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神さま仏さま  生かせ いのち

2012-01-31 10:48:40 | 高野山
 

Koyasan_sinpo

 

神さま仏さま

 

 北原 隆義

  私が大学に入りたてのころ、宗教学の講師の先生が「神というのは仏さまたちを守る守護神のことである」とおっしゃっていました。まだ高校を出たばかりの私は、あくまで仏さまを中心にすえて奉り、神々をその外側の守護者として一段下に見る教え方に多少の違和感を覚えながらも、その時はそのまま受け入れるしかありませんでした。大学で勉強し、やがて本山に勤務をし、かれこれ十二年余りを高野山で過ごすことになりながらも、ずっとその違和感がなくなることはありませんでした。 

 私の自坊は日本海の能登半島にあります。自然に恵まれた静かないいところです。古くから伝えられてきた風俗や祭礼、そしてそれらの拠点となるお宮やお寺がたくさんあって、自然とそういった場所へと足を運ぶ機会も増えてきました。そうするうち、お参りするお寺のそばには、必ずといっていいほどお宮が寄り添うように建っているのに気が付きました。

 

 いろいろ調べていくと、昔はお寺もお宮も一緒に祭礼などの行事を行い、神さまも仏さまも同じょうに地域の人達から尊敬されていたことがわかってきました。むしろ私たち日本人は、そうして神、仏の区別なく、尊いものとして千年以上も昔から祭り事を続けてきたのです。しかし、残念ながらそんな幸せな状態にもピリオドが打たれました。神仏分離令という詔が明治政府によって発令され、神々と仏さまは離ればなりました。そんな悲しい出来事の名残りで、お宮のそばに建つお寺のことを神宮寺といいます。

 

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 能登の国の一の宮を気多大社といいますが、このお宮の隣にも正覚院という神宮寺があって、昔から地元の人達の崇敬を集めてきました。数年前、お不動さまをまつる護摩堂の落慶法会が行われました。当日、いよいよお練りの出発を告げる号砲が鳴らされると、不思議なことにその瞬間、曇り空の向こうから太陽の光が差し込んできました。厳かな読経の声が聞こえてくると、私にはお宮もお寺もきらきら輝いているような気がしました。お宮の神さまもお寺の仏さまも一つにとけ合って時間を共有しているような不思議な感覚です。その日一日、お参りに来られた大勢の方々も、神も仏も木も草も建物も、にこにこ笑って過ごしまし た。

 

 正覚院は日本海を一望できる高台に建っています。この辺り一帯の浜辺は、水平線に夕陽が沈むサンセットビーチでもあります。このお寺に伝わるご詠歌の歌詞を紹介しましょう。「あなとうと、迷いも晴れて一の宮、浜の真砂に夕陽輝く」。水平線に静かに沈んでいく夕陽に照らされて、辺り一面は真っ赤に染まります。目に映るありとあらゆるものが黄金色に浮き上がるようなすばらしい夕映えです。神も仏も人も木も草花も、砂の一粒一粒さえも、すべてのものが時間を共有するかけがえのない瞬間です。本当のことが直接心に染みわたるというのは、こういうことだったのですね。神さまと仏さまだけではなく、いろんなものが一つだったのだ、と教えられたことです。

 

▽筆者は石川県七尾市 妙軌院の副住職です。

 


    本多碩峯 参与 770001-42288

 


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