50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

諸国民の中の正義の人。

2007-01-31 01:29:36 | パリ

パリ5区の区役所で、小さな展示が行われています。そのポスターですが、タイトルは、“Les Justes”-正義の人。左上に小さく“Memorial de la Shoah”と書かれてあるとおり、先日パンテオンで行われたナチス占領時代にユダヤ人を救った人たちの記念式典に関連する展示です。


こじんまりとした会場で写真による展示数も決して多くないのですが、入場者がひっきりなしに入ってきます。


展示されているのは、自らの危険を顧みずにユダヤ人を救った人々と当時の様子を紹介する写真です。ごく最近まで長生きした方もいれば、終戦を待たずに命を落とした方もいます。いろいろな場所で、いろいろな方法でユダヤ人を救った人たち・・・


ポワティエにあったユダヤ人キャンプです。ナチスの傀儡・ヴィシー政権下のフランス国内にもこうしたキャンプがいくつかあったようです。生活環境は劣悪で、アウシュヴィッツ等に送られる前に、フランス国内のキャンプでなくなったユダヤ人も少なくなかったとか。

ところで、展示タイトルにある「正義の人」。正式名称は“Justes parmi les nations”-「諸国民の中の正義の人」と訳されています。良心のある非ユダヤ人を指すヘブライ語で昔から使われていたそうですが、戦後はとくにホロコーストからユダヤ人を救った人たちへの敬称になったそうです。イスラエルで1963年に制定され、厳格な調査を経てこの称号に認定されると、エルサレムのホロコースト記念館にある「正義の人の庭園」の「名誉の壁」にその名が刻まれるそうです。


会場に展示されていたパネルのひとつですが、国籍別の「正義の人」の数を示しています。総数21,310人。最も多いのが、ポーランド。ポーランドではユダヤ人を匿っているのがわかると一家もろとも死刑だったそうですが、それでも5,941人がユダヤ人を救ったそうです。次いでアンネの日記でおなじみのオランダ、4,726人。フランスは2,646人。ずっと見ていくと下から5番目に日本が出てきます。1名・・・そう、日本のシンドラー、杉原千畝氏(在カウナス領事代理)です。会場にあった資料によると、杉原氏のように多くの外交官がユダヤ人の脱ヨーロッパを手助けしたそうです。

時々ご紹介しているように、パリでは戦時下を振り返る展示・シンポジウム等がしばしば行われています。もういい加減にしてほしいと思う人もいるのかもしれませんが、歴史を風化させず、繰り返し繰り返し検証し、そこから悲劇を繰り返さない知恵を見出そうという決意の表れのように思えてなりません。

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将軍、戴冠す。

2007-01-30 02:54:16 | スポーツ
26日、「将軍」のニックネームでおなじみの、ミシェル・プラティニ氏がUEFA(ヨーロッパサッカー連盟)の会長に選出されました。


その日の夕方、さっそく第一面で伝えるDirectsoir(ディレクトソワール紙)です。ドイツ・デュッセルドルフで12時34分に決定したと時刻まで表示。いかにうれしいかを如実に物語っています。何しろ、このポジションに就くフランス人は二人目。これで暫くはヨーロッパサッカーはフランスを中心に動くぞ、という期待感・満足感の現れかもしれません。それだけ権限のある地位だ、ということでしょう。


同紙は中面でも詳しく紹介しています。投票結果は、プラティニ氏27票、前会長のヨハンソン氏が23票。ヨハンソン政権は90年以来16年、しかもヨハンソン氏はすでに77歳。長期政権や高齢に対する不安・若干の批判もあったのでしょう。それに、何より、FIFA(国際サッカー連盟)ブラッター会長のプラティニ支持が選挙直前に大きく影響したようです。

新しくヨーロッパサッカーの舵を取る者と去る者、略歴を振り返ると、同じようなタイミングでそれぞれの節目を迎えていることがわかります。
・ヨハンソン氏
67年:AIKストックホルムの会長に。サッカービジネスのスタート。
84年:スウェーデン・サッカー協会会長
88年:UEFA理事
90年:UEFA会長
98年:FIFA会長選で落選
・プラティニ氏
67年:サッカーチームとの始めての契約(AS Joeuf)
84年:ユーロ'84優勝
84・85・86年:3年連続でバロン・ドール(ヨーロッパ年間最優秀選手)受賞
88年:フランス代表監督
92年:ユーロ'92で振るわず解任
   '98W杯組織委員会共同委員長
98年:FIFA会長選でブラッター氏支持
01年:フランス・サッカー協会副会長
   UEFA理事
02年:FIFA理事

これからはスター選手であったプラティニ氏がヨーロッパサッカーのトップに。名選手必ずしも名監督ならず、というコトバがありますが、名会長になれますかどうか・・・


27日付のLe Figaro(フィガロ紙)です。プラティニ氏をよく知る人たちのコメントが載っています。フランス代表元監督のイダルゴ氏は、彼は偉大な選手だっただけでなく、真のリーダーだった、と述べています。また、フランス・サッカー協会のエスカレット会長は、彼にとってはサッカーがすべて、金銭に振り回されることはないだろう、と言っています。そうです、プロ・サッカー選手のキャリアをもつ人がこのポストに就くのははじめて。何かと指摘されるスポーツとお金の関係から少しは距離を置いたところでヨーロッパサッカーの改革をして行ってくれるのでは、という期待になっています。

プラティニ氏自身、サッカーは経済活動ではない、最も大切なことはサッカー本来の価値、つまり美しいゲームを取り戻すことだ、と語るとともに、ドーピング、人種差別発言、代理人によるきわどい交渉など、サッカー界を取り巻くマイナス要素を取り除いていきたいと決意を述べています。

そして、早速いくつか試案を出していますが、チャンピオンズリーグ(CL)の出場枠の変更(今4チーム出場できるいくつかの国を3に減らし、他の少ない国に割り振る)に対しては、減らされる国の関係者、例えばマンチェスターUのファーガソン監督らがさっそく反対しています。また、アーセナルのヴェンゲル監督からはビデオ判定導入の期待が述べられています(プラティニ氏は反対らしい)。

一方、先を越されてしまったドイツのベッケンバウアー氏(今回UEFA選出のFIFA理事に就任・61歳)との微妙な関係や、投票結果が接戦だっただけに、ヨハンソン派とどう折り合っていくのか(UEFAの名誉会長職を用意しているようですが)など、課題も多く指摘されています。

ミシェル・プラティニ、51歳。同年代として、また現役時代の大ファンとして、ぜひ見事な舵取りを見せてほしいと願っています。

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パリ競馬、アメリカ賞。

2007-01-29 04:02:48 | スポーツ
フランスで最も人気のある競馬“Prix d'Amerique”(アメリカ賞)が、28日、パリ東部ヴァンセンヌの森にあるパリ・ヴァンセンヌ競馬場(Hippodrome Paris-Vincennes)で行われました。



これは日本で一般的な競馬とは異なる、繋駕速歩競走というタイプの競馬で、1920年に第一次大戦の勝利とアメリカの参戦に感謝して創設された伝統あるG1レースです。

ご覧のように、ジョッキーが騎乗するのではなく、カートを牽くスタイルです。フランスではこのスタイルの競馬(Attele=繋がれた、騎乗するのはMonte=乗られた)に人気があり、夜のTVニュース(TF1)の後で放送される競馬ニュースのタイトルバックにもこの繋駕速歩競走が使われています。やはり、映画『ベンハー』などに見られる古代ローマ以来の伝統が、ラテンの国・フランスには今も色濃く残っているのではないでしょうか。

夏の凱旋門賞は、馬主を中心にイギリスの上流階級が大挙してパリへ押しかけた観があり、場内でもブリティッシュ英語が幅を利かせていましたが、このアメリカ賞はフランス庶民が主役(といっても有色人種は殆ど見かけませんでした)。

着飾った人は殆どいなくて、ジーパンにコートのラフな格好の人ばかり。場内のアナウンスは、フランス語・英語にイタリア語。イタリアでもやはりこの手の競馬に人気があるのか、イタリアからの参戦・観戦も多いようです。ということは、このスタイルの競馬はラテン系の楽しみなのかもしれません。一方の騎乗するタイプは、アングロ=サクソン系の楽しみと言えるのでしょうか。門外漢の勝手な思いつきです。

立地のせいか、観客のせいか、場内はハズレ馬券や飲み残し・食べ残しが散乱。凱旋門賞の行われたブローニュのロンシャン競馬場とは大きな違いがあります。競馬らしいと言えば言えるかもしれないのですが・・・。

フランス庶民の楽しみとはいえ、名前にアメリカがついているだけに、アメリカ色も演出に加えられています。

チアガールたちのパフォーマンスや、

マーティングバンドの演奏などがお祭り気分を盛り上げます。

一方、フランスらしい味付けもされており、女性モデルによる騎手ユニフォームのファッションショーが行われたり、古代ガリアの勇者たちの颯爽とした乗馬風景が実演されたりしました。


さて、肝心のレースですが、4歳から10歳馬で、延べ獲得賞金が153,000ユーロ以上で且つ直近1年以内に31,000ユーロ以上稼いだ馬の中から18頭が出走。距離2,700メートル。

しかし、ゲートが開いて一斉にスタート、というのではないのですね。何しろ、出走ゲートがない! なんとなく集まって、スタート。でも、フライングはきちんとあって、今年はフライングで再スタートになりました。


今年の優勝馬は、Offshore Dream、名前は英語ですが、馬主はEcurie de Rougemont(ルージュモン厩舎)、フランス馬のようです。優勝賞金50万ユーロ(約7,750万円)を獲得しました。

はじめて見た繋駕速歩競走(英語ではtrotting horse raceと言うようですが)、何となく古きよきヨーロッパを感じさせてくれました。今回も馬券(1枚2ユーロ)は買いませんでしたが、見るだけで十分に面白い経験でした。

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フランスが泣いた日。

2007-01-28 02:31:56 | パリ
フランス人に最も愛され続けたフランス人、l'abbe Pierre(ピエール神父)が22日に亡くなったことは日本のメディアも伝えていたのではないかと思います。EMMAUS(エマウス)という住まいのない人たちを支援する活動団体の創設者でした。


23日付のLe Figaro(フィガロ紙)です。その死を悼む特別号になっています。中面では6ページにわたって、その生涯、業績、そして継承すべき事柄が詳述されています。

ピエール神父の死をフランス全体が悲しみ、オマージュを捧げている。

1912年、リヨンの裕福な家庭に生まれるが、早くから宗教に惹かれ、19歳で遺産相続権を放棄。宗教の道へ。26歳で司祭に叙階される。第二次大戦中はレジスタンスとして活躍。戦後6年間国会議員を務める。1949年に社会的弱者救済のための不用品回収団体“EMMAUS”を創設。この活動を一躍有名にしたのは、1954年の冬、ある路上生活者の凍死に際し、ピエール神父が発した弱者援助を求める呼びかけ。「友よ、救いの手を」という呼びかけにフランス中から善意が殺到。その後、一時EMMAUSから手を引くものの、1985年にEMMAUSを再編成し、ピエール神父財団を創設。不用品回収とリサイクル販売を通して社会弱者への住まい提供を本格的に始める。

今ではこのEMMAUS、世界50カ国近くで活動を行っています。日本では、作家・エッセイストの須賀敦子さんが「エマウスの家」を東京に創設していますし、社会福祉法人暁光会がEMMAUSと連携を取っているようです。

94歳で亡くなったピエール神父の葬儀は、26日、パリのノートルダム大寺院でシラク大統領、ジャン・レノら、政界・宗教界・映画界など各界の要人列席のもと、執り行われました。

ノートルダム大寺院の周囲には、最後の別れを告げたいと数千人が集まり、葬儀の模様はテレビ(TF1)でも生中継されました。もちろん夜のニュースでもトップで、シラク大統領の涙に潤んだ目がアップで映されていました。


葬儀の模様を第一面で伝える27日付のLe Figaroです。

棺は1991年以来EMMAUSの仲間たちと共に住んでいたノルマンディのEstevilleという小さな街の小さな教会に埋葬されました。清貧、弱者救済・・・ピエール神父にふさわしい永眠の場かもしれません。

燦然と輝くピエール神父亡き後、EMMAUSがいかに活動を維持していくか・・・その困難さはすでにメディアで指摘されています。今まで以上に多くの人の理解・支援が必要になることでしょう。弱者がいるかぎりは、ぜひEMMAUSの活動が続くよう願ってやみません。

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パリ商工会議所フランス語試験。

2007-01-27 01:53:23 | 学校
先日、パリ商工会議所 (Chambre de commerce et d'industrie de Paris) の主催するフランス語試験を受けてきました。“Diplome de Francais des Affaires 1er Degre”(実用フランス語第1段階)というタイトルで、ソルボンヌ文明講座の最上級・上級で実用フランス語のクラスをとっている40人くらいが一緒にひとつの教室で受験しました。

会場は、Ecole Commerciale(商業学校)でした。


それなりに伝統を感じさせる校舎ではありました。

試験は初日に筆記(ビジネス文書の理解力・実用フランス語の単語力・聞き取り・ビジネスレターの作文など)、2日目が面接で、フランス語の記事のまとめと質疑、母国語で書かれた記事のフランス語でのまとめと質問、という構成になっています。

と、ここまではいたって平凡なご紹介なのですが、この試験、思わぬビックリがふたつありました。

まず最初は、辞書持込可。単語力を問うパートがあるのにもかかわらず、辞書の持込がOK! 仏仏辞書だけでなく、2ヶ国語の辞書も可。問題数が多いので辞書など見ていると時間がなくなってしまう、な~んていうことは全くありません。理解力と単語力を問う部分は1時間、でも30分ほどで終わってしまう程度。じっくり辞書を引いても時間が余ってしまいます。でも実際には、辞書が必要なのは2問程度でしたが、とにかく単語力を問う試験で辞書持込可、とはビックリでした。なお、辞書は辞書でも電子辞書は持ち込み不可。どうしてなのでしょう。機械類が嫌いなフランスらしい決定なのでしょうか?

もうひとつは、騒音。聞き取り試験があるというのに、校庭から大音量の音楽。試験時間中、ず~っと騒音が鳴り響いていました。まだ廊下に近いほうに座っていたのでよかったですが、窓側の人はいい迷惑だったようです。その騒音の基は、なんと遊園地にあるような機械仕掛けのロデオ。ロデオ乗り競争を校庭で学生たちがやっていたのでした。いくら間借りで行う試験とはいえ、せめて聞き取りの時間くらい音楽を止めてもらえばと思うのですが、お構いなく試験は騒音のなか行われました。

辞書持込可と騒音と・・・これも彼我の差。こういうものなのだと納得するしかないですね。いろいろなことをやればやるほど、彼我の差に直面することになります。それが憂鬱になると、ここにいるのが苦痛になってしまうでしょうが、面白いもんだと思えるうちは、まだここにいようと思っています。

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暖冬から一転、厳冬に。

2007-01-26 03:07:42 | パリ
先週までは暖冬で、19日など最高気温が15度という異常な暖かさ。この季節としては観測史上最高気温を記録する地域も続出していたのですが、今週に入ると一転、本格的な寒さがやってきました。アメリカを襲った寒波が移ってきたようです。


24日付のmetro(メトロ紙)ですが、「寒波が大混乱を引き起こす」という見出しに、写真は路肩の雪の埋もれたクルマ。あちこちの道路でスリップによる事故が多発したり、高速道路が通行止めになったり、また雪かきに追われる人々・・・幸いパリ市内は雪は降らなかったのですが、気温はしっかりと下がり、23日以降最高気温が3度以下の日が続いています。25日の最低気温はマイナス3度、26日はマイナス4度の予報。路上生活者にはことさら応える寒さだと思います。メトロの駅に避難にしている人も多くなっています。

一方、雪不足で営業を開始できないでいたスキー場にとっては恵みの雪。早速営業を始めましたが、スキー場までの足を確保するのに苦労しているようです。パリ市内ではスキーではなく、スケート。この季節の風物詩、市役所前のスケート場ですが、あまりの寒さのせいでしょうか、ご覧の通り・・・

客足も遠のいているようです。

こうした寒さの中、冬のバーゲン(Solde)目当ての日本人観光客をよく見かけます。観光には厳しい寒さですが、店内での買い物がメインの目的であればあまり影響ないかもしれないですね。ブランド名の入った袋を提げて、2~4人くらいで歩いている姿ですぐわかってしまいますが、スリに注意して、日仏交流のためにもショッピングをしっかり楽しんでいってほしいものです。

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フランス版・歌手長者番付。

2007-01-25 01:55:03 | 美術・音楽

22日付のLe Figaro(フィガロ紙)の経済面です。「歌手の2007年ヒットチャート」という見出しですが、歌手の収入ランキングと2006ミュージックシーンの回顧が紹介されています。

話題は3項目。

①若手の台頭とベテランの奮闘
上記写真に登場している(左から:Diam's、Benabar、Anais、Olivia Ruiz)をはじめ、20代・30代の若手が収入面でも上位に顔を出すようになって来たそうです。こうした若手の台頭はミュージックシーンを活性化する上で非常に重要だ、という関係者の声が紹介されています。しかしその一方で、Johnny HallydayやMylene Farmerのようなベテランも新曲を出したり、コンサート・ツアーを行ったりと奮闘し、収入面ではこの二人がトップの座を守りました。


これがトップ・テンなのですが、確かに63歳のJohnny Hallydayが875万ユーロ(約13億5,625万円)でダントツの1位。節税のためスイスへ移住しようとしていることは先日ご紹介しましたが、どうもスイス政府は今年から居住外国人に対する課税システムを変更することを検討しているそうです。Johnny Hallydayの移住騒動が思わぬ結果をもたらしそうで、今まで節税の恩恵に浴していたスイス在住の多くのF1レーサーや俳優たちにとっては、いいとばっちりになりそうです。なお、3位以下には20代・30代の若手が並んでいますが、その中にあって8位にランクされた46歳のYannick Noahが根強いファン層を抱え、相変わらずの健闘を見せています。

②CD売り上げの減少
これはフランスだけでなく、世界中どこも同じ傾向なのでしょうが、CDの売り上げがこの4年で40%も減少したそうです。今ほど音楽が人々に聴かれている時代もない、といわれるほどであるにも関わらず、CDの売り上げが大きく減少している・・・理由は、インターネット上での違法コピー。こうした状況に、EMIは対抗策を発表したようですが、SONYやユニバーサルがどういう手を打ってきますか。一方、こうした傾向ににんまりしているのが、インターネット・プロバイダーや電話事業者だそうです。肯けますね。なお、コンサートは活況を呈しており、多くのコンサートが満員の聴衆で埋まっているそうです。

③イェイェやなつかしの音楽の復活
曲は聴いたことがあるけれど、どんな人が歌っているのか知らない、そんな音楽をオリジナルの歌手で聞いてみたい、という若い人たちの要望と、中高年のノスタルジーとがあいまって、イェイェや70-80年代の歌手が復活しています。昨年にはミシェル・デルペシュがコンサートなどの活動で60万ユーロ(約9,300万円)の収入をあげたそうですし、今年は、ミシェル・ポルナレフが活動を再開するそうで、これは大統領選挙、ラグビーのワールドカップと並んで2007年の三大出来事になる、と音楽関係者は期待をこめて言っているそうです。


ここに紹介されているのは、今年更なる飛躍が期待されている若手の歌手たちです。誰が大きく伸びてくるでしょうか。また、なつかしの曲も聞くチャンスが多くありそうですから、フランチポップスにも今まで以上に聞き耳を傾けてみたいと思います。

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英語のキャッチフレーズ、増える!

2007-01-24 03:19:26 | パリ
毎日のように新しい広告が多くのメトロの駅に貼り出されます。その中に、最近、英語をコピーに使ったものが目に付くようになってきました。

例えば、カルバン・クラインの広告。

商品名の“one”に引っ掛けて、キャッチフレーズは英語の“you're the one”。

しかし、右上に星のマークがついていますね。なんとフランス語表記を左端に小さく、しかも横向きに入れています(別の場所の写真です)。

“C'est toi”。ここまでして商品名の“one”を強調したかったのでしょうね。この程度の英語がわかる人でないとアメリカ英品を使わないでしょうし、ターゲットもそうなっているのでしょうが、やはり念のためフランス語を入れているのではないでしょうか。それとも、法律で外国語だけのコピーは禁止されているのでしょうか。アジアではそうした法律のある国があるようですが、まさかフランスが、とは思いますが・・・。

別の例は、こちら。

フランス・テレコム(現社名はorange:オランジュ)の広告。キャッチフレーズは、大胆にも“Yes !”。フランステレコムの固定電話に加入しなくても、このモデムでインターネット、電話、テレビがOKという広告です。フランス・テレコムもずいぶん変わってきているようです。お役所気分が抜けてきたのでしょうか。

こうした広告を見ていると、思わぬ勘違いもしてしまいます。

マットレスの広告なのですが、商品名とキャッチフレーズが同じで、“Lovez-vous”。英語のloveをフランス語の動詞化して、自分を愛そう、という意味の造語にしているのでは、と勝手に思ってしまったのですが、調べてみると、何とse loverというフランス語の動詞があり、「カラダを丸める」という意味。快適なマットレスで、気持ちよく丸まって寝てください、という意味のようです。とんだ、勘違いでした。

日本の広告には時々意味の分からないものも含め、英語が氾濫していますが、フランスにもその波はひたひたと押し寄せているようです。このあたりが、フランス人の広告嫌い、蔑視に拍車をかけている一因かも知れないですね。

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ギメ美術館。

2007-01-23 00:58:59 | 美術・音楽
エッフェル塔からもそれほど遠くない、イエナ橋の近くに「国立ギメ東洋美術館」があります。ヨーロッパの東洋美術の中心になっているという、充実したコレクションです。


リヨンの実業家、エミール・ギメ(Emile Guimet : 1836-1918)が1876年の世界一周の折に集めてきた美術品を中心に、1879年からリヨンで公開。1889年にはパリに移り、その後1928年には国立美術館に。その後、内容の充実を図り、2001年にはリニュアル・オープン。


1階には、東南アジアとインドの美術品。カンボジア・クメール文化の素晴らしさがひときわ目を惹きます。アンコール・ワットやアンコール・トムのものもあります。さすが旧宗主国。いろいろ持って来ているようです。


2階には、チベット、ネパール、ガンダーラ、中国の美術品。ガンダーラの仏像は顔が西洋人です。人の往来が昔から盛んにあったのでしょうね。


3階には中国、韓国、日本の美術品。歌麿を中心に充実した浮世絵のコレクションがあります。

駆け足で見ても3時間。実に膨大な美術品の数々です。よくぞこれだけ集めた、と感心してしまいます。こちらの美術館は、ここだけでなく、作品点数が多い。しっかり見ようと思ったら、1日でも足りない。もちろんルーブルなどは1週間とも言われていますが、とにかく時間に余裕を持たせて行きたいものです。休日の午前中に入館し、夕方までゆっくり鑑賞している人が多くいます。長時間いれば、当然おなかもすくし、喉も乾く。美術館にレストランやカフェがしっかり整備されているのもこうした事情によるのかもしれませんね。

それに、どの美術館でも思うのですが、展示方法がアートしています。実にうまい展示の仕方をしています。壁に凹凸を付けたり、スペースをうまく使ったり・・・美術品に負けないセンスが感じられる展示、設計の美術館が多く、それを見るのも楽しみの一つです。


そして、この日も2組いたのですが、学芸員による学生たちへの説明。奥に見える集団がその1組ですが、みんな熱心にメモを取っていました。小さいときから、多くの優れた美術品に直接触れることができるわけですから、センスも磨かれるのでしょう。こうして伝統は継承されていくのでしょうね。

入場料6ユーロ、特別展も見ると7.5ユーロ。火曜日が休館日です。詳しくは、www.guimet.frでも見れます(フランス語)。

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偉大なる無名の人々。

2007-01-22 03:06:35 | パリ
18日から22日まで、パンテオンで“Hommage de la nation aux justes de France”(フランスの正義に捧げるオマージュ)というイベントが行われています。


パンテオンのドームの真下です。朝早くから多くの人が集まっています。展示されているのは・・・


多くの人々の写真です。無名の人々の写真です。彼らは一体誰で、どのようにフランスの正義に貢献したのでしょうか。

彼らは、ドイツ占領下、ドイツ軍とその傀儡であるヴィシー政府によって追われる多くのユダヤ人を自らの危険も顧みず、助けようとした人たちです。農民がいます、パン屋がいます、石工がいます、教師もいれば聖職者もいます。みんな無名の普通の人たちでした。それが、正義のため、人類愛のため、危険を冒してユダヤ人を匿ったのでした。うまく助けおおせた人もいます。残念ながら、ユダヤ人ともどもゲシュタポの手に落ちてしまった人もいます。それでも助けようとするフランス人は後を絶たなかった・・・。



18日のオープニングには、シラク大統領が出席しスピーチを行っています。寛容、友愛、団結の精神で勇敢に立ち上がったこれらの人たちの崇高な行いで、ドイツ占領下のフランスではユダヤ人の4人に3人が助かった。無関心や見て見ぬふりを拒むこと、自分へと同じまなざしを他者に向けること、そうしたことの大切さを彼らから学びたい。このような内容だったと思います。また、「La Fondation pour la Memoire de la Shoah」(ホロコースト記念財団)のシモーヌ・ヴェイユ女史(Simone Veil)も出席していました。Shoahとは英語のカタストロフ(破滅)という意味のヘブライ語で、ホロコーストを表しています。

会場では正義のために戦った市井の人々の写真のほかに、アニェス・ヴァルダ(Agnes Varda)制作の映像が流されていました。ユダヤ人を匿いながら一見楽しく過ごしているフランス人一家。しかしユダヤ人の存在がばれてしまい、ユダヤ人のみならずその家の主もドイツ軍とヴィシー政権のフランス人によって連行されてしまう。そんな占領下のエピソードをカラーとモノクロとで見せてくれます。とくにモノクロはいかにも実話ふうに見え、胸に迫ってくるものがあります。

戦後60年を超え、戦争の風化が言われていますが、フランス、少なくともこの会場ではまだその記憶は消え去っていないようです。映像が終了すると柱の影でハンカチを目に当てる女性、ご主人に抱えられながら涙を抑えきれない女性、天井を見上げて涙をこらえる男性・・・家族に映像と同じような経験をした人がいるのかも知れません。


ヴォルテール、ルソーなどフランスを代表する偉人たちが眠る地下廟の入り口に貼られたプレートです。暗黒のドイツ占領時代に、正義のために立ち上がった人々が一条の光を放ってくれた。男も女も、出身もさまざまだが、ホロコーストに対し、一様に自らの危険も省みずにユダヤ人に救いの手を差し伸べた。まさに、フランスの名誉、正義、寛容、人類愛を現してくれた・・・

ヴィシー政権がドイツ軍に協力した結果、フランス全土で75,000人のユダヤ人がアウシュヴィッツ等に送られ殺されたという事実。しかし、その一方で、危険を顧みずユダヤ人を匿った多くのフランス人がいたのも事実。彼らは今でも無名のままですが、それでもその行いは偉人たちに決して劣らない。そのことをパンテオンという場所が語っているようです。

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