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セルフ・サービスって、なに?

2007-09-30 00:26:24 | パリ
セルフ・サービス・・・もう馴染みというより、当たり前になっていますが、国によっては、状況がちょっと違うようです。どう違うか・・・



食事や飲み物を自分でテーブルまで運ぶのは、さすがにどこでも一緒。これが違ったら、セルフとはいえないですものね。では、どこが違うのか・・・写真でお分かりのように、食べたら、食べたまま。トレーやゴミを片付けない。平然とそのままテーブルの上に置いて行ってしまう。これって、セルフ・サービス?

こうした状況、フランスだけでなく、他の国々でも見られます。そして、きちんと理由のある国もある。例えば、以前駐在していた90年代のタイや中国。後片付けを仕事とする人を雇っている。人件費が安いからでしょうが、客が自分で片付けていってしまうと、この人たちの職を奪うことになってしまう。だから、置きっぱなしのほうが、優しい振る舞いになる。

では、フランスでは? 後片付け専門らしき人がいる店と、特に片付け専門をおいていなくて、レジをやっている人が交替で片付けに来る店と。



セルフが根づいていない? 客側が面倒なことはやりたくないだけ? でも、パリはなんと言っても、一大観光地。食べっぱなしがフランス人とは限らないんですね。特に、場所がアメリカ系のファーストフード店の場合、客は外国からの観光客が多くなる。自分の国のやり方でついついやってしまうのでしょうね。ということは、セルフ・サービスの店でも食べっぱなしでOKの国が多い・・・?



アメリカ系の店だけでなく、フランス系のチェーン店でも、この通り、同じ状態。ということは、フランス人も食べっぱなしの人が多いということなのでしょうね。実際、トレーをテーブルに置きっぱなしのフランス人が多くいます。しかも、店側が注意を喚起しない。ということは、セルフ・サービスとは、こういうもんだ、という一般認識なのでしょうか・・・

フランスでも、そしてパリに来る多くの外国人観光客の国でも、食事や飲み物など商品を受け取るまでがセルフ・サービスで、食べてしまえば、後はゴミもトレーも置きっぱなし、となっているところが多いのかもしれません。後片付けまでセルフで客がやるのは人件費の高い国だけでしょうか。それとも自分のことは自分でという価値観のある国だけ?

いずれにせよ、日本のセルフ・サービス、その徹底したスタイルは、世界ではどうも少数派に属しているのかもしれません。パリのスタイルに慣れてしまうと、日本でも置きっぱなしのまま店を後にしてしまいそう・・・リハビリが必要になってしまいますね。フランス人でも、後片付けを自分でする人もいますし、何しろ個性の国、人は人ですから、日本でリハビリの必要がないように、少数派であっても、日本スタイルでやることにしています。

世界は、広い。セルフ・サービスひとつとっても、いろいろな状況があるようです。

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マルセル・マルソー、永遠へ旅立つ。

2007-09-29 00:19:41 | 映画・演劇・文学
9月22日に、パントマイムの神様とも呼ばれるマルセル・マルソーが84歳の生涯を閉じたことは、日本でも報道されていたと思います。では、フランスでの報道ぶりは・・・

今年も今までに何人か、有名な俳優が亡くなっているのですが、そうした人たちに比べると、ちょっと控えめな報道ぶりだったという印象を持っています。もちろん、割かれるスペースや時間が若干少ないというだけで、報道はきちんとされていましたが・・・


(24日付のフィガロ紙です)

Marcel Marceau(マルセル・マルソー:1923年5月22日-2007年9月22日)。生まれたのはストラスブール。肉屋で、歌好きな父と、読書好きな母の間で育ちますが、父はユダヤ人。アウシュビッツから帰ってくることはありませんでした。マルセルも、ナチの手から逃れるため、名前を本来のMangelからMarceauに変えて、別の地方に移り住んだりしました。但し、逃げてばかりいたのではなく、レジスタンスとして、活動。偽名とレジスタンス・・・素性が分からないように、なるべく喋らないように・・・こうした経験とアウシュビッツから帰れなかった人たちや戻れても自らの体験を語るべき言葉が見つからない人たちの苦悩を思いやること、こうしたことが言葉のないパントマイムへといっそう強く誘ったのではないかとも言われています。

最初は造形芸術を学んでいたものの、やがて演劇の教室へ。Dullin(デュラン)、Decroux(デクルー)という優れた教師に出会うことができ、本格的に演劇修行を始めます。特に、パントマイムの改革者として名を馳せていたデクルーにその素質を見い出されました。デクルー曰くは、マルセル・マルソーは生まれながらにしてのマイム役者だ。そのセンスはもちろんですが、マルセルの痩せていて筋肉質、それでいて柔らかい体躯がマイムに最適だったそうです。また、その教室で出会ったのが、ジャン=ルイ・バロー。『天井桟敷の人々』でお馴染みですね。当時すでに、彼ら二人は、歩いているように見えて実際は進んでいないマイムの動きを考案していたそうで、今ではマイケル・ジャクソンの「ムーンウォーク」の原形とも言われていますね。戦後すぐ、ジャン=ルイ・バローがマドレーヌ・ルノーと劇団を立ち上げるとマルセル・マルソーも誘われ参加。喜劇のアルルカン(Arlequin)を演じていました。しかし、1年後、マイムに専念すべく、そこから離れていきます。


(25日付(24日発売)のル・モンド紙です)

そして、マルセル・マルソーは“Bip”(ビップ)というマイムのキャラクターを創り上げます。マイムを再生するには伝説となるキャラクターが必要だった、とマルセル・マルソー自身が後になって語っています。名前は、ディケンズの『大いなる遺産』のピップ少年から取ったそうです。Bipの誕生、つまり初舞台は、1947年3月22日、マルセル24歳の誕生日でした。それからは、Bipとともに、フランス国内はもとより、海外へと公演の旅が続きます。行く先々で好評でしたが、中でも特にチャップリンやバスター・キートンといった無声映画の伝統のあるアメリカと、能や歌舞伎といった伝統演劇の生きている日本で人気が高かったといわれています。

1990年代になっても毎年200回以上の公演を続けていたそうで、マルセル・マルソーといえばBip、Bipといえばマルセル・マルソー、そんな関係になっていました。各国で大人気のマルセル・マルソーのマイムですが、もしかすると最も熱狂的でなかったのがフランスかもしれないとも言われています。このあたり、マルセル自身も認識していたようで、フランスではアーティストは常に自己革新をしていかないと評価されないが、自分は根源に帰ることも必要だと思っている、と語っています。しかも、再生に成功したかに見えたマイムも、1968年、つまり五月革命以降、言葉のない舞台が以前ほど評価されなくなってしまった。言葉で異議申し立てをする風潮。それに対して、身体言語で伝えるマイム。しかも、Bipは傷つきやすく、詩的なキャラクター。どうも、フランスでは、日本で思っていたほどのすごい人気ではなかったようです。こうした背景で、死亡の報道も、他の人気俳優たちに比べると、ほんの少し控えめだったのかもしれません。


(24日付のメトロ紙です)

しかし、マルセル・マルソーの始めたマイム学校からはしっかりと後進が育っており、Bipの蒔いた種は、しっかり育っているようです。マイムの演技はその場かぎりの儚いものだが、その儚い演技を通して自分は永遠を探している・・・こう語っていたマルセル・マルソー・・・

眠りについたのは、パリのペール・ラシェーズ墓地。

亡くなって1週間。まだ墓碑は立っていませんが、手向けられた多くの花に囲まれています

花の間には、Bipがかぶっていたのと同じ形の帽子も。こうして、“Bip”が人々の記憶に永遠のキャラクターとして残ることを確信して、マルセル・マルソーは今、安心して眠りについているのではないでしょうか。

合掌。

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陽はまた昇るか・・・老いる国、日本。

2007-09-28 00:22:00 | マスコミ報道
26日付のフィガロ紙、その経済欄のトップ面に日の丸が! 詳細な記事は中面ですが、一面にいきなり、日の丸、です。



そのキャプション曰くは、新首相、老いゆく国に直面。そうです、福田首相誕生に合わせて、日本を「老いゆく国」として紹介しています。老いゆく、つまりは沈み行く経済大国、日本・・・はたして、その背景とは・・・



中面の見出しは、「老いゆく日本、自己の殻に閉じこもる」といった意味でしょうか。写真からも分かるように、人口の高齢化と減少が日本経済へ与える影響、という趣旨のようですが、では、自分の殻に閉じこもるとは・・・

経済面で取り上げる話題ですから、想像つくように、国際化の遅れる日本、という視点で書かれています。

不良債権問題が完全に整理されていない日本の金融機関は今問題になっているアメリカのサブプライムローンには幸いにもあまり手を出していなかった。そのため影響も少なくて済んでいる。しかし、この問題からドルが値を下げると、日本企業の輸出に影響が出てくることが予想される。

また、国際的なM&Aが引き続き行なわれているが、日本企業はその流れに加わっていない。企業買収よりも本業での成長を、またM&Aをやるにしても、海外企業とではなく、国内企業と、というマインドが強い。M&Aへの関与の指標をアメリカを100とすると日本は30程度。遅れを取りもどすには5年や10年はかかる。

同じように、海外への投資にも積極的ではなく、直接投資額はGDP(原文ではla richesse nationale;国の富、と表記していますが、たぶんGDP、フランス語のPIBのことかと思います)のわずか5%。因みにフランスは27%、いかに日本企業が海外投資に及び腰かが分かる。

企業にとって大切な研究開発部門。ここでも国際化は遅れている。日本企業のこの部門で働く社員の99.9%が日本人。これでは、お友達研究所。アメリカでは、50%が外国人だ。こうした「人の国際化」の遅れは随所に見てとれる。例えば、外国人を企業の主要ポストに採用しない。逆に日本人が外国で働く場合も、例えば、海外の主要大学でポストを得ている日本人研究者は極端に少ない。

そして国内では、出生率の低下に伴い、人口が減少するといわれている。人口の減少は経済成長の足かせにもなる。2002年にはリセッションを克服し、経済成長を続けているという日本経済も、デフレを勘案すれば、2002年からの経済成長はわずか0.6%に過ぎない。力強い回復にはなっていない。こうした状況に、日本は、生産効率の更なる向上と、海外の国々との自由貿易協定で対処するといっているが、韓国とは農業分野で交渉が行き詰っているし、中国とはまだ交渉のテーブルにすら着いていない。

日本人はどうも日本の中だけで日本のことを考えているようだ。もっと外へ出ることが必要だし、逆に日本社会を外国に開放することも欠かせない。なかんずく、こうした事柄に外圧ではなく、自ら率先して取り組むことが大切だ・・・

・・・殆どが、日本人経営者などに行ったインタビューを基にまとめられています。しかし、そこにはフランス人記者の視点がしっかり反映されていると思います。間違いだらけだ、とお怒りの方もいるかもしれませんが、フランス人記者には、日本がこう見えているようです。今や世界の企業グループトップ15に日本の企業グループは見当たらなくなり、代わりに中国企業が4グループも入っている。また、フォーブスの発表する世界の金持ちトップ20に日本人の名前はなく、一方インドからは3人ランクインしている。人口は高齢化し、経済活動は停滞から衰退へ。それでも島国に閉じこもり続けている・・・日沈む国、日本―――そんな印象を抱いてしまうような記事です。フランス人の経済記者には、今こう写っている我らが日本。再び、日昇る国に戻れるのでしょうか。

でも、下を向くことはないと思います。私たちには、今や新たな得意分野がある。いつものことで恐縮ですが、マンガ・アニメ・ロボット・料理・ファッション・携帯利用・・・新しい文化を生み出す力がある。そこから国としての活力も取りもどせるのではないでしょうか。忠告は忠告として真摯に耳を傾ける必要はあるでしょうが、そう悲観的になることもない、と思っているのですが・・・そう思うのは、私だけでしょうか。

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頑張れ、メテオ・フランス。

2007-09-27 00:44:07 | パリ
毎日の天気予報、気になりますね。フランスにも、もちろん天気予報はあって、フランス語では、la meteo(ラ・メテオ)。La meteorologie(ラ・メテオロロジー:気象学)から来ているのでしょうね。フランスのことですから、そんなには外れないだろうと思いますか? とんでもない! これが、外れまくり!!


(26日付のフィガロ紙です)

日本と同じように、夜のテレビで翌日とその先数日の予報、朝のテレビで当日の予報、新聞は当日とその後数日の予報。予報を伝えるシステムはきちんとできています。しかし、問題は、その当たる確率。これだけ外れると、当たり・外れ、という言葉を使うしかない、と思えてしまいます。

例えば、先週末、金曜の夜の天気予報も、週末は晴れて気温も24度まで上がる、来週は雨の日が多そうなので、この晴れ間を上手に活用してください、と言っていたのですが、土曜の午前中は、どんよりと曇り、風も冷たく、薄着で出かけたので、寒くて仕方がなかった。16~17度しかなかったのではないでしょうか。さすがに午後は晴れてきて、気温も少しは上がりましたが、とても24度とは言えない。

今週月曜の夜の予報では、火曜は曇り時々雨。火曜の朝でも同じ予報。でも、朝は快晴。テレビ局の窓を開けて空を見てから放送しろ、と思わず叫びたくなるような予報です。でも、夕方からは雨が降り出しだしましたが。気温も16度と言っていたので厚着していたら、汗ばむほど。20度を超えていたのでは・・・


(26日付(25日発売)のル・モンド紙です)

こんな外れっぷりは、いつものこと。もう、怒る気にもなれないのですが、多くのフランス人も一向に不満を口にしないようです。どうしてなのでしょうか。考えられるのは、端から100%は信じていない。あくまで目安。朝の空模様と空気から自分なりに着ていくものを考える。しかも調節しやすいように、羽織るものを重ね着する。例えば、この季節、革のジャケット着ている人が、食事の際室内でジャケットを脱ぐと、下はいきなり半袖ポロシャツ―――。

それにしても、これほど外れる天気予報をテレビで伝えている人は、嫌にならないか、と思うのですが・・・こちらでは、気象予報士ではなく、アナウンサーが伝えています。局ごとに、いつも同じ2~3人のローテーションで担当していますが、他のトーク番組なども担当しているアナウンサーたち。対応は、二つに分かれています。まったく、悪びれることなく、自信満々に伝える人。私の仕事は天気予報を伝えること。上手に伝えているかどうかが問題で、内容は関係ない・・・確かに。もう一方は、ちょっと気になるのか、メテオ・フランスはこう言っていますとか、メテオ・フランスによると、というフレーズを、毎日必ず1回は入れるアナウンサー。それぞれの個性というか、人柄がなんとなく出ていて、視ていて面白いです。


(26日のメトロ紙です)

上にご紹介した3紙、ご覧になったように、天気も最高気温の予測も微妙に違いますね。さすが個性の国。こんなところにまで、それぞれの違いが主張されています。最高気温は、メトロ紙が12度、フィガロ紙が14度、ル・モンド紙が15度。結局、いちばん近かったのは、前日に出ていたル・モンド紙。朝夕は雨でしたが、日中は曇り時々晴れ。太陽が出たため気温が上がり、テレビ局のTF1やメトロ紙が予測した12度ではなく、16~17度くらいはあったと思います。でも、いつもル・モンド紙が当たるわけではないのですが。

それにしても、どうして、フランスの天気予報はこれほど外れるのか。素人なりに考えてみました。

・高気圧や低気圧の複雑な動き
日本では、大体西から東へ動いて来ますよね。前線にしても、多くは東西に伸びている。だから、ある程度、読みやすい。でも、こちらの状況は複雑怪奇。前線は渦を巻いている。

(26日の天気配置図、フィガロ紙より)
高気圧や低気圧は基本的には西から移動してくる。でも、突然北へ進んだり、東から戻ってくることもある。天気図を見ていても、非常に複雑な動きをしています。予報官泣かせ・・・と、同情したいのですが、でも、こうした状況は、何も今年だけの異常気象ではない。昔から。ということは、経験則も踏まえ、もっと当たる天気予報ができてもよさそうなもの!

・現場のレベル
つぎに考えられるのは、階級社会。優秀なエリート層と、その日を楽しく過ごせればという庶民階級。たぶん、気象学者には優秀な人がいるのでしょう。新しい理論とか発表しているのかもしれません。でも、天気図を基に明日の天気を予想する、言ってみれば現場のレベルは・・・。

・狩猟民族
農耕民族の日本人と違って、こちらは基本的にはもともと狩猟民族。天候にそれほど影響を受けなかったのかもしれません。日本人ほどに日々の天気の変化、移ろいを気にしないのかもしれないですね。だから、どんなに予報が外れても、文句も言わない。外れたからといって、決してカタストロフではない。もちろん、農業従事者にとっては大きな関心事なのでしょうが、一般的には、目安で十分なのかもしれませんね。

さあ、こうした理由、当たっているのか、外れているのか。フランスの天気予報が当たる確率とどちらが上でしょうか―――。

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光と影とステンドグラス。

2007-09-26 00:58:13 | 美術・音楽
教会を美しく飾るとともに、壮厳な雰囲気をいやがうえにも高めるステンドグラス。パリはその質の高さで名を知られたステンドグラスの主要生産地でもあったそうです。時は15世紀中頃へ・・・550年も前にパリのステンドグラス黄金時代が始まったそうです。そんな、それこそ燦然と輝くパリのステンドグラスの歴史を教えてくれている展覧会が、マレ地区の、16世紀中葉に立てられたHotel d'Albert(アルベール館)という由緒ある建物で行なわれています。


会場内です。遺跡から発掘されたステンドグラスが展示されているのかとも思ったのですが、そうではなくて実際に使われているステンドグラス・・・当然、教会から外して持ってくるわけにはいかないので、フィルムを大きく引き伸ばしての展示です。その美しさは教会で実際に見るとして、この展示の主眼は、パリのステンドグラスの歴史。

ルネッサンス時代から始まり、古典主義、革命期、19・20世紀の技術革新期・・・それぞれの時代を代表するようなステンドグラスが紹介されています。ここでそれらを全てというわけにも行きませんので、特に古い歴史を持つ2つの教会のステンドグラスを実際の写真でご紹介しましょう。

まずは、市庁舎のすぐ東側にあるEglise Saint-Gervais-Saint-Protais(サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会)です。

この教会には、16世紀制作のステンドグラスが現存しています。


1510年から1517年の間に制作されたといわれている作品で、作者は不詳。聖ルイとその妹・聖イザベルの生涯が描かれています。アップにすると・・・

もう1点、下のステンドグラスは・・・

1531年に作られた作品で、ノエル・ベルマール(Noel Bellemare)の作品を下絵にジャン・シャステラン(Jean Chastellain)が制作したもの。ソロモン王の賢政ぶりを描いているそうです。

左端がソロモン王のようです。

もちろん、展覧会で紹介されているこれらの作品以外にも、美しいステンドグラスが多くある教会です。




そして、つぎにご紹介するのは、Les Halles(レ・アル)のすぐ北にあるEglise Saint-Eustache(サン・トゥスターシュ教会)。

1624年に建立された教会で、ステンドグラスが最初に取り付けられたのは1631年。370年以上前の作品が今も使われています。

聖パオロと聖ヨハネが描かれています。作者名も分かっていて、アントワーヌ・スリニャク(Antoine Soulignac)というステンドグラス作家だそうです。

一方、20世紀になってから新たに取り付けられた作品もあります。

戦争や占領にもめげずに、1943年に完成した作品です。聖アンドレと聖アントワーヌが、アドリーヌ・エベール=ステヴァン(Adeline Hebert-Stevens)というステンドグラス作家によって描かれています。色彩が鮮やかになり、デザインも細部まで描かれ、しかも写実的というよりは、かなりデザイン化されていますね。他の3点と比べると、技術やセンスの大きな変遷を見ることができるようですね。

もちろん、この2点以外にも・・・




ステンドグラス・・・四季折々の光に輝いたり、踊ったり、揺らめいたり・・・そして、外の光が変われば、その美しさも変化する。光がいっそう斜めに差し込む秋になると、その影が長く、教会の奥のほうにまで伸びてきます。



上の2点は、お馴染み、サン・ジェルマン・デ・プレ教会での光の戯れです。


色彩のハーモニーを奏でるステンドグラス、その光に誘われて石の床で揺らめく影。ステンドグラス、光と影の美しさ。時を越えて、人々を魅了し続けているようです。

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ブルターニュがパリを占領!

2007-09-25 00:18:24 | パリ
20日から23日まで、パリのそこかしこでブルターニュ地方のイベントが行われました。パリがブルターニュ地方になってしまったのでは、と思えるほど。


これがブルターニュ地方の旗。ブルトン、つまりブルターニュ地方出身者の郷土愛は特別で、日頃からパリでもところどころでこの旗を目にします。この旗が、先週末、一気に増えたというわけです。


4日間のイベントのスケジュールを紹介するディレクト・ソワール紙の特別号と主催者の用意した冊子です。イベントのタイトルは“Breizh Touch”・・・ブルターニュ魂(Esprit Bretagne)という意味だそうです・・・? そうです、フランス語ではなく、ブルトン、つまりブルターニュ語です。

ブルターニュ地方に住むのは、ケルト人の一派。もともとは、イギリスの南西部、コーンウォル地方にいた人々が、アングロ・サクソンに押され、ついに海を渡って今のブルターニュ地方に移ってきたそうです。ウェールズやスコットランド、アイルランドなどに住むケルト系の人たちと、もともとは同じ民族。ケルトの国際大会には、これらの国々から、そしてアメリカやオーストラリアなどへ移民した人々も含めて、大勢が集まるとか。今や日常的に話す言葉は違っていても、ケルトとして共通する文化を背景に持っているからかもしれないですね。


ブルターニュのすべての街が海から80km以内にあるといわれるように、ブルトンは海の民。セーヌ河に、その漁船を舫いで、見学できるようにしています。そして、周囲には名物のクレープや牡蠣などを提供する店も。海が今回のイベントの目玉の一つになっています。


そして、メインイベントは、23日の昼12時から始まった、シャンゼリゼ大行進。民族衣装を身をまとったブルターニュ地方の人たちと、応援に駆けつけたスコットランド、アイルランドなどの人たち、総勢3,000人の大パレードです。

コルヌミューズ(la cornemuse)というバグパイプに似た楽器をはじめ、太鼓などを演奏するミュージシャン、そして踊り手たち。


大きな旗を先頭に、いくつかのグループに分かれて、ロン・ポワンからコンコルドまでのパレード。7月14日の革命記念日の行進とツール・ド・フランスのゴールにしか認められていないシャンゼリゼ大通りの占用。2002年から当局と交渉してきて、やっと許可が下りたそうです。ブルターニュの誇りをかけて交渉してきたようです。


主催者側の一部には、ブルターニュ地方を小ばかにしたフランス王(サルコジ大統領のこと)にこれで一撃を加えられると喜ぶ人もいるとか。サルコジ大統領の舌禍事件? 一方、パリ市長のドラノエ氏は野党の社会党、しかもブルトン。サルコジ大統領への対抗心から背後で動いたとか、動かないとか・・・こうした生臭い話は別にしても、政界、財界、マスコミにブルターニュ出身者、あるいは家系をたどればブルトンへ行き着く人も多く、いろいろな支援があったようです。


戦後、ブルトンの文化が消えかかってしまった。そこで、民族の伝統と文化を蘇らせ、継承していこうとする運動が1960年代に始まりました。1972年からはケルト国際フェスティバルをブルターニュ地方のロリアン(Lorient)で開催。その甲斐あって、今では多くの人たちが民族楽器を演奏したり、ダンスを踊れるようになっているそうです。しかも、世代から世代へ。今回のシャンゼリゼ・パレードに参加している3,000人の平均年齢も30歳以下だとか。

(20万人といわれる沿道に集まった観衆の中に、このようにパンフレットを折って作った帽子を被っている人が何人も。日本の兜とそっくり。急に親近感が・・・)


伝統文化と産業、そしてそこに新しい科学技術を加え、単に古いだけでなく、活気のある地域づくりを進めていく―――ブルトンたちの誇りと魂がコルヌミューズと太鼓の響きとともに、力強く伝わってくるようなパレードでした。

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アルチンボルド・・・

2007-09-24 00:47:27 | 美術・音楽
アルチンボルド、アルチンボルド・・・何? それとも、誰? そうなんですね、この単語だけを聞いたとき、何なのか、すぐ分かりませんでした。Arcimboldo・・・

でも、下の絵を見れば、思い出す方も多いのではないでしょうか。どこかで見た記憶、ありませんか?


Giuseppe Arcimboldo(ジュゼッペ・アルチンボルド:1526-1593)、イタリアの画家。果物や、野菜、植物などによって人の顔を描いた作品で有名です。今、この画家の作品展が、リュクサンブール美術館で開催されています。

15日に始まったのですが、すごい人気。

朝一番で行ったつもりがこの通り・・・美術館のカフェ脇を通って、さらに柵の外へ長い行列。ゆっくり観れるように、一定の間隔を置いて入場させているせいもあり、結局、40分待ちでした。

PRもしっかりなされていて、メトロの駅の大型ポスターはもちろん、新聞各紙で大きく扱われていました。

(20日付のフィガロ紙)

(16-17日付のル・モンド紙)

そして、驚いたのは、ル・ヌーヴェル・オセルヴァトゥール誌(le nouvel Observateur)の20-26日号に、この作品展を紹介するDVDが付録として同封されていたこと!

画家について、代表作について、そして作品展の企画について、キュレーターへのインタビューも交え、その概略を紹介しています。

では、ここでもアルチンボルドとその作品をご紹介・・・でも、会場内が撮影厳禁だったため、作品の写真がありません。そこで、他のサイトでご覧頂くことにしましょう。日本のサイトですので日本語解説つきです。ただし、読み終わったら、またここに戻ってきてくださいね。お願いしますよ。

http://www.salvastyle.com/menu_mannierism/arcimboldo.html

いかがでしたか。イリュージョン、想像力・・・対象となる自然の生き物たちを、まるで解剖するかのようにしっかり観察・理解した上で、確かなデッサン力で描いています。しかし、そこには、子供のようなお茶目な精神が息づいています。そして、時には、肖像画のモデルへの辛辣な皮肉も・・・

ミラノの画家の家に生まれ育ったジュゼッペは、親と同じ画家の道を歩み始めますが、パッとしなかった。平凡な画家で終わるかに見えたジュゼッペに大きな転機となるのが、1562年(一説には1563年)のウィーン行き。16世紀中ごろのイタリア画壇は、以前ご紹介したティティアン(Titien)をはじめとするヴェネチア派が活躍中で、ミラノ育ちのアルチンボルドには活躍の場があまりなかった。しかも、宗教的制約も多く、自由な表現ができなかったようです。

その点、神聖ローマ帝国にはより大きな創作の自由があった・・・ウィーンへ。神聖ローマ帝国皇帝フェルナンド1世の宮廷画家に。もちろん、はじめから上にあるような作品を描いていたわけではなく、れっきとした宮廷画家として貴族たちの肖像画を描いていました。その作品が宮廷で受けて、さらに自由な創作活動が可能になったようです。

そして、いよいよ、高名な作品群の登場。ご覧になったように、肖像画を植物や、食材、本などで描いています。近くで見ると、その素材にしか見えないのですが、離れてみると、見事に肖像画になっている。宮廷に生きる人々やその取り巻きたちへの皮肉が見て取れるとも言われていますが、そこに息づくアルチンボルドの子供のような瑞々しい心と豊かな想像力が、描かれた肖像画のモデルにも、皮肉というよりは楽しいイリュージョンとして受け入れられたようです。大きく想像の翼を広げたアルチンボルドの魔法の世界。多くの人たちを熱狂させました。



しかし、なぜか、17世紀に入ると、突然その人気を失い、時代の波間に消えてしまいました。そして忘れ去られること3世紀、20世紀初頭になって、急に思い出されたかのように復活。シューリレアリズム、ダダイズムなどの芸術家から絶賛され、思想家のロラン・バルトも熱烈なファンになったほど。その人気は、今でもまだ続いているようです。美術館前の行列が物語っています。

ただ、個人的な思いつきなのですが、イリュージョンとも魔法とも言われるそのユニークな画法は、初めて接すれば、ビックリ、そして、しばらくは面白い。でも、何度も何度も見ていると、個性が強いだけに、飽きてくる。くどくなってくる。要は、飽きられるのでは・・・みんなが飽きてしまうと、見向きもされなくなってしまうのではないか・・・そんな気もします。ただ、これはあくまでも個人的な思い付き。皆さんはご自分の鑑賞眼で、もう一度ご覧になってはいかがでしょう。もちろん、投票の後に、ご覧くださいね。



“Arcimboldo (1526-1593)”
(『アルチンボルド』展)
Musee du Luxembourg
http://www.museeduluxembourg.fr/
来年1月13日までの開催

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夏の思い出、小さな旅―2

2007-09-23 00:25:57 | フランス
歴史の街、アンジェ・・・古くからヴァイキングの浸入、百年戦争、革命、宗教戦争と幾多の騒乱に巻き込まれてきました。多くの犠牲者を弔うためでしょうか、旧市街には多くの教会が建っています。

その代表は、アンジェ城のすぐ近くに建つサン・モーリス大聖堂(Cathedrale Saint-Maurice)。

12~13世紀に建立された教会で、アンジェ・ゴシック(プランタジネット様式)を示す代表的建物といわれています。奥の部分が広く、重厚な印象です。

特に、丸天井の曲線美、そして12世紀から16世紀までの間に作られたというステンドグラスの華麗さで、多くの人々を魅了しています。

もちろん、15世紀に制作されたバラ窓も忘れることができません。

そして、入り口。その歴史の長さ、重さを如実に物語っています。


そして、もう一つ、アンジェの歴史を今に伝えるのが、旧市街の石畳の道々。細く曲がりくねった石畳の道を歩いていると、靴音が周囲にこだまして、何世紀もの昔にタイムスリップ・・・中世のアンジェの人たちの囁く声すら聞こえてきそうです。






また、アンジェ城でも思わぬところに、歴史への扉があります。

この扉をこっそり開けて、いにしえのアンジェ人が歩み出てきそうな雰囲気です。建てられてからのすべての時間が濃密に重なっている空間・・・


そして、さあ、中世から、21世紀の光の中へ。中世の旅の終焉です。



アンジェの街。いかがでしたか。観光の目玉はアンジェ城ですが、中世の街並みを残す旧市街も素敵な佇まいを見せています。パリからTGVで日帰りの観光。ちょっと足を伸ばして、中世を覗いてみませんか。


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読み書きソロバンが苦手・・・310万人。

2007-09-22 00:48:26 | パリ
昔の寺子屋時代から、日本では読み書き・ソロバンは広く普及していました。この知識・技能が明治以降の日本の発展の大きな理由とも言われていますね。でも、今では、ちょっと怪しくなりかけているとの報道もありますが、実態はどうなんでしょう・・・

さて、では、フランスでは・・・



17日のフィガロ紙です。「180万人の就業者が、読み書きができないでいる」という見出しです。読んでみると、今フランス人で、読み書き・計算に問題を抱えている人たちが310万人いる! 人口約6,000万人ですから、5%。ということは、識字率は、95%。高いか、低い数字か・・・日本は、2002年のUNESCOの発表で、99.8%。因みに同じ資料では、BRICsがちょうど出ていて、ブラジル=86.4%、ロシア=99.6%、インド=58%、中国=90.9%。欧米はほとんど公表されていないのですが、ポルトガルが出ていて、92.5%。これらを見ると、95%程度というのは、特にビックリするような数字ではないのかもしれません。ただ、あのフランスが、と思ってしまうと、意外と低い識字率に見えるかもしれないですね。

識字率もさることながら、この記事の言いたいのは、読み書き・計算に問題を抱えながらも180万人が実際に働いている、ということ。職場で、大丈夫なのでしょうか。

せっかく長年の経験と実績から昇進を持ちかけられても、断る人がいるそうです。チーム・リーダーともなれば、レポートを提出することが必要になる。でも、それが書けない。スペル、動詞変化、文法 !!!・・・フランス語を習う私たち外国人と同じ悩みを抱えているようです。親近感を持ってしまいます! せっかく普通に話せても(ここが、私との差ですね)、フランス語が書けない。そのために、みすみす昇給の話も断らざるを得ない。こうした問題を抱えている人たちの多くは、学校教育を、飛び飛びにしか受けてこなかったことが、主な理由だそうです。

こうした現状に、多くの団体が、能力向上の教育プログラムを用意しているそうです。このあたり、弱者に優しいフランスといった感じがしますね。でも、そうした教室に通うのは、女性に多いそうです。たとえば、老人の身の回りの世話をすることで収入を得ている女性。ほとんど書けなかったのが、週1回半日、教室に通うだけで、ずいぶん読み書きができるようになってきたそうです。

一方、せっかく開設されている教室へ通わない人たちの理由は、恥ずかしい。習いに行くことによって、読み書きができないのが周囲に分かってしまう・・・個人主義の権化のようなフランス人でも、「恥ずかしい」という気持ちがあるようです。


街角には、こうしたキオスクがたくさんあり、新聞や雑誌が簡単に手に入る。


毎年秋になると、こうした新しい辞書の広告もあちこちに貼られる。

それでも、読み書きのできない人たちはいる。これもフランスの現実。でも、そこへ救いの手を差し伸べているのが、この国の、懐の深さというか、優しさの一面のような気がします。弱者切捨てをしない。でも、競争社会を目指すかのような親米政権の誕生で、この社会的優しさ、どうなりますか・・・

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フレンチ・ドリーム。

2007-09-21 00:24:59 | パリ
ディオールの60年の歴史を誇る旗艦店が、装いも新たにリニューアル・オープンしました。



場所は、モンテーニュ通り30番地。クリスチャン・ディオールが最初にブティックを持った場所です。改装を担当したのはアメリカ人のピーター・マリノ。17日に行なわれたオープニング・レセプションには、政界関係ではシラク前大統領夫人、フィヨン首相などが出席。何しろ、産業界で大きな力を持つLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・へネシー)グループ傘下にあるブランドだけに、政界・財界にとっても大切なイベントだったようです。もちろん、ジュリエット・ビノシュ、シャロン・ストーンなどの芸能人も詰め掛け、また、エルトン・ジョンのミニ・コンサートまであったそうです。


その模様を伝える19日付のフィガロ紙。夜は、このように輝いて見えるようです。遠くには、エッフェル塔も。


そして、会場内のスナップ写真も中面で紹介されています。左上のサングランスの男性が、ピーター・マリノ。マッチョ系ですね。右上の中央がエルトン・ジョン。下の写真、女性はシャロン・ストーン、サングラスがカール・ラガーフェルド。

そして、そして、中央右の写真、この女性は、ラシダ・ダチ・・・現職の法務大臣です。産業界との関係で、フィヨン首相が出席するのは分かるのですが、なぜ、法務大臣が? しかも、このファッションと表情からは、仕事絡みというよりは、贔屓のブティックからの招待を受けて喜んでやってきました、といった印象が。さすが、サルコジ大統領の寵愛を受け、かつセシリア夫人から「私の妹」といわれるだけのことはあります。



大統領一家が、夏のヴァカンスを一緒に過ごしたのが、フランス・ティファニーの社長と、フランス・プラダの広報担当者。そして、その贔屓の法務大臣がディオール。このあたりにサルコジ政権の特徴の一端がうかがえそうですね。派手、成功・・・やはり、類は、友を呼ぶ?

さまざまな改革を打ち出しているサルコジ政権。退職・年金受給年齢を引き上げたり、週35時間労働を増やせるようにしたり・・・もっと働いて、もっと豊かになろう! そう、その結果のサクセスストーリーをサルコジ大統領自ら演じているのかもしれません。主演男優。ハンガリー移民の息子でも、頑張ればここまでなれるんだ! そして、助演女優が、ダチ法務大臣。モロッコ人とアルジェリア人の間に生まれた娘でも、ここまで社会階級を登ってこれるんだ!



成功すれば、より大きな富と権力が―――。いまや、サクセス・ストーリーはフランスに移ってしまったかのようです。フレンチ・ドリーム! しかし、弱者へ差し伸べられるべき救いの手は・・・よそ様のことですが、若干、心配になったりしてしまいます。

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