50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

サロン・デュ・ショコラ―①

2006-10-31 02:31:55 | パリ
“Salon du Chocolat”へ行ってきました。

今年で第12回になる、チョコレートの展示会です。130人のショコラティエが参加、とマスコミは伝えています。他にネッスレのような企業からの出展もいくつかありました。会場は、先のモーターショーと同じく、パリ15区にあるエキスポ・センター。一つのホール(ホール5)だけの使用でしたので、すごい混み方でした。


子ども連れの家族はもちろん、老若男女、来場者はバラエティに富んでいました。フランス人はみんなチョコレート好き、を物語っています。

では、会場では何をやっているかというと、もちろん、チョコレートの展示即売。より多くの顧客を得ようというショコラティエ側の要望と、新しいお気に入りを探そうという消費者側の希望がうまくマッチングしています。

しかし、それ以上に、消費者にとってのお楽しみは、まずはショコラティエによる実演。


手元を真剣に見つめている人も多く、またショコラティエを目指す学生でしょうか、メモをとっている人もいました。

そして、出来上がったチョコレートは、もちろん試供品に。思わず、手が伸びてしまいます。あちこちから伸びてくる手、手、手・・・ぜひ新しいお気に入りを、という熱い願いからなのか、入場料(12ユーロ)の元を取らなければということなのか・・・


また、チョコレートを使ったカップ入りのアイスクリームを気前よくたくさん配っていたところもあり、みんな歩きながらおいしそうに食べていました。

今年のサロン・ド・ショコラには、フランス以外の国からの出展もありました。

お分かりですね。日本からの参加です。抹茶味のチョコレートを配っていました。

仕事ぶりも、さすが日本、真剣そのものです。

日本以外にも、メキシコ、スペイン、などからの出展がありました。


見ながら、食べながら、みんな楽しそうに会場内を歩いていました。明日は、会場で見つけた面白いモノをご紹介します。


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雨上がりの風景。

2006-10-30 00:52:23 | パリ

ポンピドゥー・センターの図書室から撮った写真です。アトリエ・ブランクーシの屋根の上。多くのハトが羽繕いをしています。雨上がりの午後、ようやく少し顔を出した太陽の光で、羽を乾かしているのでしょう。いつもは広場のコンクリートの上、あちらこちらでえさを探したりしているのに、このときばかりはこんなにもたくさんのハトが一緒に美術館の屋根の上に大集合していました。羽を乾かすのに都合のいい場所、お気に入りの場所なのでしょうね。

そして、視線を落としてみると・・・

人間様も身繕いでしょうか。乾き始めたコンクリートに座り込み、ガイドブックでも見ている観光客のようです。人間とハト、雨上がりの気分は、同じようなのかもしれないですね。

このような風景が見れるのも、もう少し。29日の朝には夏時間も終わり、日本との時差は8時間に戻りました。冬がもうすぐそこまで来ています。

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暴動から、1年。

2006-10-29 04:41:03 | マスコミ報道
覚えていますか、去年の秋から冬にかけて、パリの郊外を中心に、移民やその子供たちによる暴動が大きな社会問題になったことを。直接の引き金となったのは、Clichy-sous-Bois(クリシー・ス・ボワ)市で警官に追われた2人の青年が高圧線で感電死した事件でした。その日が10月27日。1周年・・・緊張が高まりました。


1週ほど前のmetro(メトロ紙)ですが、「新たな緊張に直面する郊外」という見出しとともにバスへの放火が増えてきていることを伝えています。夜間、バスから乗客を降ろし放火する。パリの北東に位置するSeine-Saint-Denis(セーヌ・サン・ドニ)県を始め、南部や西部に点在する移民の多い地区で、放火や犯罪の件数が増えてきているそうです。けが人などは取り締まりにあたる警官以外には出ていないようです。


数日前のLe Figaro(フィガロ紙)です。緊張の高まる中、ド・ヴィルパン首相も解決に乗り出していますが、一朝一夕には無理なようです。何しろ今年に入ってからだけでも、問題の発生しやすい地区で不審尋問の結果、拘留されたのが1,083人、押収されたコカイン1.5kg・ヘロイン14.3kg・武器49丁・・・失業の多さ、貧困、劣悪な住宅状況などから犯罪に走る青年が多い。ただ、麻薬等の密売が商売になるようで、黙認に近い形になっている自治体ほど、放火等の犯罪が少ないというデータも出ています。暴動を抑えるために、麻薬密売などの犯罪を黙認する・・・。


そして、10月27日。これは、28日付のLe Parisien(パリジャン紙)ですが、27日の夜、パリ郊外では、バスへの放火が2件発生したそうです。車への放火などは毎日のように発生しているそうで、件数が増えるかどうかの問題になっているようです。その意味では、2件というのは殆んど増えていないのかもしれません(午後発売のLe Mondeによると乗用車への放火は277件あったそうです)。与党党首でもあり、来年の大統領選挙での有力候補と目されるサルコジ内相が警官を総動員して押さえ込むといっていましたが、取り敢えずは成功しているようです。しかし、力で抑え込んだとしても、一時的に過ぎない。本当の解決にはならない。では、どうするか・・・雇用優遇措置、就学補助、住宅改善・・・どうも国の財政負担が増えるばかりのようです。しかもどこまで改善できるかは不明。この1年、政府も少しは手を打ったのですが、郊外に住む若者たちからは、何も変わっていない、という大きな不満の声が上がっています。

すぐには解決できない問題であるのは確かです。労働力として旧植民地から入れた人々がここに根を下ろし、その子供たちにとってはここが祖国・故郷になっている。いまさら追い返すわけにも行かず、しかし差別はある。困った! 受け入れる側の差別の気持ちを少しでもなくすための対策、移民側の自助努力、そして政府・自治体としての支援、そして・・・フランスにとって、共存へ向けての気の遠くなるような課題です。


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俺は、ボスより稼ぐ!

2006-10-28 01:38:44 | マスコミ報道
毎週月曜日、Le Figaro(フィガロ紙)には、就職関係の別刷りがついています。先日の見出しは、“俺は上司よりも収入が多い”というものでした。

写真は、サッカー・フランス代表チームのドメニク監督と中心選手のアンリ。これは、分かりやすいですね。プロスポーツの世界では、監督より、選手のほうが収入が多いことが多いですよね。

もちろん、今日では、いくつかの職種でもプロスポーツ界と同じように、現場で働く人のほうが、肩書きの上の人より多く稼ぐ場合があります。

これが中面ですが、パイロット。確かに、航空会社の一般事務職で肩書きのある人より、パイロットのほうが給与はいいのでしょうね。でも、この格差は是正されつつあるそうです。フランスで今、給与の逆転が起きているのは、IT・金融・不動産の業界だそうです。ソフトや技術の開発、株・為替などのトレイダー・・・例えば、金融トレイダーには年収1,100万ユーロ(約16億5,000万円)の人もいるそうです。確か日本でも何年か前に高額納税者のトップがサラリーマンで、ニュースになりましたね。ビジネスの世界、国際化に伴い、稼げる職種は同じようです。

ただし、この記事が言っているように、こうした若くして桁違いの給与を得られる可能性のある職種は、固定給ではなく、成功報酬あるいは歩合制のため、将来まで保障されたものではない、売り上げが落ちれば解雇されることも多い、成功できる人は同じ職種でもごくひと握りに過ぎない、大きな差がある職場では人間関係がギクシャクしがち・・・それでも、自分の可能性に賭ける人が多いのでしょう。また成功実績のある人材を求めてヘッドハンティングが国境を越えて行われているそうです。どうも、ビジネスの最前線では、ヨーロッパもすでにアメリカナイズされてしまっているようですね。

因みにサッカー選手の年収は、いかほどか・・・

引退したジダンが640万ユーロ(約9億6,000万円)、ビエラ・610万ユーロ、マケレレ・600万ユーロ、チュラム・550万ユーロ、トレゼゲ・500万ユーロ、アンリ・450万ユーロなど。一方、ドメニク監督の年収は40万ユーロ(約6,000万円)。これで、選手に気を使い、マスコミの批判に晒され、結果が残せなければすぐ馘首では、監督業も割に合わないですね。名誉と遣り甲斐なのでしょうね。でも、日本代表監督の給与、よすぎませんか。希望者が多いはずです。

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縁台チェス。

2006-10-27 01:40:07 | パリ
昔の日本には、縁台将棋がありました。夏の夕方、浴衣にうちわ姿で縁台にすわり、将棋盤をはさんで相対する。その周りを子供たちが取り囲んで、駒をどう動かすのか、どう攻めるのか、見ていたものです。

では、フランスでは? 10月のまだ暖かな夕方、リュクサンブール公園を歩いていると、こんな風景に出会いました。


そう、チェスです。椅子やテーブルの上にチェス盤をおき、夢中でチェスに興じています。男性が多いのですが、女性もいます(写真中央)。


平日のせいもあり、高齢者が多いのですが、学生風の人もいます。


ここで、ちょっと、お勉強。チェスの起源は、紀元前、古代インドの「チャトランガ」というゲームだといわれています。象・馬・戦車・歩兵で構成されていたそうです。これがペルシャに渡り、8世紀にロシアに、そして9世紀に西ヨーロッパに伝わったとか。そして、キリスト教の影響が入り、ビショップ(僧正・司教)などに変わったようです。なお、ペルシャ語で王の称号である「シャー」が西欧語の語源になっているそうです(英語=チェス、仏語=エシェク、独語=シャット、など)。

また、古代インドの「チャトランガ」は中国にも6世紀ごろ伝わり「象棋」に、そして日本には8世紀頃に伝わり「将棋」になったそうです。チェスと将棋、ルーツは同じだったんですね。

起源が一緒だと、遊ぶ姿まで似てくるのでしょうか。


リュクサンブール公園での至って平和な風景、チェスに興じるパリジャンたちの様子をお伝えしました。


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日本髪美人にサングラス。

2006-10-26 00:37:10 | パリ
サン・ミシェル大通り(Boulevard Saint-Michel)を歩いていて、ふと日本的なものが視界を掠めました。なんだろうと、立ち止まり、きょろきょろ見回してみると、ありました。


眼鏡屋さんのショーウィンドーに日本髪美人のポスターがありました。OSIRISという名前の眼鏡店です。


道の反対側が反射していて見難いですが、確かに浮世絵風日本女性が、サングラスをかけています。しかも、紫のグラスです。どうもすごいですが、それなりに見えてしまうのは、グラフィックデザインの力でしょうか。


ショーウィンドーの下のほうでは、小さなポスターと商品が一体展示されています。不思議な組み合わせではあるのですが、変だ~気持ち悪い、という感じではないですね。でも、これがフランス人にどう写るのか。何しろお客さんはフランス人。別に日本人だけ相手の店ではないのですから。眼鏡のブランドは、Lafont。この夏からのプロモーションのようです。

しかし、日本的なもの、それも伝統文化だったり、最新の文化だったり、とにかく日本文化に思わぬところで、しかも思わぬカタチで遭遇することがよくあります。フランス人の日本文化への関心の高さを物語っているのかもしれません。

さて、この店、このポスターで肝心の売り上げをこの夏、伸ばすことができたのでしょうか。


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ギュスターヴ・モロー美術館。

2006-10-25 00:53:45 | 美術・音楽
幻想的な絵で有名なモローの美術館は、パリ・9区、サント・トリニテ教会から程近い場所にあります。住宅街です。

この美術館、もともとはモローが青年期から晩年まで住んだ家ですが、遺言により、多くの作品ともども国に寄贈されています。

晩年にアトリエとして建て増しした3階・4階部分に主な作品が展示されており、2階部分はモローが住んだ当時の調度品とともに小品を展示しています。

まずは、2階部分から。

寝室です。枕元にチェス盤が見えます。眠れない夜など、一人チェスをやっていたのでしょうか。

ダイニングです。食器類にもちょっと変わったデザインのものが多いですね。

ゲストルーム兼書斎です。画家のものとは思えないかっちりした机と多くの書籍です。絵の依頼者などと、ここでどんな話をしたのでしょうか。

さて、3階へ。

多くの絵が、壁一面に、所狭しと飾られています。

また、彫刻作品もあるのですが、骨や筋肉がはっきり見え、表情も苦悩・苦痛にゆがんだものが多く、モローの好みというか嗜好がよく出ているようです。

狭い螺旋階段を上って4階へ。

ここにも多くの作品が展示されています。すべてで、6,000点以上の作品がこの美術館に展示されているそうです。

有名な『出現:Apparition』もこのフロアーにあります。

ここ4階で、面白いものを見つけました。

ストーブのようです。天井が高いので、冬はかなり寒いのでしょう。4階に二つありました。カタチからしてモローの時代のものではないかと思うのですが、モロー自身が使っていたものかどうか、聞きそびれてしまいました。

作家自身、あるいはその遺族によりその家が作品ともども国や市へ寄贈されている、そんなケースが多くあります。相続税対策もあるのかもしれませんが、優れた文化は公共の場で多くの人に触れてほしいという願いもあるのではないでしょうか。入場料も安く、文化に会える機会がとても多くあります。しかも家や調度品もいっしょに見れるので、その暮らしぶりから人となりも想像でき、より多くの視点から作品に接することができます。フランスに住む利点の一つです。

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ダイアナを、忘れない!

2006-10-24 00:49:06 | パリ
アルマ橋のたもと、バトー・ムシュ乗り場のそばに松明型の像が立っています。

フランスとアメリカの友好記念にと、“インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙”の創刊100周年に、寄付金を基に作られたニューヨークの「自由の女神」が手にしているのと同サイズの松明です。これはこれで立派な事業なのですが、今では別の理由で、訪れる人の絶えない場所になっています。

アルマ橋といえば、その下のトンネルで事故死したダイアナ元妃。そう、彼女への祈りを捧げる場になっています。

1996年にチャールズ皇太子と正式離婚したダイアナ元妃が、付き合っていたエジプト人(富豪の息子)と一緒に事故死したのが1997年8月31日。さまざまな陰謀説がささやかれており、検察の調べが今も続いています。


この松明の像の下に彼女の写真が置かれ、花を手向けに訪れる人がいます。フランス人の中にも彼女のファンが多いそうです。環境問題やエイズなどへ取り組んだ姿勢が人気の一因とか。もちろん、観光客も記念撮影。彼女の幅広い、そして根強い人気を物語っているようです。

さらに今、いっそう彼女へ注目が集まりそうな状況になっています。映画“The Queen”の公開です。パリでは18日から多くの映画館で上映されているこの映画、彼女の死から公けの葬儀に至るまでの英国王室とブレア首相の心の揺れ・葛藤などをドキュメンタリータッチで描いたもので、監督はStephan Frears、エリザベス女王役はすでにテレビドラマで女王役を演じ昨年のエミー賞を受賞したHelen Mirren。こちらでは話題作になっています。

(この映画を紹介する新聞記事。Mirren女王、というくらいそっくりですね。)

これから来夏の死後10年まで、追悼企画が多くあるかもしれません。そして、ここアルマ橋のたもとには、祈りを捧げに来る人がますます増えることでしょう。

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中国のモナリザ。

2006-10-23 00:48:53 | 美術・音楽
おしゃれな店がふえ、ここ数年脚光を浴びている北マレ地区。たまたま歩いていたら、ふと漢字が視野の端をかすめました。おしゃれなパリの一角で、一体なんだろうと近づいてみると・・・そこに書いてあったのは、「中国現代画廊」。そう、中国人作家の作品を扱う画廊でした。


面白そうなので、中に入ってみました。王凱(Wang Kai)という若手画家の個展をやっていました。女性の肖像画がほとんどですが、絵のような、写真のようなちょっと不思議なタッチです。その中で、入ってすぐのところに飾ってある作品のタイトルに、興味を惹かれました、というか、驚きました。

“La Joconde chinoise”、「中国のモナリザ」というタイトルです。モナリザのことはフランス語ではla Joconde。その中国版という意味です。そして、その作品は・・・

確かに、ちょっと神秘的な微笑みはありますね。これが、21世紀・中国のモナリザ、といったところなのでしょう。なかなか面白いタイトルです。

この作家について、画廊で働いている女性に聞いてみました。暫く話してから分かったのですが、この女性、なんと日本人でした。フランス語は流暢ですが、中国語や中国美術に関しては、なんとフランス人のオーナーが専門とか。でも、中国人のお客さんは、まず東洋人の彼女に中国語で話しかけるそうで、困ってしまうとおっしゃっていました。インターナショナルですが、とっても暖かな雰囲気のある画廊でした。

ユーラシア大陸の西の端で、中国美術の「新しい息吹」に触れることのできる場所もあるのですね。さすが、パリ。3区、Rue Vieille du TempleとRue Poitouの角にあります。

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先人たちの知恵―⑧

2006-10-22 03:14:06 | 先人の知恵
今回ご紹介するのは、内田謙二氏著『パリ気質(エスプリ)・東京感覚(センス)』という本からの抜粋です。1986年刊の本で、多くは80年代前半に雑誌「未来」に発表された文章です。

内田氏は東大農芸科学科を卒業。ドイツで働いた後フランスへ。パリ大学で博士号を取得。フランス人と結婚し、長くフランスで暮らされました。日系の会社で働き、日仏の板ばさみに苦労されたようですし、奥様の家族との付き合いにも彼我の差を痛感されたようです。古きよき日本的価値観・倫理観をしっかり持ち続けられた方のようですので、いっそう痛烈にフランスと日本の違いを感じ取られたのでしょう。


(パリ第4大学(ソルボンヌ)の校舎です)

・フランスの歩行者には赤信号は存在しないと、ほとんど思ってよい。赤であっても、注意しろの黄色ぐらいにしか思っていないのである。たとえ警察がいても、車さえいなければ平気で横断する。横から注意なぞしない方がよい。この国では規則というものは相手の権利を保護するための不愉快なものにすぎない。だから相手の車が辺りに見えない時は赤信号でも横断してよいというのは結構に理屈に合っている。

・フランスでは誰も「あなた」に構ってくれない。「あなた」が日本人であっても南アフリカ人であっても、そんなことはどうでもよろしい。私もあなたと同じく、生活に四苦八苦している人間なんだからお互いにおあいこですよ、とでも言っているようである。
・人種の入り乱れたフランスでは、人々の平均的尺度は測りにくい。政治をやろうとすれば党派が筍のように林立する。それを纏めようとすれば今度は水と油のように左翼と右翼に分離してしまう。その中間の、国民の平均的な考えを代表する党はできにくい。風俗、習慣の違う民族が地域的に分散して住んでいるので、地域毎に考え方や価値観に差があり、国家全体としてはテンデンバラバラの感じを与える。でもうまいことに、この民族の多様性は、一億総動員的な大量移動を食い止める力がある。

・フランス人はもともと他人の善意というものを信じない人間だから、初めにまず各人が守らねばならない原則を作る。それは弱い者を守る原則である。仏人の性格からしてときどき逸脱はするものの、概して度を過ぎることはない。(中略) 日本人はもともと他人に親切な人間だから、相手の善意を信じて、弱者いじめを避ける為の原則すらない。原則がないと強者はズルズルベッタリと現状に甘んじ、弱者はそれに対して抗議さえできない。

・フランスはお国の為なら外国人でも次々にフランス化する。ピカソ、モンタン、ゴッホ、ブレル、シャガール、アダモ、アズナブール、ルソー、ヴァルタン(シルヴィー、勿論)、カルダン、こんなにもフランス的だと思われている人々が、生まれはみな外国人なのだから。芸術家ばかりではなく、パリのオペラ座の支配人がスイス人、ポムピトゥ博物館長がスエーデン人、国立科学研究所長がイギリス人と、日本で言うなら、歌舞伎座長、上野博物館長、理科学研究所長に外国人を持ってくるのだから、日本人の常識にはちょっと合わない。
・フランス国家主義には、“ロータリー・クラブ”のような原則がある。国(クラブ)の名誉になる人とか、国(クラブ)に貢献してくれる人なら人種、職種に関係なく仲間にするという選良主義の結社であるが、一方で、この履歴の違う国民(会員)を統合するにはお互いに共通する何かを作るしかない。そこで、広い会場で腕を組み合って、会員の歌を合唱するのだ。これがラ・マルセィエーズであり、フランスの国家意識である。それに比べれば、日本の国家主義は、国と国民の血族関係にこだわり過ぎ、顔や容貌で判定し過ぎ、精神主義に対する肉体主義ぐらいの猥雑さがある。家元制度みたいな処もある。宗家という核を中心に教え込まれ引き継がれる排他的な純血主義だからである。
・考えてみれば日本は、明治時代になるまで外国から隔絶されていたので、愛国心は殆ど必要でなかった。ここが外敵から揉まれ続け、他人種と混ざり続けたフランスと違うところだ。それだけに日本人の愛国心には心の底から滲み出る自然さに欠け、ただ、上から、明治開化の時から、短期間に詰め込まれた感じの愛国心である。一人部屋に籠って、世界の統計をとり、日本が一番だと気付くと肩を張って景気をつける。そんな自己陶酔的な傲慢さだけが残る。

・要するに人間は消耗品で、四分の三世紀たてば尽きる。それなら受身で待つ人生より、攻撃的で探す人生の方が歩留まりがよい。啀み合う人間関係、仕事の同僚は敵とみなして家に招待もしない精神環境、ボクシングしながら相手の顔を小突いて渡る日常生活。しかし、そんな自我の強いパリの生活の疲れを癒すためにも、視野を変えて、心を安らげる時が必要なのだ。だから人は世捨人になったり、犬を飼ったり、日本人を捕まえたりするのだろう。

・こんな、日本人の常識にはまらない事が起こるのは、フランス人が人生を知って、それを楽しんでいる証拠だろう。フランスの歴史的な階級制度は、ヴェルサイユ宮殿みたいに庶民も訪問できる、歴史の記念物になってしまっている。だからフランスでは、生まれ育ちも、能力のあるなしも、恵まれた側も不運の側も事実をあるがままに認めて啀み合わない、という淡白さがある。両側ともそれが人間の価値を決めるものでない事をよく知っているからだろう。フランスには階級制度は残っていても、民主主義もある。
・原則をよく学び、明瞭な頭脳を持ち、明確に話し、どんな情況でもどんな任務を与えられても早学びをやり、理論に忠実に政策を立てる。だから知識は広く浅く持つ。余り一つの専門に打ち込むとそこに情が移り、全体的な視野を失うから、むしろ避けた方がよい。つまりフランスの選良は、状況把握と政策決定とそれを説明する雄弁さの専門家である。

・日本人が自分を世界に紹介する時に、よく、「日本人は建前と本音の民族です」と説明する。これは間違っているな。何も特別に日本的なものではない。世界のどこの国にも多かれ少なかれそれがある。ただ、本当にその国の社会に入ってみるまで気付かないだけだ。だからこれは国民性ではなく、人間性の問題だ。フランスも例外ではない。これがある。ただ、日本と少し違うとすれば、フランスでは規則を紙に書く。それから人は屈託なく、それを破りかい潜るのに日夜を費やす。

・“ヨーロッパ国”を作らねばならぬ、と納得しながら、手のつけようのないほど自分の国民性に執着します。(略) 自分はドイツ人より決定的に頭がよい、と信じているのに、ドイツ人との競争では全く勝ち目がありません。(略) フランス人は、外国人労働者が自分らの仕事を取ってしまうと非難しながら、そんな仕事を自分でやるのは拒否します。(略) 彼らは、“現状を変えなけりゃならぬ”と思っているのに、何一つとして変えたがらないのです、習慣にしろ、生き方にしろ、考え方にしろ。
・ふたつの世界大戦に巻き込まれ、舞台となり、影で走り、痛めつけられ、でも、最後には、ド・ゴールも言ったが、戦場では負けても戦争は勝つ、それほどの政治的な強かさ(後略)

いかがお読みになりましたか。20年もの歳月がたったとは思えない文章が多く、どこの国も国民も、そうすぐには変われないのだということがよく分かります。またそうした変わらない本質を理解し書き残した先人たちには、いつもながら脱帽です。

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