50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

先人たちの知恵―20

2007-09-16 00:25:08 | 先人の知恵
今回ご紹介するのは、鈴木康司氏著『パリ日本館からボンジュール』。1987年刊ですから、20年前の出版です。著者の鈴木康司氏は、東大卒の仏文学者で、長らく中央大学で教鞭をとられました。ご専門は、モリエール、マリヴォー、ボーマルシェを中心としたフランス演劇で、フランスには、給費留学生として、研究者として、そして1984年から86年にはパリ国際大学都市日本館館長として、三度長期滞在されています。この本は、日本館館長として2年滞在された間と帰国後に書かれたものをまとめられたものです。フランスを見つめる視点、フランス社会の変貌、専門、趣味などについて、一般の読者にもわかりやすく書かれています。ただし、私の関心のある分野を中心に引用させていただきました。例によって長い引用ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。


(現在のパリ国際大学都市日本館の外観)

・日本のインテリの中には、フランスに行くとフランスを賛美し、日本の悪口を言い、帰国すると一転してフランスをけなして、日本万歳を唱える不思議な人物がいる。私としては、そのような無定見を避け、できるだけ公平に彼我の長所も欠点も認めたつもりである。自国にいて己の国を賛美するのはたやすいが、ひとつ間違えば井の中の蛙にもなりかねない。耳触りのよい美辞麗句で生まれた国を美化し、国粋主義をあおり立てるよりは、他国をかえりみて自国のあり方を反省する方が、よほどましではないかと思う。ただし、国内で国、国とやたら愛国を振り回す輩もさることながら外国へ出た折に自国の悪口をしゃべりまくる連中を私は信用しない。職務柄とはいえ、私としても日本のよさを訴え、フランスに好意的な外国人としてフランスを批判することをしてきたという自負は持っている。

・フランス人がいかにおしゃべりな国民であるかは、この国に在留するすべての日本人の、感嘆久しくするところだろう。(略)フランスの学生たちは、誰も彼も、他人より一言でも多く、巧みに語り、他人の言にはたいして耳を傾けないのをもっぱらにしているように思えたからだ。(略)この饒舌こそフランス的雄弁術の基礎だということだ。まさに、「初めに言葉ありき」Au commencement etait la parole.なのだ。(略)討論会に出席する人々は、まず、デカルト的明晰さをもって、整然と自説を展開する。ところが、ひとたび討論開始となるや、司会者の割って入る余地もあらばこそ、各自がてんでに、勝手な説をがんがんと主張し始める。私の印象では、いちばん強引に、いちばん長々と自説を展開し、他人の意見に耳を貸さなかった者が、勝利を得るといった感じなのだ。「強者の論理は常にいちばん正しい」La raison du plus fort est toujours la meilleure.のだろうか。

・この国では、自説を論旨明快に直截な表現で述べること、人より一言でも多く説得的に語ることが、他人から評価される基になる。だから、会議や座談などでは、問題の所在も明らかで、自分が大方の主張と意見が同じなら、日本では、黙っていれば済むことでも、こちらでは、いちいち意思表示を明確にしておく必要がある。さもないと、あいつはものを考えない、内容のない人間だと思われかねない。だから、この国にいる日本人にとって、大切なのは、常日頃から確固たる意思表示に基づいた、他人とのつき合いに慣れておくことだ。

・パリのように、人種のるつぼといってよい都市では、風俗、習慣や文化の基盤が違う人間同士が出合うのだから、おたがいに黙っていては、何を考えているのか、どんな価値観の持ち主か、善意があるのか、悪意を抱くのか、それこそ、絶対にわからない。絶えず握手をしたり、ほおに接吻し合ったり、ほほえんだり、紋切り型のあいさつを交わすのも、相互にエールを交換して友好の意思を表わす必要があればこそなのだ。意思伝達のためのおしゃべりは、どんなにしても多過ぎることはない。

・日本人で外国生活を送る人間は、日本のことを知らしめるために、できるだけ口数を多くしたほうがよい。もちろん、そこには言葉の問題がついてまわる。しかし、発音の上手、下手を、それほど気にするには及ばない。子どもの頃から身につけたのでもないかぎり、所詮、外国語は外国語なのだ。要は、自分の心を相手に伝えようとする意欲と姿勢であって、文法的に多少おかしかろうが、たどたどしかろうが、たいしたことではない。第一、われわれだって、常日頃、文法的に100パーセント正確な日本語をしゃべっているわけではないだろう。会話と文章語だって、ずいぶん違う。フランス語も、その点は似たりよったりなのだ。

・たしかに、国内でこそ、寡黙は深い思考や謙譲、節度を表わす美徳であっても、一歩日本の外へ出れば、通用しなくなる。日本が昔から、外交下手で有名なのも、われわれ日本人に、自己を表現し、雄弁を振るい、自説を主張する習慣が、きちんと身についていないせいだろう。いろいろな国から誤解されたり、厳しい批判を受け、あまりにも閉鎖的だと攻撃されたりするのも、われわれが言いたいことの半分も言わずに済ませながら世を渡るべくしつけられているため、日頃から外国との意思疎通を上手に行なえないからでもあろう。「沈黙は金」などと気取っていずに、日本人がもう少しおしゃべりになり、そのかわり、口から先に生まれたようなフランス人も、もう少しむだぐちが少なくなれば、日仏コミュニケーションは、今よりももっと容易になるであろうというのが、私の結論である。


(日本館の玄関付近です)

・フランスという国のすごさは、立派な芸術家であれば、どこの国の出身者であろうと、暖かく見守り、育成し、自国の財産としてしまうところにある。スペイン生まれのピカソ、ルーマニア生まれのイヨネスコ、ロシア生まれのシャガール、日本生まれのフジタ、荻須、小澤、イギリス生まれのチャプリン。フランス国籍を取った者も取らぬ者も、彼らは、みな、フランスでその才能を認められ、開花し、世界に羽ばたいた人たちだ。フランスには、人類全体の財産となる芸術、文化に対して、それが外国産であろうとなかろうと、惜し気もなく金を出し、保護を与え、育てる、寛容な態度がある。

・最近の国際化の掛け声だって、われわれ日本人が非国際的民族でどうにもならないからこそ、ことさらお題目のように、みんなで唱えているのだろう。だが、もしも、国際化を本気でやるつもりがあるならば、こちらも相手の社会に溶け込む努力を傾けると同時に、相手をこちらの社会の内に、妙なかっこうをつけずに、取り込んでしまう度量と覚悟がなにより大切だ。

・日本人なら日本文化を愛し、誇りを持つのは当然だ。しかし、日本文化の優秀性を盲信し、他国の文化をおとしめたり、学ぼうともしなければ、そんな人間には、文化を語る資格はない。そもそも、それぞれの国の文化には、相違はあっても、絶対的な価値の優劣などありはしない。

・(註:ご子息がサッカーチーム、パリ・サン・ジェルマンのジュニアチームでプレー)スポーツはあくまで個人の生活を豊かにし、人生の楽しみとなるものだから、個人が主体的に取り組み、自分で絶えず頭を使いながら行なうのが当然と考えているフランス人に対し、すべてが道に通じ、修行に通じると称して、年長者の言には無条件で従わせ、コーチ、監督の言葉に絶対服従を強いるような学校運動部が主流を占める日本では、選手の自立心、主体性はなかなか確立されないのではなかろうか。

・(註:歌や演奏の途中での拍手などについて)とにかくフランス人というのは、目立ちたがり屋、よかれあしかれ注目を浴びたい連中が多い。車に乗れば人より少しでも先へ出たがるし、集団の中では自分が際立ちたいのだ。満場の客に先がけて、自分がまっさきに拍手する。それが、ちっぽけな虚栄心を満足させるのだろう。たとえ、他の客のひんしゅくを買い、迷惑を及ぼしても平気である。

・それにしても、洋の東西を問わず、マナーを心得ないのは、がいして、しつけの悪い若者ということになっているが、今回の滞仏では、中年以上のフランス人で非常識な人間が増えているのにはがっかりした。個人主義というのは、他人もまた自分と同じ権利を持つ個人であると認める点から出発するモラルだと、常々、思っているが、昨今のフランス人観客を見ていると、かつては個人主義だったのが、だんだん、たんなるエゴイストの集まりと化しつつあるように思われてくる。こらえ性とか、我慢、抑制とかいう言葉から、もっとも遠い存在、それが、現代のフランス人かもしれない。

・留学生は留学生で、外国人学生受け入れ機関の窓口が不愛想で、同僚同士おしゃべりばかりで、不親切で非能率この上ないとぼやく。誰も例外なく、頭に来るのは、地区警察や警視庁で滞在許可証を手に入れるまでの苦労であった。何時間も寒空の下を並んだあげく、窓口の係次第で、出すべき書類がくい違う始末。つっけんどんな対応にもぐっと耐えて、要求された書類を何日もかけてつくって行けば、今度は、そんなにたくさんの書類はいらないと突っ返される。前回来たときにこれがないとだめだと言われたのに、なんて言ったって、相手は例によって肩をすくめるだけ。自由、平等、博愛とは、いったい、どこの国の話だ。ああ、なんと遅れた、嫌な国に来てしまったのだ。というのが、この人たちの嘆きの結びになる場合が多い。たしかに、フランスの社会が不便で非能率的であるのは、私もいやというほど体験してきたから、そうではないと言うつもりはない。

・個人のモラルに帰する問題には、できる限り、国は口を出さない。成年に達した一人一人は、学歴、地位とは関係なく、同格なのである。何かというとすぐに警察がしゃしゃり出たり、お上に頼って規制してもらおうという自立心のない人々が多い、どこかの国とは違ってる。それだけに、この国は良くも悪くも大人の社会である。親がけんめいになって子供を甘やかし、犠牲になっている日本と異なって、フランスの学生たちは実に質素であり、親に寄りかかって見分不相応な暮らしをしているような連中は、まずいない。日本からの留学生だって、社会にいったん出て、自分で給料を貯えてから、目的意識をしっかり持って来た人々は、フランス社会の自由と責任という仕組みをすぐ理解し、足が地に着いた着実な生活を送る人が多いようだ。危ないのは、すねかじりの、甘やかされた人たちだ。

・この国の人々は、だからといって、決して冷淡ではない。

・個人主義の国、一人一人が自己主張をして、何かをまとめようと思っても、なかなかまとまらない国ではあるが、社会的不公正に対する怒り、弱者に対する思いやりを、はっきりした行動に移す若者が圧倒的に多いところは、さすがに、大革命によって近代的民主社会を生み出した国だけのことはある。

・・・・・・いかがでしたか。書き写すのがこれほど楽しいことはかつてなかったほどです。文化・習慣などには違いはあっても、優劣はない。自分の言葉で語ることの大切さ。個人主義と連帯。文化擁護の大切さ。そして、なぜ日本のサッカー選手が自分で考えてプレーできないのか・・・多くの示唆に富んだ、お勧めの一冊です。

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先人たちの知恵―19

2007-08-12 00:55:48 | 先人の知恵
日本では猛暑のようですね。暦の上では立秋を過ぎたとはいえ、35度以上のところも。残暑お見舞い申し上げます。

さて、暑さの中、例によって少々長い引用ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

今回ご紹介するのは、倉田保雄氏著『新ジャポネとフランセ~ボンジュールさん、こんにちは~』。1990年刊です。著者の倉田氏は、共同通信の特派員としてロンドン、パリに駐在された方です。ご尊父が国際ビジネスマンだった関係で、幼少の頃からブリティッシュ・イングリッシュとフランス語に接する機会が多く、自然にマスターされたとか。しかも、暁星のご出身でフランス語をフランス人から直接習われたので、まったく不自由しないレベルだったようです。また、フルブライト奨学生としてアメリカで学んだ経験もお持ちですので、日米欧の視点からの考察にもなっています。


(いまやビジネスの中心街のひとつ、デファンス地区のビル群です)

・そもそも、フランス人は地球上の人類はすべてフランス語を話し、自分たちと同じように振る舞うべきだと思い込んでいるから、“西の果て”からきたアメリカ人が変な言葉を話し、けったいな振る舞いをして平気でいることが、不思議であると同時に腹立たしくもあったのである。だから、ことあるごとにアメリカ人をからかい、バカにすることをスポーツなみに楽しんでいるかのようだったが、客観的にみて興味深かったのは、どんなにバカにされ、からかわれようと、アメリカ人はフランス人を称賛しているということで、“自由の女神”のご利益の大きさにつくづく感心したものだ。

・フランス人、特にインテリ層が英語をよく使うことだ。サンジェルマン・デ・プレのキャフェで、あるいはビジネスエリートたちがよく来るレストランで、近くのテーブルでフランス人が交わしている会話の中に、極めて当たり前であるかのように英語が飛び出す。パーティ、ディーラー、スポーツカー、ルック、ビジネス、ショッキングなどなど。

・フランス政府も一九九〇年代の「英語で動くヨーロッパ」を想定して、英語教育の強化に乗り出しているが、同じやるなら幼児のころから徹底的にということで、小学校で英語を教える方針を打ち出した。

・フランス人は「パリはつねにパリ」(Paris est toujours Paris.)で変わらないと言う。たしかにそのとおりだと思うが、一九七〇年代の前半に四年間パリに住んでいた私から見ると、八〇年代終わりのパリはウソのように変わっている。それはパリの電話である。(略)私が特派員として駐在していた当時のパリの電話は文字どおりの“悪夢”(コシュマール)であった。どうしてコシュマールかというと理由は簡単明瞭、ダイヤルを回してもまともにかからないからだ。(略)“花の都”にきてまさかこんな原始的な苦労をするとは思ってもみなかった。

・日本人は“国際”(インターナショナル)という言葉が好きだ。ヨーロッパからの帰国子女が困惑することの一つに、有無をいわさず、“国際人”にされてしまうことがある。「なぜ、日本人ではいけないのか」と彼らは首をかしげるわけだが、国際人のお手本がフランス人や英国人だと聞かされて二度びっくり。そして最近では総理大臣までが、“国際国家”などという不可解なことを言いだした。国際とは国と国との相互関係であり、どんな国でも必然的に国際国家であるわけで、文字どおりナンセンスである。おそらく、国際は“かっこいい言葉”だから国民に受けるという単純発想から出たに違いない。仮に、国際国家がフランスや英国なみの国際性を備えた国を意味するとしよう。そこで、日本がそういう国家になれるかどうか。私はきわめて疑わしいと思う。それは、ヨーロッパの国際性は“先天的現象”だからだ。(略)ヨーロッパの国際性は外国を受け入れるという先天的条件を備えているのが特徴で、国際性は氷山の水面下に匹敵する広がりを持つ。日本がこのハンディを乗り越えるのは不可能に近い。いずれにせよ、首相が国連などで演説の英訳原稿を棒読みしたぐらいで“国際国家”になれるほど国際社会は甘くない。

・日本人は「フランス人は働かない」と決め込んでいるようだが、よく聞いてみると、働かない現場を見ているわけではなく、ただバカンスに熱心だということからそう思い込んでしまっているのだから、なんともいい加減な話だ。もっとも、フランス人は“遠い国”(ペイ・ロワンタン)の日本人になんと思われようと平気でいるからどうということはないが、いずれにしても、バカンスから人間の勤勉度を割り出すのはいかにも日本的な処世観である。フランスのサラリーマンとひと口に言っても日本のように均一性がないので、一概に勤勉かどうかの判断を下すことはできない。とにかく階級区分がはっきりしている社会で、しかも世界に冠たるエリート主義の伝統がしっかり根を下ろしている国だから、平等主義が徹底している日本とはきわめて対照的なことが多いのだ。

・私の知るかぎり、フランスのカードル(註:cadres=エグゼクティヴ)は実によく働く。カードルとの比較において、一般社員が働かないということは言えるかもしれないが、とにかく彼らがよく仕事をする実態は、なぜか日本ではほとんど知られていない。まず、カードルの出社であるが、これが日本とは逆で、大体において一般社員より早く出社する。午前八時以降に出社するカードルはまずいないとみてよいのではないか。中には午前七時ごろにきて、書類に目を通しサインし、新聞やテレックスで入ってきているビジネス関連情報をインプットし、一般社員が出社してくるころには、“バッテリー・チャージ”完了。課長になったら、一般社員より遅く出社することに存在理由(レーゾン・デートル)があるとか、部長になったら会社の車が迎えにくるといった日本式ビジネスマンシップとの違いが歴然としている。通勤はマイカーがほとんど。(略)退社時間は六時だが、カードルは八時ごろまで仕事をする。それでも終わらないときは、家に持ち帰ってするといった具合で、一日、十四時間ぐらい働くカードルは決して珍しくない。隣の小部屋のカードルとはつねに社内生存競争をしているのだから、うかうかしていられないからだ。

・日本では想像もつかないような密度の高いエリート教育を受けるだけに、イックス(註:グラン・ゼコール御三家の一つ、エコール・ポリテクニック(理工科大学校))はみなきわめて優秀だ。また、日本人は、なんで政治家や外交官、会社重役になるのに数学教育が必要なのかと不思議に思う向きもあるようだが、フランスでは数学は“論理に強くなる”手段として教え込まれるのであって、数学は文科系の学生にとっても重要な教科なのだ。“デカルトの末裔”であればなおさらのことである。こういうエリート教育を受けた人物が首相や大統領になるのだから、非論理的な発言や、低次元の失言、無知によって、国民の笑いものになるというようなことはまずありえない。

・セーヌには三十一の橋がかかっている。全長十二キロだから、約四百メートルおきに橋がかかっている勘定になるが、それらの橋がそれぞれ個性的な造形美を競い合っているのは、“パ・コム・レ・ゾートル”(pas comme les autres=ひと味違う存在)に生き甲斐を感じる個性的なフランス人を象徴しているかのようだ。

・かくして、七月十四日はパリジャンにとって「最も長い一日」(ロンゲスト・デー)だったのだが、ベルサイユ宮殿にいたルイ十六世の日記には、「リャン」(何もなかった)と記載されていたのだ。当時の通信手段からすれば不思議でもあるまいが、いずれにしても、日本あたりでは、バスチーユ陥落で王政は倒れたと歴史を勝手に締めくくってしまっている傾向がみられるが、それはとんでもない間違い。王制が崩壊し、第一共和制が創設されたのはバスチーユから約三年後で、たとえば、一七九〇年の七月十四日に行なわれた革命一周年記念式典にはルイ十六世が国王として堂々出席し、参列者の中からは「ヴィーヴ・ル・ロワ!」(Vive le Roi !=国王万歳!)の叫びも聞こえたという。アメリカ人同様に、マニ教信者のように善玉と悪玉に区別してものごとを考えないではいられない日本人には奇異な感を与えるかもしれないが、ヨーロッパの政治とはそういうもので、むかしもいまも変わりはしない。

・フランスには「終わりよければすべてよし」(Tout est bien qui finit bien.)という諺がある。だとすれば、たとえ一世紀かかろうとも、終わりよければ大革命は成功だったということになる。ちなみに、フランスでは過去二百年間に十五の新憲法が制定されている。平均して十四年ごとに新憲法が出てくるという政治風土は、革命らしい革命を体験したことのない、しかも明治憲法と現行憲法しか知らない日本人にはそれこそ“信じられない”(アンクロワイヤーブル)だろうが、そうした切磋琢磨によって、ヨーロッパ政治のリーダーシップを握るこんにちのフランスがあるのだと私は思う。ナポレオン曰く、「革命とは悪臭の強い堆肥のようなものだが、その堆肥がやがて畑に立派な野菜をもたらすのだ」

・フランスのインテリ支配階級は毎朝、保守系の「フィガロ」を読み、夕方は革新系の「ルモンド」を読む。だからひとたび政治談議となったらテーマにこと欠くようなことはない。よく、フランス人は財布は右、投票のときは左というが、フランスで暮らしてみるとその辺の兼ね合いがよく分かっておもしろい。日本のように、新聞がみんなそれぞれ公器であると思い込んで中立を気取っている国では不可解なことかもしれないが、フランス人に言わせれば、新聞が軒なみ中立なんてことはありえないし、第一つまらないということだが、私もそう思う。「パ・コム・レ・ゾートル」(他人と同じでありたくない)が確固たる生活信条であるフランス人と、たえず他人と同じでありたい日本人との違いがはっきり表れているわけだが、新聞に限らず政治もまた「パ・コム・レ・ゾートル」の例外ではない。

・ちなみに、フランスでは大統領や首相の不倫はささやかれても、スキャンダルになる可能性は少ないし、地方選挙の候補者など愛人(プチタミ)連れでキャフェのハシゴをやると票が増えるという。「あすはわが身」で暗黙の了解らしい。

・また、これは新聞ではないが、フランスなどでは、トイレの番人のおばさんでも、メトロ(地下鉄)の切符売りのおばさんでも、それなりに一家言を持っていて、ドゴール政治について堂々と三十分ぐらい自分の“社説”を論じまくる――といった現象は日本ではまず考えられないだろう。読者がこのように個人としてのはっきりした意見を持っているから、新聞も社説にはうっかりしたことをかけない。

・大体において、フランス、フランスと騒ぐわりにフランスを知らない日本人が多い。フランス革命についても、革命はブルジョワ革命であったにもかかわらず、プロレタリア革命だと思い込んだり、革命は一七八九年から十年間も続いたのに、七月十四日の「バスチーユ襲撃」だけで革命が終わったのだと勝手に決めつけるのはザラというありさまだ。リベルテ(自由)、エガリテ(平等)、フラテルニテ(友愛)というスローガンにしても、これは革命の過程で生まれたもので、このスローガンの下に革命が展開されたのではないという基本的事実も認識されていないようだ。それはまあ仕方がないとしても、現代のフランス人にとって、自由とは政治的自由よりは生活の歓び(joie de vivre)を味わう自由であり、平等は絶対平等ではなく、不平等にたいする平等、そして友愛は相互不信のうえに均衡が保たれているフランス社会に必要な友愛であるという相対的な意味合いの概念であるという事実を、この際、認識しておく必要があるのではなかろうか。

・・・いかが読まれましたか。フランス学の大家として、あるいは国際関係論の大家として、幅広い知識を基に、日本人への励ましともども、自由に語られています。今回は省略しましたが、さまざまなデータも多く、70年代・80年代のフランスについての資料としても充実した内容になっています。


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先人たちの知恵―18

2007-07-01 00:49:25 | 先人の知恵
すでにお読みになった方も多いのではないかと思いますが、今回、敢えてご紹介するのは、早坂隆氏著の『世界の日本人ジョーク集』です。コメント欄でも何度か引用させてもらっていますが、日本人が外からどう見られているのかを、ジョークを通して紹介している本です。その中にフランス人も時々顔を出しています。日本とフランスが同時に出ているジョークをまとめてご紹介しようと思います。ジョークですので、特徴を少々デフォルメしてはいますが、それだけに、なるほど、こうなんだ、と理解しやすく、分かりやすくなっています。人種・民族に関する微妙な部分もありますが、そこはジョーク、気軽に読んでください。


(夜毎、多くの国々からの観光客でにぎわうムールン・ルージュの昼の顔です)


●早く飛び込め!
ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は乗客たちに速やかに船から脱出して海に飛び込むように、指示しなければならなかった。
船長は、それぞれの外国人乗客にこう言った。
 アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
 イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」
 ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています」
 イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」
 フランス人には「飛び込まないでください」
 日本人には「みんな飛び込んでますよ」

●浮気現場にて
 会社からいつもより少し早めに帰宅すると、裸の妻が見知らぬ男とベッドの上で抱き合っていた。こんな場合、各国の人々はいったいどうするのだろうか?
 アメリカ人は、男を射殺した。
 ドイツ人は、男にしかるべき法的措置をとらせてもらおうといった。
 フランス人は、自分も服を脱ぎ始めた。
 日本人? 彼は、正式に紹介されるまで名刺を手にして待っていた。

●遅刻の対処法
 国際的な学会の場で遅刻してしまったために、発表の持ち時間が半分になってしまった場合、各国の人々はどうするだろうか?
 アメリカ人・・内容を薄めて時間内に収める。
 イギリス人・・普段通りのペースで喋り、途中で止める。
 フランス人・・普段通りのペースで喋り、次の発言者の時間に食い込んでも止めない。
 ドイツ人・・・普段の二倍のペースで喋る。
 イタリア人・・普段の雑談をカットすれば、時間内に収まる。
 日本人・・・遅刻はありえない。

●完璧な人間
 完璧な人間とは、以下のような人物のことである。
 イギリス人のように料理し、フランス人のように運転し、イタリア人のように冷静で、日本人のようにユーモアがあり、スペイン人のように謙虚で、ポルトガル人のように勤勉で、ベルギー人のように役に立ち、オランダ人のように気前がよく、韓国人のように忍耐強く、インド人のように上品で、ロシア人のように酒を飲まず、トルコ人のように計画性があり、イラク人のように温厚で、ルクセンブルク人のように存在感がある人のことである。

●作文
 ある時、学校の先生が「象」を題材にした作文を書いてくるよう、子どもたちに言った。
 フランス人の生徒は、象の恋愛についての短編エッセイを書いてきた。
 ドイツ人の生徒は、象の生態についての分厚い研究論文を書いてきた。
 インド人の生徒は、象と宗教の関係について調べたレポートを書いてきた。
 ユダヤ人の生徒は、「象と反ユダヤ主義」という論文を書いてきた。
 日本人の生徒が書いてきた作文の題名は、「象と日本式経営術」だった。

●望み
 日本人とフランス人が逮捕され、懲役二〇年という刑が下された。ひどく落胆した様子の二人に、刑務官が言った。
 「特別に一〇年ごとに一つだけ何でも望みを叶えてやろう。それでは、最初の一〇年のためにほしいものはなんだ?」
 日本人は一〇〇〇冊の本を頼んだ。フランス人は一〇〇〇本のワインを頼んだ。
 それから一〇年が経ち、再び刑務官がやって来た。刑務官は次の一〇年のために何が欲しいのかを尋ねた。
 日本人はまた一〇〇〇冊の本を頼んだ。
 フランス人は栓抜きを頼んだ。

●飼育員の対応
 動物園の人気者だったゾウが死んだ時、各国の飼育員の対応は以下のようなものだった。
 フランス人はそのゾウの思い出を一編の詩にしたため、涙した。
 中国人は巧みに調理して食べてしまった。
 日本人は一生懸命、大粒の汗を流しながら、みんなで墓を掘り始めていた。

●無人島にて
 ある時、大型客船が沈没して、それぞれ男二人と女一人という組合せで、各国の人々が無人島へと流れ着いた。それから、その島ではいったい何が起こっただろうか?
 イタリア人・・男二人が女をめぐって争い続けた。
 ドイツ人・・・女は男の一人と結婚し、もう一人の男が戸籍係を努めた。
 フランス人・・女は男の一人と結婚し、もう一人の男と浮気した。
 アメリカ人・・女は男の一人と結婚して子どもも生まれたが、その後に離婚し、親権を争うためにもう一人の男に弁護士役を頼んだ。
 オランダ人・・男二人はゲイであり、結婚してしまった。女は無視された。
 日本人・・・・男二人は、女をどう扱ったらよいか、トウキョウの本社に携帯電話で聞いた。
 ブラジル人・・三人で楽しそうにカーニバルを始め、飽きることなく踊り続けた。
 ロシア人・・・女は愛していない方の男と結婚し、三人で果てしなく嘆き悲しんだ。

●神様の前で
 ある時、神様の前に各国の人々が集められた。神様が聞いた。
「あなたはお金で幸福が買えると思いますか? もし買えるというのなら、あなたは買いますか?」
 フランス人はこう言った。
「私はワインとチーズさえあれば幸福です。それ以上は望みません」
 イタリア人はこう言った。
「私はサッカーとパスタさえあれば幸福です。それ以上は望みません」
 日本人はこう言った。
「買えるのならもちろん買いますよ。あと、領収書をお願いします」

●食文化
 日本を訪れたフランス人が言った。
「日本は豊かな国だと聞いていたのに、海草などを食べている。そんなに食べ物に困っていたなんて」
 フランスを訪れた日本人が言った。
「フランスは豊かな国だと聞いていたのに、カタツムリなどを食べている。そんなに食べ物に困っていたなんて」
 イギリスを訪れた世界中の人々が言った。
「イギリスは豊かな国だと聞いていたのに、イギリス料理などを食べている。そんなに食べ物に困っていたなんて」

●おかしな世の中
 おかしな世の中になったものだ。
世界一のラッパーが白人で、
世界一のゴルファーが黒人で、
世界一のバスケットプレーヤーが中国人で、
スイスがアメリカズカップで優勝する。
政治の世界では、
日本がアメリカを助け、
フランスがアメリカを傲慢だと非難し、
ドイツが戦争に反対する。
本当におかしな世の中になったものだ。

・・・さて、どのようなフランス人像、日本人像が見えてきたでしょうか。似顔絵が、良かれ悪しかれ、その人の特徴を強調しているように、ジョークにも対象になる人たちの個性が明確に示されています。世界は、日本人を、フランス人を、上のジョークのように見ているようです。同感ですか?


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先人たちの知恵―⑰

2007-06-17 00:58:03 | 先人の知恵
昨日に引き続き、小林善彦氏著『フランスの知恵と発想』からの引用です。



・論争すべきときには断然言い争う代わりに、そのあとできるだけすみやかに仲直りする術に巧みになることである。喧嘩なら馬鹿でもできるが、仲直りは知恵者でなければできないのである。その点で、英国人やフランス人のやることを見ていると、老巧といおうか見事といおうか、とてもわれわれ日本人の及ぶところではない。私自身の狭い経験でも、フランス人とよく議論するのだが、そのあと必ず彼等は仲直りを求めてきて、個人的な気まずさを消してしまう。その巧みさにはいつも感心せざるを得ない。逆にいえば、彼等はあとで仲直りをする自信があるかぎりは、決して対立、対決を恐れないのである。

・このフランス型、あるいは欧米型の社会では、その中で不利益をこうむっている人たちを保護するという点では、日本型社会よりもはるかに有効であると思う。しかし欠点としては、すべての権利をつねに大声をあげて要求しなければ、損ばかりするということがある。たとえ当然の権利であっても、黙っていれば、本人が必要としていない、または望んでいないのだと見なされて、無視されてしまう。黙っていても、周囲の人が考えてくれるというような、日本的気くばりは存在しないのだから、必要とあらば議論、口論をも辞さないという覚悟でいなければならない。したがって、そういう習慣がない多くの日本人は、なにかにつけてフランスでは、損ばかりしているようである。一方、日本では「出たがり屋」として知られている人が、フランスでは意外に評価されて、なんとかやっているという不思議なこともある。

・こと男性に関していえば、フランス人が人と付き合う時の細かい神経の使い方に比べるならば、日本男性はまったく問題にならないと思う。たとえば食卓で、誰かのブドウ酒のグラスがからになりそうだと見れば、すぐに立ってつぎに来るし、私の妻のフランス語が下手で、一座の話からはずれそうになると、すぐに別の話題を持ち出して、引き立たせてくれようと努力する。表面はお客といっしょに楽しんでいるようでありながら、実はたえず一人一人に気をくばって、全員が楽しく一晩をすごすようにとつとめている。われわれ夫婦はこれにはしばしば感心したものであった。そしてそれはフランスでは亭主の役割なのである。

・現在世界の各地には、かつてフランスで学生生活を送った経験を持つ人が、いたるところに散らばっている。その人たちは、青春の一コマをフランスで過ごしたために、しばしばフランスの友人であり、よき理解者である。それはフランスにとって、外交官が実際の二倍か三倍もいるようなものである。そういった留学生、つまり未来の日本の友人たちを、積極的に外国から招こうとせず、門戸も閉ざしている日本の大学は、国際的な次元でたえず孤立しがちなわが国を作る原因のひとつになっているのではないかと思う。日本人だけしかいない日本の大学というものは、まことに奇妙な存在であると考えざるをえない。

・フランス人は日本人にくらべて、個人主義的な傾向がきわめて強いから、学生たちは各人各様に講義に出たり、図書館その他の大学の施設を利用するけれども、他人から干渉されるのをひどく嫌い、同時に他人に対しても干渉めいたことをするのを好まない。したがって、日本の大学においてよく見られるような、「みんなで考えよう」とか「みんなでともに学ぼう」と誘い合って集まるサークル、クラブ活動がまったく存在しない。彼等は研究や読書は一人でするものであると固く信じているようで、日本の学生がやるような読書会、輪講のやり方を、わたしが説明してすすめてみても、ほとんど理解できず、試みようともしなかった。これは正直いってわたしにも不思議であった。現代のように人文科学でも、共同研究の必要が認められつつある時代に、かたくななほど一人で研究しようとする彼等の方法は、いささか古風に過ぎると考えるのだが、その代わりに周囲との協調を顧慮する必要がないのだから、時には独創的な研究が出てくる可能性がある。自然科学ではさすがに大勢で研究する場合が多いようだが、それでも日本のように、教授から助手、大学院生までが「共同」するのではなく、教授が他の大勢を「指揮」するという傾向が強い。つまり大勢いても、頭は一つなのである。

・ものの考え方についてもフランス人は実に多種多様である。その上、彼らは個性をひじょうに尊重し、自分が他の人とは違う個性の持ち主であることを、できるだけ強調しようとするから、ますます各人各様、まったくさまざまであって、フランス人はどんな人間かと問われても、答えるのがはなはだしく困難である。しいていうならば、フランス人の第一の特徴は、多様性だといえるのではないかと思う。フランス人がしばしば好んでいう冗談に「フランス国民は五000万人よりなるのではなくて、五000万人に分かたれている」というのがある。またあるフランスの作家は「フランス人とはなにか」という問いに対して、「あなたがそうだと考えている人間とはまさに反対の人間だ」と答えている。これに比較すれば、日本人はたんに外観だけでなく、思考においても表現においても、かなり画一的な国民であることは、知っておいたほうがよさそうである。

・(会議の席において)
わが国では本当に重要なことは、この種の席上で発表されることはないからである。あるいはまた個人の責任において発表しても、あとで必ずしも実現しないからである。とりわけ一人の人間の発案で行われてはならず、よく全体に根回しをして納得をえておいて、形式的には「おのずからなった」というようにしなければ、なにごとも成就しない国柄だからである。日本社会では下手に目立つ人は、とかくみんなから嫌われる。「出る杭は打たれる」のである。これがフランス人には大変分かりにくいようだ。(略)彼らは多様性こそが人間のあり方だと思っており、とにもかくにも「目立たなければいけない」と考えているのである。

・フランス人のもうひとつの特徴は、彼らがなにごとにつけても、できるだけ論理的、客観的な表現形式をとろうと努力することである。これはすでにのべたように、彼らが個人主義者であり、人間の多様性を信じていることとも、関係があると私は思う。すなわち、人間は一人ずつ才能も性格も感受性も異なっていると考えるならば、自分の考えを他人に伝達しようとする場合、なにを手がかりとし、なにを自分と他人とをつなぐ共通項とするのか、という問題が起こってくる。フランス人はここで、人間をつなぐものは理性だと考える。(略)だれにでも理性はあり、人間の人間たるゆえんは、理性があることだ、というわけである。理性だけが多様な個性をつなぐ共通の尺度であるならば、なにかを表現する時には、できるだけ合理的、論理的、客観的ないい方をして、個人的な情緒は抑えねばならない。(略)ものごとを論理的に客観的に表現しようとすれば、当然のことながら曖昧ないいまわしを避けて、正確かつ直接的な表現をとらざるをえない。この点、日本人の表現方法とは対照的である。

・一般にフランス人は、言葉で表現することを重要視する。必要なことはすべて言葉で表現しなければならないし、いわなかったことは存在しなかったことだ、と考えなければいけない。空間をすべて言葉で埋めつくして、自分の考えを説明することが必要であって、日本のように沈黙や間(ま)を重視するという考えは、まったく存在しない。この考え方は、われわれ日本人にはなかなか分かりにくい。日本社会では、むやみに他人を押しのけて自己宣伝を行なうよりは、ひかえめにしていてもおのずから価値が認められるほうが、より優れていると見なされている。

・ふり返ってみれば、私のあげたいくつかの点は、全部相互に関連していて切り離すことができず、全体として日本人とフランス人の相違を形づくっているようである。この二つの国民性のどちらが優れているとはいえず、フランスにはフランス的なやり方があり、日本には日本的なやり方がることを、双方が知って、おたがいに自国の価値体系を相手に押しつけないことが、今後の交流にはぜひ必要であると思う。そしてこれは私の信条なのであるが、文化を異にする二つの国民の間の相互理解を進めることは、まことに困難な仕事であるけれども、しかし議論をさけたり、誤解を恐れていては、決して真の理解に達することはできないと思う。むしろおたがいに勇敢に誤解をぶつけ合うことによって、はじめて理解が得られるというのが私の結論である。

・・・国民性には違いがあり、優劣はない。自国の価値観を相手に押し付けないこと。まったく同感です。世界どこでもですが、特に日本と他のアジアの国々との関係においては、まさに金言、箴言。そして、国同士だけでなく、この事は個人の間にもいえることです。違いを認め合う、そこから相互理解が始まるのではないでしょうか。

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先人たちの知恵―⑯

2007-06-16 00:36:45 | 先人の知恵
今回ご紹介するのは、『フランスの知恵と発想』。小林善彦氏(東京大学名誉教授・日仏会館顧問)の著作で、1987年に出版されています。ちょうど20年・・・その間にさすがに保守的といわれるフランス社会も、そしてその比較対象相手の日本社会も、大きく変貌を遂げました。従って、表面的には現在と異なる事象も散見されますが、そのような皮相的な差異を越えて、本質を摘出されているだけに、なるほどと思わず膝を打つご指摘も数多くあります。従って、少々長い引用となりますが、最後までお読みいただければと思います。



・フランスの都市は広場を中心に作られ、広場にはその都市あるいは地区の特色を示すような建造物が立っていて、住民や訪れる人たちに美または威容を示している。つまり外観、演出と言うものを重視しているのである。これに対して日本の都市は、演出よりも交通の渋滞を減らすことを重視しているようである。

・われわれ日本人の人間関係は、基本的には一人対一人の関係から成り立っているのではないかと思うようになった。集まるにしても、そのメンバーは一人対一人の関係において、すでに知り合いであるか、あるいはまた出身学校や所属団体が同じであるというような、なんらかの形で「内輪」の仲間でなければ、集まりも仕事も社交もうまく機能しないようである。これに対して、フランス人の社交とは「外輪」をひろげる集まりである点が、決定的に違っている。

・一般にわが国では、大勢の中で一人だけ目立った行動をするのは、自己顕示欲かうぬぼれの強い人間と見なされる危険性があり、また実際にそうであることが少なくない。そこで下手にとび出すよりは、大部分の人たちに合わせて、まずはだまっている方が安全ということになる。これはたんなる保身の術にすぎないのであるが、それがさらにみがき上げられれば、日本人特有の自己抑制能力ともなりうるだろう。そこまでは行かないにしても、周囲の人とあまり違わないこと、これは日本社会で生きるためには、大切なことなのである。ところがフランス人の反応は、これとはまったく逆のようである。「この世の中に自分が存在している理由があるとすれば、それは自分が他の人とは違っていることだ」と彼等は考えている。だからなによりもまず、自分の個性を前面に押し出して、目立たなければならない。目立たない人間は存在しないのと同じである。周囲の人と似ていないこと、それがひとつの価値である。昔、イヴ・モンタンはあるシャンソンのなかで、こう歌った。「君は誰にも似ていない」Tu ne ressembles a personne.と。

・フランス人では周囲の誰とも似ていない、独自のものを持っている人間でなければ、どうも評価されないようだ。このフランス的な国民性は、一方では個性を強く表現する領域―たとえば芸術―では、数多くの天才を育てたけれども、他方現代社会の特徴である組織的な活動や大量生産方式の労働には、あまり適しているとはいえない。組織のなかの各人が、てんでんバラバラなことを考えているのを、まとめて引っぱって行くには、よほどの強力な個性の持ち主、たとえばナポレオンやドゴールのような人でなければ、不可能だろうと思う。「だからフランスの大企業にはいい会社があまりなく、その代わりに中小規模の企業では、製品の質が世界一というものがたくさんあるのです」とある経済評論家が私にいった。これに比較すると日本の組織では、同僚や仲間との「協調」がなによりも大切とされている。すでに七世紀のはじめ、聖徳太子は十七條の憲法を定め、その第一條に「和をもって貴しとなす」と書いた。(略)しかしながら、日本の側にもまた問題がある。おたがいにあまり目立たずに、みんなで協力してやろうというのはいいし、組織として動くためには、できるだけ多くの人の合意を得ておくのは必要であろう。けれども自分の考えをのべる時にも、「私はこう思う」といえないで、「みんながいっている」という表現をとるのは、ときに人をあざむくものである。たとえば、政府や与党は自分たちの政策を行うのだとはいわずに、「国民」の要望にこたえるのだといい、野党は「国民はそれを許さない」と反対し、労働組合は組合春闘を行なわずに「国民春闘」を行ない、新聞は「役人天国に国民の怒り」というような記事を出すならば、一体誰が国民であるのか分からなくなってしまう。まるで皆がそろって「皆がいっているよ」というようなものである。これでは結局、誰がどこでなにを決定しているのか分からないではないか。一人ずつが強い個性を持ちながら、しかも全体として調和を保つのが理想なのであろうが、それはなんと実現が困難なことであろうかと思う。

・なにかある観念が頭にひらめいた時、フランス人はそれを口に出していう。しかし日本人は一般に、いろいろなことを考えていても、口が重くてなかなかものをいわない。これはなんであろうかといえば、私の考えでは、日本人にはたえず自己抑制Maitrise de soi が強く働いているからではないかと思う。だから、日本人の心理をフランス人に知ってもらうためには、この自己抑制なるものの構造を説明しなければならない。

・二年間のフランス滞在中にお目にかかった、多くの若い日本人を比較してみると、むしろ知性が高く、教養に富んだ人のほうが自己抑制がよくきいていて、自意識過剰な傾向があり、そのためフランスの環境に適応するのが容易でないようである。これに反して、若干の日本の若い人は、自意識のかけらもなく、パリに着くやいなやボーイ・ハントまたはガール・ハントに熱中して、「ばら色の人生」を謳歌していたが、われわれから見ると、フランス語を学びに来たのか、比較人類学の実習に来たのか、よく分からないという人もあった。あれを「西欧化」または「フランス化」だといえば、フランス人が怒るだろう。

・第二次大戦後の日本の西欧派知識人から、「封建的」だといわれて、否定されてきた「日本的なるもの」は、果たしてなにもかも批判されるべきであろうか、と疑いをさしはさみたくなってくる。西欧的デモクラシーの思想と制度を、ある程度日本に定着させるためには、日本的な精神構造と価値体系の批判が必要であったし、それはそれとして一つの歴史的な評価をするべきであろうと思う。しかしながら、なんでもかんでもヨーロッパの真似をして、日本に昔からある美風までも破壊しつくすのであれば、このあたりでもう一度、今後の西欧化、近代化なるものの見通しを、検討しておいた方がよさそうである。

・(交通規則について)
これに対しフランスの事情をまとめてみると、日本ではとても考えられないような大幅な自由が、運転者の判断と責任に任されている。(略) こういう話を書けば、パリの町は大混乱かと想像する人が多いだろうが、日本よりも先をゆずる人は多いし、強引な割り込みは少ないから、何とか秩序が成り立っている。確かに、上から号令をかけられ、規制されることによって秩序を保っている日本から行くと、はじめのうちこの「自由」はかなり緊張をともなうものである。だから日本から来た人がフランスで起こす事故の率は非常に高い。しかし、一度このフランス式自由に慣れてしまうと、日本のように細かいことまで規制され、監督された結果の安全とはなんであろうかと考えるのである。警察が市民の安全のために働くのは当然としても、警察主導型の、しかも「おみやげは無事故でいいの、おとうさん」というような、精神指導的な標語まで出されなければ、安全を維持できない社会が、民主主義社会と呼べるかどうか、私は疑問に思うのである。

・フランス語のような国際語を国語とする国民でさえも、これほど熱心に英語を学んでいるという事実を前にして、私は大いに反省させられるところがあった。英語は今やアングロ・サクソン文化を学ぶためだけの言葉ではないということも、考えなければならないだろう。フランス人が自国語に強い誇りを持ちながら、しかも英語が話せるという時代が、間もなくやってくると思う。すでに知識人の世界ではそうなりつつある。となるといよいよ、日本人だけが英語を話すのが下手な国民として、最後に取り残される恐れが出てきたわけである。その上、日本人は国際的な場ではひどく非社交的な国民であり、余計な誤解をひき起こしたり、無愛想なために失敗したりすることは、つとに知られている。このままで行くと、われわれは世界の中で孤立し、理解されず、あげくの果ては嫌われ者になるという、とんでもない状況に追い込まれるのではないか、というのが私の危惧するところである。

・確かにフランスは、輝かしい文化と芸術の国であり、数多くの個性的な天才を生み出してきた。しかしながら、たんにフランス語が少し話せるようになったからといって、文化や芸術の理解が深くなったわけではない。フランスへ行けば、どんな愚か者でもフランス語をしゃべっているのであって、話すこと自体にはなんの価値もなく、むしろなにを話すかが重要なのである。そんなことは、最小限の知性がありさえすれば、誰にでも分かることなのだが、いざフランス語が少し話せるようになると、ついまわりにいる日本人よりも、自分の方が人間として一段と優位に立ったような錯覚におちいる者が、意外に多いのである。なぜこんなことになるかといえば、努力が報いられてフランス語が話せるようになったというよろこびが、この錯覚を支えているからである。

・・・まだまだ続きます。残りの引用は、明日のお楽しみに。

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先人たちの知恵―⑮

2007-05-20 00:54:46 | 先人の知恵
昨日に引き続き、オリヴィエ・ジェルマントマ氏の『日本待望論~愛するゆえに憂えるフランス人からの手紙』(1998年発刊)からの引用です。ゴーリストの見た日本、そしてそこから顧みた祖国フランス。それぞれどのような特徴をもって見えるのでしょうか。


(儒教や仏教に関するフランス語の書物も出版されています)

・インドへ旅立つにあたって、当時、ド・ゴール麾下の文化大臣、アンドレ・マルローに会いに行きました。時に、マルロー六十六歳、私は二十四歳のことでした。ここから、以後、頻々と相見える間柄となります。芸術創造をとおしての超越的歴史観、思想の「対極」としてのアジアへの傾倒、個々の事物と人間における偉大性の追及など、倦むことなきマルローの基本的姿勢は、我が人生において、本質的ならざるものは枝葉を削ぎ落とすべしとの生き方を教えてくれたのでした。

・(「アンドレ・マルローと永遠の日本」展に際し)
招待を受けて、私はインドから駆けつけました。それにしても、お偉いさんたちの祝辞とやらは、もう少し何とかならないものでしょうか。殊にフランスの文化大臣のスピーチの、お粗末ときたら! ガイド付きの鑑賞にもうんざりで、二言目には、フランスからの賓客の発する「これはどういう意味ですか」の繰りかえしによって中断させられる始末でした。私どもの国民病と言っていいでしょう、事ごとに、一言居士を振りたがるのは。反対に、日本は、物の醍醐味は黙って味わえと教えるのです。しじま、つつしみ、忍び音は、まさに日本が我々に与えてくれる教訓なのです。すべて異邦人は、あの世阿弥の至高の一句を座右の銘とすべきでしょう。
  秘すれば花
  秘せずば花なるべからず。

・日本。それはマチエール(素材)にして、思弁ならず。努力にして、断じて放棄ならず。観察、集中、統御――しかして、フラグマン(断片)。戦士と、庭師と、勤勉な小学生の国。単一言語、単一民族、数世紀にわたる輝かしい孤立。地上さいはての国ゆえに忘れられ、神洲を汚すに、南蛮人は、死の原爆の一閃をもってするでしょう。そこでは人は山と精霊を崇め、落ち葉をたたえます。本質は陰にあり、しじまは至言を発するでしょう。人は言葉なくして愛しあい、その仕草は的確です。性に、魔術的なところさらになし。至純の芸術を人は実践します。十七文字の短詩、一個の巌塊を立てた庭、竹のひとふしを描いた絵画、円相図のように。その本質を言い表すフォルムを求めるとしたら、「鏡」になりましょうか。みんな、一斉に、同じ方向に進んでいきます。なぜそっちに行くかは、不問のまま。ともかく、行け。観察し、直観に生き、純粋理念を苦手とします。精神一到、何事か成らざらん。

・西洋人は、韓国でのほうが、日本にいるときほど場違いの感じを受けなくてすみます。というわけは、シャーマニズムは別として、どこの家庭の内部にも、美についての考えや神聖とのかかわりにおいて、自分と近い態度を見いだすからです。しかし、これによって安心はするものの、日本にいるときのように、でんぐりかえるほどの気分を味わうことはありません。日本には、西洋化されすぎた表層のかなたに、まったく独創的な文化が現存し、かりに他の諸文化からの借り物があったにせよ――これは世界的傾向です――すべてを独創性の篩にかけてきたのです。これほどまでにユニークでありながら、愛について、死について、時間について、美について、日本にしかないという考えを持ちながら、皆さんは、そうしたすべてをかなぐり捨てて、十把ひとからげの鋳型に自分をはめこむことで満足しようというのでしょうか。

・日本には亀裂が生じています。その最大の原因は、現下の日本人が日本本来の文化と社会構造の素晴らしさを信じていないという点にあります。しかも、この亀裂は大きくなる一方で、そのことを幾つもの兆候がさししめしています。贈収賄、理想なき若者たち、高齢化社会、核家族、オタク族、等々。もし、いまにして日本が目覚めなければ、この国は、釈迦の譬えた、陶工なき轆轤のようなものになってしまうでしょう。轆轤というものは、陶工が手を休めても、しばらくは回りつづけますが、やがて止まってしまうこと、必定であります。

・いかなる国も、もはや二度と孤立したままということはありえません。この鉄則を、あなたがたは、経済面においてはすでに完全に生かし切って大成功者となりました。いまや、そこから、政治面で実りをもたらすべき時が到来したのです。どんな政治思想も、世界をグローバルにとらえずしてはもはや有効たりえず、こうした潮流は、今後、加速する一方でしょう。ところが、まさにこういった点において、日本人の国際的位置取りを見ると、この国には経験と意欲が不足しているのではないかと考えさせられずにはいないのです。「我々は積極的に世界の諸問題に介入すべきである」という思考方法を身につけたとき、日本人が日本を見る見方は、一変するでありましょう。アメリカ的モデルは、そのとき、人間の豊かさの破壊システムとして一蹴されるでしょう。今日はアメリカ的モデルに盲従し、中国が一発噛ませてくるや、同様にへなへなと、明日はこれに低頭して恥じざる人士が、貴国にはうようよしているようですが、こんな連中には、毅然として、こう言ってやったらいいのです。外からの押しつけモデルへの屈従が平和のファクターとなったためしはない。真の主権と独自性の確保は、そんな覇権主義を断固排することにあるのだ、と。独立か否かは国の尊厳にかかわることであって、日本文化が生きるも死ぬも一にそのことにかかっています。皆さんにとって、問題の本質は、まさにここにあるのです。すなわち、いかに国家としての誇りを取りもどすか、ということです。このことと、かつての軍国主義時代のナショナリズムとはまったくの別物であることを、きっぱりと認識してかからねばなりますまい。一路邁進すべき日本の道は、これを措いてほかにどこにありましょうか。

・地中海にも大西洋にも、ドーヴァー海峡、さらには北海にも、四面玲瓏として打ち開かれた地理的好条件から、加えて豊穣美麗の土地柄と風景から、我が祖国フランスは、これまでおびただしい侵略を蒙ってきました。いっぽう、民族の気性たるや、移り気で、そこから――いやはや!――「モード」にうつつを抜かすような生活ぶりも生まれるわけですが、しかし、分かっていただきたいことは、多数の政体と、各時代の主導的思想の変遷をつうじて、いかなる風波があろうとも我々自身でありつづけるという適正能力を、我々は頑固に開発してきたということなのです。パリの紋章にもそれは表れています。今日でこそ、この町は、世界の観光客のメッカ、諸文化の邂逅の広場として知られていますけれども、過去においてどれほど侵略の対象となったかしれません。ここから、ラテン語の「漂うも沈まず」(Fluctuat nec mergitur)をもって標語とし、逆立つ波を掻き分け進む帆船をもって紋章としているのです。

・ニ十世紀に祖国を打ちひしいだドラマのすべてから、私どもは次のことを学びました。一九三〇年代に、ナチスの台頭を前にただ拱手傍観するままだった、我々の弱腰の政治は、平和をもたらすどころか、名誉を失わせるだけであった。怯懦は常に高くつく、と! ヨーロッパ中のモデルとなった城やら、大聖堂やら、宮殿やらを続々と建て、一時は「普遍的言語」と騒がれたフランス語を駆使し、かつては「キリスト教会の長女」と讃えられた王国が転じて合理主義者の梁山泊となり、千代に八千代にと栄えた王国が大革命の国に変質し、夷狄の軍勢に占領されること幾春秋、それでいてただの一遍も主権を手放さず、恋と会話を愛するあまり他は一切忘却し、深長にして浮薄、軽佻にして誠実・・・といったことどものすべてが、フランス人のなかに「フランス的」なる国民性を徐々に培って、事物の外観の背後に「レアリテ」(実在)なるものをまさぐらせ、世の有為転変に殊のほか敏感な性向を生んだのであります。

・普遍的目標をかかげて進むことで民族の誇りを取りもどせるとしたら、長い目で見れば、どれくらいメリットがありますことか! 実を言って、ある問題を解決する上に、純粋に経済的な方策を取るか、政治的方策を取るかの違いは、そこにあるのです。前者は、速攻型の利潤追求を事とし、後者は、共同体生活のあらゆる面を考慮に入れた、長期戦略の利益追求を目的とする、ということであります。

日本を愛してやまないフランス人からのメッセージ、どう受け取りましたか。もちろん考え方にはそれぞれ個性があってしかるべきですから、まったく同感、すべて賛成、というわけにはいかにかもしれませんし、逆に全否定ということもないだろうと思います。しかし、こうした考え、意見を持っているフランス人がいるのだという事を知ること、その意見に耳を傾けること、そしてそれを反芻しつつ自分の考えを深化させていくきっかけには十分なるのではないでしょうか。フランスを鏡に、あるいは日本を鏡に、両国の「歴史」、そして「今」から多くのことが思索できそうです。

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先人たちの知恵―⑭

2007-05-19 00:29:36 | 先人の知恵
フランスに住んだ日本人先達たちの言葉を紹介しているこのシリーズ、今回は趣向を変えて、日本に住んだフランス人のメッセージをご紹介しましょう。本のタイトルは『日本待望論~愛するゆえに憂えるフランス人からの手紙』(1998年発刊)。著者は、オリヴィエ・ジェルマントマ氏。1943年生まれ、ご自分で言うように根っからの反骨「ゴーリスト」(ド・ゴール主義者)。ソルボンヌの学生のときに起きた68年の五月革命では、数少ないゴーリストの先頭に立ち、奮闘。アンドレ・マルローなどの薫陶を受ける。雑誌の編集やフランス国営文化放送の番組制作に携わりながら、自作の小説などを発表。そして、多くの国を旅し、特にインドと日本から人生に多大な影響を受ける。幾度も訪れている日本の文化には造詣が深く、その精神文化を広く海外に紹介した功績がたたえられています。(オリジナルのフランス語のニュアンスをいかすためでしょうか、日本語訳が読み難いところもありますが、ご判読ください。)


(禅や日本の精神文化についてのフランス語の本も多く出版されています)

・かつての政治的才腕によって、貴国は、西欧による植民地化を免れた唯一の偉大な文化国家として尊敬を勝ちえてきました。それなのに、ここに至って、あまりにしばしば被植民地の人々なみのメンタリティをもって振る舞われるとは、何故でありましょうか。この国際化の時代にあって、日本なればこそのチャンスを見逃すつもりなのでしょうか。あまたの源泉が自国の地底から湧出しているというのに、あたら猿まねをもって事足れりというのでしょうか。

・経済力だの技術革新だのは、もしそれが転じて政治活動とならないならば、一個の甘餌にすぎません。なるほど、いまだに日本の侵略の害を言い立てる国々があることは、私も知らないわけではありません。しかし、むしろ、恐れるがよろしい。日本の存在意義が、もしも車やテレビを彼らに売りつけるためだけであると彼らが知ったなら、それこそは却って新たなるジャパン・バッシングの火種になりかねないということを。日本の政治家たちは何をしているのでしょうか。日本の経済力を元に、そこから政治的光芒が輝き出て、これが圧制や金権主義からの解放のために役立ってほしいと、いかばかり人類が祈願しているか、そのことが彼らには分かっていないのではないでしょうか。日本のエネルギー、日本の伝統文化、それらの秘宝を、どのように彼らは役立てようとしているのでしょうか。いずこの民族においても生命は統一体とされ、とすれば、霊性革新なくして政治革新はありえない道理であるにもかかわらず――であります。日本の皆さん、いまこそ自分自身を取りもどすべき時なのです!

・沿岸のデザインと山々のたたずまいにおいて、これほどまでの天衣無縫ぶりを発揮した聖地としては、ほかにはギリシアしかありません。日本は、海と契りを結んだ国ゆえに、風雨寒暖の気候変化はげしく、ここから、特殊性のみならず、孤立感も育まれてきました。我らは余人によっては理解されがたしとする感情も、あるいはそこに起因するのかもしれません。他面、だからこそ、他国理解のために日本人が傾注する並々ならぬ努力も生まれてくるのでしょうけれども、いずれにせよ、貴国をめぐる絶えざる誤解は、こういった地勢的条件と無関係ということはありますまい。

・我々の生きるこの新紀元の時代は、まことに惨憺たる哲学の影響をこうむっており、何かと申せば、自然を支配しようとの論理の一本槍なのです。山は動かす、川は曲げる、風致は損なうといった、ただもう人間の力を誇示せんがためのがむしゃら振りで、儲けのためなら何でもやるという以外に、法則一つあるわけではありません。何千年にもわたって、全地球上の文明は、自然から教訓を得て、そのリズムに従おうとつとめてきました。人間は、自然の掟をいくらか掴みとったことから、その叡智に学ぶという謙虚さなどどこへやら、己がたらちねの母の身肉を刧掠する不心得者さながら、猪突猛進を続けてやむことがないのです。

・我々西洋人の精神構造は「対立」に基づき、あなたがた日本人の精神構造は「和合」に基づいています。願わくは、この特異性を保持せられんことを! けだし、破壊せずに統合する能力は、セクト主義や原理主義が猖獗をきわめつつある現代において、絶対必要不可欠なる特質だからであります。この特質あらばこそ、日本人は、他の諸価値を拒否することなく自国文化の天分を保持する柔軟さを身につけていられるのです。他の諸価値も、それぞれの次元においてレゾン・デートル(存在理由)があるのだ、と。

・日本人の行動がいかに優れた性質のものか、これには、まさに間然するところがありません。とはいえ、出発の方向が間違ってはならぬ、と言いたいのです。いかにも小生は、日本人の肝芸ともいうべき直観や、理屈に引きずられない臨機応変の能力に瞠目させられています。ただ、皆さんは、世界史の観察に不慣れです。アジアの末端という地理的位置と島嶼性からして、諸文明の大変動や、征服被征服の関係、民族移動、諸帝国の興亡などを実見する機会に欠けていたわけですから。勝鬨を聞き、また廃墟に立てば、おのずと観察眼は養われるものなのですが・・・日本民族は孤立の中で国民性を陶冶してきました。反面、批判精神が十分育たなかったということはないでしょうか。しかし、状況は変化しました。戦前の領土伸張から、痛恨の敗戦、さらには米軍占領期をへて、いまや地球上隈なく日本人が旅行して回る時代となり、そこからあなたがたの心眼は開かれるに至りました。しかし、まだまだ、欠けているものがあります。それは、たとえばインドやヨーロッパにはふんだんにあって日本には希薄な何ものかなのですが、何かと申せば、いわば、歴史の呼吸を感ずる能力といったものなのです。易不易に対する感触、とでも言ったらいいでしょうか。ある種の近代化の醜悪さは日本の独自性を損ない、ついには破壊しかねないという事実を、なぜ認めようとなさらないのでしょうか。発展と文化の尊重を両立させるための力と創意を、ありあまるほど身のうちにたくわえていながら、です。

・日本に滞在したことのある西洋人が二、三人、顔を突きあわせれば、この国の人々の信じがたいほどの献身ぶりについて、身近な体験談に花が咲いて止むことがありません。どこどこの銀行の女店員が、都市の半分も駆けまわって忘れ物の書類を届けてくれたとか、なにがし教授にちょっと質問したら二日もかけて返事をしてくれたとか。あるいはまた、客が不満を示したというだけで、しかじかの職人が只で仕事をやりなおしてくれたとか、エトセトラ、エトセトラ・・・。プロの良心などというものではありません。それにもまして、自己滅却なるものが我々を打つのです。「義」を見てせざるはといった態度、「美質」へのこだわり、こういったことが、日本人の礼節、謙譲と結びついて、この人なら信頼して大丈夫だ、できればこんな人と起居を共にしたいとの感動を起こさしめる民族として、今日まで「ジャポネ」の名声を培ってきたのです。

・このようにインドが自国にふさわしい政治経済的モデルを立てえずして、困難を極めている姿に、我々としては、改めて植民地化による深い傷痕を見いださずにいられないのです。最初は回教徒による、次にイギリスによる植民地政策の名残です。こうしたことに鑑みて、吹き荒れる「世界化」の嵐に直面して、なおかつ自民族の特殊性を堅持するには、清明なるエネルギーの発露を必要とし、それは結局、夷狄の支配を潔しとしない民族からしか生まれようがないであろう、と思われるのであります。私は、大いに日本にそれを期待しているのです。

・確かに、大国としての政治を貴国が、いつ、自由に行えるようになるかといえば、それは、このことを証明してみせたときであると言えるでありましょう。我らが政治は、いわゆる「軍国主義」時代に日本が準拠したと同じところに準拠するにあらず、と。このことを、あなたがた自身に対して、また世界に向かって証しだてたそのときに、初めてこの自由は獲得されるでありましょう。

・異文化に心を開こうとすると、どうも日本人は否応なく自国の一部をあえて否認する挙に出たがるもののようです。しかし、いったい、なぜなんです。文化と文化は、並び立たずというものではありません。相補って互いに豊かになるべきものです。両立できないものがあるとすれば、深層の日本と、扇動的で営利本位のサブカルチャーとの間のことにすぎません。世に蔓延しつつあるものが、後者なのです。どちらを取るか、まさしく、一刀両断をもって臨むべきでありましょう! 神道を深く持し、武士道精神を涵養し、日常生活の美への敬意を全身にみなぎらせた日本人であれば、我ら西洋人の世界に来たりて、十年、二十年暮らして、なお泰然たりということは、十分にありうることなのです。祖国の伝統に飽くまで忠実でありつつ、なおかつ、このつわものは、悠々と己の教養の幅を広げていくことでしょう。日本の安寧は一にかかってこの吾得にあります。万が一にもこれが得られなければ、貴国にとっては二つの不条理な道しかありますまい。伝統的諸価値の否定と――ああ、いま見られるものはこの傾向なのです!――不毛なナショナリズムへの埋没と・・・。

長くなりますので、今回は2回に分けてご紹介します。続きは、明日のお楽しみに!

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先人たちの知恵―⑬

2007-05-07 01:46:49 | 先人の知恵
恋愛大国、フランス。果たして、その実態やいかに・・・今回ご紹介するのは、『フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?~“哲学の国”の恋愛論』です。フランス語・フランス思想・文学・哲学を教える棚沢直子氏とフリーランス・ライターの草野いずみ氏の共著。1995年末の出版です。フランスがいかにして恋愛大国になったのか、その拠って立つところは・・・。


(いくつになっても・・・いや、いくつでも、恋愛)

(ミッテラン元大統領に隠し子がいた件に関するル・モンド紙の記事の要約)
・「10年前、記者の質問にミッテラン大統領が答えた時点で、噂になっていた娘の存在がはっきりし、記者たちの好奇心にピリオドが打たれた。政治家の私生活について我々が報道の対象として関心を持つには条件がある。ひとつは政治家が公に語ったことと矛盾するかどうか。もうひとつは、大統領なら大統領という職務の遂行に影響するかどうか。・・・今まで、社会党の綱領に“ブルジョワジーの良俗を守る”が掲げられたことがあるか。また、ミッテランが大統領選の公約にそれを掲げたことがあるか。(略)」
・社会党の大統領候補にもなったジャック・ドゥロール(かつての欧州連合委員長)は、「(こういう問題は)くれぐれも慎重に」と新聞に懇請し、「私生活と公生活に区別をつけることは、宗教信条と政治信条に区別をつけるのと全く同じであり、それらは社会に不要な紛争を起こさないための重要な要素だ」と語った。

・金銭スキャンダルにうるさいフランスでも、“恋愛”に関しては、追及の手がアマアマである。政治家に対してばかりではない。芸能人、タレント等の有名人一般についても同じだ。不倫、同棲、未婚出産、老いらくの恋、婚約破棄、離婚・・・日本であれば、「結婚」と結びつかない恋愛はスキャンダルのかっこうのマトとなるが、フランスではこと恋愛に関して、記者会見で弁明をも求められたり、「不道徳だ」と断罪されたり、揶揄されたりすることはまずない。

・西欧でもフランスだけが際立って異なっている。政治家だってひとりの男であり女である。豊かな恋愛経験を持たないわけがない。あって当たり前、とみな思っている。恋愛、結婚、離婚は、「個人的な問題」としてめったに報道されないのだが、フランス人は、だいたいの事情を知っているのだ。

・もし妻の側に隠し子ができてしまったら? 昔から「この中でぼくの子はどれとどれか」と夫が妻に聞くたぐいの小話、小説、映画は事欠かない。いろいろと想像できるのがフランスである。

(後藤久美子とジャン・アレジに関して)
・久美子とアレジは、フランスの若い世代だけでなく「より若くない(moins jeune)」世代でもすでに実行している普通のやり方を選んだにすぎない。そもそも“入籍”なんて言葉はフランスには存在しない。世界中に日本のような「家制度」の名残の「戸籍」がある国はまれ。フランスでは結婚する場合でも、役所にふたりの名前で届けを出すだけだ。当然のこと世帯主はいない。

・フランスで、カップルを組むことは、たとえいつかは結婚というかたちをとるにしても、女性の、そして男性の生活上の必要からではない。男に養われること、「フロ、メシ、ネル」を女に準備してもらうことが前提になっていないのだ。だから一緒に暮らす理由は、唯一、お互いを精神的に必要とするため。男に「責任をとってもらう」「男のところに入籍する」「妻の座を得る」、あるいは夜遅く帰っても「妻が眠らないで待っていてくれる」という感覚はない。

・フランスは、特に16~17世紀以降は、カップルでできている社会だ、と言い切ることができる。先鋭的な女性思想家のリュス・イリガライは、「国家、家族、個人を貫いてカップルがある」とこの国の社会関係を分析した。これは、単に、恋愛や結婚している男女のカップルだけをさすのではない。男女、男同士、女同士、すべての1対1の関係をさす。イリガライは母娘もカップルと呼んでいる。つまり“個と個の1対1の関係”、それを1としたブロックの組み合わせが社会を構成している、というわけだ。

・フランス人は、子どもでも大人でも、不特定多数のグループをつくることができない。グループで行動することがない。5~6人でテーブルを囲んで話していても、みんなで同じ話をすることはあまりなく、2人か、せいぜい3人ずつに分かれて話すようになる。

・フランスは、自然が穏やかで支配しやすいものだった。先史時代に人が住みついて、芸術的にも優れた壁画の残る洞窟がフランスには数多くある。(略)ぺリゴール地方の優しい自然の中にいると、先史時代の人々がここを選んだのもわかる気がする。フランスでは自然(物)との関係はあまり重要な問題にならず、人と人の関係に重点が置かれてきたというわけだ。フランスはもっとも個人主義が進んだ国、といわれている。もっとも集団主義やファシズムになりにくい国だとも。それは、ひとつの意見があれば、必ずそれに対立する意見があり、1対のバランスがあって、全員が同じ方向を向かない気質があるからだ。フランス人は、少し仲良くなれば、みな多かれ少なかれ、“あまのじゃく”だとわかってくる。どこまでも1対1の対立が好きな社会なのだ。

・いってみれば、フランスの個人主義の正体とは、個々がばらばらに存在するのではなく、人と人とが1対1で密度濃く関わる関係を基礎におく“カップル主義”であると定義してかまわないと思う。そのカップルの中心となるのが、1対の男女の恋愛なのである。フランスに暮らしていると、男女関係が社会を構成するモトになっている国だ、とつくづく思う。

・お互いに魅力的だと認め合うのが大事なのであり、気に入った異性を見つけるのがフランス人にとっては“人生の楽しみ”なのである。恋愛は生活のとびきり大切な一部であって、人によっては人生そのものだ。1回きりの出会いでも、言葉のやりとりや、男と女の醸し出す雰囲気を楽しむ。その延長でネルことがあるかもしれないし、ネナイかもしれない。いまカップルを組んでいる相手より、強くひかれる衝撃的な出会いがあると、新しいカップルができてしまうかもしれない。いまの相手との関係が最高だと思えば、それを大切にする。どんな可能性でもアリなのだ。

・宮廷文化の基本に位置していたのが「恋愛」だった。宮廷で、恋愛は日常茶飯事。男女の艶っぽい会話やダンスが社交の中心を成しており、そういった交際のなかで意中の相手を見つけだし、ラブレターのやりとりをしたり、果ては密会・情事になっていった。それが、宮廷文化の大きな要素として、いわば公認されていたのだ。そんな宮廷文化をリードしていたのが、既婚の貴婦人たちである。彼女たちの多くは、地方の領地に夫を残して、宮廷の近くに館を構える。選ばれた人たちは宮廷で生活する。そして、彼女たちは夫以外の貴族の男性と宮廷で恋に落ちた。

・(註:騎士の)献身的な愛に対する見返りは、意中の女性から与えられる何がしかの好意的な表現である。女性は騎士にそうした表現で勇気を与える。貴婦人から愛の言葉が返ってきたり、接吻や抱擁にまで至れば、それは至福とされた。騎士道恋愛では、最後の一線を越えないことが節度とされたが、それが破られることもしばしばだった。この騎士道恋愛が西欧的な恋愛の原型である。つまり、フランスの恋愛とは、もともと「不倫」であり、結婚とは相入れないものだったというわけだ。

恋愛が人生そのもの・・・しかも、そのカタチは問わない。なるほど、フランス人男性のこまめさ、優しさ、そして何よりも女性を見る目つき・・・その根源が分かるような気がします。とにかく、恋愛。それがひとつの生きがい! しかも、それをみんなが認め合う社会。また、カップルを基本とする個人主義で、集団主義の対極にある国。日本とは裏表、精神文化的には対蹠点にある国かもしれないですね。フランスにいると、日本がより一層はっきり見えてくるような気がするのですが、このあたりがその理由のひとつなのかもしれないですね。

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先人たちの知恵―⑫

2007-04-29 02:04:48 | 先人の知恵
今回ご紹介するのは、『フランスという幻想~共和国の名の下に』です。著者は、河村雅隆氏。NHKでプロデューサーとして活躍された氏が、1991~93年にロンドンに駐在。その間、頻繁にパリにもいらっしゃったようで、しかもその前後も含め、テレビ・メディアに身をおく方の視点でフランスをしっかり見つめてこられたようです。そのフランス像を文章にまとめたのがこの著作で、1996年に出版されています。10年以上も前に書かれていますので、変化してしまった部分もあるかもしれませんが、本質を見抜いた慧眼に接することの出来る部分が多く残っています。フランスに関する部分を中心に抜粋してご紹介しましょう。


(Le Mondeの週末号に挟み込まれる翌週のテレビ・ラジオ欄です。)

・フランスにおいては、政治家も一般の人たちも、自分たちの国のことを、よく「レピュブリック」と呼ぶ。もちろんその意味は「共和国」ということなのだが、その言葉には、「フランスの政治体制は君主制でなく、あくまで共和制なのだ」という、はっきりした意思が込められているように思えてならない。

・世界の数ある国の中で、国民一人ひとりの愛国心の強さという点にかけて、フランスは文句なしにトップクラスにランクされるだろう。しかしその国民に「ではフランスとは、一体どういう国家なのか」という質問をしてみたら、返ってくる答えはそれこそ百人百様のものではないか。

・人間には確かに、「衣食足りて礼節を知る」というところがある。経済が順調で、今日よりも明日、明日よりもあさってのほうが生活が向上していくという確実な見通しが持てる時、人間は他人に対して、ゆとりを持って接することが出来る。しかし、逆に社会が停滞してくると、人々は自分たちの既得権益をしっかり守る方向へ走り始めるだろう。そしてその時、人々の警戒感や敵意は、そのコミュニティにあとからやってきた少数者たちに対してまず向けられがちなのである。

・歴史的に見て、国民国家の祖国フランスとは、一方で極端なまでの「自国第一主義」を貫いてきた国でもある。そうした姿勢は、戦後の核開発をめぐる動きを見るだけでも明らかだろう。そこでは、核の実験場となったアフリカや太平洋の国々に対する配慮など微塵も感じられなかった。あるのはただ、それらの地域と世界の中で、フランスの「プレザンス」を主張し続けたい、という強烈な国家意思だけだったのである。

・フランス人の多くは長い間、「フランスのように豊かな国が、何を好きこのんでヨーロッパの他の国々と一緒にならなければならないのか。自分たちが『犠牲』になる必要などどこにあるのか」と素朴に信じ込んできた。そもそも彼等にとって、統合されたヨーロッパのイメージとは、フランスをヨーロッパ全体に広げたものだ、というくらいのものでしかなかったのである。しかし進行しつつある現実は、フランス人たちにそんな幻想を抱き続けることを許さなくなってきている。「フランスの栄光」と「ヨーロッパの統合」とは両立し得ないのではないか――フランス人たちは今頃になって、そんな思いを噛みしめているようなのである。

・そして、次々に起きてくる新しい動きは、フランス人たちに対して、「フランスとは、EUを構成する重要な要素ではあるが、そのひとつの地域にすぎない」という認識を強いつつある。そのような自画像を認めることは、自分の国を第一と考え、大国意識を持ち続けてきた人たちにとって、苦痛でないはずがない。統合に向けてのうねりの中で、フランスは今、国民国家から脱皮して新たな国家像を構築できるかの、産みの苦しみの中にいるのである。

・多くの国では、企業の内部というのは、管理職(幹部)は管理職、労働者は労働者というように、はっきりしたかたちで「二分化」されているということだった。(略)日本の会社だったら、大卒だろうが大学院卒だろうが、新人はすべて現場の研修からスタートするのが当たり前のことだが、東南アジアなどでは、彼らが工場の現場に足を運ぶことは滅多にないし、また日本流の制服を着用することには強い抵抗があるのだという。こうした傾向は、むしろヨーロッパの企業においても本質的には違っていないと言ってよい。いや、歴史的に見れば、むしろ東南アジアの企業のほうがヨーロッパの企業のやり方の影響を受けて、そのような手法を採り入れたのである。(略)日本の組織は現場から遊離したエリートの存在を許さないのだが、世界の中で見れば、そういった原理で成り立っている社会というのは例外でしかない。

・フランスは名だたる中央集権国家である。官庁のエリートは(その大半は先述のグランゼコールの卒業生であるが)、日本の旧国鉄の「学士組」のように、超特急で昇進を重ねていくのである。

・エリートの存在を認め、それを特別扱いする社会というのは、優れた個人に存分に力を発揮させるためには、極めてよく出来ている。しかし一方そこでは、そのアイディアを商品化したり、社会全体のものにしていくことは、困難となってくる。フランス人の考え出す計画や製品については、「アイディアは素晴らしいが、それを実行に移していく段になると問題が多発する」という評価が常についてまわる。大きな計画を実施に移したり、高度なアイディアを商品化していくためには、ひとりでも多くの「普通の人間」の参加が欠かせないのだが、そうしたことは、ひと握りのエリートが世の中をリードしていく社会においては、期待しがたいのである。
しかし、こうした欠点にかかわらず、フランスの社会において、「エリート主義」が姿を消すことは今後もあり得ないだろう。時として反撥を示すことはあっても、フランス人たちは本音のところでは、中央集権体制やエリートの存在というものを、間違いなく是認しているからである。そして、社会のそうした雰囲気を受けて、フランスのエリートたちは、自らがエリートであることを意識し、エリートであることの処遇を当然のものとして要求し続けていくのである。

・フランスの政治の動きを見ていてわかりにくいのは、冷戦構造が崩壊した今になってもなお、左翼(gauche)対右翼(droite)という図式で国内の政治的な対立や葛藤が説明されることが多い、ということである。この図式は「左」の本家、ソ連が崩壊してしまった後も、フランス国内においては有効とみなされ、現実の政治はこの対立軸を中心に動いているものとされるのである。(略)このように左翼の勢力が強力であり続けている大きな理由は、一般にフランス人には観念的思考やイデオロギーを好む傾向がある、ということなのだろう。人間の観念や思考を限りなく純化させていけば、その過程において、マルクス主義のような思想が「勝ち残って」くるのは当然のことと言ってよい。何せその哲学は形而上学的と呼ぶに値する、強固でスッキリした体系を備えたものだったからである。
さらに、こうした思想の影響を最も強く受けたのが知識人と呼ばれる人たちだったことも、フランスの左翼運動の大きな特徴だった。もちろん、ついこの間までは、どこの国でも知識人のかなりの部分が「左翼」のシンパだったことは否定出来ないのだが、フランスの社会において、知識人といわれる人間は、いわば特別扱いを受けてきた存在だけにその影響力は大きかったのである。

・それにしても左翼勢力がフランスの政治の中で置かれている立場というのは微妙なものである。フランス人たちの思考パターンは、「心は左に、財布は右に・・・」であるとよく言われる。確かに、彼らが「左側」に置いているのはあくまで観念にすぎないのであって、現実の生活や金のからんだ問題になってくれば、話は別である。そして社会党など左翼勢力は、フランス人のそうした性向を承知した上で政治的な「選択」を行なっているようなのである。

・フランス人たちの愛国心の強さ、中でも自国の言葉に対する愛着と誇りの強さは、改めて言うまでもないが、彼らは国内だけでなく植民地に出てもフランス語を教育することに極めて熱心だった。そして、旧植民地の人たちも、そうした期待によく応えてきたのである。
しかし、旧植民地の人々がなぜフランス語を熱心に学んできたかと言えば、それは、その言葉を習得することによって、大きな現実的なメリットが期待できたからである。公務員として職を得るにしても、貿易に従事するにしても、フランス語が出来るということは極めて有利は条件たり得たのである。
そのように、フランス語はアフリカにおいて、これまでずっと重視されてきたのだが、フランスがもしアフリカとの関係をドライに見直すようになってきたら、アフリカ諸国におけるフランス語学習への意欲が一気に衰えていくことは目に見えている。現実的なプラスが期待できなくなったとき、誰があれだけ難しい言語を苦労してまで習得しようと考えるだろうか? そしてそうした兆しは、既にセネガルなどでは現実のものとなっている。そこでは、伝統的なフランス語に替わって、英語を勉強し始める人の数がどんどんふえてきているのである。

・「フランスにフランス人がいなかったら、どんなにか素晴らしい国だろう!」フランス人と一緒に仕事をしたりする中で、その尊大さや自己中心的な態度に閉口し、思わずこんな文句を憶い出したことのある人は少なくないと思う。最近はやや変わってきているとは言うものの、彼等の「中華思想」に驚かされるケースは、今も決して珍しくはないのである。それにしても、客観的に見ればフランスの国際的地位が低下しつつある中で、彼等がかくまで誇りと自尊心を持ち続けていられる源泉とは、一体何なのだろう。私には、彼等の中に、「自分たちは先の戦争の戦勝国だったのだ」という意識が強烈に存在しており、それが事あるごとに表面にでてくるように思えてならない。

長い引用でしたが、いかがでしたか。今話題の大統領選挙を理解する上でも参考になるような、フランス政治の要諦も分かりやすく書かれていますね。政治以外でも、首肯すべき点が多々あります。自分と同じような視点でフランスを見ている人もいるのだと、うれしくなった方もいるのではないでしょうか。

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先人たちの知恵-⑪

2007-04-01 01:16:04 | 先人の知恵
久々にご紹介する先人の知恵。今回は1994年に未来社から出版された『女のアトリエ』からの抜粋です。著者は桑名正子さん。1975年以来パリに住み、日本・フランスで多くの個展を開いてきた画家。女性ならではの視点で、住むフランスと祖国日本の対比、そして個展のために帰る日本の変化などについて見つめています。


(フランスで画学生の憧れといえば、Ecole Nationale Superieure des Beaux Arts:国立高等美術学校)

・日本人のもの事に対する反応は、“もの”を“もの”としてそのままとらえるというよりも、何事も精神的に究極の高さにつらなっていける一つの“道”としてとらえるところに特長がある。(略)人間の二大本能である食と性を、あからさまにみせつけられ、まして、人前でそういうものへの追求心を見せるなど、“はしたないこと”なのであり、究極の高きものにつらなろうという日本精神とあい入れないのである。フランス人はまったく違う精神背景を持っている。つまり、食と性という二大本能を、あるがままに肯定的にとらえ、動物本能という次元にあるものを、徹底的に追求し、人為を加え、究極の高さまで、つまり芸術と言っていいところまで押し上げていこうとするのである。(略)即物的にものごとをそのまま見つめ、人為を加え、“もの”としての最高の高みにまで押し上げていこうという情熱の激しさは他の追随を許さない。

・東洋人の中でも日本女性が一番優しく、なおかつ人が好いのだそうだ。この“人が好い”というのがどうも問題なのだが、日本という温室育ちの箱入り娘である日本女性たちは、外国に出ると急に自分がわからなくなってしまう。日本にいればプライド高く、男性を選ぶ基準も高いはずなのに、突然場当たり的になり、フランス人であるというだけで、なんとも不釣合いな男性と生活を共にし始めたりするケースが多い。他の東洋人女性たちは、自分が求めているもの、自分の置かれた位置をよく心得ていて性格も強く、日本女性のような立場になる女性は極めて少ないというのがX氏(註:日本人女性と付き合いの多いフランス人男性)の説だった。日本人男性は一般的に女性を口説いたりすることは得意ではないために、女性側も男性の誘惑に対して、かわし方を心得ておらず、ついついペースに乗せられてしまうというケースが多いのかも知れない。何事もなかなか、NOといいにくい日本での習慣にもよるのだろう。

・日本人とは反対に、彼らは日常の生活習慣、食事の習慣とかには非常に保守的で、彼らの流儀を変えることを好まない。六十八年からの二十五年間の間に、日本人は信じられないほどの生活革命をやってのけた。生活習慣、食事の習慣、二十五年間の劇的な変化というのは恐ろしいほどのものだろう。フランス人はそういう面の変化を好まない。日本人がすぐにビルを建て変えようと考えたり、古い家屋はこわしてしまおうと考えるのとは反対に、骨董品と言っていいほどの建物を保存し維持し、古い物を愛する傾向を持っている。ところが社会的改革だったらものの見事にやってのけるところが実になんとも痛快である。

・日常的なレベルにおいてはきわめて革新的で、伝統も捨て去ることをいとわない日本人が、男と女のことになるとかたくななまでに保守的で、二十五年前も今もそれほど社会通念が変わっていない。それと全く対照的に、フランス人はかたくなななでに日常的なレベルにおいて保守的で、男と女の関係においては極めて革新的であるのはなんとも面白い相関関係である。

・フランスの男は(略)お金に関しては伝統的にシビアなのだ。法律的に結婚する時に、結婚における財産契約をするというところからも西洋的財産感覚というのがうかがえるだろう。簡単に言えば結婚時に、夫婦の財産を共有にするか別にするかということを決める、ということなのだが、金持ちと結婚して玉のコシに乗ったと喜ぶのは早計だということである。夫婦別財産ということなら事業に失敗した場合、妻には火の粉はかかってこないが、別れるとなると身一つで結婚したのなら元のモクアミになると言う意味である。

・フランスの女性は、若いうちが花というだけでなく、むしろ齢を重ねるにつれて魅力を増していくような女性が数多い。たしかに西洋人女性は東洋人女性に比べると体質的に容色の衰えは早いが、体形を見事に保ち、年齢とともにお洒落にも年季が入り、個性に磨きがかかって、年代毎のおとなの女の魅力を発揮していく様は見事である。

・「フランスの男は、自分の女が周りから見られていることを常に意識しているからね。自分の妻や恋人の姿、形、服装のセンスや髪型など気になってしょうがないんですよ。日本の男は忙しすぎて女性を鑑賞している時間なんてないけど、まあ、フランスは他所見をしたり、ボンヤリしたりする余裕はあるし、日本とは大分事情がちがうでしょう。フランスの男の女性に対する関心の深さは伝統的なもので、子どもの頃からの周りの雰囲気が大きいでしょうね。みんなが女性の服装や美しさに非常に敏感なわけだから、自分の連れである女性の服装や洗練度は一大関心事。女性が美しくあることを要求するのはむしろ男の方ですよ。」彼(註:フランスの美容・化粧品プロモーション会社の副社長)が言うには、つれている女を見れば男の価値がわかる、というわけで、常にそういう目で見られているという意識が強く、奥さんが美容院に行ってきても気付かない日本の夫族とちがって、きれいにしてくれと要求するのがフランスの夫族。

・そう言えば確かにパリには、五十代位で顔のシワこそ年齢相応だが、実に洗練された粋な女というのがいるのである。女が見てもハッとするほどのなまめかしさをたたえて、脚線美を際立たせた、さっそうとした女を時に見かけることがある。あれは確かに“現役”の女の色気というものであろう。ワインの熟成を待ち、そのコクを愛する国民だけあって、おとなの女を育てることにも熱心であり、年季の入った個性の彩を味わいつくそうという女性に対する感覚は、複雑にして洒脱である。

・なにやらイメージ的に洒落た感じがあり、日本の男性の感覚から言えば“軟派”な感じのするフランス人男性と、女なんかにでれでれするのは男の風上にもおけないとする伝統的風潮のある日本では、同じ“男”のはずなのにどうもイメージに差があり過ぎる。ある時、男友達の一人がポロリとこんなことを言った。「女性が好きで、女性にGALANTで口説くのが上手で、もてる男。恋のアバンチュールに情熱と巧みさを持つ男。こういう男をフランスでは伝統的に評価するんだよ。これは何代も前からのフランス人の男の心の中にある、男らしさのイメージと言えるね」(略)GALANT―ギャラン―な男。(略)洒落者で女性に花束を送り、口説き上手で複数の女性からもててしまう男。こういう男が、男同士でも一目置かれ、周囲から憧憬を持たれる男とみなされる傾向があるらしい。

・知識階級のフランス人にとっては、GALANT―ギャラン―であるということは非常に重要な要素であることはもちろんであるが、教養ある文化人的男性を一つの理想として賞賛する傾向が強くみられる。フランスの政治家も事業家も、非常に文化人的要素が強く、そのために社会の仕組みが学問、芸術保護的になるのに一役買っている。

・フランス人は自動販売機に象徴されるアメリカナイズを憎む国民である。便利であるとか、効率的であるということを疑いなき善として追求することを好まないのだ。古いものの良さ、身のまわりのものの年輪をいつくしみ、食べるものの手作り感覚、本物志向を忘れず、便利さよりも大事なものがあることを、今の時代に守ろうとする精神を持つ人々である。

・パリ位、日本人が一般的に持つイメージと現実に生活する際の、日常レベルでのギャップが大きい街も少ないだろう。旅行者にとっては歴史の重みを感じさせる建造物、花の都とうたわれて街全体が歴史を語りかけ、セーヌの河畔でも歩けばロマンチックさもひとしおで、甘い旅愁にひたれるというものである。同じ首都でもちょうど東京には欠けた道具立てが全部そろっている。一方、東京はすべてが現代的であり、便利さの町であり、東京だけでなく、日本全体がサービスという面では実に至れり尽くせりの肌理こまかさである。ところがパリには酒屋の無料配達サービスなんてものはないから、(略)ビールだのワインだのメネラル・ウォーターだのの入った重い買い物袋を家まで運ぶのが一仕事である。(略)つっけんどんな店員というのも全く珍しくないし、日本人の愛想の良い接客態度に慣れていると、日本とのあまりの差にうんざりさせられること、しばしばである。

・それにしても、パリに戻ってつくづく感じることだが、パリででるゴミの少ないこと。東京でのゴミの出方というのは実際只事ではないことがよくわかる。あの快適さの大きな部分は、湯水のように何かを使い捨てに消費することによって成り立っていることは確かなのである。消費が美徳であるとしても、サービス夢の国は、環境破壊と未来のゴミの悪夢の国と表裏であることに、不気味さを感じずにはいられないのだが―――。

・保守的そのものの生活をして、社会全体は不便この上ない点が多々あるが、食べることの素朴さと自然さを守り続けるフランス。そこから帰ってきて日本を見ると、日本人が生き物として最も大事な部分をゆがめ、切り捨てていっているように見えて、何とも不気味で仕方がない。この後戻りの難しい道を選んだ後の代償は、相当高いのではないだろうか。

・・・いかがでしたか。10年以上前に出版された本ですが、保守的なフランスのこと、今もそれほど変わっていないような気がします。日本とフランス、比較するといろいろな違いが出てきます。いつもの繰り返しで恐縮ですが、どちらが良いということではなく、差異があるということ。これだけちがうと、フランスを鏡に日本がしっかり見えてきます。日本の中にいると見え難いことも少しは見えてくるような気がします。そして、もし日本が変わったほうが良いと思える点があれば、それらを何らかの方法で伝えたい。それが海外にいるものの日本への恩返しかもしれないと思います。外国かぶれの大きなお世話といわれるかもしれないですが・・・。

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