50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

ド・ゴール時代への愛惜。

2008-02-29 02:39:18 | パリ
古き良き時代・・・いつの世になっても、あの時代は良かったと多くの人々が溜息とともに思い出す時代というものが常にあるのではないでしょうか。今日のフランス人にとって、それは・・・


やはり、この人とともに戦った時代、歩んだ時間になるようです。シャルル・ド・ゴール・・・凱旋門のある広場やパリの玄関口である空港にその名を残している、偉大な将軍にして大統領。現在のフランス第五共和制の創設者。この傑出した人物の一生を紹介する施設が、偉人に相応しく、アンヴァリッド(l'Hotel des Invalides)の地下に、23日オープンしました。サルコジ大統領が出席してのセレモニー・・・

それを記念するプレートも掲げられています(影の人物は私ではありません、悪しからず。念のため)。

展示施設は、中心に映画館のようなマルチスクリーンの上映施設があり、その周囲を、ド・ゴール将軍の人生を紹介するさまざまな映像や資料の展示スペースがぐる~っと取り囲んでいます。面積2,500㎡。さすが今日でも最も敬愛されている大統領、内容もしっかりしたものになっています。凱旋門に最近オープンした、がっかりの展示施設とは大違い。どう違うかというと・・・

まずは、マルチスクリーンの上映施設から。

正面に(当然ですが)5面のマルチスクリーン。それぞれが異なる映像を見せたり、2面x2プラス1面だったり、さまざまに変化しながら、ド・ゴール将軍の生涯、特に第二次大戦勃発以降の激動の人生を、紹介しています。客席数200。25分の映像が15分の休憩を挟んで開館時間中つねに上映されています。途中での入退場も自由。


さまざまな技術の進歩により、多くの映像資料が歴史の証人として残されるようになっていますが、ド・ゴール将軍は、その一挙手一投足が映像に記録された最初のフランス国家元首だったそうです。多くのビデオ、写真・・・ほとんどはモノクロですが、晩年にはカラーも。

ただ、この25分に上手にまとめられた映像は、ほとんどが周囲のスペースにも展示されているもの。最初に25分の映像で概略をつかんでから詳細に見るもよし、細かく見た後でまとめ・確認として25分映像を見るもよし。


周囲では、その偉大な指導者の誕生から死までを、年代順に辿ることができます。


Charles Andre Joseph Pierre-Marie de Gaulle(シャルル・アンドレ・ピエール・マリー・ド・ゴール)、1890年11月22日―1970年11月9日。祖父、父ともに歴史学者で、父はイエズス学院の校長を務めていました。ド・ゴール将軍も、歴史への造詣が深く、そこから「フランスの名誉と伝統」に異常なまでの誇りを抱くようになったと言われています。陸軍士官学校を経て、陸軍少尉に。その時の上官が、後のナチス傀儡政権であるヴィシー政権の指導者となるペタン元帥。第一次大戦中には大尉になるも、捕虜生活も経験。第一次大戦後はポーランドの軍事顧問になったり、陸軍士官学校の軍事史担当の教官になったり。そして、陸軍大学へ。しかし、勤勉で博学ではあったものの、性格的に人付き合いがよくなかった。そのせいか大尉から少佐になるまで10年もかかったそうです。それでも、「わが道を行く」を決して変えなかった。信念の人、あるいは、頑固者。


しかし、人付き合いよりも、軍事の専門家としての能力が評価されたのか、第二次大戦が始まると、フランス軍史上最年少で将軍に。大尉で足踏みしていた10年間に士官学校での同期には大きくリードされてしまったのでしょうが、「勝負は下駄を履くまで分からない」を地で行くような出世振りですね。1940年にはロンドンで「自由フランス国民委員会」を結成し、BBCを通して徹底抗戦を呼びかけ、多くのフランス人を奮い立たせました。


パリ解放は、1944年8月25日。戦後処理などを巡っては、チャーチル首相やルーズヴェルト大統領と対立する場面も。ド・ゴール将軍の毅然とした態度は、傲慢にも横柄にも見えたようで、ルーズヴェルト大統領はド・ゴール将軍を心底嫌ったようです。ド・ゴール将軍の毅然とした態度の源は、「フランスは偉大さなくしてフランスたりえない」という信条なのかもしれません。フランスは偉大である・・・根拠はともかく、とにかく偉大なのである・・・今でも、多くのフランス人の心の奥底にはこの信条がしっかり受け継がれているような気がします。


解放後、首相になるも、1946年には辞任。回顧録などの執筆に励んでいたところ、アルジェリアの独立戦争などで、国内外が騒然とし、この人なくしては国がまとまらないと、再び担ぎ出されて首相に。そして憲法を改正して、強力な大統領を元首とする第五共和制へ。もちろん、その初代大統領に就任。

アルジェリアの独立を承認するなど、難局を乗り切り、経済も高度成長へ。しかし、ここでも、フランスは偉大なり! 米ソ対立に埋もれることを恐れてか、第三の極を模索。1960年には核実験を強行、66年にはNATOを脱退。しかし、68年の五月革命を多くの国民の支持で何とか乗り切ると、ついに体力・気力ともに尽き果てたのか、引退を発表。1969年4月28日。


引退後は、コロンベ・レ・ドゥ・セグリーズという寒村に引きこもりましたが、約1年半後、この世に別れを告げます。国葬、勲章は一切辞退という遺言に従い(国葬にはなりました)、今も眠るのはコロンベ・レ・ドゥ・セグリーズの墓地。「フランスは偉大でなければならない」・・・しかし、自分は名誉を特に求めず、「わが道を行く」。フランスという国家に一生を捧げた人生だったのかもしれません。だからこそ、今でも敬愛されている・・・

死後、シャルル・ド・ゴールという名の薄い藤色のバラもフランスで生まれました。長身で、貴族的な顔立ちのド・ゴール将軍の面影を髣髴とさせる優雅なバラです。洗練されていて、しかし、頑固に、自尊心はどこまでも強く・・・「フランス」を体現したようなド・ゴール将軍には、今のフランス、どう見えているでしょうか。


“Historial Charles de Gaulle”
ナポレオンの眠るアンヴァリッドと共通チケット(8ユーロ)

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経済成長は鈍化、物価は上昇、さて、どうする?

2008-02-28 02:58:40 | マスコミ報道
物価、今、日本はどのような状況ですか。原油高、そして一次産品の価格上昇・・・世界的に消費者物価が上昇しているようですね。そこへもってきて、経済成長率の鈍化。多くの国々の今年の経済成長率が下方修正されています。こうした世界的な逆風からフランスも逃れるわけには行かないようで、経済成長の鈍化と物価上昇が同時進行しているようです。


22日のフィガロ紙です。先ごろ欧州委員会はユーロ圏の今年の経済成長率を昨年秋に出した2.2%から1.8%に引き下げましたが、フランスも1.7%へ。


このグラフが2000年からの成長率の推移を紹介しています(黒く見えるのがフランス、濃い青がユーロ圏平均、若干薄い青がドイツ、最も薄い青がイタリア)。ユーロ圏平均を上回ってきたフランスの成長率も、2006年から下回るようになっています。一方、ドイツは2006年だけ平均を上回っただけですし、イタリアは常に大きく下回っている。このグラフだけを見ると、フランスはドイツやイタリアよりはまし、満更でもないと思えてしまうのですが、それでも最近は平均以下。どこが成長しているのでしょうか。詳細は紹介されていないのですが、少なくとも2008年、フランス以上の成長が見込まれているのはイギリスだそうです。どうしてイギリスの成長率推移を出さないのか不思議ですね。自分の国より良いところは出したくないのでしょうか。客観的でないような気もしますが、資料不足なんて言うこともあるのでしょう、きっと。


一方の物価上昇(写真のグラフは、対前年での物価の推移、1992年から2007年、目盛りは0から3%までです)。特に石油関連と食品の価格上昇が家庭を直撃しているようです。フランスの物価は1年前と比べて2.8%上昇したそうで、この上昇率は、最近15年間で最も高い率だとか。食品は4.2%、石油関連商品にいたっては19.1%の値上がりだそうです。また、22日のメトロ紙によると、エネルギー関連費が12.3%、家賃やそこに含まれる水道・ごみ収集費が3.1%、衣類が0.5%、輸送通信費が0.2%値上がりしているとか。政府は企業、特に大手スーパーなどの流通に慎重な対応を呼びかけていますが、確かに物価上昇は日々の暮らしでも実感せざるを得ません。


例えば、こうした4個パックのヨーグルト、昨年までは1.98ユーロでしたが、今年から2.20ユーロへ。野菜も、乳製品も、10%程度の値上げ。こうした値上げに、CROUSの運営する学食でも、サラダの種類を減らしたり、盛り付けるフリット(フレンチ・フライ)の量を減らしたりといった自衛手段を講じているようですが、それでも追いつけないのか、基本料金はさすがにいじらず、余分に料理を取った際の追加料金を0.5ユーロから0.55ユーロにいつの間にか値上げしているようです。また、ガソリンの値上げ。走行距離を減らしているというドライバーもいますし、クルマの買い替えの際には今まで以上の小型車を、という人も増えているそうです。

政府にとって経済の難しい舵取りが要求される状態。一方、物価高に不満を高める国民。政府の掲げる購買力向上も、なかなか実現が難しくなっているようです。アメリカ発の逆風もあり、運が悪かったという面もありますが、フランスはこの難局をどう切り抜けますか。経済省は2.0%前後の成長率が見込めると、まだ強気を崩していないようですが・・・国や企業のトップには優秀な人材をそろえるフランス。どう対応するのか、今まで以上に目が離せないようです・・・ところで、日本政府は、どう対応しているのでしょうか。まさか、他人事のような言い方に終始しているなんていう事はないですよね―――。

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時代はフランス人俳優へ・・・その収入は?

2008-02-27 02:16:40 | 映画・演劇・文学
いきなりすごい見出しがフィガロ紙の第一面に躍っていました。

25日付です。見出しは、「マリオン・コティアール、アメリカ征服へ」・・・アカデミー賞主演女優賞を受賞したから当然、と思いがちですが、この新聞の印刷時には、残念ながらまだ発表になっていなかったのではないでしょうか。たぶん受賞するだろうという希望的観測はあったものの、確証はない。そこで・・・『エディット・ピアフ~愛の賛歌』の演技で人気沸騰のマリオン・コティアールの元には出演依頼が殺到。今年、二本のアメリカ映画に出演することが決まっており、そのうちの一本はジョニー・デップとの共演! オスカーを取ろうと取るまいと、彼女はアメリカ中をとりこにするだろう、という記事になっています。

実際は、見事受賞、フランス人女優としては、シモーヌ・シニョレ以来、約半世紀ぶりの偉業。外国語映画としての受賞はソフィア・ローレンらについで5人目という立派なもの・・・皆さん既にご存知のとおりです。25日夜のテレビのニュースと翌26日の新聞はこの話題で持ちきり。詳しくは、後日ご紹介できればと思ってます。

さて、25日のフィガロ紙は、このアカデミー賞受賞の日にあわせて、昨年のフランス人俳優たちの所得ベストテンを発表しています。先日ご紹介した歌手番付に次いで、今回は、俳優の所得番付です。


「オートゥイユとセニエがトップに」、という見出しです。昨年の所得トップは、ダニエル・オートゥイユ、2位がマチルド・セニエだったそうです。そのランキングからうかがい知れることは・・・まずは、世代交代。かつての常連たちの一部がトップテンから消え、その代わりに新しい世代の俳優たちが登場して来た。例えば、高額所得トップテンの常連であるジェラール・ドパルデューは11位に後退。いつまでも50代・60代が中心では、明日の映画・演劇界が心配ですよね。若手では、『アメリ』でお馴染みのオドレイ・トトゥが29歳、そして30代が3人もトップテン入りしています。

ふたつ目は、女優たちの躍進。今まではどうしても男優のほうが所得が多かった。それは仕事量が多いというだけではなく、映画一本あたりの出演料も男優のほうが高かったそうで、女優の出演料は男優の三分の一にしか過ぎなかったとか。こうした傾向に歯止めがかかり、一気に改善されてきたようで、一本あたり70万ユーロ(約1億1,200万円)以上の出演料を取る女優が4人いるそうです。

三つ目は、アメリカへの進出。それもお願いしてハリウッド映画に出させてもらうのではなく、アメリカが手を差し伸べている。その結果、以前はフランス映画に出演する際の半額とかいう安い出演料でアメリカ映画に出演していたフランス人俳優たちが、正当な評価を出演料でも示されるようになっているそうです。こうした流れの中での、マリオン・コティアールのオスカー受賞なのかもしれないですね。

さて、トップテンのご紹介を・・・所得、出演料は人気のバロメーターでもありますからね。

それぞれの写真に順位を示す数字が付されていますが、小さすぎて見えないですね。左から右へ、ほぼ順番通りに並べられています。

①ダニエル・オートゥイユ(Daniel Auteuil:320万ユーロ)
320万ユーロですから、約5億1,200万円。1950年1月24日生まれの58歳。父がオペラ歌手だった関係で6歳から舞台へ。古典、コメディ、ミュージカルもこなす息の長い人気俳優。代表作には、『愛と宿命の泉』、『八日目』など。2003年以降、この俳優所得ベストテンには、毎年6位以上に顔を出している常連で、ついにトップの座へ。実直さ、プロフェッショナル、作品の成功への協力・・・こうしたことがプロデューサーからも評価され、いい作品にも恵まれているようです。

②マチルド・セニエ(Mthilde Seigner:280万ユーロ)
1968年1月27日生まれ。祖父をはじめ一族にコメディ・フランセーズの俳優が多く、姉と妹も俳優という、俳優一家の出身。ロマン・ポランスキーの義理の姉妹。俳優としてはもちろん、その当意即妙の受け答えからテレビでも活躍。特に2007年は4本の映画が封切られ、なおかつ子どもの誕生という充実した年だったそうで、その結果が所得2位に。15年のキャリアで、45本の映画に出演。シナリオによって出演する作品を決め、年間3本までと露出が多過ぎないようにしているとか。去年の1本あたりの出演料は、67万ユーロや68万ユーロだったそうですが、今年は70万ユーロに設定しているそうです。ただ契約はうるさくなく、プレミア・ショーのチケット20枚と映画のDVD2本などという可愛い要求だけだそうです。

③ティエリー・レルミット(Thierry Lhermitte:260万ユーロ)
1952年11月24日生まれ。演劇集団“Splendid”の仲間たちと一緒の仕事が多いようです。『パリに恋して』、『メルシィ!人生』、『ピエロの赤い鼻』、『赤ちゃんの逆襲』などが代表作。昨年出演した映画“L'Invite”(招待客)では出演料が、110万ユーロ。同じ映画に出演したダニエル・オートゥイユは126万ユーロ、それに対し女優のヴァレリー・ルメルシエ(Valerie Lemercier)は54万ユーロだったそうで、やはり改善されつつあるとはいえ、出演料に関する男優への優遇はまだ明確にあるようですね。

④クリスティアン・クラヴィエ(Christian Clavier:230万ユーロ)
1952年5月6日生まれ。やはり、“Splendid”の一員で、70年代初頭から映画をメインに、テレビ、舞台で大活躍。いつもは多くの観客を映画館に呼び込むことが多いそうですが、2007年は77万人と130万人という観客動員としてはいまいちの結果に終わった作品に出演しただけに留まったそうです。

⑤ジェラール・ジュニョ(Gerard Jugnot:180万ユーロ)
1951年5月4日生まれ。同じく“Splendid”結成時からのメンバーで、当初は脚本を担当。その後、監督、俳優としても活躍。『コーラス』、『パリの天使たち』、『パティニョールおじさん』、『タンデム』などが代表作。自分のキャリアは成功と失敗が交錯していると自ら言うように、2007年はあまりパッとしない年だったようで、海賊の映画もジョニー・デップの『パイレーツ・オブ・カリビアン』に太刀打ちできず、47万人しか集客できなかったそうです。今年は、いい年へ。人生は糾える縄の如し、でしょうか。

⑥ジャン・デュジャルダン(Jean Dujardin:170万ユーロ)
1972年6月19日生まれ。コミック・グループとしてテレビで活躍。2004年の“Mariages!”(結婚)でブレイクし、コミカルだけでなく、シリアスな役にも挑戦している。家族で一緒に働いているそうで、出演などの契約もセットでしているようです。出演料はフィックスされていなくて、気に入った内容だけれど予算がない場合は、少ない額、時には出演料なしでの出演することもあるとか。

⑦ギヨーム・カネ(Guillome Canet:160万ユーロ)
1973年4月10日生まれ。1994年からテレビで活躍。その後映画へ、しかも俳優から監督へも進出。2007年はギヨーム・カネにとっては素晴らしい一年だったそうです。監督作品“Ne le dis a personne”(それを誰にも言わないで)がフランスのアカデミー賞とも言われるセザール賞を4部門で獲得。そしてパートナーがアカデミー賞にノミネート(つまり、マリオン・コティヤール!)。34歳にして、俳優、監督、脚本家、プロデューサーとしてすでに大成功を収めている稀有な存在。出演料は一定ではなく、その作品への興味や予算次第で、30万ユーロで出演したこともあり、一方次回作では100万ユーロ以上とか。2008年は出演したスパイ映画が封切られ、また新しい監督作品も公開されるかもしれないそうです。

⑧ナタリー・ベイ(Nathalie Baye:120万ユーロ)
1948年7月6日生まれ。ダンサーからスタートし、その後、芝居の世界へ。その長いキャリアの中で、セザール賞の主演女優賞を2回(1983年、2006年)、助演女優賞を2回受賞しています。その輝かしい経歴にもかかわらず、うるさい事を言わないせいか、出演料は34万ユーロほどで、出演料以外の要求は、シナリオを頻繁に書き換えないことと専属のヘア、メイクも一緒に雇うことだそうです。

⑨マリオン・コティヤール(Marion Cotillard:115万ユーロ)
1975年9月30日生まれ。両親とも俳優で、彼女も子どもの頃から舞台に立っていたそうです。“Taxi”シリーズで注目され、ハリウッドにも2003年の『ビッグ・フィッシュ』でデビューしている。そして、昨年公開された“La Mome”(日本では『エディット・ピアフ~愛の賛歌』、アメリカでは『ばら色の人生』というタイトルで公開)で、一気にオスカーを受賞。この映画は予算が潤沢ではなく、はじめの契約では彼女の出演料も495,000ユーロ。それがその後の大ヒットで、115万ユーロに引き上げられたそうです。アメリカに進出しているせいか、しっかりしたエージェントがついているようで、映画を活用したマーケティング活動も積極的に行なっているそうです。今やカリフォルニアのサンタ・モニカに家を構え、猫と一緒に暮らしているそうで、ご近所には有名俳優たちが。サクセス・ストーリーですね。この後は、ジョニー・デップと共演の映画や、コメディ・ミュージカルへの出演が決まっているようです。

⑩オドレイ・トトゥ(Audrey Tautou:100万ユーロ)
1978年8月9日生まれ。1996年にテレビでデビュー、2001年の『アメリ』で大スターの仲間入り。2006年にはハリウッドにも進出。フランスで最も出演料の高い女優だそうで、去年は1本に出演しただけで、100万ユーロ。それは、『アメリ』以降、彼女の出演する映画がことごとくヒット。ヒット・メーカーとしての地位がこの金額になっているそうです。それだけに条件もいろいろつけているようで、フル・ヌードにはならない、専属のヘア、運転手、プレス対応(彼女用と映画用の二人)をセットで雇うこと、またその映画の封切り日を契約で明記できる唯一の俳優だそうです。年間多くて2本の映画にしか出演しないそうで、その2本の公開が重ならないように、ということだそうです。

・・・こうした10人が、今フランスで最も多くの人から人気を集めている俳優たちだそうです。皆さんの思っていたのと同じようでしたか。ところで、生年月日を見ると、50年代生まれと70年代生まれがそれぞれ4人ずつ。俳優に向いている世代、なんていうことがあるのでしょうか。60年代生まれは、間に挟まれて、消えてしまった?・・・映画の世界でも、その国その国で状況が異なり、それぞれの特徴があるようですね。

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100万ユーロを村に遺贈して100歳で逝った女性、その人生は・・・

2008-02-26 02:10:42 | パリ
去年の6月7日に100歳の天寿を全うしたフランス人女性が、ル・モンド紙(24-25日付)で一面を使って紹介されています。100万ユーロ(約1億6,000万円)を超す全財産を住んでいた村に遺贈した! ただし、奇妙な条件をつけて・・・彼女は、モーリセット(Mauricette)と呼ばれていました。彼女はどんな人生を送ったのでしょうか・・・


記事の見出しは、“La cassette de Mauricette”(「モーリセットの小さな宝石箱」、あるいは「モーリセットのへそくり」)。モーリセット、フルネームではHelene Marie Louart(エレーヌ=マリー・ルアール)、名前があまりに平凡で気の毒だということで、おばさんが彼女の父親・モーリス(Maurice)に因んでモーリセットという名前を付けてくれたそうですが、それがそのまま通称に。生まれは、1907年5月16日。フランス中部、ベリー地方(Berry)のペルヴォワザン(Pellevoisin)という小さな村です。亡くなったのもこの村です。

祖父は蹄鉄工、父は召使という家に生まれたモーリセット。しかし、1915年に父親が戦士してしまい、若くしてパリへ。母の死後、その家を売り払い、完全に故郷とは縁が切れたかに思えた彼女が再びこの村に戻ってきたのは、1964年。50代後半になっていました。里心がついたのでしょうか。大して見栄えのしない家を建て、夏のヴァカンスシーズンだけ戻ってくるようになりました。しかし一人ではなかった・・・パリで出会った恋人のイタリア人仕立て屋と一緒でした。そのふたつ年上の恋人はいかにもイタリア人らしく人懐こくて、村の連中と気軽にカード・ゲームに興じたりしていたそうですが、本心はやはりパリのほうが良い。一方、彼女もイタリアには行く気はしない。そこで、パリの17区、モンソー公園に近い、広いアパルトマンに一緒に住み、夏のひと月だけを彼女の故郷へ、というパターンになったようです。

やがて、恋人(Valere:ヴァレール)は庭で倒れてしまい、半身不随に。そして1995年8月の暑い日に、彼女を残して先立ってしまった。彼女88歳。彼の全財産を受け継いだモーリセットは、故郷に定住。一人暮らしの生活へ。

さて、このモーリセット、全財産を村に遺贈するくらいですから、さぞや優しい人物かと思いきや・・・故郷では、気難しいので有名。近所付き合いもあまりなく、何かというとすぐ怒り出す。例えば、白内障の手術を受けた際、どうも昔ほどには視力が回復していない。すると、医師に罵詈雑言。あきれた医師が自分は全能の神ではないからと言うと、モーリセットは即言い返したそうです、自分は寛大なマリア様ではない。モーリセットの口癖は、自分は施しを与えないし、施しを受けることもしない。自分にも、そして他人にも厳しいのかもしれませんね。あるいは、人間嫌い・・・

12月のあるどんより曇った日に彼女は倒れてしまう。数日入院した後は、養老院へ。それからは、養老院が大変な目に合うようになる。例によって、彼女の悪態・・・一方、村の人々は、静かな日々を。それほど、彼女の悪態は有名だったようで、近所の子どもたちは、彼女を魔法使いと呼んでいたそうです。

また、晩年、彼女の唯一の親類である姪が久しぶりに訪ねてくると、突然今頃訪ねてくるなんて、理由は見え見えだ。遺産なんか、やるもんか、と姪二人の相続権を抹消してしまった!

こんな彼女が亡くなると、数少ない付き合いのひとり、隣に住むエディットばあさん(80歳)が彼女の死装束などを整えてあげる事になっていました。モーリセットは、左右が不揃いの靴下やエディットばあさんの着古しを平気で着たりしていたので、ちょっと心配になっていたエディットばあさんが、いざタンスを開けてみると・・・ミンクのコートやアストラカンのコート、仕立てのいいスーツなどがいっぱい。隠し立ての多い人だったからとエディットばあさんは誰に言うともなく独り言を呟きながら、白いシャツにアストラカンのマントという衣装を着せ、十字架と恋人だったイタリア人仕立て屋の写真を一緒に棺の中へ。

こうしてあの世へと旅立ったモーリセットが残していったのが、遺言。さて、公証人が開いてみると・・・何と、作成した時期の異なる3通の遺書がありました。全財産を村へ遺贈するという内容は同じなのですが、条件が異なっていました。最初のは、1968年のもの。条件:①死者を弔う碑を再建し、名前のリストの最初に父の名を金色で記載すること ②村役場の建物を建て直すこと。2通目は1981年のもので、その条件は・・・①自分の住んでいた家をパリの人に売却すること ②家の正面に彼女の名を記したプレートを付けること ③墓地の糸杉の代わりに50cm以下のつげの木を植えること。そして、いよいよ最後の遺言。前の2通を取り消したうえで、新たな条件を記載。①遺産の全額で公営住宅の建設を ②自分の家はパリの人に売却すること ③村のメイン通りを共和国通りから彼女の名に因んだ名に代えること ④彼女の墓をきちんと守ること ⑤彼女の名を刻んだプレートを役場に掲げること・・・そして、すべての条件が満たされない場合は、全額を村ではなく癌撲滅団体へ寄付すること。

人口885人の村は、公営住宅を必要とはしていない。必要なのは、消防自動車と集会場のキッチン、そして街灯。しかし、村の年間予算と同程度の額、みすみす見逃す手はない。長年、助役、村長として村の運営に関わってきて、病もあいまって疲れきっていた66歳の村長も、この金額を聞いてにわかに元気を取り戻し、公営住宅の建設場所の策定に入ったそうです。なかなか現金なものですね。

しかし、それにしても、偏屈で、人付き合いが悪く、親類とも付き合いが途切れている。全くのひとりきり。そのためか、全財産を村へ。しかし、自分の名前をメイン通りに冠するようになどといった名誉欲丸見えの条件も。普段は質素に、しかし、しっかりと溜め込んでいた。家は大したものではないので、金額的にもわずかだそうですが、貴金属をしっかり溜め込んでいたそうで、100万ユーロ以上の財産。

また、遺言には付属書もあって、それには自分を描いた木炭画3枚を村長の執務室に飾ること、隣人のエディットに小額のお金と電話(古い)、庭仕事道具を上げること・・・こう記載されています。村長は早速大統領のポートレートを会議室に移動させて、彼女の肖像画を飾ったそうです。何しろ、年間予算を超える額・・・

付き合いのあった数少ない一人、村の助役の女性がいうには、モーリセットはパリを本当に愛していた。自分も若い頃パリでお針子の仕事をしていたので、その話になると彼女も嬉しそうだった。白い髪をいつもきれいにとかして、その姿はまさにパリジェンヌ・・・自分の家を売る相手をパリの人と限定していたのは、彼女のパリへの愛着からなのかもしれないですね。そして、もしかして口の悪さはパリジェンヌを真似したものなのでしょうか・・・養老院から戻ってきたモーリセットは、とても穏やかになっていたそうです。気難しさは仮面だったのでしょうか、あるいは、仮面がいつの間にか地になってしまった?

さて、1億円以上もの財産を村へ遺贈して100歳で旅立ったモーリセット。彼女の人生をどう思われますか。いろいろな解釈が出来るのでしょうね。こんな人が生きていた。こんな人生もある。やはり、最後は、セ・ラ・ヴィ、これが人生さ・・・これも人生、ひとつの生き方。皆さんの人生は、死後どのように語られることでしょうか・・・楽しみのような、心配なような・・・でも、死んでしまえば、それまで、とも言いますし・・・

ル・モンド紙は最後にこう書いています。彼女の愛したイタリア人仕立て屋が働いていた店の住所には、今も紳士服の店がある。しかし、もはや彼のことを覚えている人はいない。彼女の村、ペルヴォワザンの村には、作家のジョルジュ・ベルナノス(Georges Bernanos:1888-1948『田舎司祭の日記』などの著者)も眠っているが、その名ももはや人々の記憶の間から消えさろうとしている。


その紳士服の店です。マドレーヌ寺院のすぐ北西の通りにあります。人の人生は、歴史に残るような偉人でもない限り、必ずいつかは消え去っていくもの。だからこそ、「人生は儚く寂しい」のか、だからこそ「生きている間は精一杯に」なのか・・・答えはないのかもしれませんね。だから、人生・・・

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クルマ、くるま、車・・・

2008-02-25 02:06:14 | パリ
車といえば、名は寅次郎、生まれも育ちも東京は葛飾、柴又・・・懐かしき寅さんシリーズですが、フランスで寅さんシリーズ!・・・残念ながら、そういうわけには行きません。今日の話題は、パリのクルマ事情です。といってもパリでは運転しない私がご紹介するのですから、歩行者から見たクルマに関する、こんな話題、あんな話題、です。


・ガソリン・スタンド
もちろん日本と同じような立派なガソリン・スタンドもあるのですが、パリの街角で見かけるのは、車道と副道の間の植樹帯に設置された、文字どおりのスタンド・・・給油のためのタンクが「立っている」といった感じのするガソリン・スタンドです。

無人なのではなく、車の修理の店や部品の店がすぐそばにあり、管理をしている場合が多いようです。こうしたガソリン・スタンドを利用するのは、車はもちろんですが、バイクも。

そして、時にはクルマはクルマでも・・・

消防自動車までが。こうして車道に停めたまま給油をしています。日本では見かけない光景ですよね。


・駐車
昔、パリでは何列にも駐車の車が並び、大渋滞のもとになっていたようですが、今では地下駐車場も整備され、かなり改善されたようです。

地下駐車場はこのようになっています。基本的には、日本とあまり変わらないですよね。また、メトロが高架になっているところでは、その下が駐車場になっている所も。

こうしたスペース活用、日本にもありますよね。そして、日本であまり見かけないのは、副道が駐車スペースになっていること。

舗道のすぐ脇が副道の通り抜け車道、その先が駐車スペース、植樹帯を超えると車道が2車線・・・広い道路はこんなつくりになっている所が多いようです。副道の駐車スペースももちろん有料です。クルマとクルマの間隔が非常に狭いのに、みんな上手に縦列駐車をします。見ていて感心するほどです。こんなスペースでは無理だろうと思われるところにも、ビシッと駐車。ときどきは、バンパー同士をぶつけていますが。そして、中には、こうして駐車をする車も・・・

向きが変! 車道へ出ようとしているのではなく、立派に駐車している“smart”。超小型車の利点を生かして、駐車の向きが90度ずれています。これなら縦列駐車しなくても、バックでクルマを入れられますし、出る際も簡単。これは便利ですね。

便利でないのが、やはり副道で・・・

荷物の搬送や人の乗り降りを行うクルマもここを通るのですが、荷物の積み下ろしに手間取ると、しばらく通行止め状態に。辛抱強く待つクルマ、バックで反対側から出るクルマ・・・運が悪いと何かと面倒ですね。でも、めったに怒鳴り声は聞こえません。

では、駐車違反は・・・

違反のスティッカーをワイパーに挟んでいくことが多いそうですが、こうしてしっかりタイヤをブロックされて、身動き出来なくされる場合もあるようですし、

レッカーで運ばれてしまう場合も。


高速道路には、顔まではっきり写るスピード違反取締りレーダーが数多く設置されています。またパリ市内でも手動のスピードガンを持ってスピード違反を見張る交通警官もときどき見かけます。そして、飲酒運転撲滅のために、呼気のアルコール濃度を調べる装置も。さらには、ガソリン価格の急騰・・・交通規則をしっかり守って、安全運転。しかも、環境のことも考慮して、なるべく公共交通機関の利用を! クルマを巡る状況、今、フランスではこのようになっているようです。「昔のように、ワインを飲んで自由に運転したい、スピードも出したいな~」・・・おいちゃん、それを言っちゃおしめ~よ!

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子どもを巡るネット犯罪、フランスでも・・・

2008-02-24 02:19:03 | マスコミ報道
最近気になる話題のひとつが、英国・ウェールズ南部の小さな町、ブリッジエンドで起きている若者による連続自殺。昨年1月からですでに17人。15歳から27歳の若者たちの早すぎる死。警察等はお互いの関連性を否定しているようですが、さて、どうなのでしょう。日本でも自殺サイトで知り合った人たちの集団自殺が後を絶たないようですし・・・ブリッジエンドでも自殺した若者の少なくとも10人が同じソーシャルネットワーキングシステムを利用していたという報道もあります・・・若者とネット利用。

フランスでも、インターネットの影響を心配する父兄が多いようで、その調査結果が22日のフィガロ紙に紹介されていました。



6歳から17歳までの子どもを持つ父兄にアンケートをし、801人から回答を得たそうです。その内65%がネットの好ましくない影響を恐れ、52%は子どもたちが年齢に相応しくないサイトへアクセスしているのではないかと心配しているそうです。ポルノ、小児性愛、自殺、拒食症・・・さまざまな誘惑が待ち構えているネットの世界。フランスのマス・メディアはあまり社会面的出来事を細かく紹介しないので、詳しくは分からないのですが、子どもの写真や名前を集めては公開したり、ネットを通して子どもを実際に呼び出すようなことも起こっている・・・ネット犯罪に取り組む団体によると、今年になってからだけでも30件前後のネット上での小児性愛事件がすでに報告されているそうです。しかも子どものネットへのアクセスは増える一方で、父兄たちはさらに気が気でない状況になっているようです。


(イメージ写真で、内容とは関係ありません)

77%の父兄が自分の子どもがネットサーフィンしていることを知っており、しかも毎日アクセスしている子どもは、15-17歳で65%、6-17歳全体でも31%に達しているそうです。こうした問題に取り組んでいる団体関係者曰くは、問題は親の目の届かないところで、子どもが勝手にさまざまなサイトにアクセスしていることだとか。つまり、親の監督が不十分・・・今でもお尻をぶったり、しつけには厳しそうなフランス社会ですが、それでも忙しい親が多いのかネット利用に関しては自由放任になっている家庭が多いようです。

さらに、好ましくないサイトへのアクセスを制限しようにも、親よりも子供のほうがコンピューターやインターネットに詳しい場合が多く、どうしたものかと悩んでいる父兄も多いとか。確かに、コンピューターやインターネットの普及はフランス、いわゆる先進国としては遅かったですものね。そこで、アクセスを制限できるソフトに頼るわけですが、そのソフトがまた信用できない・・・ソフトのこともよく分からないけれど、でも信用できない、という親が多いそうです。61%の親が、もっと性能の良いものが必要だ! なんとなくフランス人らしいなと思えてきますね。新しいものへの懐疑、あるいは、新しいものを作った側が提示する対策への不信感、特に「有料」への嫌悪感・・・どこの国にも、愛すべき点はありますものね。


(これもイメージ、内容とは関係ありません)

では、解決策はないのでしょうか・・・有害サイトを訴えたり、啓蒙キャンペーンなどを行なっている団体関係者が言うには、親子の対話に勝るものはない。要は、親と子の会話が十分で、親が有害サイトへのアクセスがなぜいけないのかをきちんと説明し、かつ時々はそうしたサイトへアクセスしていないか様子を見てみることが大切だということのようですね。コンピューター・ソフトよりも、親子の対話・触れ合いを。機械というハードよりも、ソフト、親子の関係が希薄にならないようにすることで解決できる! ただし、子どものネットへのアクセスを全面的に禁止するのはよくないとも言っているそうです。どうしてか・・・全面禁止すれば、親の目の全く届かないところでこっそり見るようになり、問題をいっそう見えにくく、解決しにくくするだけだから。

新しい科学技術の誕生は、人間社会に新たな問題をひき起こします。でも、それを解決するのも、人間の叡智。人間の考え付いた技術ですから、人間に解決できないわけはない・・・そう思いたいのですが、さて、どうでしょうか。

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ワインで、ちょっと一息。

2008-02-23 02:40:08 | マスコミ報道
ちょっと一息入れるとき、そばに寄り添うものは・・・コーヒー、紅茶、タバコ、日本茶、甘いもの・・・ワインという人は、ちょっと少ないかもしれませんが、でも、休日の午後なんかには良いかもしれないですよね。そのワイン、今日は、ワインで一息ではなく、フランス・ワインがちょっと一息、という話題です。

ワインといえばフランス・ワイン、という時代はもはや過去のものになってしまったというくらいに、フランス・ワインは逆風に晒されていました。国内での消費減退・・・若い人を中心にワイン離れが起きていて、1960年代に比べると今や消費量が半分になっているという資料もあるくらい・・・

国内市場の冷え込みに拍車をかけるように、輸出も伸び悩むようになっていました。以前からのアメリカに加えて、チリ、オーストラリア、南アフリカなど南半球からの輸出が急増。しかも、ユーロ高。フランスのワイン農家は、いやおうなく減反に踏み切らざるを得なくなっていたそうです。

それが、2007年には輸出が伸びた。フランス・ワインに一条の光が!

18日から南仏・モンペリエで始まった“Salon Vinisud”(南のワイン展)の模様を紹介する19日のマタン・プリュス紙です。このイベントには、フランス南部をはじめモロッコ、イスラエルなど地中海沿岸諸国のワインメーカーが自慢のボトルを出品しているそうですが、出展社数も1,600から1,700ほどと多く、昨年の輸出が良かったことから参加者の顔には笑顔も見られ、活況を呈しているそうです。


同じく19日のフィガロ紙ですが、もう少し詳しく伝えています。去年のフランス・ワインの輸出額は対前年で7.7%伸び、67億5,000万ユーロ(約1兆800億円)に達したそうです。ただ、地域ごとのデコボコは大きいようで、ボルドー・ワインは6.03%増、シャンパーニュ・ワインは量で4.19%アップ、額で11.11%増加、しかしボージョレは9.86%の減少だったそうです。前からの日本に加え、中国からの需要も加わったボージョレは将来が明るいとか昨年言われていたように記憶しているのですが、結果は・・・分からないものですね。お隣の国ではもうボージョレに飽きて、ボルドーとかに移行してしまったのでしょうか。でも日本では、相変わらずボージョレ人気、根強いようですよね。愛着が強い国民性があるのか、あるいはボージョレの輸入・販売業界の宣伝がうまいのか・・・

一方、イベントの行われているモンペリエのあるラングドック・ルシオン地方のワインは、輸出量で11.6%も減ったそうですが、額では改善したとか。この地方だけでもここ3年で35,000ヘクタールものブドウ畑を減反したそうで、構造不況とか言われていたそうですが、輸出額が持ち直したことで、ようやく不況のスパイラルから脱せそうだと一息ついているとか。

フランス・ワインの強さの一つはバラエティの多様性だそうで、市場の70~80%を占める3~15ユーロほどのワインに豊富な品揃えをしている。しかもこの価格帯のワインが中国の輸入するワインの90%を占めているそうで、今後一層ワイン消費の伸びそうな中国市場で、フランス・ワインがシェアを伸ばせるのではないかと、期待しているとか。

減反によって生産量は減っているのに、輸出が伸びる。結果として生産農家やメーカーが得る収入単価は上昇しているそうで、笑顔がこぼれているようです。

天候不順だといっては心配し、逆にでき過ぎたと言ってはこれまた心配・・・さらに消費者の好みに変化があり、さらに、さらに、国際化の名のもと、外国からのワインも流入してくる・・・昔写真で見た、笑顔の深いシワの中に本当に暖かそうな人柄が滲み出ているワイン農家のおじさん、おばさんたちにとっても、気の休まることが少なくなっているのかもしれないですね。たとえわずか一条の光であっても、今はその顔に微笑が戻っているかもしれません。せめて、休日に一息つくときには、ワインでも、いかがですか。それも、日本のワイン農家の皆さんには申し訳ないですが、フランス関連のブログをお読みなのも何かの縁、できれば、フランス・ワインを!

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先見の明は、フランスにあり!

2008-02-22 02:02:21 | マスコミ報道
ご存知のように、いま原子力発電に、以前にもまして注目が集まっています。もちろん、将来的に風と光という自然のエネルギーだけで全ての電力を賄おうというフランス南部・ペルピニャンのような試みもありますが、一般的には、火力・水力・原子力の比重が高いですね。そうした中で、原子力が注目される訳は・・・


18日のフィガロ紙です・・・「原子力へ目覚める世界」。この記事も触れていますが、原子力発電にスポットが当たっているのには、いくつか理由があります。

ひとつは、原油価格の高騰。原油価格の急騰は止みそうになく、物価上昇の主要要因のひとつにもなっていますね。産油国の思惑、新興国を中心とした電力需要の増加・・・そこで、発電量当りの単価が安い原子力発電へいっそう熱い眼差しが向けられる。電力源の多様化へ。

また、産油国の石油後への対応も背景のひとつですね。有限な資源・原油に頼ったままでは、いつか資源大国の看板も降ろさざるを得ない。そこで、資金に余裕のあるうちに対策を・・・石油後へ向けた産油国のエネルギー対策として、原子力への期待が高まっているようです。

そして、環境問題。原子力発電は温室ガス効果、ひいては温暖化の一因となる二酸化炭素を放出しないそうです。数値目標など排出規制が厳しくなる二酸化炭素・・・環境対策も原子力発電へという動きに拍車をかけているようです。

ということで、時代は原子力。フィガロ紙の記事も言っていますが、まさに隔世の感。ちょっと前までは安全性を危惧され、各地で反対運動が起きていた原子力発電。それが、今や多くの国が原子力発電へと舵を切り始めている・・・毀誉褒貶、栄枯盛衰は人の世の常。白眼視されながらも原子力発電に尽力してきた技術者、企業、そして国にとっては、やっと堂々と日の目を見ることができる!

その国の筆頭ともいえるのがフランスなのだそうです。記事の表にもあるように、フランス国内の消費電力の80%弱が原子力発電によるもの。リトアニアの80%に次いで世界で2番目に高い割合になっています。この資料によると、日本は35%程度、韓国30%強、ドイツ30%強、イギリス30%弱、アメリカ20%、ロシア15%程度、インド・ブラジル・中国といった新興国はまだわずか数%です。

稼働中の原子炉の数でも、記事のデータによると、フランスは58基でアメリカの164基に次いで2番目の多さ。他に多い国は、日本30基、ロシア30基、イギリス27基、カナダ20基など(日本原子力産業会議の数字とは隔たりがあるようです)。

こうした数字が語るように、フランス国内においては、原子力発電の開発が進んでおり、技術的に優位にあるそうです。従って、多くの国が原子力発電にシフトしていくことは、大きなビジネスチャンスになるわけですね。そこで、サルコジ大統領は就任以来、外国を訪問する際には原子力関連企業のトップも同伴させ、売込みを図ってきました。世界最大の原子力産業複合企業Areva(アレヴァ:三菱重工業が提携)、そしてそのArevaに競合しつつ部分的に協力関係にあるEDF(フランス電力)、EDFの競合会社Suez(シュエズ)、発電所の建設に豊富な経験を持つBouygues(ブイグ)、タービンに強いAlstom(アルストム:TGVなどの車両メーカー)・・・しかし、フランス企業同士が競合しないよう共同出資の別会社を作るなどの動きもあるようですが、反対意見もあり、国の保護政策の強いフランスらしく、最後は政府の決定に委ねられそうです。

現在稼動中の原子力発電所は、世界中で438ヵ所。そして、建設中が30ヵ所、計画中が159ヵ所、要望が出されているのが61ヵ所と今後ますます増えそうです。フランスにとっては、大きな主力産業のひとつになりそうですね。いつか時代は回ってくる・・・先見性のなせる業とこの記事も言っているようです。

翻って、われらが日本は・・・この記事に唯一名前が登場したのは、東芝。東芝の子会社・Westinghouse(ウェスティングハウス)がArevaの最大の強敵で、最近も競合の結果、契約をひとつ勝ち取ったと紹介されています。でも、Westinghouseはもともとアメリカ企業。東芝が買収したわけですから、日本自前の企業ではない・・・しかし、安全性をはじめ未解決の問題も多い原子力発電。地震の多い風土の中で安全性を高めてきた日本の技術には原子力発電の安全性に貢献できる点も多いのでは、と素人なりに密かに思っているのですが・・・技術立国、頑張れ、日本!

*ネットが繋がっている内に、というわけで、今日はいつもより早い更新です。

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6年ひと昔。

2008-02-21 05:55:19 | マスコミ報道
10年ひと昔、とよく言われますが、時代の変化が早くなっている今日、ひと昔はどのくらいなのでしょうか。これはあくまで感覚なので、人によって異なるでしょうが、20日のメトロ紙は6年ひと昔といっているようです。どうして、6年か・・・創刊6周年なんだそうです。な~んだ、と笑わないで下さいね。創刊時と比べると、いろいろなことがひと昔前に思えるようです。


20日付の第一面ですが、左端のコラムがその6周年企画で、中面では同じデザインで社会、政治、文化、スポーツなど各欄の担当者が6年前を振り返ってコラムを書いています。第一面では、2002年2月18日に創刊されたフランス・メトロ紙は、常によりよい編集を、より読者に近い視点での記事をと心がけてきた結果、今ではフランス国内12都市で発行され、毎日200万人以上の読者を獲得している。販売網ではナンバー1であり、ここ3年は黒字を計上している・・・こうご挨拶というか、自画自賛しています。

さて、では6年前、どのようなことがいろいろな分野で起きていたのでしょうか・・・

<フランは死んだ>
死んだのはフランであって、フランスではありません、間違わないでくださいね。1999年1月から銀行間取引などに使われ始めていたユーロが、紙幣・コインとして人々の暮らしで使われるようになってのが、2002年1月。使用開始から数週間たって、メトロ紙の創刊に合わせて調査をしたところ、フランス人の三分の一がフランが消えるのは寂しいと答えたそうです。特に女性では49%、一方男性は29%。普段買い物をする機会の多い女性のほうが愛着が強いのでは、と記事は言っています。また使い慣れた高齢者ほど愛惜の情が強い。65歳以上では、44%がフランを惜しんでいたそうです。しばらくは、新聞の記事でも、ユーロ表示の後フラン換算も併記していたようですが、今ではユーロのみがほとんど。でも、スーパーのレシートには、今でもフラン換算が見られます。では、先のソシエテ・ジェネラルの損失額、50億ユーロをフラン換算するといくらになるでしょうか・・・興味のある方は、計算をどうぞ。

<大統領選挙、目算外れ>
2002年は大統領選挙の年でした。その7年前の1995年には、保守のシラク氏と社会党のジョスパン氏が大接戦。僅差でシラク氏が大統領に選出されたのですが、その後国民議会選挙で社会党が勝利し、ジョスパン氏は首相に。首相としての実績を基に、今度こそはとシラク氏との再戦へ社会党が準備を整えていたのですが、このときもう一人の元気のいい候補者が。2月時点では支持率が10%もなかったにもかかわらず、決選投票に進むのは自分だと公言してはばからない、極右・国民戦線のル・ペン氏。実際、第1回投票で上位2人に残ったのは、シラク氏とル・ペン氏。第1回投票で敗れ去ったジョスパン氏はあまりのショックに、政界引退を表明。そして、第2期シラク政権へと向かったのでした。

<狂牛病パニック>
フランスではじめて狂牛病による牛の死亡が確認されたのが2002年2月17日。メトロ紙創刊の前日ですから、当然創刊日の一大ニュース。件の牛が死んだのは数週間前だったそうですが、確認に時間がかかり、2月17日に確認されたそうです。しかも、人にも感染する恐れありと報道されたため、フランス中がパニックに。日本でも、ある一定の時期イギリスやフランスなどに滞在した人の献血を受け付けないとか、今でもその影響は続いていますよね(私もその一人です)。パニックは収まったものの、この事件を契機に、加工食品の安全性が検討されたり、成長ホルモン剤を投与された牛による人間への影響などが問題になったりしています。

<アフガンからイラクへ>
2001年9月11日の後、世界の注目はアフガニスタンへ。空爆が始まったのが10月7日で、アフガニスタン暫定行政機構が誕生したのが12月22日。次は、イラク・・・メトロ紙創刊号で掲載したというインタビューでライス長官は、バクダッド攻撃は差し迫っていないと述べていたそうですが、同時にブッシュ大統領が諸悪の根源はフセインにありみたいなことを言っていることにも言及。そして2003年3月19日には、フランスをはじめ多くの国々の反対にもかかわらず、イラク戦争が始まる。メトロ紙の記事曰くは、今や第二のベトナム戦争。今年のアメリカ大統領選挙の大きな争点のひとつにもなっている・・・

<無料紙反対>
無料新聞・メトロ紙の出現には、マスコミの労働組合も含め、多くの人々が反対したそうです。曰くは、情報が無料になれば、その価値を失う、ジャーナリズムが価値を持たなくなる・・・19世紀以降、新聞社の経営は購読料と広告の二大収入源が頼りだったのですが、購読料を廃止しては、どの新聞も同じような論調になり、新聞の個性が死んでしまう、と心配する向きも多かったとか。しかし、すぐル・モンド紙も無料新聞を検討し始めたとか噂されたようですが、後にマタン・プリュス紙との提携という形で、その噂も確認されたようです。


(こうしたスタンドが市内各所にあり、簡単に手にすることができます)

<交錯した運命>
フランスを代表する二人のサッカー選手の運命・・・モナコのチームでは、センター・フォワードとウィングというポジションで共存したトレゼゲとアンリ。それが、代表チームではなかなか機能しない。モナコを離れた後、トレゼゲはイタリアのユベントスで、アンリはイギリスのアーセナルで、ともにセンターフォワードとして大活躍(アンリは今シーズンからスペインのバルセロナへ)。同じポジションに慣れ親しんだ二人の選手が代表チームで一緒にプレーすると、お互いの良さを消しあってしまう。その例が、2002年の日韓ワールドカップ。二人とも得点を挙げることができず、フランス代表も早々と敗退。それ以降、代表チームでアンリはレギュラー、トレゼゲは控え、さらには控えに不満を示したため、代表チームからお呼びがかからなくなっています。それにしても、日韓ワールドカップから、もうすぐ6年・・・

<アステリックス>
世界で3億5,000万部以上も売り上げているというフランス・マンガ(BD)のアステリックス。古代ローマ、ガリアが舞台のマンガですが、実写映画としても制作されており、『アステリックスとオベリスク』が1999年。そして2002年1月30日に封切られたのが『ミッション・クレオパトラ』。観客も笑い、批評家も十分に笑いを堪能したようで、このギャク、駄洒落にあふれた作品は、前年の『アメリ』以降の自国映画人気もあいまって(もう7年になります)、興行的にも大成功。笑いと採算が両立することを証明したそうです。そして、今年、『アステリックス、オリンピックへ行く』が公開されています。これまた出だし好調で、多くの観客が映画館へ押しかけています。

<スターアカデミー>
明日のスターを夢見る人たちを一ヶ所に集め、数ヶ月に及ぶ勝ち抜き戦で優勝者を決める、リアリティ・テレビとも言われる人気番組が始まったのも6年前。今年が第7回目。TF1が金曜日のプライム・タイムに決勝まで毎週放送している番組で、優勝者にはプロの歌手としてのデビューが約束されているようです。過去の優勝者には、2枚のアルバムの売り上げが150万枚にも達したJenifer Bartoliなどがいます。しかし、7回目ともなると、少々飽きられるのか、視聴率は息切れ。今では、いつまで続くのかが話題になっているそうです。

・・・6年ひと昔。懐かしい出来事や話題がありますね。6年前、皆さんは、どこで、何をしていましたか。そして、時代の変化がさらにスピード・アップしている今日、次は5年ひと昔。5年後、皆さんはどこにいて、何をしているでしょうか・・・

(今日は、ネット回線の故障。日本語環境のネット・カフェからの更新です。いつ回復しますやら・・・一晩ダメでしたが、21日朝には自然と回復。でも、数日夜繋がりにくくなっていたので、今夜は・・・)


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晴れた日に、永遠が見える!?

2008-02-20 05:02:47 | パリ
17日の日曜日も、雲ひとつない快晴でした。でも、この日は、屋内に。13日のマタン・プリュス紙に紹介されていた凱旋門に新しく出来たという常設展を見に・・・


常設展の名前は、“Entre guerres et paix, l'Arc raconte l'histoire”(戦争と平和の間~凱旋門が歴史を語る)というもので、記事によると、インタラクティヴや遊びの要素も加味した現代的な展示方法で、歴史上のさまざまな出来事を紹介している・・・

凱旋門のテラス(屋上)のすぐ下に開設されたそうで、同じく9ユーロを払って、長~い螺旋階段を登ってやってきました・・・

15日から一般公開が始まったのですが、特別な入り口があるわけではなく、屋上のテラスへ行く前のホールに常設展を設置しました、ということのようです。しかも、例によってまだ完成していないようで、凱旋門の模型も、この通り・・・

まだ、ビニールに包まれたまま。

また、記事によると、映像の説明はフランス語・英語・スペイン語・ドイツ語の4ヶ国語の字幕スーパーが入っているということでしたが・・・

字幕スーパーは確かに4面のマルチ画面にそれぞれの言葉が出ているようですが(写真は3面ですが実際には4面あります)、何と映像は4面が同じではない・・・つまり4面を順に見ていく内容になっています。左から右へ、映像を追いかける。でも、変化が早い。すぐ次の映像に変わるので、追いかけるのに必死。字幕など見ている暇もないほど・・・

2面マルチのコーナーでは、多言語対応していないみたいです・・・


映像の内容も、「戦争と平和」を正面から取り上げるというより、凱旋門の構造紹介だったり、戦時下には軍隊がその下をくぐり、平時には政治家や有名人が訪れた、といった内容で、あくまで凱旋門を巡るトピックス紹介といったもの・・・

自慢のインタラクティヴも、要は観客が自分で画面を選べるコーナーが一つあるということで、

人物の陰に凱旋門のカタチをした小さな操作桿があります・・・でも、ふたつの内ひとつは故障していましたが・・・

というわけで、特別にこの常設展のために出かけるという内容にはまだなっていないようです、ということを確認できたのが、今日の収穫。こういう日もあります。でも、これでおしまいでは寂しいので、せっかくの凱旋門・・・屋上からの眺めをご紹介しましょう。


まずは個人の好みで、モンマルトルの丘とサクレ・クール寺院から。


シャンゼリゼです。舗道が広いですね。でも、観光客でいっぱいになります。


逆光のエッフェル塔。でも、エッフェル塔はシャイヨー宮からのほうがきれいかもしれないですね。


シャンゼリゼの反対を向くと、ラ・デファンス地区の高層ビル群。


屋上に登らない人たちも多く、ゆっくり日光を浴びながらおしゃべりを・・・ひとつ気付いたのは、凱旋門の足元や近くのカフェではイタリア語やスペイン語が多く聞かれたのに、屋上に行くとドイツ語と英語ばかり。9ユーロ払って長い螺旋階段を登るより、ゆっくりおしゃべりしていたほうがいいな、というラテン系の人が多いのでしょうか・・・

・・・ということで、晴れた日のパリ。いかがでしたか。『晴れた日に永遠が見える』という映画がありました。1970年のアメリカ映画で、イヴ・モンタンも出ていました。晴れた日のパリでは、どんな永遠が見えるでしょうか。永遠などと言わず、まずは豊かな明日が見たい・・・それは、凱旋門にもお願いしたいことです。常設展の完成、内容の改善を! よりよき明日の凱旋門をぜひ見たいものです。

それを、この人、ナポレオンも願っていることでしょう。パリの凱旋門の名に相応しい常設展になったら、また行ってみたいものですね。

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