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ジャン・サン・プールの塔。

2007-05-05 03:24:17 | パリ
中世に建設された塔がパリ市内にも現存しているのをご存知ですか。そのひとつが“Tour Jean sans Peur”(ジャン無畏公の塔)です。



建設されたのは、1409年2月から1411年の5月にかけて。建てさせたのは、ブルゴーニュ公ジャンで、ジャン無畏公と呼ばれています。恐れるもの無しのジャン・・・

(ブルゴーニュ公ジャンといわれる肖像画)

時は、百年戦争(一般的に1337-1453)の最中。イングランドと闘っているフランスには、内紛もありました。そのひとつが、オルレアン家を中心とするアルマニャック派とブルゴーニュ公を中心とするブルゴーニュ派の戦い。ヴァロワ家ブルゴーニュ公の第2代として生まれたジャンは、敵対するオルレアン公ルイ(当時のフランス王シャルル6世の弟)の暗殺を命じ、1407年11月23日に殺してしまう。その前後には、パリに何度か入城しては力を誇示。そして、1409年から、彼のパリの居城として建設させたのが、現存するジャン無畏公の塔というわけです。このブルゴーニュ公ジャンは、イングランドと密約を交わしたり、かなり思い切ったこともやったようですが、歴史は繰り返すというか、因果応報、1419年9月10日、後のフランス王シャルル7世の眼前で暗殺されてしまいました。


こうしたバナーにより、塔の歴史が紹介されています。ジャンの死後、この塔は見捨てられていましたが、17世紀にはモリエールの劇団が使用したとも言われています。しかし、19世紀には廃墟同然になっていたとか。それを1991年から翌年にかけて修復。1999年に一般公開とあいなったそうです。今では、パリ市内では数少ない中世からの遺跡として、またパリ北部で現存する中世からの塔としては最も高い建造物として、貴重な文化遺産になっています。

さて、内部のつくりですが、まず、ふたつ上の写真に見られるようなフランボワイヤン様式の彫刻が柱や階段などに施されています。また、最上階にある掩蓋は建設当時の様子を今に伝えています。



こうした木製のドアにも時の流れの残酷さを見て取りことができますね。奥に少し見える階段は、シャルル5世時代のルーヴル宮の影響を受けたつくりだそうです。


この部屋は掩蓋のひとつ下の階にあるジャン無畏公の部屋です。公の座る椅子の上には必ず天蓋が取り付けられていたそうです。

また、当時の貴族の暮らしを紹介する電飾パネルも設置されています。

当時の貴族たちは焼いたりローストした肉食を好み、野菜は農民の食材だったとか。肉食ばかりで貴族たちの健康は大丈夫だったのでしょうか。要らぬ心配をしてしまいます。


塔の上部から見えるのは、21世紀のパリの屋根。こんな身近なところで中世に触れることができるのですね。

Tour Jean sans Peur
20 rue Etienne Marcel

明日は、この塔の地下で行われている特別展「中世の学校展」をご紹介します。

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