50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

「中世の街」の収穫祭―③

2006-08-31 01:42:44 | フランス
プロヴァンの収穫祭、今年のテーマは、「昨日の仕事、今日の職人」(Metiers d'hier, artisans d'aujourd'hui !)。中世以来、今に伝わる職人の技をいろいろと紹介しています。


(鍛冶)
鉄は熱いうちに打て。その通り、「ふいご」で起こす火のそばで、蹄鉄などを作っていました。赤く熱した鉄をうつトントン、カンカンという音が、なぜかとても懐かしく響いていました。


(木工)
釘を使わずに、いかに木工製品をつくるか。見事なものです。太鼓腹の大人が座ってもびくともしない椅子を次々と作っていました。


(組みひも)
細い糸をより合わせて太い糸にし、更にそれをよってロープにする。そうしてできたロープは、大きな石を吊り下げても切れる心配なし。しかも、ロープを作る道具も手作りの昔ながらのものでした。

職人の手仕事、たいしたものです。お祭りで見せるためとはいえ、若い人たちも手伝っていました。こうして貴重な技がきちんと伝承されていくのでしょう。見習いたいものです。

また、収穫祭、つまりお祭りですから、多くの露店も出ています。そう、寅さんの世界です。ありました、ありました、あの懐かしい露店が。


射的です。これは、下から吹き上げる風に翻弄されて微妙に動く風船を撃つものですが、3発中何発命中させたかによって景品がもらえます。日本では、右から左に動いていく標的を撃ったような記憶があるのですが、ちょっと違いますね。見ていると、子供はなかなか当たらず、写真のお母さんにように、自ら銃を構えてしまう大人もいました。


昔の日本なら金魚すくいかヨーヨーすくい。こちらでは風呂に浮かべる人形すくいです。これは意外に簡単そうで、みんないくつももらっていました。


そして、これ。何だと思いますか。そう、あれです。

綿菓子。フランス語では、“barbe a papa”(パパのお髭)といいますが、日本のと同じですね。綿菓子はてっきり日本のものかと思っていました。日本が輸入したのか、日本もフランスもどこかから輸入したものなのか、極東と極西で同じものがあるんですね。ビックリです。

今に伝わる職人の技と懐かしい露店。ノスタルジックな雰囲気いっぱいの「中世の街」の収穫祭です。

明日はシリーズの最終回(しつこい!)、プロヴァンの街並みを紹介します。

「中世の街」の収穫祭―②

2006-08-30 01:27:35 | フランス
プロヴァンは、「中世の街」をうたい文句に観光にかなり力を入れており、「収穫祭」や6月に行われる「中世祭り」を始め、1年中さまざまなお祭り・イベントを行っています。

そのせいでしょうか、住民たちの演技・演奏もなかなかどうして立派なものです。多くの観光客の前でも臆することなく堂々としています。


民族衣装もとっても様になっています。


音楽を演奏するにも、伝統の衣装です。


自転車に乗るにも、昔の衣装でがんばっています。でも、さすがに中世ではなく、戦前といったところでしょうか。


ワイン樽を牽いたり、収穫した野菜を積んだ荷車を牽いたり、昔の暮らしぶりを再現してくれています。


子供たちも負けてはいません。小さなトラクター風カートにまたがり、遅れないようにとがんばっていました。


お揃いの衣装でうれしそうに、恥ずかしそうに行進に加わっている子供たちもいます。


ジャズバンドがパレードをいっそう賑やかなものにしています。もちろん演奏するのは、ニューオーリンズ・ジャズ。Nouvelle-Orleans、かつてのフランス領ですものね。


山車の上で、昔の消防の様子を再現してくれる消防隊員たち。でも、沿道に向けて本当に放水するので、困ったものです。でも、これもお祭りのご愛嬌。水をかけられたほうも、ニコニコです。


7月14日のパリ祭のときもそうだったのですが、消防隊はとても人気があります。今回も消防隊員のバンドはひときわ大きな歓声で迎えられていました。

ほとんど市民総出ではないか思われる、収穫祭のパレード。午後3時から6時まで、旧市街地を、愛嬌を振りまきながら、あるいは真面目に、ゆっくりと練り歩いていました。(明日に続く)

「中世の街」の収穫祭―①

2006-08-29 00:24:45 | フランス
パリから南東へおよそ90kmのところにあるプロヴァン(Provinas)。パリ・東駅から電車で1時間20分です。

この街で8月27日に収穫祭(Fete de la Moisson)が行われました。

この街は中世のころ交通の要所として栄え、大きな市が立っていたそうで、その名残を残す街並みをしっかり保存しているところから、その旧市街地が「中世の市場街、プロヴァン」(Provins, ville de foire medievale)として2001年に世界遺産登録されています。


中世の街・プロヴァンで行われる収穫祭、今年で36回目です。この収穫祭が特に注目されているのは、畑など農耕地の近くで行われる他の地域の収穫祭とは異なり、約15,000の人口をもつこの都市の市街地で行われているからだそうです。この日も、クルマで、電車で多くの観光客が押し寄せて来ました。

プロヴァンの収穫祭、まずは、目玉の小麦パレードからご紹介しましょう。

収穫祭ですから、当然先頭には収穫した小麦を山積みにした馬車が登場します。


その後には、トラクターに引かれた山車が次々と続きます。


旧市街の細い道を列を作ってゆっくり進んでいきます。


いずれの山車も収穫祭のシンボル・小麦で覆われています。


張りぼての牛まで小麦の穂を咥えています。


山車の上では昔の暮らしが再現されています。


もちろん収穫を祝うダンスも山車の上で行われています。(写真手前はカフェです。)

何台も続く山車のあとには、昔の服装をした人たちが、歩いたり自転車に乗ったりして続きます。楽団も行進していきます。これは、明日のお楽しみに。

禁煙、広がる?

2006-08-28 05:32:11 | 自然・環境・健康
2日連続で新聞記事ネタで恐縮ですが、8月23日付のLe Figaro(フィガロ紙)の一面です。トップ記事は、「公衆の場が禁煙になる」。

来年の1月1日から、政令によって、バー・ディスコ・カジノを除くすべての公共の場が禁煙になりそうだ、とこの記事はいっています。

実は、この政令、この春にも実施されそうになったのですが、時あたかもCPE(初期雇用契約)騒動の真っ最中。これ以上国民の反政府感情を刺激してはいけないとの判断から、引っ込められたという経緯があります。夏のヴァカンスで、すべてご破算に、これで仕切り直し、とでもいうところでしょうか(なにやら日本的ですね)、ヴァカンス明けの政局再開を前にベルトラン厚相がインタービューに答えて、この政令の実現を図ると述べています。

背景には、今年1~5月のタバコの消費が2002年以来はじめて増加に転じたことがあり、国民の健康のためにぜひ実現したいといっています。因みに、喫煙者は一度も吸ったことがない人の3倍も心臓疾患にかかる確率が高いそうです。

この政令、10月に発表するようですが、それまで反対運動もあることでしょう、予定どおり実施されますかどうか。本来はすべての公共の場を禁煙に、ということだったのですが、強硬な反対もあり、すでにバー・ディスコ・カジノは対象から外すよう政府は妥協しています。さて、これ以上の妥協がありますかどうか。

もし実施されると、かっこよくタバコをくゆらすパリジャンや、レストランで食後の一服を楽しむパリジェンヌの姿が見られなくなってしまいます。健康にはいいのでしょうが、「パリ」の風景がひとつ消えるようで寂しくもあります。

なお明日からは、世界遺産・「中世の市場街、プロヴァン」で行われた収穫祭の模様をシリーズでご紹介します。

政治の季節も、再開。大統領選挙へ。

2006-08-27 05:00:30 | マスコミ報道
ヴァカンスも終わり、営業を再開する店も増えてきましたが、政界のほうも、閣議が再開されたりで、新たな季節が始まっているようです。

まず政治の季節再開を印象付けたのは、セゴレーヌ・ロワイヤル女史(社会党)の大統領選候補者選びへの事実上の出馬表明でした。

(8月21日のLe Figaro)
「個人の責任」と「努力が報いられる」社会のために、左派の大同団結を呼びかけました。個人の責任というあたりが社会党の中でも右よりのロワイヤル女史らしいスローガンです。

社会党の候補者を決める党大会まで3ヶ月。ロワイヤル女史が先陣を切って立候補を出馬表明した背景には、彼女の高い人気があります。


(8月22日のLe Parisien)
社会党の中で大統領にふさわしいのは誰かという問いに、いまやフランス人の54%がロワイヤル女史の名を挙げています。


(8月25日のLiberation)
こちらのデータでは、社会党支持者の中では66%、与党支持者の中でも社会党候補としては55%がロワイヤル女史を押しています。

人気の秘訣は? 今までの社会党内の権力闘争に巻き込まれていない(清廉)、社会党の中では右寄り(現実的)、若い(行動力)・・・などがあるのではないかと思いますが、50才を越えているとはとても思えない美貌・ファッションなどもその人気を後押ししているようです。ヴァカンス中にビキニ姿をパパラッチに撮影されメディアに流されましたが、その引き締まった容姿で、さらに男性支持者を増やしたそうです。

一方、こうしたロワイヤル女史の先行に苦りきっているのが社会党の他の有力議員たち。

(8月22日のLe Parisien)
ジョスパン元首相をはじめ5人の有力者がこぞって、まだ決まったわけではないと、釘をさしています。特に25日からラ・ロシェル(La Rochelle)で行われた社会党の夏期大学(L’universite d’ete)における駆け引きは微妙だったようで、多くのメディアが取材に集まったようです。26日(土)夜8時のTF1のニュースでは、日本のメディアまで取材に来ていると、NHKの鴨志田記者がカメラに向かってしゃべっているところを数秒紹介していました。

はたして、ロワイヤル人気を止めることができる他の候補者が現れるのでしょうか。

一方の与党のほうは、サルコジ内相で決まりなのでしょうか。

(8月21日のLe Figaro)
シラク大統領の3選は? 立候補するつもりはないと繰り返しているド・ヴィルパン首相の動向は?

来年春の選挙本番へ向けて、政治の季節が加熱していくようです。

人と技術。

2006-08-26 00:44:29 | パリ
DARTYという家電量販店の広告です。TVCMをはじめ、広告にはかなり力を入れている企業なのですが、今月、写真のような大型ポスターがメトロの多くの駅に貼り出されています。

キャッチフレーズは、
Bienvenue dans un monde
ou la technologie n'oublie personne.
(ようこそ、技術が人を忘れていない世界へ。)

一家電量販店の、それも広告でしかないのですが、なんとなくフランス人の技術への疑いの眼差しが感じられてしかたがありません。先端技術は、人を置き去りにして、どんどん先まで行ってしまうのではないか。技術が進歩して、われわれは幸せになったか。やがて、技術に人が使われる時代になってしまうのではないか。そんな“気分”が表れているような気がしてなりません。

通信やITに見られるような、フランスの「遅れ」は単に技術力のなさだけに由来するのではなく、先端技術に関する懐疑心から、その技術が人の暮らしを豊かにするのかどうか見極めてから導入しようといった考えがあるような気もします。

もちろん、反米感情もあり、アメリカ・スタンダードにはひとまず「ノン」と言ってみる、という事もあるかもしれませんが、この広告から分かるように、技術よりは「人」、という気分が他の先進国よりは強いような気がします。技術もすべては人のため、人を幸せにするためにあるべきだ、というメッセージが込められているように思えてなりません。

かつて日本でも、人と技術のインターフェイス、とかいったことが言われていましたが、最近はどうなっているのでしょうか。喉もと過ぎれば・・・で、こんな事はもう誰も気にしなくなってしまったのでしょうか。技術は、進んでいればいるほどいいことだ!?

ドラクロワのアトリエ。

2006-08-25 00:22:07 | 美術・音楽
画家・ドラクロワが死ぬまで住んでいたアパルトマンと、その脇の敷地に画家自らの設計によって作られたアトリエが、ドラクロワ美術館として公開されています。

場所は、サン・ジェルマン・デ・プレ教会のすぐ裏手です。寝室・居間・図書室の3部屋とアトリエ、そしてアトリエ脇の小さな庭を見学することができます。

(向かって左がアトリエ、右がアパルトマンです。)

ここで制作に励んでいたドラクロワ自身の作品はもちろん、フラゴナールなど同時代の他の画家の作品も展示されています。

ドラクロワの作品としては、ポートレートを中心とした油絵をはじめ、シェークスピアのハムレットを題材にしたリトグラフとその原版、デッサン、パステル画、水彩画などを鑑賞することができます。

しかし、その住まいとアトリエがそのまま美術館になっただけあり、作品以外にも、画家が使っていたパレット、画架、机、道具箱などの家具、直筆の手紙などが展示されていて、ドラクロワの息遣いまで聞こえてきそうです。

今回特に興味を惹かれたのは、レジオン・ドヌール勲章の授与決定通知書と美術アカデミー会員に選ばれた際の投票結果をまとめたもの。

レジオン・ドヌール勲章ほどの権威あるものでも、授けるほうにとっては恒例の事なんですね。印刷してある通知書の空欄に受勲者の名前を手書きで書き込んだだけのもの。大きさもA4二つ折り。あまりに簡素で、ビックリです。

また、美術アカデミーの新会員は、会員の投票で決まるそうですが、ドラクロワは8度目にしてようやく選ばれました。28人中22人の承諾を得て選ばれたのですが、その投票数の書き方が面白い。日本では「正」の文字で5票を表しますね。欧米では縦線を4本書き、5票目はその4本線の上に斜めに線を引く。フランスも今ではこの方法なのですが、150年ほど前のこの用紙では、縦線3本ずつになっています。3本引いたら、右斜め下に3本、次は右斜め上に3本という繰り返しで、ドラクロワには3x7+1で22票が入っていました。

これらは画家の作品とはまったく何の関係もないものですが、せっかく住んでいた所をそのまま公開しているので、普段の美術館とは異なる視点で画家とその時代を見てみるのも面白いのではないかと勝手に思っています。


ドラクロワは、ここに1857年末に移り住み、63年に亡くなるまで住んでいました。最晩年をここで過ごしたことになります。「私の住まいは本当に魅力的である。私の小さな庭からの眺めと心地よいアトリエはいつも私に喜びをもたらしてくれる」といっていたそうですが、確かに、サン・ジェルマン大通りの喧騒がうそのように静かで、白壁のアトリエに映る木の葉の影が時間の経過を教えてくれる・・・そんな空間です。

パリの公共広告。

2006-08-24 07:29:30 | パリ
日本でいうところの公共広告を二つ、見つけました。


「匿名の影に誰が隠れているか分からない。インターネット上では、細心の注意を!」
日本同様、こちらでもネット上での出会いなどを通しての犯罪が増えてきています。例えば、この広告にあるように、「スターレット、11才、友達を探しています」というメッセージの裏にいるのは、少女を狙った大人の犯罪者かもしれません。子供をターゲットとした誘拐・性犯罪が増えているフランス。どんなに注意してもしすぎることはないというのが現状のようです。


もう1点は、動物愛護です。「闘牛・・・苦痛は見世物ではない。法律で禁止すべきだ。」これは文化も絡んでくるだけに、国によって反応は分かれるかもしれません。闘牛に形而上学的な美なり価値を認める立場もあるでしょう。しかし、広告の言うとおりで、動物の苦しみをスペクタクルとして見せるのはいかがなものでしょうか。古代の奴隷同士の戦いは廃止されているのですから、人間と動物の死闘も止めるべきかも知れません。そんな気持ちが現れているメッセージのようです。

このような公共広告は、その社会の「今」を知る上で大きな助けになるのではないでしょうか。今、日本では、どのような公共広告が作られているのでしょうか。

君よ知るや、南の国。

2006-08-23 00:34:46 | パリ
8月に入ってから、パリはずっとはっきりしない天気が続いています。曇り時々晴れ一時雨。最高気温も18~22度程度で、最低気温は13~16度。とても夏とは思えません。


気の早い木の葉はすでに色づき始めています。夏は7月だけだったような気がします。5月が春、6月が初夏、8月はもう秋。涼しいを通り越して朝晩は寒いくらいです。


ススキの穂も、もうすっかり開いています。

ところで、天気図(8月21日)を見ると、地中海沿岸はさすがに暑いようです。

マドリッド34度、リスボン34度、ローマ30度、フィレンツェ31度、アテネ38度・・・いずれも30度を越えています。夏ですね。真夏です。やはり、アルプスの南、ピレネーの向こう側では「夏」が続いているようです。羨ましい!

でも、こうした気候の差は今年だけではなく、例年同じなのではないでしょうか。しかも、夏だけではなく、四季を通して大きな差があるのではと思います。「アルプスの南」へ抱く、ヨーロッパの人たちの憧れ・・・

君よ知るや、レモンの花咲く国
オレンジはたわわに実り
そよ風は碧き空から吹きわたり
ミルテの花は静かに、ローレルは高く
君よ知るや、南の国
行かまし、ともに行かまし

と歌ったのは、ゲーテでしたね。『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』の中の「ミニヨンの歌」(小学4年の頃「少年少女世界の文学」シリーズで読んだきりのうろ覚えなので、ずいぶん間違っていると思います。ご容赦のほどを)。

パリに住んでようやく1年近く。南の国への憧れが少しは実感できるようになってきました。そのうち、南へ旅に出かけてみようかと思っています。

シャルトルへ・・・③

2006-08-22 01:22:09 | フランス
シャルトルの街をくねくねと右へ左へと曲がりながら歩いていると、ふとどこにいるのか分からなくなってしまうことがあります。そんなときは、周囲を見渡せば、すぐ大体の場所が分かります。

そう、ほとんどどこからでも、大聖堂が見えます。その位置関係から、現在地点が分かるわけです。歩き回るには便利です。


いろいろな角度から大聖堂を見ることができるのも、面白いですね。

この街には、大聖堂以外にも、いくつか教会があります。例えば、サンピエール教会。

かなり古そうで、一部修復作業中でした。しかし、内部はそれなりに立派で、ステンドグラス、そして小さいながらもパイプオルガンもありました。

また、下の写真は懺悔室。いくつかありましたが、大聖堂にもたくさんありました。そんなに懺悔する人が多かったのでしょうか。


大聖堂の街、シャルトル。篤信家も多かったのでしょう、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路になっていたようで、大聖堂のすぐ前には、下のようなプレートがありました。

パリを出発し、一路南西へ。ここまでおよそ80km。そして、ここから巡礼の目的地まで1625km。はるかな、はるかな旅です。


シャルトルの駅です。今では、80kmの距離が電車で1時間、そして1625kmも飛行機なら2~3時間でしょうか。便利になった反動か、巡礼の旅に憧れたりもしますが、なかなかその第一歩が踏み出せそうにありません。