秩父大山沢のシカの食性
高槻成紀・崎尾 均
1990年以降、関東地方でもシカが増加し、各地で植生に強い影響を及ぼしている。秩父地方も例外ではなく、その一か所である中津川上流の大山沢もシカの強い採食圧により渓畔林の林床が非常に貧弱になった。この沢では非常に詳細な植物生態学的調査が継続され、多くの知見が得られており(崎尾 1995; 2000; Sakio 2020)、シカによる樹木への影響についても調べられている(比嘉ほか 1995; Higa et al. 2020)。しかし、シカの食性自体は調べられたことがないので、糞分析によってこれを解明することにした。
方法
大山沢は荒川の支流である中津川の上流である(図1)。シオジなどからなる渓畔林であるが、2000年頃からシカが増加し、樹木への影響が顕著になってきた(比嘉ほか 1995)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d9/d501e825136f93a178e7cde910414cfe.png)
図1. 大山沢の位置図
最近では林床にはハシリドコロ,コバイケイソウ,サンヨウブシなどのシカの不嗜好草本だけのような状態になっている(図2)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f5/ef358892b5aec1af4002313a94b76ede.jpg)
図2. 調査地の林床の景観(2023年4月28日、撮影崎尾)
シカの糞分析はポイント枠法で行なった。2023年4月28日に採集した10のサンプル(10粒)を分析した。
結果
<2023年4月の分析結果>
分析の結果を図3に示した。繊維が78.7%もの多くを占めた。そのほかは枯葉が9.1%を占めたほかは5%未満であり、生葉は4.5%にすぎなかった。4月下旬であるにもかかわらず、これだけ生葉が少ないのはこれまでほとんど知られていない。これは、シカが採食する植物の葉がなく、木本類の枝などを食べていることを示唆する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c5/d2bdf28ae8b088ca1963e730eb5d27c9.png)
図3. シカ糞組成(%)。参考のために丹沢と早川の分析例も示した。
図3には参考までにほぼ同じ時期の分析例のうち、低質な繊維や支持組織が多いものとして神奈川県丹沢(高槻・梶谷 2019)と山梨県早川町(高槻・大西 2021)の結果も示したが、大山沢の結果はこれらと比較しても繊維が非常に多いことがわかる。
これほど劣悪な食糧状況であれば、シカが生息すること自体が不思議なほどである。山梨県甲府市早川の場合、糞の採集地の落葉樹林内にはほとんど植物がなかったが、糞にはある程度イネ科の葉が検出されたことから、シカが林外で採食し、林内で糞を排泄したと推定された。大山沢ではそのようなことを示唆するデータも認められなかった。
<5月の結果>
5月25日になると植物は増加したが、林床にはシカが食べないハシリドコロくらいしかないので、シカにとって食物となる植物は少ないままであるように思われる(図4)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/49/fa49cc71251cb82e565d7ad67cad2615.jpg)
図4. 大山沢の2023年5月25日の景観(撮影、崎尾)
採取された糞を分析した結果、4月と同様に繊維が主体(75.3%)であることがわかった(図5)。枯葉が減少したり、イネ科や果実が増えたなどの変化はあったが、いずれも5%未満の微細な変化であった。5月になれば通常であれば植物が増えて、シカの糞にも葉が増えることが多いので、意外感があった。このことは調査地では植物の生育期でもシカの食べる植物が非常に乏しいことを意味する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/38/79f27024aa2a03684e6adb0fa9223e1b.png)
図4. 秩父大山沢でのシカの糞組成、2023年4月、5月
なお、分析の過程を披瀝すると、糞は0.5mm間隔のフルイの上で水洗するが、そのとき、フルイから水が流れ出る。このとき、冬の糞は暗褐色であるが、夏の糞は緑色になる。東北地方などのシカの場合、冬にミヤコザサをよく食べるので、冬の糞でも流れ出る水は緑色となる。ところが秩父の糞は5月のものでも茶色であり、「これはひどい」と思ったが、実際に分析してみてそのことが確認された。
今後、夏にはどのような糞組成になるか継続して分析したい。
文献
比嘉基紀・川西基博・久保満佐子・崎尾均. 2011. 大山沢渓畔林におけるニホンジカの食害の影響. 日本森林学会, 122: こちら
Higa, M., Kawanishi, M, Kubo M, Sakio H. 2020. Temporal Changes in Browsing Damage by Sika Deer in a Natural Riparian Forest in Central Japan. In "Long-term Ecosystem Changes in Riparian Forests" (ed. H. Sakio). Springer こちら
崎尾 均. 1995. 渓畔域の撹乱体制と樹木の生活史からみた渓畔林の動態. 日本生態学会誌, 45: 307-310. こちら
崎尾 均. 2000. 水辺林 (渓畔林)の動態,生態的機能および保全・再生指針. 水利科学 44: 31-45. こちら
Sakio H. 2020. Long-term Ecosystem Changes in Riparian Forests. Springer こちら
高槻成紀・梶谷敏夫. 2019. 丹沢山地のシカの食性−長期的に強い採食圧を受けた生息地の事例. 保全生態学研究, 24: 209-220. こちら
高槻成紀・大西信正. 2021. 山梨県早川町のシカの食性−過疎化した山村での事例−. 保全生態学研究, 26: 149-155. こちら
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます