チベットでの騒ぎに端を発して、北京オリンピックの開会式をボイコットするとか、しないとかという意見が各国から出ていまですが、フランスでは・・・
「国境なき医師団」の創設者の一人で、人権擁護派を標榜するクシュネール外相は、開会式ボイコットも検討のうちにあると言ってはみたものの、中国との関係、特に経済関係を考慮して、すぐにトーンダウンさせましたが、ここに来てサルコジ大統領自ら、今後の経緯によっては開会式ボイコットも多くの選択肢の一つだ、といった発言をしています。政治家の発言だけに、いろいろな背景や駆け引きがあっての上なのでしょうが、では、一般市民はどう考えているのでしょうか・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/dc/b5516f0c61d26bf435089fd59f4e9f57.jpg)
26日のフィガロ紙です。毎日ひとつテーマを選び、それについての意見をネット上で募集。それをまとめて翌日紙面で紹介していますので、一般市民の声とはいっても、フィガロ紙の読者、ネットで意見を寄せることを厭わない人という条件がつきます。
「北京オリンピックの開会式にフランス政府の上層部は出席すべきかどうか」という質問に対し、5,488の声が寄せられたそうですが、ウイが36%、ノンが64%。出席すべきでないという人が三分の二近くを占めています。
・オリンピックは、文化の対立を越えて、多くの国が平和裏に集まれる稀なケース。それに背を向けてしまっては、意見を異にする相手を説得するチャンスを逃してしまうことになる。
・スポーツの祭典が政治に翻弄されるべきでない。政治指導層は、そもそもオリンピックの開会式に出席すべきではない。
・オリンピックの開催都市に北京を選んだ時点でこうした状況は予想できたのではないか。今更騒ぐのはおかしい。フランスはEUの決定に従うべきだ。
・もしオリンピックがなかったら、多くの人がチベットの問題にこうも関心を持っただろうか。
・どうして政治家がオリンピックに行くのか。選手とスポーツを愛する人々が参加すれば良い。政治は常になんらかのシンボルを必要としている。
・政府を代表していくのは大統領ではなく、所轄のスポーツ大臣が行けば良いのではないか。
・中国での開催を決めた時点で、こうしたことは想定できたはず。オリンピック開催で中国が自由で民主主義の国になるとでも無邪気にも思ったのだろうか。
・・・チベット問題の影響で参加すべきではないというよりは、そもそもスポーツの祭典、平和の象徴のひとつであるオリンピックに政治が介入すべきではないという意見が多いようですね。だから、政治家は出席すべきではない! しかし、オリンピックは開催国の国威発揚の場でもあり、またかつては獲得メダル数が国の威信にまで関わっていました。近代オリンピックは政治とは切り離せないものなのかもしれないですね。その結果、不参加ともなれば、悔しい思いをするのは、4年間練習を積んできた選手たち。プロ・アマの境界線、スポンサー絡みのお金の問題、ドーピング・・・オリンピックはすでに多くの問題を抱えています。競技団体ごとにある世界選手権で十分なのではないかとも思えてしまうのですが、21世紀、人類の叡智でオリンピックを改革することはできないものでしょうか。それとも、人間にとっては、叡智よりもお金のほうがやはり強いのでしょうか・・・
さて、では、日本の反応は・・・困った! 中国と欧米を中心とした多くの国々との板ばさみで、動きが取れない。いつものことですね。右顧左眄、周囲を見渡して、勝ち馬に乗る。そのためには、自らの意見は差し控える。長年差し控えてきた結果、自らの意見がもてなくなってきている。どこともまあまあな関係をキープし、出来れば争い事は避けたい。穏便に、穏便に。ほぼ問題が解決したら、その結果を受け入れる、あたかも最初からそういう考えであったかのごとく。「ムラ」社会の中での処世術そのままに外交が行なわれていると思いませんか。でも、こうした処世術、程度の差こそあれ、誰の中にもしっかり根づいているのではないでしょうか。私の中にもないとは言い切れません。皆さんはいかがですか。日本外交、専門の外交官や指示する政治家だけの問題ではなく、日本の国民性が表れているような気がしてならないのですが・・・
フランスと中国、いつの間にか、思いは我が祖国・日本へ。オリンピック、そして国際社会の中の日本、どう思われますか。
「国境なき医師団」の創設者の一人で、人権擁護派を標榜するクシュネール外相は、開会式ボイコットも検討のうちにあると言ってはみたものの、中国との関係、特に経済関係を考慮して、すぐにトーンダウンさせましたが、ここに来てサルコジ大統領自ら、今後の経緯によっては開会式ボイコットも多くの選択肢の一つだ、といった発言をしています。政治家の発言だけに、いろいろな背景や駆け引きがあっての上なのでしょうが、では、一般市民はどう考えているのでしょうか・・・
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26日のフィガロ紙です。毎日ひとつテーマを選び、それについての意見をネット上で募集。それをまとめて翌日紙面で紹介していますので、一般市民の声とはいっても、フィガロ紙の読者、ネットで意見を寄せることを厭わない人という条件がつきます。
「北京オリンピックの開会式にフランス政府の上層部は出席すべきかどうか」という質問に対し、5,488の声が寄せられたそうですが、ウイが36%、ノンが64%。出席すべきでないという人が三分の二近くを占めています。
・オリンピックは、文化の対立を越えて、多くの国が平和裏に集まれる稀なケース。それに背を向けてしまっては、意見を異にする相手を説得するチャンスを逃してしまうことになる。
・スポーツの祭典が政治に翻弄されるべきでない。政治指導層は、そもそもオリンピックの開会式に出席すべきではない。
・オリンピックの開催都市に北京を選んだ時点でこうした状況は予想できたのではないか。今更騒ぐのはおかしい。フランスはEUの決定に従うべきだ。
・もしオリンピックがなかったら、多くの人がチベットの問題にこうも関心を持っただろうか。
・どうして政治家がオリンピックに行くのか。選手とスポーツを愛する人々が参加すれば良い。政治は常になんらかのシンボルを必要としている。
・政府を代表していくのは大統領ではなく、所轄のスポーツ大臣が行けば良いのではないか。
・中国での開催を決めた時点で、こうしたことは想定できたはず。オリンピック開催で中国が自由で民主主義の国になるとでも無邪気にも思ったのだろうか。
・・・チベット問題の影響で参加すべきではないというよりは、そもそもスポーツの祭典、平和の象徴のひとつであるオリンピックに政治が介入すべきではないという意見が多いようですね。だから、政治家は出席すべきではない! しかし、オリンピックは開催国の国威発揚の場でもあり、またかつては獲得メダル数が国の威信にまで関わっていました。近代オリンピックは政治とは切り離せないものなのかもしれないですね。その結果、不参加ともなれば、悔しい思いをするのは、4年間練習を積んできた選手たち。プロ・アマの境界線、スポンサー絡みのお金の問題、ドーピング・・・オリンピックはすでに多くの問題を抱えています。競技団体ごとにある世界選手権で十分なのではないかとも思えてしまうのですが、21世紀、人類の叡智でオリンピックを改革することはできないものでしょうか。それとも、人間にとっては、叡智よりもお金のほうがやはり強いのでしょうか・・・
さて、では、日本の反応は・・・困った! 中国と欧米を中心とした多くの国々との板ばさみで、動きが取れない。いつものことですね。右顧左眄、周囲を見渡して、勝ち馬に乗る。そのためには、自らの意見は差し控える。長年差し控えてきた結果、自らの意見がもてなくなってきている。どこともまあまあな関係をキープし、出来れば争い事は避けたい。穏便に、穏便に。ほぼ問題が解決したら、その結果を受け入れる、あたかも最初からそういう考えであったかのごとく。「ムラ」社会の中での処世術そのままに外交が行なわれていると思いませんか。でも、こうした処世術、程度の差こそあれ、誰の中にもしっかり根づいているのではないでしょうか。私の中にもないとは言い切れません。皆さんはいかがですか。日本外交、専門の外交官や指示する政治家だけの問題ではなく、日本の国民性が表れているような気がしてならないのですが・・・
フランスと中国、いつの間にか、思いは我が祖国・日本へ。オリンピック、そして国際社会の中の日本、どう思われますか。