヴルに日参しては先達たちの技法を学んでいったそうです。そこで身につけたデッサン力は確かなもので、リトグラフ以外に残している油彩や彫刻も素晴らしい作品になっているそうです。

では、何がスキャンダラスなのか。サド侯爵をはじめ立ち居振る舞いがスキャンダラスで投獄された芸術家は多くいますが、ドーミエの場合は、作品そのものがスキャンダラスだった。つまり、当時の権力者を、あるいは傲慢な人々を揶揄し、皮肉った風刺画そのものが、まだ風刺を受け入れるだけの余裕のなかった19世紀には、スキャンダラスなものと捉えられ、検閲のかっこうの対象になっていたようです。しかも、19世紀のフランスは、7月王政あり、共和制あり、第二帝政ありと、社会体制が大きく変化し、そのたびに検閲の基準も変わった。だからこそ、ドーミエが“la Caricature”(ラ・カリカチュール)とか“le Charivari”(ル・シャリヴァリ)といった新聞紙上に発表する風刺画は社会的スキャンダルになったのかもしれないですね。


(パンフレットからの複写)

ドーミエが常に希求したのは「自由」。支持したのは「共和制」。反対に攻撃の対象にしたのは「偽善」。権力や正義の御旗の陰で、とんでもないことを繰り広げている人たち・・・どこにも、そしていつの世にもいますよね。自分の懐を肥やすことしか念頭にない権力者はガルガンチュア(大食漢)として描かれ、本当の教養などない俄か成金たちは、劇場で踊り子たちのスカートの中だけをオペラグラスで覗いているし、人間を忘れた裁判官には一滴の慈悲の心もなく、楽器は弾けても芸術の分からない楽団員は、舞台の袖で居眠り・・・

また、当時の日常も描いています。冬のパリ、雪の吹き込む3等列車で凍える人々、建物の地下に暮らす人々は湿気や虫との戦い、夏は夏でやりきれない暑さに木陰を見つけては寝そべるだけの日々・・・丹念に描かれた当時の風習や風物詩は、やがて印象派にも影響を与えることになるそうです。

ティツィアーノやルーベンスから多くのことを学んだドーミエの風刺画。白と黒、そしてその中間のグレーのみの世界ですが、そこには濃淡があり、光沢があり、お互いにコントラストがあり、描かれるラインには太さにも鋭さにも変化があり、単なる挿絵、風刺画の域を超えている。だからこそ、こうして生誕200年の企画展も開かれる偉大な作家として認められているのでしょうね。その偉大さに最初に気付いたのは、詩人のボードレールなんだそうです。本物だけが本物を見分けることができる・・・詩人の後に、コロー、ドガが続き、やがてその影響は写実主義、印象派、表現派、そしてシュールレアリストまで連綿と続いているそうです。


(パンフレットからの複写)

ドーミエが描いたのは、権力や権勢・お金のある人たちばかりではなく、市井の人々の暮らしも。そこには、滑稽な人、気の毒な人、意地悪な人・・・いろいろな人がいます。それらは、まさにリトグラフで描かれた「人間喜劇」。同時代の偉大なる作家、バルザックが小説で描き出した世界を風刺画で描いたのがドーミエだったようです。

後世に残した作品が、4,000点のリトグラフ、1,000点の木版画、300点を超える油絵、数十点の彫刻。昔、オルセー美術館で、人物の顔を描いた一連の作品を見たときには、実に痛快で、爽やかなショックを覚えたものですが、今回の展示220点は、風俗や政治が対象の作品が中心。これはこれで面白いのですが、人間観察の結晶ともいえるような、その人物の性格を見事なまでに描き出した風刺画をもう一度たくさん見たいと思います。ドーミエの手にかかったら、皆さんはどのような人物に描かれるでしょうか。楽しみですか、怖いですか・・・



“Daumier. L'ecriture du lithographe”
Bibliotheque nationale de France, Site Richelieu
6月8日まで(7ユーロ)

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伝統を守るために、新しくなる。

2008-02-13 04:55:31 | 美術・音楽
ルーヴル美術館が、またさらに大きくなる―――。ニューヨークのメトロポリタン美術館などとともに、世界でも最大規模の美術館と言われているルーヴルが、展示スペースの拡大やいろいろな改修を計画しているそうです。


5日のフィガロ紙です。去年一年間で、フランスの国立美術館を全て合計すると2,380万人の入場があったそうです。5年前には1.500万人。ここ5年で50%以上も増えたことになります。そうした増加する入場者数の中でも、突出して多くの観客を集めているのがルーヴル美術館。去年は830万人の入場があったそうで、国立美術館全体の三分の一以上を占めています。収蔵品のリストはもちろんですが、入場者数を見ても、フランスで、そして世界で有数の美術館になっています。

ナポレオンの外交官だったヴィヴィアン・ドゥノンによって創設されたのが1793年、そして一般公開が1801年からという長い歴史を誇っていますが、常により新しく、より良きものへと、変革を遂げています。アンリ・ロワレット館長曰くは、決して完成されることはないとルーヴル美術館の遺伝子には書き込まれているのだそうです。近いところでは、1989年、I・M・ペイ設計によるガラスのピラミッド、また2006年からはアメリカ・アトランタのハイ・ミュージアムに作品を貸し出し、その対価として約9億円近い寄付を引き出しています。2010年には、フランス北部・ランスに別館を開設予定。その設計は、日本人設計事務所SANAAが担当しています。そして、賛否両論かまびすしかったアラブ首長国連邦のアブダビにできる美術館へのルーヴル美術館の名の使用許可(30年間、作品は15年間貸し出す)。しかし、この「砂漠のルーヴル」とも別名言われる美術館への協力のお陰で、ルーヴル美術館は4億ユーロ(約640億円)を手にすることができ、それを元手にさまざまな改修、増築などを行うそうです。


独立行政法人になり、入場収入を独自に管理できるようになったとはいえ、その代わりに国の補助金は削減された。そこで、独自に資金を集め、自己革新していく・・・まさに自己変革の気概が遺伝子として引き継がれているようです。そして、こうした革新あればこそ、常に世界のトップ美術館でいられるのかもしれないですね。伝統を守るだけでは、いつか飽きられてしまう。古きを守りながらも、常に新しく・・・なかなか、できそうで、できないことですね。


10を超えるプロジェクトを中面で詳しく紹介しています。例えば・・・詰めかける多くの入場者に対応できるようガラスのピラミッドの一部を改修、チュイルリー公園の改修、フロール翼やシュリー翼に新たな展示スペースを開設、ヴィスコンティ宮にイスラム美術コーナーを開設・・・これらを実施するのに2億5,000万ユーロ(約400億円)の予算をかけるそうです。上にご紹介した外国美術館からの寄付以外にも、メセナを中心に国内外からの寄付を募るとともに、基金設立の準備もしているようです。

今年前半には、版画家としてのヴァン・ダイク、バッチョ・バンディネッリ(Baccio Bandinelli)のデッサンと彫刻、バブリエル・ドゥ・サン=トバン(Gabriel de Saint-Aubin)、ジャン・ファーブル(Jean Fabre)などの企画展が予定されています。こうした企画展を増やし、また現代美術も展示することにより、若い観客の入場も増やすことができたと館長が述べていますが、企画の中身にも改革が行なわれてきたのですね。


伝統に胡坐をかかず、新しさを加えていく。満足することなく、常により良きものを希求していく。それでいて、伝統からは逸脱しない。綱渡りのようですが、それをうまく乗り切っているからこそ、常に多くの美術愛好家、観光客を惹きつける「ルーヴル美術館」であり続けることができるのでしょうね。拍手!

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街中が、美術館。

2008-01-31 05:09:28 | 美術・音楽
週刊の情報誌を見ても、美術展がものすごく多いパリ。そうした情報誌に載る有名な美術館での展覧会はもちろんですが、それ以外にもいたるところでアートに触れることができます。そんな、街の中で見つけた美の世界を、ちょっとだけご紹介しましょう。


①靴とクリスマスカード
まずは、私の好きなモンマルトルの街角から。


“Raymond Massaro~Maitre d’art”(レイモン・マッサロ~アートの巨匠)という看板がかかっていますが、このマッサロ氏、ご存知でしょうか。実は、靴職人。シャネルをはじめ多くのオートクチュールのコレクション用の靴をデザイン・製作しています。JALの機内でカール・ラガーフェルドの日々を追った番組をご覧になった方なら、あ~、あの靴職人、と思い出されるかもしれませんね。試作段階の靴を持っては、自分の店とラガーフェルドのオフィスを行ったり来たりしていた、人のよさそうな職人さんです、たぶん(いつもながら、いい加減で恐縮です)。

周囲の鉄作に掛けられているようなオートクチュールのコレクションに使われたマッサロ氏の作品をケースに入れて展示しているのですが、私にとってはそれ以上に面白かったのが、ラガーフェルドのデッサンやマッサロ氏へ送られたクリスマスカードの数々(マッサロ氏には申し訳ないですが)!


狭い室内ですが、正面にはラガーフェルドの写真とその両脇にはコレクション用のデッサン。写真右端は、クリスマスカード。ラガーフェルドの直筆のようです。


これはマッサロ氏のMをうまく生かしたデザインになっていますね。カール・ラガーフェルドとサインされています。

おじいさんも父親も靴職人という、職人一家に育ったマッサロ氏。しかし、自分には後継者がいない。その寂しさを救ってくれたのが、ラガーフェルドを中心としたシャネルの面々だったそうで、そこに家族のような愛情を抱いて仕事をしているとか。2008年春夏のオートクチュール・コレクションもちょっと前に終わったばかりですが、きっと今回も、マッサロ氏、自分の店とラガーフェルドのオフィスを行ったり来たりしたことでしょうね。コレクションには、多くの人が関わっていますが、そこにはまるで家族のような雰囲気もあるようです。

なお、マッサロ氏は、歌手のステージ用の靴も製作しているそうで、顧客にはシルヴィー・ヴァルタン、ジョニー・アリディ、ミシェル・サルドゥなど錚々たる顔ぶれ。また、ナポレオンの履いていた靴も再現。これは神戸ファッション美術館に展示されているとか。まさに靴職人というより、靴を通しての美の制作者といった活躍ぶりです。


②デパ地下
日本ではグルメコーナーがあったり物産展などが行なわれていますが、左岸のおしゃれなデパート、ボンマルシェの地下にはアート・スペースがあります。以前、カンヌ映画祭の歴史を振り返る展覧会をご紹介しましたが、そのスペースで今行われているのは、写真家、ハリー・グリエール展(Exposition photographique de Harry Gruyaert)。


おきなポスターが店舗建物はもちろんですが、メトロの駅などにも多く掲げられています。


ハリー・グリエール。1941年ベルギー生まれ。14歳のときに父親からカメラをもらい、現像作業の手ほどきも受けたそうです。プロのカメラマンになり、1972年からはパリ在住。1986年には多くの優秀なカメラマンが加入している写真家集団「マグナム」の正会員に。アフリカ、フランスを中心に、世界中で風景を、人物を相手にレンズを向けています。


(スライドでも見せてくれています)

粒子を荒くした幻想的な作品も多いですが、その特徴は、なんと言ってもそのグラフィック的な色彩と素晴らしい造形美。何らトリミングせずに、そのままグラフィック作品として通用するような、ここしかないというアングルで対象が切り取られています。ただひたすら、美しい(このブログの写真では、なかなかその美しさが伝わらないのが残念です)。しかも、その鋭利なナイフのような感性を、幻想的な粗い粒子がふんわりと包んで、いい味になっています。


しかも、展示の仕方が、これまたうまい。パーテーションで迷路のようにしながら、フロアーには半透明の岩のような照明。デパ地下と侮ることはできません。


③神話の世界
日本にも神話は多くありますが、神話といえばなんといってもギリシャ。ギリシャの芸術家は、やはりその神話の世界との対話を続けているようです。


パレ・ロワイヤルの裏手、les allees du Palais-Royalで会期を2月12日まで延長して開催されているのが、ギリシャの彫刻家、Vana Xenouの作品展、“Arrivee-Passage”。

日本語表記はヴァナ・ゼヌでいいのでしょうか、1949年アテネ生まれで、アテネとパリの美術学校に学ぶ。アテネの大学で彫刻を教えながら、創作に励んでいる。ギリシャを代表する芸術家の一人。


公園のような散歩道に13の作品が並べられ、もうひとつの作品は噴水の水の中に。合計14の作品ですが、いずれも、ギリシャ神話から出発した彫刻家の思想が反映されているそうです。明日へ、未来へとみんなが何かに急き立てられるように走っている現代。人は「聖なるもの」を忘れてしまっている。時には、歩みを停めて、過去を振り返ることが大切だ。過去には多くの叡智が積み重なっている。その知恵と会話を重ねることによって、過去と未来に橋をかけることができる。過去を学び、過去に思いを馳せ、そして現代という足元を見つめる。そこから確かな明日が見えてくる・・・プラトンやヘシオドスらの箴言を交えながらの話がいかにもギリシャらしいそうですが、単にギリシャらしいだけでなく、普遍的な意味を持っている。だからこそ、見る人の国籍などに関わらず、何かを考えさせる力を持っているのかもしれません。


この散歩道を散策する人、ジョギングする人たちに大きなインパクトを与えるからでしょう、ネット上などで紹介されることが増えているそうです。その話題ぶりから、フィガロ紙も24日に半ページを割いて紹介したほどです。過去から未来へ、ギリシャから世界へ・・・急ぎ過ぎたかもしれない人類に、オリンピックのように、古代ギリシャが再び大きな意味を持つようになってきているのかもしれないですね。


・・・思わぬところで、素晴らしい芸術作品に出会える。これも、パリの街歩き、その楽しみのひとつです。

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ピカソに会いに行こう!

2008-01-05 05:16:42 | 美術・音楽
先日(12月25日)、「また逢う日まで」というタイトルで、パリのピカソ美術館が、1月7日まで開催中の特別展を最後に工事のため閉館するとお伝えしましたが、閉館は何と、今年末だそうです。訂正方々、お詫びします・・・テレビのコメントのようで恐縮です。



こうした工事概要を示すプレートが美術館入り口に掲示されています。また、こちらのメディアがピカソ美術館でのエクスポジションは工事のため1月7日で終わると伝えていました。そこで、1月7日のあと閉館へ、とお伝えしたのですが、閉館は年末で、それまでは常設展を行なうそうです。

昨日、パリにお住まいのむろじさんから以下のようなコメントを頂きました。

突然の書き込み失礼いたします。
この「休館」というのは本当でしょうか。私、パリに住んでいるのですが、美術館に問い合わせたところ、そのようなことはないと言っていました。
気になりますので、あらためてお伺いする次第です。
よろしくお願い致します。

そこで、ネットで情報を集めると共に、4日、ピカソ美術館に直接聞きに行ってみたのですが・・・

まずは、美術館入り口でチケットのチェックをしている担当者曰く・・・1月7日のあと、作品入れ替えで10日間閉館。その後開館するが、展示される作品の数はごく一部になる。工事による閉館は、今年末からで2年間になる予定。

またチケット売り場は長い行列だったのですが、そこで、やはり休館という情報を持っていた客が発券担当者に問い合わせていました。答えは、休館ではなく常設展の開催になるというものでした。

上記の二人、およびむろじさんが聞かれた担当者の答えが同じというわけではないのですが、窓口や担当者によって言うことが異なるのは、フランスでは日常茶飯事。情報の共有一元化は難しいようです。

さて、ネット上で見つけた情報は、“La Tribune de l'Art”、英語版は“The Art Tribune”。このサイトの情報欄、昨年の6月20日に、ピカソ美術館の工事による閉館とその対応が紹介されています。

http://www.latribunedelart.com/Nouvelles_breves/Breves_2007/6_07/Tounee_Picasso_712.htm

(フランス語)
20/6/07 – Mondialisation – Paris, Musée Picasso – Qu'un musée en rénovation organise des expositions de ses chefs-d'œuvre peut, à la limite, se comprendre. Mais que celui-ci entame sa « tournée mondiale » près de neuf mois avant sa fermeture provisoire est une nouveauté, qui ne surprend pas, par les temps qui courent. Les visiteurs du musée Picasso, de janvier 2008 à octobre 2008 (avant que les travaux ne débutent effectivement), seront ainsi privés de « 350 chefs-d'œuvre » (sachant que le musée possède 500 peintures et sculptures de l'artiste...) au profit de l'Espagne, du Japon et probablement de la Chine pendant les Jeux Olympiques. De fin 2008 à fin 2010, date de sa réouverture, l'exposition se déplacera aux Etats-Unis, au Brésil et en Russie, sans oublier, bien sûr, Abou Dhabi. Rien d'étonnant, lorsque l'on sait qu'Anne Baldassari, la directrice du musée, est l'un des rares conservateurs qui soit favorable à l'antenne du Louvre dans les Emirats. Cette tournée Picasso sera probablement très lucrative. Quand on a un tel fonds, cela serait dommage de ne pas le faire fructifier...

(英語)
The Musée Picasso without 350 masterpieces nine months before closing for repairs
June 20, 2007 — Globalization — Paris, Musée Picasso — It is understandable that a museum organize exhibits of its masterpieces while undergoing renovation work. But to launch their “world tour” nine months before a temporary closing is certainly a novelty, although not a surprise, given the times. Visitors to the Musée Picasso, from January until October 2008 (thus before starting renovation) will be deprived of “350 masterpieces” (the museum owns 500 paintings and sculptures by the artist) that will travel to Spain, Japan and probably China during the Olympic Games. From end of 2008 until end of 2010, scheduled date for the reopening, the exhibit will move on to the United States, Brazil, Russia and, of course, Abou Dhabi. Not surprising, when keeping in mind that Anne Baldassari, the director of the museum, is one of the few curators in favor of the project for the Louvre annex in the Emirates. This Picasso tour will most likely be quite profitable. When one owns such reserves, it would be a shame not to capitalize on it….

概略は・・・
国際化―――工事期間中に傑作を展示するということは理解できるが、何とピカソ美術館は、本格的な工事による一時閉館の9ヶ月前、2008年1月から10月にかけて、所蔵500点のうち350点という多くのピカソ作品を海外ツアーに送り出してしまう。驚きではないが、新しい試みだ。行き先は、スペイン、日本、そしてたぶん、オリンピック開催期間中の中国。2008年末から2010年末までの一時閉館中には、さらにアメリカ、ブラジル、ロシア、そしてアラブ首長国連邦のアブダビへ。アブダビにはルーブル美術館の別館ができる(2012年)ので、決して不思議な行き先ではない。価値のある作品を所蔵しているのであれば、こうした機会にそれを活用するのは決して悪いことではないだろう。

どうも、この内容が、美術館の女性職員が言っていたことを肉付けしているようです。いつも励みのコメントを頂いているclintさんのように、今年初めにスペインに行かれる方は、バルセロナかマラガのピカソ美術館で普段はパリにあるピカソ作品に出会えるかもしれないですし、たぶん春には日本のどこかでピカソ展が開かれるのでしょうし、北京オリンピックを見に行くという方は、夏に北京でご覧になれるかもしれません。

そのあとも、海外ツアーが続くようですから、どこかでばったり会えることになるかもしれないですね。ただし、パリでは、今月中旬から一時閉館になる年末(たぶん10月頃)までは150点の常設展、しかも建物はすでに工事用のネットに覆われていますし、作業の音も響いているかもしれません。せっかくパリに来たのだから、ぜひピカソ美術館へという方は、こうした状況をご理解の上お出かけになったほうがよろしいかと・・・老婆心ながら。そして、年末から2年ほどは、閉館になるようです。

というわけで、早とちりの「また逢う日まで」でしたが、どうやら再会までのスケジュールがある程度はっきりしたようです。むろじさんのコメントがきっかけでした。ありがとうございました。皆さんも、もし何かお気づきの点がありましたら、どうかご指摘の程、よろしくお願いします(と言いつつ、全てに対応できるかは、分かりませんが。勝手で恐縮です)。

今日は、不十分な情報のお詫び方々、ピカソ作品との出会いの場のご紹介まで・・・ペコッ(お辞儀)。また、明日、お会いしましょう。

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また逢う日まで。

2007-12-25 05:11:45 | 美術・音楽
このブログを始めたのは2年前の12月23日。いつの間にか丸2年を過ぎていました。本当に、大変お世話になりました、またいつか逢える日まで・・・なんていうのは悪い冗談で、このブログは、まだしつこく続くのですが、今日のタイトルで尾崎紀世彦を思い出された方は、同年代ですね。1971年の大ヒット曲で、レコード100万枚以上の売り上げがあったという、文字どおりのミリオンセラー・・・ですが、もちろん今日の話題ではありません。今日ご紹介するのは、ピカソ美術館。



ピカソの死(1973年)の後、遺産相続税として遺族が提供したピカソの作品を中心に多くの美術作品を展示しているのはご存知のとおりです。17世紀に建てられた“Hotel Sale”(塩の館)を改装して1985年に国立ピカソ美術館としてオープンしています。個人美術館としては、稀なほどの収蔵点数で、いかにピカソが多作だったかを示しています。最も多作だった画家として、ギネスブックにも載っているほどだそうです。因みに、油絵と素描13,500点、版画100,000点、挿絵34,000点、彫刻と陶器の作品300点を残したという資料もあります。



場所は、マレ地区。行かれた方も多いのではないでしょうか。何を今更・・・そうお思いの方もいらっしゃるかも知れませんが、ここで、ようやく、今日のタイトルになるわけです。ピカソ美術館が、また逢う日まで・・・つまり、1月7日まで開催している“PICASSO CUBISTE”(『ピカソ~キュビスト』展)と“1937 GUERNICA 2007”(『1937ゲルニカ2007』展)を最後に、改修のために休館になります。開館して22年。古い建物を非常にうまく改装した美術館だけに、傷みにはあまり気付きませんでしたが、あちこち傷んでいるのかもしれませんね。


(もう作業は始まっています)

しっかり改修するためか、あるいは、あちこちで見られるフランス流のゆっくりした作業のためか、改修期間は32ヶ月。2年8ヶ月ですから、オープンは順調に行って2010年の9月になります。改修予算200万ユーロ(約3億3,000万円)。十分な予算なのかどうか・・・どのような貌でまた会うことができるでしょうか。あるいは、今までの雰囲気を残したままで、土台などの基本構造を補強修理するだけにとどめるのでしょうか・・・いずれにせよ、また逢う日が楽しみですね。



休館前の最後の企画展は、いつも以上に力を入れて、キュビスト・ピカソ誕生のプロセスを見せてくれています。明るい色調のバラ色の時代、アフリカ彫刻の影響を受けた時代、キュビズムを突き詰めた時代、そしてコラージュを発明した時代。それぞれの代表作をしっかり見ることができます。油絵、立体、素描・・・完成された作品はもちろんですが、作品を構想中の習作も数多く展示されています。



例えば、『アヴィニョンの娘たち』を描くために人間のカラダのさまざまな部位のデッサンを繰り返し行なっています。しかも、それらは大きなキャンバスに描かれたもの、手帖に描かれたものなど、常に描き続けていた様子がうかがえます。新聞紙上になされたデッサンさえもあります。天才は一夜にしてならず・・・努力というべきか、好きこそものの上手なれというべきか、美術と女性にだけ集中した人生を垣間見てしまうと、平和主義を言いながら、実際には反戦活動に加わっていなかったなどという、よくあるピカソへの非難などはどうでもいいことのように思えてしまいます。



もうひとつの企画は、『ゲルニカ』に因んだもの。フランコに頼まれドイツ軍がゲルニカの町を空爆してから70年。その空爆への憤りからピカソが描いた3.5x7.8mの大きな作品。その誕生までを、愛人関係にあった(1936年~45年)カメラマンで画家のドラ・マールの写真で紹介しています。さらに、ゲルニカ空爆から70年も経った今日でも、世界の各地で第2、第3どころか、数え切れないほどの「もうひとつのゲルニカ」が繰り返されていることをジル・ペレス(世界で最も有名な写真家集団・マグナムの会長をつとめたこともある、ニューヨーク在住の仏人フォトジャーナリスト)がボスニアで、ルワンダで撮った写真が雄弁にも残酷に物語っています。真の芸術は時間を超越する・・・『ゲルニカ』はこのことを実証していますが、しかし「ゲルニカの悲劇」は一日も早くこの世からなくなってほしいものです。



尾崎紀世彦は「ふたりでドアを閉めて」「名前消して」と歌っていました。しかし、パリのピカソ美術館は1月8日からドアは閉めてしまいますが、名前が消えてしまうことはありません。2010年秋には、新たな装いで私たちの目の前に蘇ってきます。その日を、期待をこめて待っていたいと思います。

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速さ自慢・・・列車の話です。

2007-12-23 06:02:13 | 美術・音楽
“bullet train”(弾丸列車)というよりも“Shinkansen”として有名な、日本の列車技術。しかし、それがどうした、と新幹線など歯牙にもかけない国があります。そう、フランス。何しろ、こちらのほうがスピードでは世界一! 確かに、おっしゃるとおり! 今年も、世界一の高速を更新したばかり。さすが、TGV! と、ちょっぴり残念な気がするついでに、どうして列車のように早く仕事ができないの? 仕事も歩くのも、遅い、遅い! と、フランスへの嫌味のひとつも言ってやりたくなってしまうのですが、そのフランス国鉄(SNCF)が来年設立70周年だそうです。1938年に全国組織として設立されたそうで、それ以前は6大私鉄を中心に営業運転していたとか。その70周年を記念して12月21日から1月6日まで、グラン・パレで“L'Art entre en Gare”(「アートが駅に入る」)という展示を行なっています。


会場入り口には、シルバーに輝くTVGの模型が展示されています。見事に光り輝いていますね。世界一ならいっそゴールドにすればよかったのに、とこれはひがみ。

この企画を実施するに当たって、最も困難だったのは、電車の実物をどうやって会場に搬入するか、だったそうです。でも、無事展示できていました。


これは、未来の電車。未来といっても、2009年からイル・ド・フランス地方を走ることになっているそうです。外観も内装も、すでにパリとその郊外を走っているトラム(路面電車)そっくりです。実物の汽車というより、プラモデルっぽい雰囲気がしていませんか。


その汽車、蒸気機関車です。1942年と言いますからナチスによるパリ占領下でも走っていた蒸気機関車ですね。


これは、1955年3月29日に当時のスピード世界一を記録した電気機関車。4軸の直流電気機関車だそうで(と、調べて書いてはみたものの、他の列車とどう違うのやら・・・)、時速331km! 私の生まれた年に、すでに300km/hを超す列車があったのですね。さすが、というべき伝統ですね。はじめの嫌味は撤回しないといけないかもしれないですね。


そして、ご存知TGV。1981年の開業で、当時260km/hという世界一の速さを実現(上の電気機関車とはシステムが違うのでしょうか、これまた世界一の速度だそそうです・・・)。因みに新幹線の開業当時(1964年)の速度は210km/hだったそうです。


今年4月3日に出した時速574.8kmをスクリーン上で体感できるようになっています。停まった状態から一気に加速していくのですが、さすがに200km/hを超すと速さを実感できます。それが350km/hともなると、物が後ろに飛んでいくという感じ。そして500km/hを超すと、怖くて運転席には間違っても座れないほどの速さです。


こうした高速運転になる頃、車内はどうなるのか・・・いろいろなアイディアを模型で見せてくれています。でも、横向きで、背もたれなし。車内を自由の動き回る人には良いでしょうが、じっとは座っていられないですね。じっと座っている間もないほど、早く着いてしまうと言うことなのでしょうか・・・でも、何しろ進行方向を向いて座ることに執着するフランス人のこと、横向きには座らないでしょうね。

こうした実物だけでは、マニアックな展示になってしまいますが、そこは文化の国・フランス、いろいろ工夫をしてくれています。


鉄道、そして特にその駅と言えば、そこはもう出会いと別れの場。さまざまなドラマが生まれます。映画にとっては、まさに、恰好の状況設定。多くの映画の舞台になりました。上の写真は、いうまでもなく『シェルブールの雨傘』(1964年)。カトリーヌ・ドヌーヴとニーノ・カステルヌオーヴォ。なお、ドヌーヴの吹き替えは、ダニエル・リカーリでしたね。懐かしい映画ですが、これ以外にもフランスの列車や駅を舞台にした映画の名場面を6分にまとめた映像をここで楽しむことができます。『終着駅』をはじめ、イタリアの駅を舞台にした懐かしい映画もたくさんあるのですが、ここはフランス国鉄の展示。フランス国内が舞台になった映画だけです。


列車や駅はスチールのカメラマンにとっても、その創造性を刺激される場所のようです。多くのカメラマンがその姿をフィルムに残しています。上の写真は、アンリ・カルティエ・ブレッソン。

こちらは、ドワノー。

そして、ロニス。三人とも、パリの街を撮った名カメラマンとして、いつも登場してくるお馴染みのカメラマンたちですね。プロジェクターで映し出されるのですが、好きなカメラマンの作品を選んで見ることができるようになっています。


そして、今やマンガの時代。マンガにも列車や駅が登場してきます。その中に、日本が・・・

ご存知ですね、『銀河鉄道999』。松本零士作で、アニメにもなっていますので、テレビや映画館でご覧になった方も多いのではないでしょうか。星野哲郎と謎の美女メーテル。それに車掌がいい味出していましたね。なお、フランス語訳がでているようで、吹き出しの台詞はフランス語になっています。


また、各地への列車の旅をPRするポスターも展示されています。絵画の国でもあるからでしょう、風光明媚な写真ではなくイラスト中心のポスターになっています。


親と一緒に来た子供たちも飽きないよう、ミニ列車も運行されています。その奥には、ミニチュアの列車。これは子供というより、お父さんが夢中になってしまいそうですね。


そして、フランスと言えば、忘れてはいけないのがモード。乗務員などの制服、バレンシアガやラクロワといった有名デザイナーの手によるものだそうです。

今年のTGVのスピード新記録樹立は、中国やブラジルへの売り込みのためのデモンストレーションだとか、国内航空網に対抗するための意気込みを示したものだとか、いろいろ言われているようですが、スピードの前に、まず安全。その上で早ければ利用者としてはありがたいですね。でも、各駅停車の旅も捨てがたいと言う方もいらっしゃるでしょうが・・・ともあれ、マニアックにも、たんなる歴史の回顧にもならず、さすが文化を大切にするフランスらしい展示になっていました。やりますね、フランス国鉄さん。拍手。でも、ストはやらないでくださいね!

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人間は、どこへ向かって行くのか・・・

2007-12-20 05:02:57 | 美術・音楽
パリのトロカデロにあるシャイヨー宮。その中に、人類の歴史を紹介する「人類博物館」(le Musee de l'Homme)があります。近くに住みながら、初めて行ったのですが、いろいろ面白い展示を見ることができました。

宇宙の起源は、地球の誕生は、そして、人類のはじまりは・・・まだまだ解明されないことが多くありますが、人類の叡智で少しずつその謎も解き明かされつつあるようです。とは言うものの、言うまでもなく、私などは全くの門外漢。でも、解明されないゆえのロマンと解明されていくことへの期待と・・・


ハロー! ルーシー。『ルーシー・ショー』(古すぎる! でも、ご存知ですか?)のルーシーではなく、400万年から320万年前にアフリカに存在したアファール猿人のルーシー(複製)です。一時、人類共通の先祖かとも期待されたようですが、あくまで猿人。現在、人類共通の祖先は、DNAによって解明された「ミトコンドリア・イヴ」とも言われる20万年前のアフリカにいた一人の女性ではないかと言われていますよね。因みに、ルーシーの名は、その骨がエチオピアで発見された1974年当時ヒットしていた、ビートルズの“ルーシ-・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ザ・ダイアモンド”に因んでいるそうです。


直立二足歩行と火の使用、複雑な言語体系を持つことなどが人間と他の生き物との差だそうですが、どのような進化や変化があって、今日の私たちがいるのでしょうか。


頭蓋骨だけでも、ずいぶんと変化してきています。奥から手前に、いわゆる進化をしてきています。頭蓋骨の形も、そして使っていた道具も変わってきていますね。


これは、ネアンデルタール人の頭部の復元模型。もっとサルに近い復元予想図を昔見た記憶があるのですが、さすが地元、今の人間に近いカタチに復元されていますね。でも、20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したネアンデルタール人は、今の人類であるホモ・サピエンスに近い近縁種ではあるものの、直接の先祖ではないそうです。


かなりのピンボケですが、こちらは今の白人の直接の祖先の一部であるクロマニョン人。4万年前から1万年ほど前に、今のフランスやスペインを中心に住み、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画を残しています。なお、彼らはすでに犬を家畜化していたそうです。犬好きな方は、クロマニョン人に感謝ですね。でも、こんな昔から犬を家畜化してきながら、フランスでは今でもそのフンの後始末もできないとは! クロマニョン人に顔向けできるのか・・・伝統を守っているだけさ、と言われてしまいそうです。

こうして(といっても、何ら説明になっていないですが)、進化してきた人類。今でも、その人口は増え続けています。

(横軸は西暦0年から200年単位、縦軸は10億人単位))

このグラフが示すように、ものすごい急カーブで人口が増えています。産む子供の数は減少しているものの、栄養や医療の進歩などにより乳幼児の死亡が減り、寿命も延びている。地球は、増え続ける人類を支えきれるのでしょうか。しかも、その母なる地球の環境を破壊しつつある人類・・・

母なる地球、そして母なる女性・・・「人類博物館」では今、21世紀の世界に生きる女性たちを紹介するティトアン・ラマズ(Titouan Lamazou)の“Femme du Monde”(「世界の女性」展)が特別展として行われています。



外洋航海のチャンピオンで、1990年には単独無寄港世界一周を成し遂げているラマズが、2002年から世界各地の女性たちの暮らし、叫びをレンズと絵筆で捉えてきた作品を展示しています。写真、映像、素描・・・そこには、貧困、環境、暴力、戦争・・・多くの問題が凝縮されています。女性を通して見つめる、人類の今。展示の一部は、ネット上でもご覧いただけます(ただし、投票の後でお願いしますね)。
www.titouanlamazou


博物館の窓の外には、エッフェル塔。最高気温0度という寒さの中、多くの観光客が訪れています。人類・・・数十万年、数万年というはるかな時を越えて「進化」してきました。これからは、母なる宇宙船「地球号」とともに、どこへ向かおうとしているのでしょうか。いつまで存在し続けることができるのでしょうか。マンモスを例に持ち出すまでもなく、多くの生き物、あるいは猿人、原人が死滅して来ました。たまたま、今、ホモ・サピエンスは、この地上に繁栄していますが、いつまで生きながらえることができるのでしょうか・・・それは、きっと私たちの叡智にかかっているのではないでしょうか・・・

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マレ地区の小さな美術展。

2007-12-16 05:10:19 | 美術・音楽
おしゃれで文化的な雰囲気の漂うマレ地区。ここでは多くの場所で美術展が行なわれています。それも、小粋といったほうが相応しいような美術展。日曜日の今日は、そうした中から、こじんまりとした、それでいて中身は充実した美術展を、ご紹介しましょう。



場所は、4区にあるBibliotheque Forney(フォルネイ図書館)。ここで1月5日まで行なわれている、“Francisque Poulbot, affichiste”(「フランシスク・プルボ~ポスター画家」展)。



プルボ・・・大文字でPOULBOTと書けばこのポスター画家の苗字なのですが、小文字でpoulbotと書くとフランス語の単語(普通名詞)になります。その意味はというと・・・モンマルトルの少年、あるいは才気煥発で勇敢なパリの少年。そして、このポスター画家こそが、この一般名詞の語源なのだそうです。確かに、フランス語には、作品や登場人物に由来する単語がよくありますが、プルボは知りませんでした(この単語、私の持っている仏和辞書には出ていないのですが、仏仏辞書で確認できました)。なお、同じような意味には、gavrocheという単語があり、こちらはユゴーの『レ・ミゼラブル』の登場人物(浮浪児)の名が語源になっているそうです。その系譜に繋がるのがプルボということのようです。

フランシスク・プルボ(1879-1946)、今では忘れられつつある画家なのですが、20世紀前半には大人気の画家でした。特にポスターにその才能を発揮し、社会的メッセージのあるポスター、エンターテインメントの案内ポスター、企業のポスターなど多くの作品を手がけました。そして、それらの多くに登場するのが、パリの子供たち。



痩せてはいるけれど元気そうで、いかにも才気煥発といった感じですが、どことなく寂しげな、壊れそうな表情をしている・・・20世紀前半といえば、第一次世界大戦(1914-18)。その戦火の後には多くの孤児が残され、浮浪児として通りで過ごしていました。今で言う、ストリート・チルドレン。



そうした子供たちの姿に心を痛めたプルボは、彼らを勇気付けようと、優しさと共感をこめて、しかし同時に、少々の皮肉もこめて(このへんがいかにもフランスらしいですね)彼らを描き続けましたが、それだけでは満足せず、1921年には「モンマルトル共和国」(la Republique de Montmartre)を他の画家たちと一緒に創設し、文化人や財界人などの関心を高めるとともに、無料診療所も開設。子供たちを支援したそうです。

「モンマルトル共和国」はモンマルトルの丘のぶどう収穫祭にも登場する、パリ市公認の文化交流団体ですが、その設立者の一人がこのポスター画家とは知りませんでした(今日は、知らないことが次々に出てきて、めっきが剥がれそうです・・・いや、もうとっくに剥がれている!)。設立時には、ユトリロやピカソ、フジタも協力したようで、シラク前大統領もパリ市長時代は名誉会長だったとか。会員になると、お揃いの黒いマントと帽子、そして赤いマフラー姿で、さまざまなイベントに登場するようです。

この美術展、開催期間はあと少しなのですが、見逃した方は、ぜひ、モンマルトル美術館へ。ここの確か2階だったと思いますが、プルボの作品が展示されています。



130点の作品が、いや、それ以上の子供たちが、無邪気で、すばしっこくて、それでいて物悲しげな瞳で迎えてくれるフランシスク・プルボの世界。イヴ・モンタンの歌った“un Gamin de Paris”(『パリのいたずらっ子』)をふと思い起こしてしまいました。でも、今では、パリのいたずらっ子もほとんど見かけなくなりました。悲惨な境遇の子供たちがほとんどいなくなったのですから、喜ぶべきことなのでしょうが、通りから子どもたちの元気な声も聞こえなくなってしまったのには、一抹の寂しさも感じてしまいます・・・外国人の勝手な憧れとノスタルジーですね。

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