50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

ジヴェルニー②

2006-07-31 00:34:57 | フランス
モネの家にはきれいな庭があります。その庭を抜けてその先に睡蓮の池があるのですが、庭にもきれいな花々が咲き誇っていました。


こんな感じで、通路はできていますが、いかにもフランス庭園といったふうには造られていません。睡蓮の池が人工的に造られたものとはいえ、自然に近い風情を持っていますので、庭もそれに合わせているのかもしれません。中央右寄りにある木には、きれいなピンクの小鳥の羽のような形の花が咲いています。

草花もご覧の通りに、暑さに負けずにきれいに咲いています。

夏といえば、ひまわり。初秋のイメージのコスモスをバックにしっかり咲いています。

通路脇にはラヴェンダーが咲いていましたが、写真中央・右よりの白いのはモンシロチョウです。日本のとまったく同じカタチで、ラヴェンダーの花から花へ、蜜を求めて飛んでいました。

日本と同じといえば、ご覧の花。朝顔(昼顔?)ですか。紫色のものもありました。

日本の極めつけは、この木です。何の葉だと思いますか。柿の葉なんです。木の下にあるパネルによると、クロード・モネ財団と愛知県豊橋市の総合動植物園との交流記念として、ツツジと次郎柿が記念植樹されたそうです。それが1998年5月、8年以上経ち、ツツジはこの暑さにちょっと元気がなかったですが、次郎柿のほうはご覧のとおり青々とした葉を茂らせていました。

思わぬところに「日本」が顔を出しています。広い意味での文化交流は、かなり行われているようですね。

ジヴェルニー①

2006-07-30 02:14:45 | フランス
ジヴェルニー(Giverny)へ行ってきました。

ジヴェルニーといえば、モネ。画家のモネが1883年から亡くなる1926年まで、人生のちょうど半分にあたる43年間を過ごしたところで、その家とあの大作『睡蓮』を製作したアトリエ、そしてモデルともいうべき睡蓮の池が、クロード・モネ財団によって保存公開されています。



このような睡蓮の池があるのですが、第一印象は、あれっ、それほど大きくはないんだ、というものでした。オランジュリー美術館にある作品があまりに大きいだけに、さぞや広大な池が広がっているのだろうと勝手に思っていたのですが、実際はそれほどでもありませんでした。もともとあった自然のままの池ではなく、モネが掘らせた池だそうですので、それを考えれば、立派な池だとは思います。


晴天に恵まれ、朝の光の中で、ピンクと白の睡蓮の花がたくさん咲いていました。このモネの家と庭園、花が咲いている季節だけのオープンで、SNCF(フランス国鉄)の出しているパンフレットにも4月1日から10月31日までの時刻表だけが出ています。

これが、家の外観。ツタに覆われていますが、壁はピンクで、窓枠がモスグリーンというかわいらしい配色です。寝室やダイニングルームが当時のままで公開されています。

家に入ると、いきなり、多くの浮世絵が目に飛び込んできます。撮影禁止なんだそうですが、その表示が二番目の部屋からでしたので、おもわず最初の部屋で撮ってしまいました。歌麿や広重などの浮世絵が壁を埋め尽くすように展示されていて、いかに日本美術を愛したか、その影響を受けたかが分かるようになっています。

『睡蓮』を製作したアトリエは、今ではスーヴェニア・ショップになっています。絵の複製や記念グッズがたくさん揃っています。

明日は、庭の花々をご紹介します。

貼り紙厳禁。

2006-07-29 01:07:54 | パリ
パリを歩いていると街がきれいだなとよく思います。どうしてきれいに思えるのだろうと考えてみると、その主な理由として次の3点が挙げられるような気がします。
・建物の高さや様式が統一されていて一体感がある
・電線が地中化されていて電線や電信柱がない
・屋外広告がとても少ない

その3番目に関し、面白いものを見つけました。家の近く、Avenue Kleber(クレベール大通り)に面した建物の壁面に、写真のようなプリントがされています。

DEFENSE D'AFFICHER LOI DU 29 JUILLET 1881
(1881年7月29日の法律により貼り紙を禁ず)

125年前の法律がまだ生きているのでしょうか。とても125年前にプリントされた文字が残っているとは思えないので、たぶん戦後にこの文字はプリントされたのでしょう。ということは、今でもこの法律が生きているのかもしれません。

1881年といえば、エッフェル塔が完成して迎えたパリ万博が1889年ですからその前。オスマン男爵がセーヌ県知事になり、パリの都市計画・再開発に着手するのが1853年ですから、ある程度街が整備された後のことかと思います。

ハードを整備したら、次はソフトを、というわけで、美観尊重のため貼り紙を厳禁する法律もできたのかもしれませんね。長い時間の積み重ねの上に、今のパリの街のきれいな佇まいができているようです。

きれいな街を造るのだという意欲と、その気持ちを持ち続ける執念。それがないときれいな美観など保てないのかもしれません。石の街、木とセメントの街という違いはありますが、美観を守る取り組みとして、日本も見習うべきかもしれませんね。

エヴィアン・マスターズ・ゴルフ。

2006-07-28 01:37:25 | スポーツ
26日付のLe Figaro(フィガロ紙)。その第一面にゴルファーの写真が出ていました。日本ほどには人気がないフランスのゴルフ。それなのに第一面とは、いったい何が起きたのか、と早速読み始めたら、26日から始まった「エヴィアン・マスターズ」の紹介記事でした。


写真はミシェル・ウィー。この選手が一番の注目の的なのでしょうね(それにしてもライス長官より大きい写真です!)。記事には、もう一人、アニカ・ソレンスタムも注目選手として紹介されています。


上の写真は、同じ日の別刷りです。これがあるので、第一面に記事も載せたのですね。大会スポンサーのエヴィアン社は、このゴルフ大会のためにずいぶん広告費を使っているようです。TVCMもいい時間帯に入れています。


別刷りでは、この大会の歴史や重要性などとともに、より多くの選手が紹介されています。その中に二人の日本人選手。宮里藍選手(上の写真の右、縦長の写真)と不動裕理選手。ほかには前年度優勝のクレーマー選手や韓国の朴セリ選手などがいます。もちろんフランスのゴルファーも紹介されていますが、私には初めての選手です。

残念ながら、横峯さくら選手も含め、日本人ゴルファーは出遅れてしまったようですが、2日目まででのカットがないので、29日の最終日まで、諦めずにがんばってほしいものです。

ミネラルウォーターでおなじみのエヴィアン。レマン湖畔にあるリゾート地です。対岸にはローザンヌ、レマン湖の西端にはジュネーブもあります。このゴルフ大会は毎年恒例のようですので、来年は観光をかねて見に行ってみたい気がします。

エッフェル塔の下でビーチバレー!

2006-07-27 01:17:23 | スポーツ
25日から30日まで、エッフェル塔の下に広がるシャン・ド・マルス公園でビーチバレーの国際大会が行われています。


パリ・プラージュに連動したパリ市庁舎前のビーチバレーは子供対象といった感じですが、こちらは本格的。40カ国から250人の選手が参加しているそうです。


見に行った26日も最高気温は35度前後。ビーチバレー日和といった感じですが、やはり近くに海がないのが残念。この日はアメリカの選手が多かったようで、応援も含めて英語の歓声が大きかったですね。そんな中にあって、中国の女性選手1組ががんばっていました。(上の写真、ネットの向こう側がその中国人ペア)


洗剤など家庭品のヘンケルがメイン・スポンサーなのだそうですが、ネットにロゴが出ているせいもあり、スウォッチが目立っていました。ほかに、プレイ・ステーション・ポータブルやスポーツ用品のアリーナ等も広告パネルを出していました。ビーチバレーに関してはまったく疎いのですが、本格的な大会のようです。

この日は平日のせいか、選手とその関係者ばかりといったところでしたが、週末にはぜひ多くの観客で盛り上げてほしいものです。

緑陰コンサート。

2006-07-26 01:26:27 | パリ
25日、今日もパリは快晴の暑い一日でした。最高気温は34度。日向では40度近かったのではないでしょうか。

たまたま通りかかったリュクサンブール公園で、木陰から音楽が聞こえてきました。

コンサートをやっているようです。緑陰コンサート。ステージの周りでは椅子に座ったたくさんの人たちが聞き入っています。ステージの上にいるのは、学生のオーケストラとコーラスのグループのようです。

途中からは、全員コーラスになり、爽やかで聴きやすい音楽を歌ってくれていました。椅子に座ってこっくり、こっくりと舟を漕ぐ人もいて、一時と言えども、暑さを忘れているようです。

来園者へサービスを提供したい公園管理者と、発表の場を求める学生グループの思惑が一致した催しなのでしょうが、家の中にいるよりは、と公園の木陰に少しばかりの涼を求めてきた人たちにとっては思いがけない爽やかなプレゼント。こうした催しが何気なく、さりげなく提供されるあたりがフランスらしい素晴らしいところだと思います。

なお、リュクサンブール公園には、多くの花が咲き誇っていましたので、少しご紹介しましょう。

奥に見えるのは上院です。白い建物と芝のグリーン、そしてカラフルな花々がきれいなコントラストを見せてくれています。

日本でもおなじみのペチュニアですね。

最近日本ではあまり見かけなくなったダリアのようです。

秋を連想させるコスモスが、もう咲いています。

酷暑のパリでも、手入れの行き届いた公園では花々がきれいに咲いています。

なお、この暑さも、とりあえず26日まで。27日に雨が降り、28日には回復しますが、最高気温は24度の予想。あっという間に10度下がります。体調管理をしっかりやらねば!

サン・ジェルマン・アン・レー

2006-07-25 03:15:49 | フランス
パリから西へ、RER(郊外鉄道)で20分ちょっとのところにあるサン・ジェルマン・アン・レー(St.-Germain-en-Laye)へ行ってきました。

駅からエスカレーターで地上に出ると、すぐ目の前にお城が建っています。

今あるお城は、最初にフランソワ1世が建てた姿そのままに復元されたもので、中は国立古美術博物館(Musee des Antiquites Nationales)になっています。先史時代からのさまざまな出土品が展示されていますが、石器や土器などは素人目には日本のものとあまり変わりないように見えます。

一方、大きく違うものもあります。金細工が昔から豊富にあったのにビックリ。鉄が使われるようになると、立派な甲冑など戦用のものがすぐできたようで、戦いの歴史を物語っているようです。また、1世紀のガラスが展示されており、ガラス製品の長い歴史を実感させます。さらに、女性用装身具の多さにもビックリ。おしゃれの歴史は長いのですね。そして、鍵。ガリア時代からの実に多くの鍵が展示されています。はるか昔から鍵が必需品だった社会と、戦後暫くまで鍵なしで暮らせた社会。こんなところにも、「個」の確立の歴史的違いがあるような気がします。

城のちょっと先には、パヴィヨン・アンリ・キャットル(Pavillion Henri Ⅳ)というホテル・レストランがあります。

ホテルの先に広がる森への出入り口には、アーチに次のような表記がなされています。

ICI NAQUIT LOUIS ⅩⅣ・・・ルイ14世、ここに生まれる。本当にこの館で生まれたそうです。また、作家のデュマが『三銃士』や『モンテクリスト伯』を書いたのも、ここに滞在している折だったそうです。

この由緒あるホテルの先には、セーヌの流れに沿って広大な森が広がっています。

グランド・テラスと呼ばれる見晴台から眺めると、このような景色が目の前に見えます。

手前がブドウ畑、セーヌを跨ぐ橋を列車が通っていきます。


また、遠くにデファンス地区の高層ビル群が見えます。まるで、緑の海の上に出現したマンハッタン島のような感じですね。

こんな近くにも、自然と歴史が凝縮された場所があるんですね。フランスの豊かさの一端なのでしょう。

ツール・ド・フランス

2006-07-24 14:29:10 | スポーツ
速い、とにかく速い。こんなに速いものだとは思ってもいませんでした。全長3,657km、約3週間にわたる長丁場の最終日だというのに、疲れなどまったく感じさせないような走りでした。

走り抜ける選手たちを真横から写真に収めるなど至難の業。選手たちが来た、という歓声にあわせてシャッターを切り、写っていれば儲けものといった感じでした。

すぐ目の前を、一瞬で駆け抜けていきました。

撮影するほうも真剣です。因みに、デジカメやムービーカメラは殆どが日本のメーカー製のものでした。

シャンゼリゼの有名なカフェ“Fouquet’s”の前もまるで飛ぶように疾走して行きました。

シャンゼリゼの沿道は見物客やファンで鈴なりの状態。

登れるものなら何にでもよじ登っています。

チュイルリー公園のフェンスもご覧の通り。

リボリ通りに面した建物は特等席です。

もちろん、人が集まれば商売も。

オフィシャルグッズの販売カーです。Tシャツ・キャップ・ポシェット・キーホルダー・ブレスレット2個・マグネット4個の10個セットで20ユーロだそうです。

もちろん沿道の一般の店も、この商機を逃してはいません。

レースのほうは、昨年まで7連覇したアメリカのアームストロング選手の後継者といわれるランディス選手が初の総合優勝。8年連続でシャンゼリゼにアメリカ国歌が流れました。ランディス時代の到来でしょうか。

ところで、選手たちの到着をシャンゼリゼ通りで2時間も待っていたのですが、途中、突然うしろから女性の日本語が聞こえてきました。「何があるんでしょうね」「すごい人出ね」「パリではよく撮影なんかもあるんですよ」・・・スポーツに興味のない日本人にとっては、ツール・ド・フランスなんてまったく眼中にないのでしょうね。まずは、ファッションとお買い物?

パリ・プラージュ②

2006-07-23 00:59:46 | パリ
20日から始まったパリ・プラージュ(パリの海岸)。最初の週末にあたる22日は、午前中は快晴だったものの、昼過ぎからは曇り。しかし、最高気温35度前後の蒸し暑い一日でした。この天気なら、きっとパリ・プラージュの人出も多いだろうと、早速出かけてみました。

4年前から毎年ビーチが出現しているセーヌ右岸へ。今年もできていました。市庁舎とノートルダム寺院の間のセーヌ河畔です。

今年のテーマは「タヒチ」だそうです。ポリネシア風のコテージができているはずなのですが、よく分かりません。確かにやしの木は目立っています。全部で68本持ってきているそうです。もう少し寄ってみましょう。

ビーチが出現。ここ以外も含めて、運び込んだ砂は実に2,500トンだそうです。でも、正直、思わずクスッとしてしまいますね。“パリ・プラージュ”といえばカッコよく聞こえますが、実態を見るとアスファルト歩道の上に砂をまいてビーチのつもり・・・。

砂のないところには、人工芝が敷かれています。


パリ・プラージュから近いパリ市庁舎前広場は、大量の砂が運び込まれ、ビーチバレー、ビーチサッカーなどのビーチスポーツ会場になっていました。冬はスケート場、夏はビーチスポーツと、しっかり有効利用されています。

このパリ・プラージュ、8月20日までの開催です。

パリ・プラージュ①

2006-07-22 00:24:00 | パリ
ドラノエ・パリ市長の肝いりで始まった“パリ・プラージュ”(パリの海岸)。今年で5回目になります。

セーヌ河畔を海岸に仕立てて、パリにいながらヴァカンス気分を味わってもらおうという催しですが、パリ市民のみならず観光客にも人気で、今年は400万人の人出が予想されています。

また、去年までは右岸のみが海岸になっていましたが、今年は左岸にもお目見え。第一弾として、その左岸の様子をご紹介します。


この催し、7月20日から8月20日まで。多くの場所に告知板が立てられています。パリの地図をハイビスカスで挟んで、いかにもヴァカンス!ですね。


21日、二日目の様子です。平日の午前中だったため、あまり人出は多くなかったのですが、それでもデッキチェアで日光浴する人や、炎天下でボール遊びをする人など、ヴァカンス気分を楽しんでいる人たちがいました。

これは、特設のフローティング・プール。中央の低くなっているところがプールで、泳ぐことができます。さすがにセーヌでは泳げないのでしょね。

みんながヴァカンスに行くのに、どうしてパリで海岸の演出か?

こんなポスターがメトロの駅に貼ってありました。“ヴァカンスは人を大きくしてくれる。それなのに、子供たち3人に1人がヴァカンスに行けない、大人も同じ。1936年に法制化されて始まったヴァカンス、2006年の今では決して贅沢ではない筈なのに。”つまり、さまざまな理由でヴァカンスに行けない人たちが三分の一。その人たちにせめてヴァカンス気分を、ということなのかもしれませんね。

次回は、休日の右岸のパリ・プラージュをご紹介します。