かつて、エディット・ピアフをはじめ、多くの歌手たちがその舞台に立ってきたオランピア劇場。はじめて中に入ってきました。
外観は、エディット・ピアフの自伝映画“La Mome”をご紹介した際にお見せしていますので、早速、中に入ってみましょう。赤を基調とした内装と照明で、シックではありますが、いかにもミュージックホールといった、ちょっといかがわしい雰囲気もあり、ワクワクと期待させるものがあります。
ガラスの扉を押してさらに中に入ると、階段の先にバーコーナーが。1階と2階にそれぞれバーがあり、ビールやソフトドリンク、ポップコーンなどを売っています。開演前、あるいは幕間に多くの人たちがコップ片手に語らっています。
そして、ホール内に入るとこの通り、ステージも含め横幅はそれほど広くはないのですが、その分奥行きが長く、また2階のバルコンが大きくせり出しています。各シートには番号等が表示されていませんので、どうしても案内係りのお世話になることになります。
右上に、せり出している2階のバルコンがご覧になれますか。1階、2階合わせて収容人員はおよそ2,000人だそうです。
ここで、オランピア劇場の歴史をちょっと振り返ってみましょう。ムーラン・ルージュの設立者でもあるジョゼ・オレによって、始められました。ミュージックホールとしてのオープンは1889年と1894年というふたつの説があるようですが、いずれにせよ19世紀末のパリ、今と同じ場所にオープンしたようです。初期の頃には、ジョセフィン・ベーカーやダミアといった伝説のスターがステージに立っていたそうです。1929年から、一時映画館として使用されたようですが、1954年にディレクターとしてBruno Coquatrix(ブリューノ・コカトリックス)が就任すると、彼の運営の下、ミュージックホールとして再生。エディット・ピアフをはじめ、ジョルジュ・ブラッサンス、ジルベール・べコー、イヴ・モンタン、ジョニー・アルディなどが夜毎観客を熱狂させる黄金時代を迎えました。1990年代に入り、解体して駐車場にという声が上がったようですが、時の文化大臣、ジャック・ラングによって解体を免れ、今でも多くのミュージック・ファン憧れのホールになっています。因みにここオランピアで日本人初のリサイタルを開いたのは、1990年の石井好子さんだそうです。もちろんそれ以前に出演した日本人歌手の方もいらっしゃいますが、個人リサイタルはこの年が初めてだったとか。
さて、4月30日の夜、オランピアで私がはじめて聞いたのは、日本人歌手・TOMUYA(突無也)のコンサート。
ミック・ジャガーに憧れ歌手の道へ。その後、ジャズ、シャンソン、フレンチポップスなどへレパートリーを広げ、フランス、日本で活動を行っているそうです。
オランピアでの初コンサート。ここまでの道のりは決して平坦ではなかったと思うのですが、そんな苦労は微塵も感じさせない、どこまでも軽く、明るい歌です。シャンソンでもない、ジャズでもない、ロックでもない、いってみれば古い言葉ですがフュージョン? オランピアのステージはゴールではなく、スタート。これからどんなトムヤ・ワールドを作っていくのでしょうか。
4月5日に新しいCDをリリースしたそうで、そのアルバムに参加したフランスの歌手たちが友情出演。大いにステージを盛り上げてくれました。歌手の仲間意識、友情はいいな~、というのがこの夜の一番の感想だったかもしれません。
出口へ向かう通路には、ブティックもあり、歌手のCDなどを記念に買えるようになっています。
フランス人の歌手はもちろんですが、日本人だけでなく、多くの外国人スターが憧れるオランピアのステージ。さて、今夜の、来週の、そして来月のステージでは誰がどのようなショーを繰り広げるのでしょうか。
L'Olympia
28 Bld. des Capucines
http://olympiahall.com
↓アクセスランキングへ「励みの一票」をお願いします!
人気blogランキングへ
外観は、エディット・ピアフの自伝映画“La Mome”をご紹介した際にお見せしていますので、早速、中に入ってみましょう。赤を基調とした内装と照明で、シックではありますが、いかにもミュージックホールといった、ちょっといかがわしい雰囲気もあり、ワクワクと期待させるものがあります。
ガラスの扉を押してさらに中に入ると、階段の先にバーコーナーが。1階と2階にそれぞれバーがあり、ビールやソフトドリンク、ポップコーンなどを売っています。開演前、あるいは幕間に多くの人たちがコップ片手に語らっています。
そして、ホール内に入るとこの通り、ステージも含め横幅はそれほど広くはないのですが、その分奥行きが長く、また2階のバルコンが大きくせり出しています。各シートには番号等が表示されていませんので、どうしても案内係りのお世話になることになります。
右上に、せり出している2階のバルコンがご覧になれますか。1階、2階合わせて収容人員はおよそ2,000人だそうです。
ここで、オランピア劇場の歴史をちょっと振り返ってみましょう。ムーラン・ルージュの設立者でもあるジョゼ・オレによって、始められました。ミュージックホールとしてのオープンは1889年と1894年というふたつの説があるようですが、いずれにせよ19世紀末のパリ、今と同じ場所にオープンしたようです。初期の頃には、ジョセフィン・ベーカーやダミアといった伝説のスターがステージに立っていたそうです。1929年から、一時映画館として使用されたようですが、1954年にディレクターとしてBruno Coquatrix(ブリューノ・コカトリックス)が就任すると、彼の運営の下、ミュージックホールとして再生。エディット・ピアフをはじめ、ジョルジュ・ブラッサンス、ジルベール・べコー、イヴ・モンタン、ジョニー・アルディなどが夜毎観客を熱狂させる黄金時代を迎えました。1990年代に入り、解体して駐車場にという声が上がったようですが、時の文化大臣、ジャック・ラングによって解体を免れ、今でも多くのミュージック・ファン憧れのホールになっています。因みにここオランピアで日本人初のリサイタルを開いたのは、1990年の石井好子さんだそうです。もちろんそれ以前に出演した日本人歌手の方もいらっしゃいますが、個人リサイタルはこの年が初めてだったとか。
さて、4月30日の夜、オランピアで私がはじめて聞いたのは、日本人歌手・TOMUYA(突無也)のコンサート。
ミック・ジャガーに憧れ歌手の道へ。その後、ジャズ、シャンソン、フレンチポップスなどへレパートリーを広げ、フランス、日本で活動を行っているそうです。
オランピアでの初コンサート。ここまでの道のりは決して平坦ではなかったと思うのですが、そんな苦労は微塵も感じさせない、どこまでも軽く、明るい歌です。シャンソンでもない、ジャズでもない、ロックでもない、いってみれば古い言葉ですがフュージョン? オランピアのステージはゴールではなく、スタート。これからどんなトムヤ・ワールドを作っていくのでしょうか。
4月5日に新しいCDをリリースしたそうで、そのアルバムに参加したフランスの歌手たちが友情出演。大いにステージを盛り上げてくれました。歌手の仲間意識、友情はいいな~、というのがこの夜の一番の感想だったかもしれません。
出口へ向かう通路には、ブティックもあり、歌手のCDなどを記念に買えるようになっています。
フランス人の歌手はもちろんですが、日本人だけでなく、多くの外国人スターが憧れるオランピアのステージ。さて、今夜の、来週の、そして来月のステージでは誰がどのようなショーを繰り広げるのでしょうか。
L'Olympia
28 Bld. des Capucines
http://olympiahall.com
↓アクセスランキングへ「励みの一票」をお願いします!
人気blogランキングへ