慈しみのこころ
東日本大災害の発生から一ヵ月経過した四月十一日、震災物故者追悼法会を厳修させて頂いた日の深夜、所属している高野山真言宗宗務支所下寺院の青年僧十人と共に徳恩寺さま(鹿野融定住職)に集結し、一路、被災地ボランティアの前線基地となる宮城県大崎市にある弘法寺さまを目指し出発しました。
翌十二日、弘法寺さまにおいて、金剛峯寺社会課の五味参事、高野山真言宗の東京・相模・長野各宗務支所下寺院の大徳さまと合流し総勢三十余名となった一団は、五味参事先導の下、宮城県石巻市の避難場所において、支援活動にあたりました。
台湾から届いている義損飯を倉庫に搬入する班、津波によって家屋などに侵入した泥を掻き出す班も二班に分かれて活動しました。
翌十三日には岩手県遠野市に移動し「遠野まごころネット」のボランティアの方々二十数名と合流し、義損飯を倉庫に搬入。その後、それぞれの宗務支所単位に分かれての炊き出し。加えて救援物資の配布と作業は続きます。
私の班は、十二日には石巻市住吉中学校の避難所(避難者約四百名)で、十三日には福島県相馬市旧相馬女子高等学校の避難所(避難者約六百名)に、おいて、焼きそばとワカメの酢の物の炊き出しを行わせて頂きました。
私は、両日とも酢の物を担当し、体育館を避難場所とされていた石巻では、体育館の入口で配布。一方、学校の教室が避難場所とされていた相馬においては、各教室に直接大きな寸胴鍋を持参し、配布することとなりました。
ふと気づくと廊下の端から六歳くらいの小さな女の子の姿、その子は私の傍まで走り寄り、「あの酢のものとってもおいしかったよ!ありがとう!」と言ってきたのです。その子は配布の終わった教室から、礼を言うために出てきてくれたのです。その子の感謝を伝えようとする健気な様子は、私たちの心を大きく揺さぶり感動を与えました。どうにも涙が止まらなくなり、涙を目に浮かべながらの作業となりました。
帰路のトラックの中、配布作業」を共にしていた鹿野融完師と「あの子の笑顔を見るために、我々は炊き出しをしたんだね。」と、少女の「ささやかな感謝の言葉」と少女のもつ「慈しみの心」に触れさせて頂いたことに心から感謝しました。
被災地は未だ混迷している状態であり、「何も出来ない自分が被災地に行って、迷惑ではないか」と躊躇される方が、多くいらっしゃることだと思います。
しかし、私たちはお大師さまの教えを享受する一人の人間として「お大師さまであったら、今いかなる行動をされるか」と深くお考え、この現実に起こっている状況に向き合って、一人ひとりが出来る行動を起こしていって頂きたいと強く思っています。
自分の目でしっかり見て考え、お大師さまのお考えになる「慈悲の心」を広く差し伸べて参りましょう。
合掌
神奈川支所下遍照寺住職 紫 義彰
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