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九州縦断サイクリングーその1ー

2023年06月21日 | 福岡

 「九州縦断サイクリング」・・

    「何てわくわくする、すばらしい響きの言葉だろう」と

                      40数年前、大学2年の春に思った。

  

  登山とサイクリングが好きになるきっかけとなった合宿について書いてみます。 

  

  メンバーは、Iさん、Tさん、Gさんと私の4人

  Iさんが、合宿計画書を同期のHさんに送ってもらい、Hさんが、私が書いた手書きの合宿紀行文をワード起こししてくれました。

  Hさんの了解を得て、以下に紹介します。



             「九州縦断サイクリング」 
               1980年3月

3/15
 春うららかな日に、I、 T、私(2年生)とG(1年生)の4人は、これから合宿中何が起こるか楽しみと一抹の不安を胸にいだいて、あったかい見送りを後にBoxを出発しました。
 この合宿は「広く九州の自然を知る」ことを方針に、縦走中心の山行だけでは得られない自然を感じとってくるために、自転車の機動力を生かして九州中央部を縦断サイクリングしようとするものです。私個人としては、九州の自然を広い視野で見て、また肌で感じとってきたかった。 
 日田を通り、その日は松原ダムキャンプ場で…(実は遊園地で)泊まる。

3/16
 小国(S57年には唯一の交通機関宮原線も廃止になるそうです)を通り、北外輪山の広々としたスロープを大観峰へ。この日は快晴で久住から阿蘇五岳、根子岳など360°の大パノラマが待っていた。この日は仙酔峡まで登ってきたが、高岳、中岳は登り規制のため断念して、付近のウシのフンの転がる牧場でキャンプ。

3/18
 箱石峠を越え、豪快なダウンヒルを一気に高森へ。根子岳や阿蘇五岳が目前に迫り雄大無比。高森峠を越え高千穂峡へ。高千穂のとある小学校で教頭先生の善意にあまえて校庭でサイトさせてもらった。

3/19~3/23
 矢部町から南下して内大臣峡から九州で最も高い椎矢峠へ向かう。内大臣林道も椎葉林道も舗装はしてない。19日はまだ雪の残っている内大臣林道を椎矢峠を目指して、星とお話ししながら9時頃まで自転車を押し上げたが椎矢峠に着く直前でサイト。
 翌日、翌々日は予定変更。登山道も荒れはてていて、ルートを見失いそうだったので断念!
 椎葉林道を下って上椎葉の部落に着く。ここ椎葉は「ひえつき節」のふるさとで、九州の秘境だった。ここでもサイトに困ったので、小学校の校庭に決定。ここのY教頭先生が実にいい人で、雨の中校庭にテントを張っている僕らを見て、風呂に入れていただき、おまけに酒もふるまってもらった。
 次の日、霧氷で全山まっ白の市房山を後に、人吉市内におりてくる。市内を球磨川が流れていて、サイトに困ったあげく球磨川の中州に決定。

3/24
 えびの市を通り、えびの高原キャンプ場着。はじめてまともなキャンプ場に泊まれる。

3/25~3/26
 韓国岳に登る。 -途中略-
  そして次の日、解散。
 僕らの長い合宿も終わったが、僕が一番感じたのは見知らぬ旅先での土地の人の温かい心づかいだった。それから九州の自然を幅広く肌で感じとってこようという最初の目的も、数々のエピソードの中で達成されたと思う。
 

 「九州縦断サイクリング」ーその2ーは、ルートや装備などについて書こうと思っています。

 
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