50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

自転車は、お金で走る。

2007-07-31 00:28:39 | スポーツ
29日、今年のツール・ド・フランスがゴールのシャンゼリゼ通りを駆け抜けました。第94回の今年はロンドンのトラファルガー広場をスタート。全3,570kmを20ステージに分けてのレースでした。


いきなりのピンボケ写真で恐縮ですが、目の前を走り抜ける選手たちのスピードは、これほど速い。感動モノの速さです。


シャンゼリゼの両側には多くの観客が。カフェのフーケ、その2階が特等席になっているようです。


その結果を伝える30日のフィガロ紙です。優勝は、カラー写真で出ているスペインのアルベルト・コンタドール選手。しかし、その勝者に与えられる花束は、すでに萎れてしまっている、と記事は伝えています。ロンサール以来の長い詩の伝統を感じさせる表現ですが、優勝すら色褪せてしまっているように思えるのは、今年の大会がドーピングまみれになってしまったから。

写真右側のモノクロ写真にこっそりと写っているのが、その渦中にある2選手。左側がチームから離脱を命じられたデンマークのラスムセン選手(第16ステージを制する)、右側がチーム自体大会から退場したカザフスタンのヴィノクロフ選手(第13・15ステージで勝利)。そのほか、イタリアのモレリ選手も陽性が判明。去年も総合優勝のランディス選手(アメリカ)がドーピングに引っかかりましたが、今年は、それにも増してドーピングの影響が大きく出ました。

そのドーピングはますます巧妙になり、血液検査でないと判明しないようになっているそうです。昔は単に尿検査でよかったようですが、今では血液検査。取り締まる側と逃げ切りたい側の、いたちごっこ。

どうして、こんなにもイドーピングが横行するのか。記事も紹介していますが、選手は、その栄誉と賞金。そして、何よりもチーム・スポンサーはその好成績で企業や商品のイメージを向上させたい。投資をできるだけ効率的に回収したい。そのためには、どんな手でも使う。スポーツの世界に、ビジネスの価値観が入ってきてしまった・・・

レースを見ようと早くから沿道に詰めかけた観衆は、選手たちの到着の2時間以上も前から多くのスポンサーの宣伝カーを見ることになります。

自転車競技とどのような関係があるのか判然としないスポンサーも多くあります。

この大会の伝統・格式を活用して企業イメージを良くしたい。

テレビ局TF1を傘下にもつ建設・通信大手のブイグ社もチームを持っていますが、その関係者曰くは、「好成績を収めると企業イメージが上がり、ビジネスにもいい影響が出るが、結果が悪いと却ってマイナスになることもある」。だから、スポンサーとしては、何がなんでも上位に入りたい。

15年くらい前でしょうか、『黒い輪』というスポーツ・ビジネスの裏側を描いた本が話題になりましたが、選手育成に資金を必要とするスポーツ界と、人気のあるスポーツを効率的な広告媒体と認識する企業の思惑が一致。その間に競技団体が入り、費用は莫大なものになっていく・・・そんな内容だったと思いますが、このツール・ド・フランスもその例外ではない、と言うか、その典型なのかもしれません。

(優勝したコンタドール選手のチーム・スポンサー、ディスカヴァリー・チャンネルの宣伝用バスです)

これだけ、ドーピングに毒されては、その権威も失墜。廃止の危機に直面するのではないか、と心配する向きもあるほどです。では、どうしたらいいのか。ドーピングチェックをより厳重にし、ドーピングをさせないように・・・これは今までもやってきたことで、またいたちごっこになるだけ。大会主催者だけでなく、各国の自転車連盟と協力して、ドーピング検査の徹底を事前から図る。チームスポンサーの勝利要求を排除するために、チーム対抗から、国や地域対抗にする。主催者が対抗策を徹底できるよう、毎年開催からオリンピックやワールドカップのように4年に1回にする。このように記事や関係者は提言しています。

さて、主催者側がどれだけ危機感を持って、どう対抗策を講じてくるのか・・・今年の10月25日には来年の大会の詳細が発表になり、来年7月5日にはブレストの街をスタートすることがすでに決定されています。100回の記念大会を前に、ツール・ド・フランス、危機に直面しています。

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蓮っ葉だなんて、誰がいったの?

2007-07-30 01:05:34 | 美術・音楽
どんなに跳ね返りだろうと、蓮っ葉だと言われようと、自分さえしっかりしていれば、大丈夫・・・え、何のことかって? 皆さんの若い頃の話・・・ではもちろんなく、今日のテーマは、ハス。蓮。そう、睡蓮です。

睡蓮と言えば、あえて言うまでもなく、モネ。クロード・モネ。ジベルニーの家を訪れた方も多いのではないでしょうか。そのモネの家は昨年ご紹介しました。今日ご紹介するのは、オランジュリー美術館の睡蓮。な~んだ、見ちゃったよ、という方はさらに多いでしょうね。

(おなじみ、モネの睡蓮)

でも、オランジュリーの睡蓮、今日の主役はモネではなく、キリリ。きりりと身を引き締めて、お読みください(な~んて、苦しい駄洒落)。


オランジュリー美術館脇の芝生。そこにある、白いまるで十字架のようにも見える一群の創作物。この作者が、彫刻家のキリリです。

作品名は“Grand commandement blanc”、文化大臣の依頼で制作されたもので、1986年の作品です。

Alain Kirili(アラン・キリリ)、1946年パリ生まれ。19歳のときにアメリカ旅行をして以来、パリとニューヨークを往復しながら創作活動を行っています。1972年はじめての個展もパリとニューヨークで開く。78年にはインドを旅し、その精神世界から大いなる刺激を受ける。79年には、ニューヨークの近代美術館によって、初めて作品が買い上げられる。80年、上の写真にある“Commendement”シリーズの創作開始。92年からは、ジャズミュージシャンとのコラボを。2003年には、アフリカ・マリを訪れ、新しい手法などを試みる。

コンセプチュアル・アートからスタートし、ヘブライ文字、インドの精神世界、ジャズの影響を受け、コンテンポラリーでありながらプリミティブな印象も加わった独自な世界を創りだしている彫刻家です。

このキリリが今、オランジュリーで行っている作品展が、“Kirili et Les Nympheas”(『キリリと睡蓮』展)。


小さい頃からモネが好きだったというキリリ。

(キリリが憧れたモネの睡蓮)

モネの睡蓮にインスピレーションを受けた作品を作り出しました。

これらの彫刻作品、初めてカラー・コンクリートを素材にした作品だそうです。60を過ぎてもまだ新しいことに挑戦。さすが芸術家です。

モネへのオマージュ。


平面の作品も制作しています。キリリの睡蓮。


そして、モネの睡蓮。


それぞれの個性は異なっていても、これだけの作品に描かれれば、睡蓮も幸せもの。蓮っ葉といわれようと、なんと言われようと、芸術作品のテーマになっているのですから、立派なものです。

(モネの睡蓮のアップ)
睡蓮という言葉からモネを思い出すとき、頭の片隅にでもキリリの名を思い出してもらえると、このブログを書いた甲斐があったというものです。

『キリリと睡蓮』展
オランジュリー美術館
・火曜休み・12:30~19:00
・9月17日まで
キリリの作品をじっくりご覧になりたい方は・・・
http://www.kirili.com/

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尋ね人。

2007-07-29 00:57:31 | パリ
29日は、日本では参議院選挙。投票はもうお済ですか。投票日にも、このブログへ訪問していただき、ありがとうございます。

という選挙とは全く関係なく、今日の話題は、尋ね人。探しているのは、石井佐和子さん。住所も分かっています。東京都文京区弥生1-4-2。どなたか、ご存知の方は、いらっしゃいませんか。石井さんの親しい人が彼女宛に書いた手紙が、今、パリで話題になっているんです。



ご主人なのか恋人なのか、幸治さんという男性から愛する佐和子さんに宛てた手紙。修復なったヴェルサイユ宮殿を訪れた、その興奮を絵葉書にしたためたものです。佐和子さんて、どんな方? といっても、実在する人なのかどうか・・・実は、この手紙・・・

広告に登場する手紙なんです! フランス国鉄(SNCF)のイル・ド・フランス地方の鉄道利用キャンペーンの広告。手紙の文章は、最初にフランス語のコピーがあって、それを日本語訳したのかもしれませんね。「電車に乗って」ときちんと広告コピーが入っています。手紙の背景にはヴェルサイユ宮殿の写真、左端には日本らしさを出すためでしょう、鈴と茶碗・・・デザイン面でも芸の細かいところを見せています。

広告メッセージは、ヴェルサイユへもSNCFで。時刻表などは、ネット上で、どうぞ。(ホームページは、フランス語・英語・スペイン語で表示されています・・・先日ご紹介した貸し自転車の操作パネルと同じ言語。この3ヶ国語でほぼカバーできると見做されているのかもしれないですね。)


幸治さんから佐和子さんへ宛てた手紙、そのフランス語訳(多分、こちらがオリジナル)も右側に出ています。フランス語に興味がおありでしたら、どうぞ。


なお、因みに、手紙に書かれた住所の郵便番号、正しいんですね。いい加減な数字ではありません。広告制作者に近い誰かの知っている住所なのでしょうか。あるいは、日本語訳をした女性、本人の名前と住所? 手紙の文字もなんとなく女性の書いた文字っぽいですよね・・・

この広告は、シリーズ広告。日本人以外にも・・・

ドイツ人は、ゴッホの家(ラヴー亭)のあるAuver-sur-Oise(オヴェール・シュル・オワーズ)、


イギリス人の子どもの手紙は、有名な建造物のミニチュアを集めたテーマ・パーク“France Miniature”、


ポーランド人のものは、お城で有名なFontainebleau(フォンテーヌブロー)。

それぞれの観光名所へ、SNCFで。という、観光促進も兼ねたキャンペーンになっています。

それにしてもなぜ日本人がヴェルサイユなのか。日本人にとって、イル・ド・フランス地方(パリの周囲の地域)といえば、ヴェルサイユ、なのでしょうか。あるいはそう思われている? そういえば、セーヌ川の観光船・バト・ームッシュでも、日本語の説明があるのは確か一ヶ所だけ。「左手に見えますのが、ルーヴル美術館です」。日本人が好きなのは、ルーヴルとヴェルサイユ。なんとなく超有名、華やかなものが好き、あるいは、ブランド好き? そう思われているのでしょうか。あるいは、実際、そうだったりして・・・。

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夏の来ぬ間に、小さい秋見つけた!

2007-07-28 00:48:44 | パリ
暑中お見舞い申し上げます、って言うのは日本の皆さん向け。こちらでは、夏が見つからない! 東ヨーロッパや南欧では、40度を超え、酷暑。死者まで出るという異常気象。一方、イギリスでは洪水で、これまた、大変な状況に。

それらに囲まれたパリでは、酷暑も洪水もない。おまけに、夏もない! 4月上旬に一時30度近くまで上がった気温も、5月以降、低迷。7月になっても最高気温が22~23度、最低気温は15度前後。さすがの暑がりヨーロッパ人も、例年のような、タンクトップにショートパンツというわけには行かず、結構着こんでいます。

もちろん、観光客を中心に、Tシャツ・短パンもいますが、ジャケットや薄手のコート姿、時には革ジャンまで。しかも5・6月は小雨の日ばかりで、7月に入ってもスッキリした青空はあまり拝めません。夏はまだか!

と、叫びたい気持ちでいるうちに、夏至を過ぎて昼の時間は着実に毎日2~3分ずつ短くなっています。そうした時の移ろいは、どうも人間より自然界のほうが敏感に感じ取るようで、思わず、小さい秋、見つけた! となってしまいました。


13区の小さな公園で咲いているコスモス。コスモスといえば、秋。秋を感じずにはいられませんね。

リュクサンブール公園でも、やはりコスモスが。


見上げれば、もう、マロニエには実がついています。


そして、気の早い木々は、葉の周りを、うっすらと紅葉させ始めています。


足元を見つめれば・・・


そして・・・

袋に入っているものは、何でしょう。

りんごです。同じくリュクサンブール公園で育てているりんごたち。もうずいぶん大きくなり、色づいてきています。


これは、多分、柿の赤ちゃん。Kakiとして、こちらでも秋の店頭にたくさん並びます。もう実がついているんですね。

本格的な夏が来ないうちに、秋がひっそりと、もう忍び込んできている・・・そんなパリの7月最後の週末です。

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嫉妬深いですか?

2007-07-27 00:27:35 | マスコミ報道
地球の周りを天体が回っているのではなく、地球が動いている。もう当たり前ですよね。こんなことをちょっと思い出してしまったのは、世界はフランスと日本を中心に回っているという希望的観測をお持ちの方と話してしまったから。

日仏関係も、世界にあまたある二国間関係の一つ。多くの国際関係で世界は動いている。これも当たり前ですよね。好むと好まざるとに関わらず、受け入れざるを得ない、と思うのですが・・・

さて、そのあまたある二国間関係で、最近のフランスの新聞に、特に経済面で頻繁に紹介されているのが、中仏関係。そう、中国です。中国のプレゼンスが以前にもまして高くなってきています。新聞記事に、ちょっとお付き合いを!


20日のフィガロ紙です。中国の今年第二四半期の経済成長率は、11.9%。このままの経済成長なら、年末にはGDPが3兆1,000億ドルに。ということは、ドイツをも抜いて、世界第三位の経済大国。

しかし、こうした高度経済成長に対して、中国政府が加熱しないよう対策を講じているにもかかわらず、元の過小評価、貿易赤字、環境汚染、そして6月には4.4%に達したインフレなどの問題が解決されないままになっている、と問題点も指摘しています。そしてもう一点、株式市場の加熱。社会保障がほとんどないため、多くの国民が株に投資。その加熱振りも心配の種になってきている。

こんな風に、中国の経済成長とその裏に潜む問題点を紹介しています。


24日の同じくフィガロ紙の経済面です。ついに中国がヨーロッパのマネーゲームに参戦。オランダのABNアムロ銀行を買収しようとしているイギリスのバークレー銀行に中国の国家開発銀行とシンガポール資本が投資、という話題です。シティは平静を保っているが、ヨーロッパの他の国々では金融部門へのアジア資本の流入に警戒感を強めているそうです。


同じ日のフィガロ紙ですが、中国の銀行の投資の話題から、世界の大手金融機関のランキングを紹介しています。株式総額(単位は10億ユーロ)での上位15行です。1位はアメリカのシティグループ、続いて中国の工商銀行。3位がイギリスのHSBC、4位はバンカメ、5位に中国の建設銀行、6位も中国で中国銀行。上位6行の内3行が中国の銀行です。日本の銀行では、11位に三菱東京UFJ銀行が入っているだけです。銀行の資本力評価の一つなのでしょうが、これが現実のようです。

そして、同じ紙面には、フランス企業の中国進出も紹介されています。中国のフランス商工会議所に登録するフランス企業が、ついに1,000社を超えたそうです。2004年以降38%の増加だそうです。栄えある(かどうかは分かりませんが)1,000社目は、Geoservicesという石油関係の会社。しかし、最近では中小企業の中国進出が多くなってきており、商工会議所に加入しない企業も多い。1,758社と言う資料、あるいはそれ以上という見方もあるそうです。因みに、在日フランス商工会議所の会員数は今年はじめの時点で550社(内三割が日本企業)だそうです。


そして、中国と言えば、来年の北京オリンピック。これは、25日のフィガロ紙。同じく経済面の第一面です。スタジアムなどの建設はとりあえず順調に行っているそうですが、オリンピックの開会式が、来年の8月8日。8並びを狙ってのことですが、夏の北京の暑さ、湿気、埃っぽさが競技の大敵になるのでは、と警告も忘れていません。環境問題を解決して、せめてきれいな大気に、と中国政府は懸命なようですが、さて、どうなりますか・・・

と、毎日のように経済面のトップを中国関連の記事が占めています。フランスの著名人の口からも、「中国」という国名がしばしば出てきます。隣国としては、どうですか。嫉妬してしまいますか。それとも、日本には日本の道がある、と胸を張って言えますか。せっかく先人たちが築き上げてきた日仏の良好にして緊密な関係。ぜひともこれからも続けていきたいものです。世界の中心ではないにしろ、かけがえのない日仏関係。世界の中の日仏関係という環境の中でも、ぜひ、豊かなものであり続けてほしいと思います―――。

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肩をすくめて、ウイ・ムッシュー。

2007-07-26 00:28:19 | 学校
「今何時だと思ってるんだ。12時まで15分しかないじゃないか、今頃来て、なんだ!」・・・また、例によって叱られてしまいました。

今日は、ソルボンヌ文明講座・夏期講習の申し込みに行ってきました。春学期と冬学期の間、6月から9月まで、通常の授業に替わり、1ヶ月でも受講できる夏期講習が行なわれています。去年は7月に受講したのですが、今年は8月。去年の申し込み会場になっていたエストラパード通りの校舎へ行ったのですが、今回はそこではなく、ソルボンヌの本部なんだそうです。単に受講申し込みなのですが、毎回のように会場やプロセスが変わります。いかにも、フランス。担当が変われば、いろいろ変わってしまう。絶対に前例主義ではない。ないどころか、反前例主義、と言ってもいいくらいです。担当が同一人物の場合でも、気分次第で大きな変更が。


(ソルボンヌの本部校舎)

窓口が12時までだからとせっかく11時半過ぎに着いたのに、本部へ行かなくては。でも歩いて5分程度。楽勝、楽勝・・・と、思っていたら、本部校舎のいつもの入り口が閉まっているではないですか。夏休み。別の入り口の守衛さんに聞いたら、裏側の通りの入り口から入るように、ということなので、細長い校舎の長いほうの辺をぐるっと半周。そこから校舎内に入りなおし、いつも以上の距離の廊下を歩いてようやく到着。その時刻が11時45分。

そこで、冒頭のお叱りが。でも、この叱った受付のおじさん、誰にでも、どんな小さなことにでもすぐ怒るおじさんなので、こちらは慣れっこ。あ、まただ、と肩をすくめて、ごめん、ごめんと言っておけば、申し込み用紙はくれるので、問題なし。

12時まで窓口は開いているわけで、しかも時間を過ぎたわけではない。時間前に入ればOK。日本ならそう考えますよね。でも、フランスでは12時に作業を終えて昼休みにする、という意味。15分前なんかに来てはいけない、ということのようです。

でも、何も怒り飛ばさなくても、と思いますよね。いきなりここで怒られて、ソルボンヌが嫌になってしまう人も実際いるようです。でも、このおじさん誰に対しても同じように怒っていますので、差別ではない。それでも、第一印象というものがありますよね。ソルボンヌに対してだけでなく、フランスに対しても嫌なイメージを持ってしまう人だっているかもしれません。

そんなお叱りを受けたこの日、いいこともありました。天は我を見捨ててはいない(オーバーな)! 最初に行ったエストラパード通りの校舎入り口で、文明講座のディレクターとばったり。ソルボンヌ大学の教授でもある人なのですが、以前この方のコンフェランスを取り、試験も受けていました。また、別の校舎でたまたま2~3分ほど話したことがあったのですが、顔を覚えていてくれて、にっこり。また受講しますと言ったら、それはよかった、また一緒に勉強できてうれしい、というご挨拶を頂いてしまいました。苦あれば楽あり、嫌なことがあれば良いこともある。セ・ラ・ヴィですね。


(ソルボンヌ広場から見たところ)

と、いつものように、フランスの良いところだけでなく、嫌なところも書いてしまいました。フランスが好きな方にとっては、どうして私のフランスの嫌なところなんか書くのよ、とそれこそ叱られてしまいそうですが、フランスだって、天国ではない。他の国と同じように、良いところもあれば、嫌なところもある。好きだからといって片目で見るよりは、両目をしっかり見開いていたほうが、本当の姿が見えるかもしれないと思っています。

「読者の『知りたいこと』を伝えるのはまさに新聞の仕事だが、読者のそれほど『知りたくないこと』も時に書かなければならない。それがジャーナリズムであると私は思っている。」と、新しく朝日新聞・主筆になった船橋氏が書いています。私の場合は、単にブログ、一浅学の徒が趣味でやっているブログでしかないので、ジャーナリズムに比肩できるはずもないのですが、それでもおしゃれなフランスだけでなく、その反対のフランスも時には紹介したいと思っています。お嫌でなければ、これからもお付き合いの程を!

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今日も今日とて、100周年。

2007-07-25 00:15:25 | パリ
話題は、昨日に引き続き、今日も100周年。さすが歴史と伝統の国、フランスですね。いろいろな周年事業があります。

さて、今日の100周年は、乗り物です。

先日、ボランティアのフランス語会話サークルで、フランス人が、飛行機は実はフランス人の発明なんだ、と言うので、そう、工芸技術博物館で見た、さすがフランス! と甘言を弄したところ、非常に喜んでくれました。正式には飛行と認められなかったにせよ、フランス人がライト兄弟と競って飛行機を開発し、その後の進歩にも大きく貢献したのは事実。気球による有人飛行も確かフランス人が最初でした。そして、もう一つの、空飛ぶ物体は・・・ヘリコプター。これもフランス人の発明によるものだ、という記事が7月23日のフィガロ紙に出ていました。



この記事によると、ヘリコプターの発明はPaul Cornu(ポール・コルニュ)、Louis Breguet(ルイ・ブルゲ)、Maurice Leger(モーリス・レジェ)の三人のフランス人によるところ大、だそうです。

この記事は、その発明時の詳細を説明していないので、他の資料をあたると・・・ヘリコプターのアイデア自体は、なんとあのレオナルド・ダ・ヴィンチにまで遡るそうです。彼の誕生日(1452年4月15日)に因んで、4月15日はヘリコプターの日。知りませんでした。

そして、時は一気に下って、1907年、つまり100年前ですね、まず8月24日にルイ・プルゲが「ジャイロプレーン1号機」に乗り込み、地上60cmのところに2分間滞空することに成功したそうです。しかし、機体が不安定なため、人に周囲を支えてもらっての滞空。残念! 続いて、同年11月13日、ポール・コルニュが直径6mのローターを前後につけた機体で、1.5mの高さにわずか20秒ですが滞空。人に支えられていようが、たった20秒であろうが、ヘリコプターの概念を実現した機体で滞空(ホバリング)したのは事実。だから、ヘリコプターを発明したのは、フランス人だ! と言い切ってしまっているのがこの記事です。

しかし、他の資料では、フランス人たちの果たした役割は賞賛に値はするが、あくまで黎明期の試みで、きちんとしたヘリコプターはドイツ人、ハインリッヒ・フォッケによって1936年に開発された“Focke-WulfFW61”、となっています。

しかし、我田引水、自分の国に都合のいいように解釈して、自画自賛するのは、洋の東西を問わないのでしょう。そして、その傾向がフランスはちょっと(かなり?)強い。だから、気球も飛行機もヘリコプターも、空飛ぶものはフランス人の発明! となっているようです。

という発明話はおいておいて、フランス国内では、今年がヘリコプター誕生100周年。そこで、その記念事業として、ヘリコプターによる大西洋横断が行なわれました。記事が伝えているのは、その詳細です。

パリ郊外を革命記念日の7月14日、例のシャンゼリゼの行進が始まる少し前に飛び立ち、一路北上。3時間ごとに燃料補給等を行なう必要があるそうで、一気に大西洋横断というわけにはいかず、イギリス、フェロー諸島、アイスランド、グリーンランド、カナダ、そしてアメリカと、全8,500kmほどの飛行距離を26飛行に細分しての航程。見出しにあるように、ノミのジャンプ。

7月といえども北緯60度を越える地域を飛ぶと非常に寒く、パイロットたちはまるで宇宙飛行士のような出で立ちで乗り込んだそうです。しかも、天気が悪く、霧氷などに行く手を遮られ、予定外の着陸を余儀なくされたこともあったとか。

しかも、100周年を記念すべく、使った機体は約50年前に作られた1956年製。飛行速度も現在のものに比べれば遅く、時間もかかったそうです。しかし、およそ50時間。無事、シカゴ郊外、航空ショーの行なわれているオシュコシュに到着。70万人の観衆に出迎えられたそうです。めでたし、めでたし。

ということで、今年は、ヘリコプター誕生100年です(フランス国内だけ?)。

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祝100周年。何が?

2007-07-24 00:24:02 | パリ
1907年に誕生したもの。何でしょう。じ~っくり考えてみてください。何か思いつきましたか? さらに正確に言うと、1907年6月5日(日)。これがどうも公式デビューのようです。さて、さて、さ~て・・・

今日は種明かしをしてしまうと、すぐ終わってしまいそうなネタなので、じらし作戦。答えを言う前に、パリ・プラージュでぬけていた写真をご紹介します。

Bassin de la Villetteで多くの人がペタンクをやっていましたが、セーヌ河畔でも同じように、ペタンクに夢中になっている人たちがいました。


Bassin de la Villetteではこのようなポスターもありました。

1時間無料だそうです。土を敷いて整備したコート、そしてブールといわれるボール。ルールさえ知っていれば、取り敢えずは誰にでもできる。ということで、年齢に関係なく多くの人たちが楽しんでいました。

(夏の木洩れ日の下のペタンク。絵になりますね)

(思ったところにブールを止めるには、高く放り上げるのも一つのテクニック?)

(親しき仲にもルールあり・・・カップルでも、メジャーで測定)

前置きが長~い。答えは何だ! 勘のいい方はもうお分かりですよね、答えはペタンク! そうなんです、ペタンクが今のかたちになって、今年で100周年だそうです。だから、パリ・プラージュの会場にペタンク用のコートがいくつも整備されていたんですね!


7月21日から発行が始まった“metro plage”(メトロ・プラージュ;日刊のメトロ紙が夏だけ出す週刊のフリーペーパー、リゾート地でのエンターテイメント情報中心)でも、第1号で早速紹介されています。


6月にもディレクトソワール紙が紹介していました。

これらを総合すると、ペタンクの歴史は・・・

そもそもボールを投げる遊びは、紀元前5,200年のエジプトまで遡るそうです。子どもの棺に入っていたそうで、当時のファラオたちも遊んだのでは、とも言われています。その後、古代ギリシャを経てローマに伝わり、ビュット(目標球)の近くにブール(球)を止めることを競うゲームへと進化したそうです。従って、フランスでもローマ支配下で主に行なわれていたとか。

そして、時代は飛んで、20世紀初頭の南仏、プロヴァンス地方。「ジュ・プロヴァンサル」、プロヴァンス地方のゲームという名になって、ローマ以降も廃れず続いていたゲーム。3歩助走して投げ、遠くにある目標球の近くにボールを止めることを競っていたのですが、ジュール(ニックネームがル・ノワール)というゲーム上手が、なんとリューマチで助走ができなくなくなってしまった。それを気の毒に思った、ラ・シオタという同じ町に住む仲間たちが、ルールを変更。助走をなくし、距離も短くした。これが1907年のこと。そしてこのルールでの最初の大会が行なわれたのが、同年6月5日、というわけです。

助走をなくし、足をそろえて投げるところから、プロヴァンス方言でピエ・タンケ(両足を揃えて)、そこからpetanque(ペタンク)になったとか。当時はまだ木に鋲を打ったボールを投げていたそうですが、1923年になってようやく銅とスズの合金による金属製のボールになったそうです。



いまや世界69カ国で楽しまれているそうで、競技人口は1,500万人とか。でも、競技連盟に登録しているのは、フランス38万人、世界で60万人とか。もし、オリンピック種目になったら、競争相手が少ない! オリンピックに出場することも、可能か! いやいや、簡単そうに見えて、奥が深いそうです。なにごとも、簡単には行かない! それが世の中、C'est la vie.(セ・ラ・ヴィ)ですね。

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セーヌ河畔のパリ・プラージュ。

2007-07-23 00:56:55 | パリ
「もう一つのパリ・プラージュ」もいいけど、やっぱりセーヌ河畔のを見たい! そういう声もあるだろうと思いますので、ルーヴルからマレ地区にかけてのセーヌ右岸で行なわれているパリ・プラージュを今日はご紹介しましょう。


砂を河畔沿いの道路に敷きつめて、ビーチのイメージ。

でも、砂の量が少ないのか、ないところは芝と桟橋風の板張り。

芝の上では、公園で日光浴するのと同じですよね。ちょっとした公園でも、水着で日光浴している人がよくいますものね。でも、セーヌが見えるだけ、「パリ・プラージュ」なのでしょうか。


ビーチへ行きたい!と叫びたくなるような暑さではないので、デッキチェアに横になっている人たちも、ほとんどが普段着のまま。そして、日光浴している人たちよりも多いのが、さすが観光シーズン、多くの観光客です。

特にどこにいても聞こえてくるのが、よく通る声のアメリカ英語。こうした団体ツアーも多く、とにかくすごい数のアメリカ人です。実際、先日テレビのニュースでやっていましたが、パリを訪れる外国人観光客、アメリカ人がとても多いそうで、ドル安・ユーロ高にもかかわらず減っていないとか。一極大国のアメリカ人も、ヨーロッパの伝統には弱いようですね。

そうした観光客が多いせいでしょうか、セーヌ河畔では、お土産コーナーも。

Tシャツを中心に、お土産品をそろえています。

また、このパリ・プラージュを絵葉書で家族・友人に送りたい、という人のために、臨時の郵便局もオープン。

絵葉書や切手・封筒も売っています。携帯で撮って送る、というより絵葉書や手紙、という人が欧米にはまだ多いのでしょうか、混んでいました。あるいは各地から来た先進技術嫌いのフランス人が主に利用している?

でも、一番売れていたのは、アイスクリーム。

「パリの休日」は、スペイン階段ではなく、セーヌ河畔をアイスクリームとともに・・・

また、セーヌ沿いには特設のプールも。

写真をわずか1枚撮ったところで、監視員が飛んできて撮影するな、とすごい剣幕。でも、隣に立っていた西洋人は、シャッターを何回も切っていたのですが。水着の西洋人を西洋人が写真で撮るのはいいが、アジア人が撮るのはまかりならん、ということでしょうか。こんなところで文句言って、言い争ってもつまらないので、さっさと引き上げましたが・・・

そのすぐそばで、突然大声の喧嘩。おじさんとおばさん、フランス人同士が、デッキチェアの場所取りでもめ始めました。はじめはおばさん優勢だったのですが、声の大きさでおじさんが逆転。“salope”(あばずれ)の連呼でした。散々叫んで気が済んだのか、結局はおじさんがチェアをもって別の場所へ。そこで、おばさん、「バカがいなくなって清々したわ」。たかがデッキチェアの場所取り、それなのにいい齢した大人が大声で怒鳴りあい。自己主張は、やはりここまでしないといけないのですね。さっきのプールに戻って、どうして西洋人はよくて有色人種はいけないのか、言いに行こうと思いましたが、謙譲の美徳(というより、事なかれ主義!)が勝ってしまいました。情けない・・・

ということで、揉め事もあるのか、こうして警察がパトロール。

Tシャツに自転車。親近感があって、いいですね。でも、ホントに自転車が好きですね!

気温が上昇したときに備えて、救急看護ブースも設置されています。

でも、最高気温21度では、係りの人も手持ち無沙汰でした。

また、おしゃれなセーヌ河畔でも、子どもはどこも同じ。



トランポリンに砂遊び。このくらいの齢では、そんなに違わないのに、いつの間にか、個性に大きな違いが出てきてしまう。でも、これから大人になっていく子どもたちには、個性の違いを超えて、ぜひ仲良くやっていってほしいものです。

と、話題豊富な「パリ・プラージュ」。ここセーヌ右岸、そしてベルシー付近のセーヌ左岸、昨日ご紹介したBassin de la Villetteという3ヶ所で8月19日まで行なわれています。

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庶民の、パリ・プラージュ。

2007-07-22 01:32:21 | パリ
夏のパリ恒例、「パリ・プラージュ」。今年も20日から始まりました。



セーヌ河畔が浜辺に変身。すっかり夏の風物詩になっていますが、セーヌ河畔以外でもやっているのをご存知ですか。


19区のBassin de la Villette(ヴィレット池)、サン・マルタン運河の上流です。

な~んだ、19区、そんなところ、おしゃれなパリと一緒にしないで。パリ・プラージュは、セーヌ河畔でなくっちゃ、という方もいるでしょう。でも、ご安心を。


シネコンのMK2が入り口にあるのですが、どうです、立派に“Quai de Seine”(セーヌ河岸)です!

でも、やはり、場所柄、庶民のパリ・プラージュ。

子どもたちが、パンツ1枚になって水遊び。懐かしいですね。日本でも、昔、こうして遊んだものですよね。いつ頃からなくなってしまったんでしょう。


そして、砂遊び。

滑り台に、ロープにぶら下がってのターザンごっこ。

そして、子供用ボート。

これでは、まるで、遊園地。だから言ったじゃない、パリの中心部じゃなくっちゃ、ちっともおしゃれじゃないわ・・・そんな声が聞こえてきそうです。でも、またまた、いい物を見つけてしまいました。この池沿いの散歩道、名前は・・・


シニョレ=モンタン・プロムナード。恐れ入ったか!と言いたくなってしまうような、あの大物カップルの名が付けられています。おしゃれでしょ。


大人たちは、水着になっている人こそいませんでしたが、ゆっくり横になって本や新聞を読んでいます。


ただゆっくり日光浴するだけでは物足りないのか、ペタンクに興じている人たちも。


子どもたちに刺激されたのか、童心に帰って風車づくり。親のほうが夢中になっていました。

変にお高く留まっていないし、観光客も少ない・・・パリ庶民のパリ・プラージュ。言うまでもなく、これも、パリ。いろいろな肌の色の混じった、でも素敵な笑顔はみんな一緒。そんな、もう一つのパリ・プラージュです。

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