広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

憧れの明徳小

2012-03-24 20:02:09 | 秋田の地理
※25日20時50分に、末尾に追記・画像の追加をしています。

僕は子どもの頃、秋田市立明徳(めいとく)小学校に対して、憧れというかうらやましい気持ちを持っていた。
それは、
・千秋公園の中にあって楽しそう
・高い位置にあるので見晴らしがよさそうだし、坂を通って通学するのがおもしろそう
・新しい校舎だから
といった理由。
平地にある古い校舎の小学校に通っていた僕にとっては、明徳小の環境がうらやましかったのだ。

秋田市立明徳小学校は、久保田城址千秋公園を含む秋田駅のすぐ北西側が学区であり、旧秋田藩の藩校「明徳館」の名にちなむ校名。1883(明治16)年開校。


現在、明徳小は千秋公園北側の千秋トンネルの真上、標高30メートルほどの場所にある。住所はズバリ「秋田市千秋公園」。
千秋トンネル東側から。上の茶色い建物が明徳小
昔からここにあったわけではなく、1981(昭和56)年に移転してきた。
それ以前の1902(明治35)年から1981年までは、千秋公園南側の坂の下、千秋明徳町の現在の秋田市立中央図書館明徳館の場所にあった。全国的に城跡のすぐそばやお城の敷地の中に学校があるケースがあるが、明徳小学校もそうした学校の1つだったと言える。
明徳小の先代校舎。(1980年10月10日発行広報あきた826号より)
僕が明徳小の存在を意識したのは現在地に移転してからで、新しい図書館ができたのは記憶にある。でも、以前の明徳小の記憶はない。移転は物心つくかつかないかの境界のできごとだったことになる。
先代校舎の正面玄関の向きは、現在の図書館と同じで、角のソメイヨシノ(千秋公園周辺ではかなり早咲き)の木は当時からのものだという。
 (再掲)秋田市立中央図書館明徳館
新旧の所在地は、千秋公園を挟んでほぼ正反対になり、直線距離では約500メートル、標高差では約20メートルの差がある。
ずいぶんと遠い場所に移転したように感じるかもしれないが、同校の学区には手形地区の一部など千秋公園の北側の住宅の多いエリアが含まれており、しかも旧所在地周辺には公共施設や商業施設が多く民家がほとんど存在しないため、現在の図書館の場所では千秋公園内を“縦断”して通学していた児童が多かったと考えられ、現在地のほうが位置的に適していると考えられる。


上記の通り、平坦な秋田市においては珍しく、明徳小は高い場所にある。
千秋公園の「山」としては最上部ではないが、二の丸に続く平らになった一角にあるような感じ。以前は水道関係の施設があったとか。(手形山を「水道山」と呼ぶことがあるが、かつてはここも別の水道山だったらしい)
左が千秋トンネルの通り、正面奥が明徳小
学校前から東側の手形陸橋南側までは、若干カーブのある長い坂道になっている。距離270メートルの間で高低差18メートルほど。(平均勾配6.7%・3.8度ってとこ?)元気な小学生ならどうってことない勾配だろう。
歩道は坂の南側(学校に向かって左)についていて、その外側は切り通しというか掘割状の千秋トンネルの通り。
切り通しを挟んだ向かい側は千秋公園の本体(彌高神社の裏面)で木が茂っていて、見晴らしがいいわけではない。ここが通学路の児童は、トンネルに出入りする車を見ながら登下校することになる。

小学校は坂の突き当たりに位置する。そこを右折すると若干下ってJRのアパートなどがある千秋北の丸の住宅地に入り、左折すると千秋公園の中(彌高神社~二の丸)へ入っていく。

校舎の南側はグラウンド(ここがまさにトンネルの真上)。その南側は千秋公園の「御隅櫓」があるさらに高い部分なので、南方向の見通しは利かなそう。西側は崖状になっているものの、体育館と木々がある。北側にも木がある。
したがって、校舎が高い位置にあるとはいえ、上の階に上ったとしても、思ったほど学校からの見晴らしはよくないのかもしれない。
数年前に御隅櫓から見た明徳小
上の写真の通り、御隅櫓よりは低い位置に学校があるし、木々に囲まれている。

今度は、校舎そのものに注目。
明徳小学校校舎
上の写真では4階建てのように見えるが、3階建て。階段の上が1階になる。
東側(手前)だけが地階のようになっていて、給食室らしきものがあるようだ。
1981年6月には建築基準法施行令が改正され、新耐震基準になったのだが、この校舎は新基準に適合しているということだろうか?(外から見る限りでは、耐震改修された形跡がない)
【31日追記】平成16年度に耐震補強が行われたそうだ。

明徳小の校舎がうらやましかった小学生の僕だが、小学生から見ても今までにない新しい要素が取り入れられているのが感じられた。
それが、外壁の色とベランダ(バルコニー)の存在。

外壁の色は、濃い赤茶色と濃い肌色という、濃い色どうしの組み合わせ。(上の御隅櫓からの写真の通り、屋上は緑色)
先日紹介したような、明徳小の直前頃までに造られた校舎とは大きく違う色使い。秋田市立の学校では初めてだっただろうし、それ以外でも珍しい配色かもしれない。
でも、存在感がありながら暗くなくて落ち着いた色合いで、いいと思う。

また、30年経った現在、よく見ると外壁に黒い汚れが発生してはいるが、色のせいでそれが目立たない効果がありそうだ。これ以前またはこの後の1990年代以降に建てられた校舎では、壁の色のせいで汚れが目立ってしまっているのと対照的。


もう1つが、ベランダ(バルコニー)の存在。
肌色の部分がベランダ。一部ベランダのない窓もあるが、そこは同じ位置の外壁が同じ色になっている。
1981年9月1日付「広報あきた」858号によれば、「教室には、県内の小学校では初めてといわれるバルコニーを設け、開放感をもたせています。」とのこと。
※普通、バルコニーとは屋根のないものを指すので、ここは屋根があるんだからベランダのような気がするので、この記事では「ベランダ」とします。

全国的には、昭和30年代頃に「外廊下」や「オープン廊下」と呼ばれる、壁のない廊下というかベランダを廊下として使う校舎を建てるのが流行したそうだ。
壁が1枚少なくて済むから建設費用の節約にはなったようだが、寒冷地・積雪地であるためか、秋田市立学校でのこの方式は採用されていないはず。(秋田県立高校の一部には存在した)
その後、いつの頃からか、廊下とは別に教室の窓の外にベランダを設ける方式が出現したが、それが秋田で初めて採用されたのが、明徳小だったわけだ。
教室の窓から直接下へ転落する事故が起こり得ないし、万一廊下が使えない際にベランダが避難経路となるなどのメリットがあるのだろう。

管理上・安全上(=窓からは安全でも、今度はベランダから転落する恐れがある)の問題もあるだろうから、実際に子どもたちが自由にベランダを使えるのかどうかは分からないが、外から見ている分には「教室にベランダがある」のがなんとなくうらやましかった。


前回の校舎の記事では、昭和40年代前後のものは屋上に大きな庇状の構造物があって重い感じがし、50年代のものでは箱型のすっきりしたデザインに変わっていた。
明徳小では、ベランダがあることにより、そのどちらとも違う印象を受ける。
ベランダ自体が出っ張り、3階のベランダの屋根に当たる部分が屋上にせり出していて、再び凹凸のある壁面になったものの、昔ほど威圧感を感じるデザインではないと思う。
ベランダやそれを下から支える部材などが、色の違う直線的なカクカクしたデザインで取り付けられていて、あえて強調しているようにも感じる。当時は建物の分野以外でもこういうカキッとしたデザインが人気だったから、その流れに乗ったのかもしれない。
千秋公園からグラウンド越しに見る明徳小
そんなわけで、時々訪れる千秋公園の中にあり、遠くからでも目立つ、丘の上の新しい校舎に憧れていたのだった。


明徳小で斬新だった外壁の色とベランダが、この後に建てられた秋田市立の学校ではどうだったのかと言えば、ベランダは標準装備になっていて、多くの校舎に設置されている。
校舎の色のほうは、
この学校は?
明徳小学校にそっくりだけど、これは1982年築の川尻小学校。
【26日追記】上の写真で正面に写っている校舎は増築部分とのコメントをいただいた。1994年築だが既存部分とほぼ完全に同じ設計になっているらしく、違和感なく仕上がっている。

今まで、明徳小と川尻小のデザインはまったく同一かと思っていたが、色合いなどは微妙に異なることが分かった。
川尻小は明徳小より1色多い3色が使われていて、若干明るい色。
明徳小で濃い茶色だった部分は、川尻小では赤に近い色。濃い肌色だったベランダは、クリーム色で凹凸による不規則な模様が入っている。
上の写真では分かりにくいが、ベランダでも柱でもない壁部分(窓の上下)には、3番目の色として白が使われている。
ベランダのない側の壁は、真っ白

しかし、例えば1985年に建てられた土崎南小学校では白を基調とした校舎になるなど、以後建てられた小中学校は淡い単色の校舎が主流になっていく。
“明徳小式”の外壁の色はそれほど普及しなかったことになる。


小学校も中学校も昭和時代の鉄筋コンクリート校舎を卒業した僕は、木造校舎を見ても「懐かしさ」は感じない。また、塔がついていたりカーブを描いているような最近の斬新な学校建築を見ても「学校らしさ」はあまり感じない。
僕にとっては、横長の箱型の校舎こそ「(昭和の)学校」であり、それが何色かで塗り分けられた校舎こそ「秋田市立の学校」だ。
憧れだった明徳小学校の校舎は、「秋田市における最後の昭和らしい校舎」の1つと言えるだろう。【25日追記】「秋田市の昭和の校舎の最終完成形」とも言えるかもしれない。



先週、秋田市立の各小学校で卒業式が挙行された。
秋田県内の多くの小学校では、卒業生は中学校の制服を着用して出席する。
僕は何の違和感も感じないが、全国的には珍しい“風習”だという。(他には北海道や栃木県などがそうらしい)

他県では、スーツなどを各自用意して着るようだ。
秋田では試験を受けて進学するような中学校が極めて少なく(最近は中高一貫校もあるが)、ほぼ全員が地元の公立中学校に進学することや、経済的負担を減らす狙いがあるのかもしれない。


3月17日には、太平山谷(やまや)にある市立山谷小学校の閉校式が行われた。
1878(明治11年)の開校以来、133年の歴史を今月末で閉じることになる。今年度は児童27名4学級、教職員10名だった。
山谷小学校は太平小学校に統合され、秋田市立の小学校は44校(雄和・河辺地区を除く旧秋田市は37校)となる。
旧秋田市内の小学校だけでも、2006年に八田小学校、2007年に太平小学校木曽石分校、2010年に金足東小学校と、いくつかの学校が消えていっている。



【25日追記】明徳小学校の裏面を中心に、若干追記します。
坂の下側から見上げた画像だけだったので、上から見下ろした画像もアップします。
柵の外側が千秋トンネルの掘割。その向こうの木々が彌高神社付近の裏面
上の写真の通り、坂が若干右にカーブしていて、坂の下までは見通せない。木や建物があり、見晴らしもあまりよくない。
でも、あと1月もすれば、右側の千秋公園の木々の鮮やかな緑が目に飛び込む通学路になるだろう。
なお、歩道の柵には、柵のパイプを使って絵が描かれている。15年くらい前に流行ったヤツだ。
ここでは、ツクシやカモシカ(?)などが描かれていて、千秋公園の自然をモチーフにしたのかもしれないが、キツネもいた。さすがにキツネは千秋公園にはいないでしょう。

さて、上記の通り、坂の上の突き当りの明徳小を右に曲がると、若干低くなって千秋北の丸(という町名)に入る。
住宅地を少し進んで振り返ると、こんな光景。

東~南側は標高差5メートルほどのすり鉢状の斜面になっていて、階段で下に下りて踏切や秋田大学方面へ続く。階段が2つ写っているが、片方は使われていないようだ。
そして奥に、明徳小学校の裏面(北側)が見える。
校地との間には、ちょっとした土手があり、校舎は3階と4階【26日訂正】2階と3階しか見えない。土手に生える木が茂る夏場は、それもほとんど見えないだろう。
校舎北面にはベランダがなく、この直前に建設されていたタイプの校舎(東小、西中など)とよく似ているようにも見える。

反対の西側に進んでも、やはり急斜面で階段がある。こちらは標高差10メートル弱。【8月10日追記】この階段は古くは坂道だったらしく「八幡坂」と呼ばれるそうだ。
なお、坂の下の東側も西側も「千秋北の丸」なので、千秋北の丸は高低差によって3つに分かれた町と言えそうだ。
階段を下りて振り返る
千秋公園の北~西側に当たる斜面なわけだが、城跡の公園の趣はなく、ちょっとした「山」のよう。
地滑り対策が施された斜面にはケヤキらしき木が多数生えていて、その間に、ちょっとだけとんがったものが見える(上の写真の赤矢印)。
明徳小学校の体育館の屋根だ。

戻って、
階段の上から西を望む
階段の右が「千秋北の丸」、左が「千秋矢留町」、下の道路の向かいが「千秋中島町」と、3つの町の境界。
この辺りに住む小学生はみんな、この階段を上ってすぐの明徳小学校に通っている…
と思いきや、そうではなく保戸野小学校に通っている児童も多いようだ。

秋田市教委学事課ホームページの「秋田市立小・中学校通学区域(学区)(http://www.city.akita.akita.jp/city/ed/sw/tsuugakukuiki.htm)」によれば、「千秋」地区のうち千秋公園西側の北の丸、中島町、矢留町の3町では、それぞれの番地ごとにきめ細かく保戸野小学区か明徳小学区かが決められていて、なかなか複雑そう。(番地の割り振りと町内会の境界が一致していないのかもしれない)
なお、中学校はいずれも秋田東中の学区。

上の写真でオレンジ色矢印を付けたのが、保戸野小。
階段の下から保戸野小までは直線で500メートル、実際の通学路でも700メートルほどだが、途中には狭い道も広い道も、旭川もある。

明徳小が千秋公園の反対側の今の図書館の場所にあった頃ならば、保戸野小のほうがずっと近い。
おそらく明徳小移転時には、地元の意向も踏まえて学区を決定したのだろうが、今は階段1本のすぐ上に明徳小があるのに、そこに通えないのがもどかしそうにも思える。

※秋田市の学校についての次の記事はこちら
※明徳小体育館についての続きはこの記事末尾

コメント (30)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« JRとNHKの間違い | トップ | さすが元RABアナ »
最新の画像もっと見る

30 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
わかります (FMEN)
2012-03-24 23:31:24
明徳、仁井田からだと都会なイメージがありました。
仁井田は田舎だなあ、なんて。
途中まで校舎も古くぽっとんで。
(1996年に増築)

卒業式は仁井田も学生服でした。
被災3県の女子は大学生みたいな袴姿なのが印象的でした。
返信する
卒業式 (りお)
2012-03-25 00:10:48
我が旭川小では、卒業式は私服でした(今中学生の妹もそうだったので、変わっていないと思います)。スーツを着る子やフォーマルのようなカジュアルを着る子など、統一感はありませんでしたが華やかにはなっていました。
私は身体が大きい方だったため大人向けのブラウスやスカートを着たりして、少し気持ちが引き締まったものです。逆に中学校の制服を卒業式で着る子は「貧乏くさい」と言われていたので、卒業式で制服を着ることについてのtaicさんの予想は、たぶん当たっていると思います。
しかし、やはり卒業式私服派は少数派だったのですね…。
返信する
Unknown (名無しの秋田市民)
2012-03-25 09:57:33
ベランダはありましたが休み時間などに出ることは出来ず
結局大掃除の窓拭きの時に使われたり、ベランダの掃除をしたりぐらいだったと記憶しています。
まぁ、鉄のフタのようなものが端っこにあって
緊急避難口なんて書かれていたと思うので緊急時には役立ちそうですね。

た、他県では卒業式で学生服着ないんですか・・・。
統一感があっていいと思ったんですけどねぇ。
あと制服来て中学校に通う予行練習としてXD
喉のところが苦しかったのは今でも覚えていますXD
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2012-03-25 19:13:27
>FMENさん
当時から中心部の小学校では児童の減少が始まっていました。ドーナツ化現象ってやつですね。
1学年3クラスが標準で「昔は4クラスも5クラスもあった」と聞かされたものですが、今は1~2クラスだそうです。
一方、仁井田など郊外のほうは児童数が増えてクラスも多く、それがなんとなくうらやましかったものです。

袴で小学校の卒業式ですか。さすがにレンタルでしょうかね。

>りおさん
複数の中学校(特に制服が違う)に分かれる小学校では、卒業式の服装が2分されてしまうわけですが、旭川小ってそのまま東中へ進学ですよね。制服じゃないのが意外でした。
でも、6年間の小学校生活の最後だから、これから毎日着る制服ではなく、華やかな服装でというのも理解できます。

実は僕の小学校では、数年先輩の学年で「制服か私服か」で先生や保護者の間でちょっとモメたことがあったらしく、その年だけは私服の出席者が一定数いたらしいです。
でも翌年からはまた制服にすんなりと戻り、今も続いているようです。
強制ではないのでしょうが、「楽」ではあるのでしょうね。

>名無しの秋田市民さん
やはり、ベランダは常用ではないのですね。そもそも各教室にベランダに出るドアがあるわけじゃないんですか。
小学校は大丈夫でしょうけど、中学校ではベランダに隠れてイケナイことをする生徒もいるでしょうし、管理面では大変なのでしょう。

そうでした!
初めて着る学生服と詰襟に、緊張感と窮屈さを覚えたものでしたね。
最近はブレザーの市立中も増えてきて、遠い昔の話ですが…
返信する
私もその一人 (たむたむ)
2012-03-26 10:46:41
明徳小学校が、新しく完成したという
話を聞いたときは、なんだかステキで
いいな~って思ったのを思い出していました。
実際には、その周辺も見たこともなかったので、すごく新鮮な印象を受けました!
私の知らない場所。。。

自分の(小学校)卒業式のときは、
やはり中学の制服(セーラー)を着ました。
いよいよ、中学生になるんだな~って
卒業式に思いました。(^m^)

最近の小学校の卒業式では、
基本自由なので、制服のような私服を着る
オシャレさんもいるようですよ~。
目立ちますよね!
返信する
我学び舎 (オタチ)
2012-03-26 20:34:46
タイトルを格好良くしたつもりなのですが・・・。

自分は明徳小ではなく川尻小でした。川尻小学校の二枚目の画像はたしか増築公舎だったはずですが・・・全然気になりませんね。

>秋田県内の多くの小学校では、卒業生は中学校の制服を着用して出席する。
自分のときは山王中学校の制服を着用してました。
ベランダは結構出ていました。休み時間に三階からグラウンドの人と話してました。

最近の卒業証書は筒に入れないで、ファイル的なものに挟んで二つ折りにするんですねぇ・・・。
返信する
年の差 (mugi-shochu)
2012-03-26 20:55:17
小学校が木造校舎だった者としては、鉄筋コンクリート造の校舎自体が憧れのようなものだったので、バルコニーなんて想像もできませんでした(笑)。
明徳小の旧校舎も覚えてますよ。
最近は建て替え時にコンクリートから木造に変える例もあるようで、なんだか嬉しく思うこともあります。
返信する
明徳通ってました (もんも)
2012-03-26 20:55:58
県公舎だったので和洋の周辺から集団登校で千秋トンネルをくぐって坂をのぼって通いました 坂の途中にあるプールは平成元年にできてできたてほやほやのプールで泳ぎました 冬はグラウンドでスキーがあったのでスキーを担いでいきました

最近テレビで終業式の様子が映ったり合唱部の様子が新聞に載ったりと(当時から合唱に力を入れていて合唱部で仙台とベニーランド行きました)隣のクラスの先生が新聞の移動記事に載っていて教師歴長いなあと思いました 明徳大好きでした
返信する
色々 (あどれ)
2012-03-26 22:05:53
久しぶりにブログを読ませてもらいましたが。
しばらくぶりに見たせいか、話題が豊富で驚きました!

何度見ても、柑橘系の木がずら~っと並ぶって想像できない。。。しかもこんなに色々な種類があるなんて。

私もどちらかというと、柑橘系が苦手なので。(でも揚げ物にドバーっとかけるレモンは大好き!)
結局、甘い酸っぱいのは苦手で、しょっぱい酸っぱいのは平気です。


カプセルの信号機って・・・
マジンガーゼットの女の人のおっぱいみたいじゃない??そんな想像をするのは私だけか・・・

市役所の花時計、結構存在感があって立派に管理してると思うけど。新しくなるとなくなるのかなぁ?勿体無いよね。
しかも彼岸花が咲くって珍しいよね~。
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2012-03-26 23:06:50
>たむたむさん
お引越しは一段落されましたか?
明徳小ができる前は、地元の人以外はあまり知らない場所だったかもしれません。きれいに整備された公園の表側とはまた違う、自然豊かないい所ですよね。
学校突き当りの右の道をさらに進むと行き止まりで、別の階段で東中の踏切のそばへ下りられるんですよ~
最近は卒業式も変わっているんですか。「なんちゃって制服」とかいうのでしょうか。成長してサイズが合わなくなるのがもったいない気もしますが、時々はおしゃれして「ハレの日」を意識するのもいいでしょうね。

>オタチさん
オタチさんは川尻が学び舎でしたか! それこそ理想のベランダの使い方ですねぇ~。うらやましい。
写真右奥にちょっと見えるほうが、1982年築の本来の校舎でしょうか。増築は1994年だそうで、ずいぶん差があるわりには、統一感があり違和感なく仕上がっています。
山王は旧校舎の頃でしょうか。川尻からだと古く感じませんでした? 僕も山王ですが小学校が古かったので、逆に給食運搬リフトの存在にすらビックリしました。

証書の筒をスポンとやるのが楽しかったものですが(笑)、くるくる巻くのがわりと面倒。保存も考えるとファイルがいいのかもしれません。

>mugi-shochuさん
昔のmugi-shochuさんが憧れておられたであろう「秋田市初の鉄筋コンクリート校舎の小学校」の卒業生ですが、3階にトイレがなかったり、給食は隊列でぞろぞろ運搬したり、一部の窓が鉄枠だったりとちょっと不便な点もありましたねー(と、中学校の校舎と比べて気づいた)今思えば、懐かしい思い出です。
旧明徳小は広報の写真を見た感じでは、イメージにある木造校舎とは違い、シャレた感じを受けます。各校それぞれ個性的だったのでしょう。
僕が小学生の間に、高清水小を最後に秋田市の全小学校の鉄筋コンクリート化が達成されたのですが、市内各地に木造校舎があった頃を見てみたかったものです。

>もんもさん
お! もんもさんは明徳小ですか。
トンネルを通っての通学は楽しそうだし雨の日にラクそうですが、坂の部分を行って戻らないといけなくて、遠回りですねー 微妙に保戸野小のほうが近い気もしてしまいます…
新設校は体育設備の整備が遅れるものですが、プールはかなり遅かったんですね。
街中でありながら豊かな自然の中にある明徳小の環境が、ほんとにうらやましいです。

>あどれさん
お久しぶりです。あ、カンキツの話がまだ途中でした。続編がありますので、いずれ。
試食コーナーがあって新品種を食べさせてくれました。今の時期、こっちでも「清見」や「せとか」などが売ってますが、その仲間たち。オレンジとミカンを合わせたような味で気に入りました。以後、洗脳されたかのようにスーパーでついつい買ってしまいます。

マジンガーゼットの女の人のおっぱいって、それを言っちゃあ…(実は僕も同じようなことを思いましたけど…)
秋田市役所といえば花時計ですよね。移設するよりも新設したほうが安くつきそうにも思えるし。
実は文字盤の傾斜がもっと急だと道路から見やすいんですけどね。今の角度だと、向かいの県庁の中からちょうどよく見えそうで。移設するなら考慮していただきたいです。
返信する

コメントを投稿