果物料理と果物食品加工

ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

報恩感謝  生かせ いのち

2011-12-24 19:26:08 | 高野山
 

Koyasan_sinpo_2

報恩感謝   吉武 隆書(大分県中津市 弘法寺 住職)
 お大師さまは何時も、「親の恩」についてお説きになっておられます。
恩を知り、恩に感謝し、恩に報いる。
 元バレーボール選手の川合俊一さんが、あるテレビ番組に出ていたときのことです。司会者が一つの段ボール箱を持ってきました。川合さんは中を見ると照れくさそうに笑いました。中にはお米やさつまいもや果物、そして手作りの餃子の具と皮が入っていたのです。
それは川合さんのお母さんからの荷物でした。恥ずかしそうに、そしてうれしそうに話されていた様子がとても印象的でした。それを見て、私はどこも同じだなあと思いました。そして数年前のことを思い出したのです。
 当時私は、大分県の自坊を離れ高野山に家族と住んでいました。そのときによく母が、お米やお供え物の野菜などを送ってきてくれました。「お茶菓子をいっぱいもらってあるからどう?果物はある?」と電話をくれては送ってくれました。あるときは「キャベツをいっぱいもらったから子どものお菓子と一緒に送ったよ。でも宅配の人がクまたか″って笑うね」という電話があり、次の日荷物が届きました。宅配便のお兄さんがやってきて、「大分からまた荷物です。いつもこんなに送ってもらって有難いですね」と言いました。 有難いl一家にある物を送ってきてくれるだけ、と思っていた私には忘れていた言葉でした。その日、荷物が届いた報告の電話をかけると、父が出て「いつもお母さんが一生懸命に荷造りをしているよ。汁が出ないかとか、入っているものが傷まないかとか気を遣っているみたいだよ」と言いました。その言葉が追い討ちをかけるように、当たり前だと思幸感謝の気持ちを忘れていた自分を、つくづく恥ずかしく思いました。「荷物が着いたからね」という言葉は出ても、「有難う」と心から言ったことはありませんでした。


 

Img003_2
 お大師さまは「報恩感謝」ということをお説きになっておられます。私は仏門に入りながら報恩感謝の感謝という部分を忘れていました。今では宅配便のお兄さんの言ってくれた「有難いね」という言葉を「有難う」にかえて言っております。
 お大師さまは「性霊集」の中にこう説かれています。「我々が生まれ、我々が育つのは親の恩である。親の恩は高い天よりも高く、厚い地面よりも厚い。我々が身を粉にしても報いきれるものではない」。親は子を思い、報いを期待せずあらゆる愛情を注いでくれます。
しかし子は、親の愛は当たり前だと思っているところがあります。また、育ててもらったことは忘れて都合の良いときだけ親子であり、親に経済的能力がなくなれば見離す例も多くなっています。
 思い返してください。私たちはどうやって生まれ、どうやって育ってきましたか。今まで父母に対して感謝し、それに報いたことがありますか。
もう一度親の恩を思い返し感謝の気持ちを表してください。難しいことはありません。いつ何時でも「有難う」という言葉を言うことです。そしてそれに合掌をつけてください。心から合掌し「有難う」という言葉は、何にも勝る親に対しての一番の報恩になるのです。

  本多碩峯 参与 770001-42288