秋田市立の小学校では、今日一斉に入学式が挙行されたようだ。
僕たちの頃は、4月4日に始業式、6日に入学式だったものだが、今は2学期制(前期/後期)になったためか、6日始業式、10日入学式に繰り下がったらしい。(昨年度までは入学式は8日だったようだ)
今日の秋田魁新報秋田市地域面に「小中学校新入生が過去最少、秋田市 少子化で3年連続減」という記事があった。
秋田市教育委員会のまとめによれば、今年度の新入生は中学校2658人、小学校2385人で、前年よりそれぞれ100人と80人減って過去最少だという。
学校別の新入生が多い順では、中学校が泉中236名、山王中217名、御野場中201名。小学校は桜小157名、日新小138名、港北小115名。
少ない順では、中学校は岩見三内中9名、太平中と豊岩中12名、下北手中18名。小学校は上新城小と種平小と戸米川小各3名、太平小4名、下浜小5名。
当然ながら、児童生徒数(総数)が多い学校の入学者数が多いわけで、先日紹介した昨年度秋田市で児童数が最多だった日新小は、桜小に抜かれてしまったものの2位につけている。(昨年度児童数は日新、桜、勝平、港北の順)
テレビニュースでは、こちらも以前紹介した東小(NHK)と明徳小(民放3局)の入学式が放送されていた。
新入生は東小が81名、明徳小が45名とのこと。30人学級でも2~3クラスで足りてしまう。
さて、秋田市中心部には小学校が比較的多い。今はドーナツ化・少子化・高齢化で児童数300名前後が標準のようだ。
学校がたくさんあるのだから、どこでも通学の距離や時間はそうかからないだろうと思っていたが、考えてみると、かなり長距離の通学を強いられている地域があるようだ。
それが、中心部の南側の市立旭南(きょくなん)小学校。
昨年度の児童数は374名で、中心部では多いほう。明治42年の開校で、校舎は古いタイプ。
所在地は寺町の南側にあたる、旭南一丁目。大町や川元各町との境界も近い。
旭南小の北と西には、比較的近くに他の市立小学校が存在する。
Googleマップより
旭北(きょくほく)小と川尻小で、旭南小からの直線距離は1キロ前後しかない。旭川を渡るが、東隣の築山(ちくざん)小も1キロ強。
では、南隣の小学校といえば…
ない!
強いて挙げれば、雄物川の対岸の日新小や羽越本線の向こうの大住小ということになるが、遠い。
旭南小の南側には国道13号線があり、その南側の茨島(ばらじま)や卸町地区は、工業地帯や卸団地ではあるものの住宅地も形成されていて、相当の人口があるはず。だけど、考えてみればそこには学校がなかった!
秋田市教育委員会学事課の学区検索のホームページを元に、旭南小学校の学区を地図に示してみた。
※通学区域のことを西日本では「校区」と呼ぶことが多いようですが、秋田など東日本では「学区」と呼ぶのが一般的であり、秋田市教委でも「通学区域(学区)」としているので、ここでは「学区」を用います。
赤い線の内側が旭南小学区。線がかすれているところは、あいまいな部分
旭南小の学区は南側にとても広く、卸町と茨島は、全域が旭南小学区だった。
羽越本線が雄物川を渡るあたりの茨島七丁目が学校からもっとも遠い地点になり、学校までの道のりは3キロ近いと思われる。小学生の通学距離としては遠いからか、スクールバスが運行されている。(ちなみに旭南小から逆の北方向へ3キロ進めば、八橋新川向や泉中央辺り。この間には、旭北・保戸野・泉と3小学校の学区が含まれている。)
工場地帯や川があるため、旭南小以外の学校となるともっと遠くなってしまうから、仕方ないのだろう。
ただし、一部エリアでは町内会単位で、学区を大住小へ変更することが特例で認められているようだ。通学距離がだいぶ短縮されるし、バスに乗ったり国道を通行・横断しなくて済む。
一方で、学校の西・北・東はかなり狭い。
学校北側でいちばん遠いのは、市立病院付近だけど、通学距離は1キロにも満たない。
それに、学校の所在地である旭南一丁目でさえ、一部地域(5番地、6番地の一部)は旭北小の学区になっている。(一方で旭北小学区っぽい大町六丁目や川尻小学区っぽい川元開和町などの各一部は旭南小学区)
つまりは、学区の北寄りに学校が位置するとも言える。
隣接する各学校との児童数のバランスを考慮しているのだと思うが、川尻・旭北・築山の各小学校に通うよりは、旭南小のほうが近そうに思えるエリアもある。例えば築山小学区のイオン秋田中央店や若草団地周辺とか。
旭南小の卒業生は、山王中または秋田南中へ進学する。(秋田西中や城南中へ進学する特例地域もあるようだ)
茨島の南側の五丁目~七丁目は山王中学区だが、山王中まで4キロもある。山王中は原則徒歩通学だが、この地域からのみ自転車通学が認められていたはず。
茨島や卸町が宅地化されたのは、戦後だろう。
明治時代に旭南小が開校した当時は、そんな遠くから通ってくる児童がいることなど想定していなかったはず。(雄物川放水路完成前だったから、田んぼと川の下流の湿地ばかりだったかもしれない)
宅地化が始まって人口が増える段階で「茨島小学校」でも設立していればまた違っていたのだろうが、子どもが減る一方の現在では、それもできない。
今後も、市街地としては長い距離を通学する小学生がいることになりそうだ。
小学校の新入生たちにとっては、新しい学校生活はもちろん、登下校の通学路さえ未知の世界で恐怖に感じることがあるだろう。我々大人は、せめて安全運転を心がけ、見守ってあげたい。
※茨島地区の選挙の投票所については、この記事。
【12月2日追記】全国的には、旭北小と旭南小よりも近い距離に同校種の公立学校が存在する例がある。
埼玉県川越市中心部には、道路を隔ててほぼ向かい合うように2つの市立小学校がある。それぞれの学区の端に建っているようだ。
俳優の市村正親氏がその片方の出身で、小学生の頃は相手をバカにして自分たちをよく言うような言い合いというかはやし立てるような(全国的にありますね)ことをしていたという。(日本テレビ系11月27日放送「火曜サプライズ」より)
【2016年4月14日追記】
1954年5月15日付広報あきたの「市民の要望がどう処理されたか! 第3回歩く市役所結果報告」という記事があった。
「茨島地区の旭南編入の措置(川尻学区)」という要望に対し、「答 将来茨島、牛島地区に対し小中学校を新設予定であるが取敢えず本年四月より茨島地区三百名を旭南学区に暫定編入を完了した。 」とある。同時に、川尻小学校の移転(当時は川尻十字路近くの現在の高清水醸造元の一角にあった?)・校舎改築の話も出ている。
ということは、元々は茨島は川尻小学区で、戦後しばらく経ってから何らかの事情で(住民から要望があって)旭南学区へ振り替えられた。
当初は茨島への学校新設計画があって暫定措置だったのが立ち消えて(あるいは1980年開校の大住小学校のことを指していて、開校時に学区に組み入れられなかった)、そのまま現在へ至っているということだろうか。茨島からなら、川尻も旭南も距離的にさほど違わない気がするけど。
秋田市中心部には、学区の設定がおかしいというか不思議な箇所がいくつかある。機会があればまた。
■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色、似た校舎、憧れの明徳小、坂の途中の学校、旭南学区は広い(この記事)
※次の記事はこちら
僕たちの頃は、4月4日に始業式、6日に入学式だったものだが、今は2学期制(前期/後期)になったためか、6日始業式、10日入学式に繰り下がったらしい。(昨年度までは入学式は8日だったようだ)
今日の秋田魁新報秋田市地域面に「小中学校新入生が過去最少、秋田市 少子化で3年連続減」という記事があった。
秋田市教育委員会のまとめによれば、今年度の新入生は中学校2658人、小学校2385人で、前年よりそれぞれ100人と80人減って過去最少だという。
学校別の新入生が多い順では、中学校が泉中236名、山王中217名、御野場中201名。小学校は桜小157名、日新小138名、港北小115名。
少ない順では、中学校は岩見三内中9名、太平中と豊岩中12名、下北手中18名。小学校は上新城小と種平小と戸米川小各3名、太平小4名、下浜小5名。
当然ながら、児童生徒数(総数)が多い学校の入学者数が多いわけで、先日紹介した昨年度秋田市で児童数が最多だった日新小は、桜小に抜かれてしまったものの2位につけている。(昨年度児童数は日新、桜、勝平、港北の順)
テレビニュースでは、こちらも以前紹介した東小(NHK)と明徳小(民放3局)の入学式が放送されていた。
新入生は東小が81名、明徳小が45名とのこと。30人学級でも2~3クラスで足りてしまう。
さて、秋田市中心部には小学校が比較的多い。今はドーナツ化・少子化・高齢化で児童数300名前後が標準のようだ。
学校がたくさんあるのだから、どこでも通学の距離や時間はそうかからないだろうと思っていたが、考えてみると、かなり長距離の通学を強いられている地域があるようだ。
それが、中心部の南側の市立旭南(きょくなん)小学校。
昨年度の児童数は374名で、中心部では多いほう。明治42年の開校で、校舎は古いタイプ。
所在地は寺町の南側にあたる、旭南一丁目。大町や川元各町との境界も近い。
旭南小の北と西には、比較的近くに他の市立小学校が存在する。
Googleマップより
旭北(きょくほく)小と川尻小で、旭南小からの直線距離は1キロ前後しかない。旭川を渡るが、東隣の築山(ちくざん)小も1キロ強。
では、南隣の小学校といえば…
ない!
強いて挙げれば、雄物川の対岸の日新小や羽越本線の向こうの大住小ということになるが、遠い。
旭南小の南側には国道13号線があり、その南側の茨島(ばらじま)や卸町地区は、工業地帯や卸団地ではあるものの住宅地も形成されていて、相当の人口があるはず。だけど、考えてみればそこには学校がなかった!
秋田市教育委員会学事課の学区検索のホームページを元に、旭南小学校の学区を地図に示してみた。
※通学区域のことを西日本では「校区」と呼ぶことが多いようですが、秋田など東日本では「学区」と呼ぶのが一般的であり、秋田市教委でも「通学区域(学区)」としているので、ここでは「学区」を用います。
赤い線の内側が旭南小学区。線がかすれているところは、あいまいな部分
旭南小の学区は南側にとても広く、卸町と茨島は、全域が旭南小学区だった。
羽越本線が雄物川を渡るあたりの茨島七丁目が学校からもっとも遠い地点になり、学校までの道のりは3キロ近いと思われる。小学生の通学距離としては遠いからか、スクールバスが運行されている。(ちなみに旭南小から逆の北方向へ3キロ進めば、八橋新川向や泉中央辺り。この間には、旭北・保戸野・泉と3小学校の学区が含まれている。)
工場地帯や川があるため、旭南小以外の学校となるともっと遠くなってしまうから、仕方ないのだろう。
ただし、一部エリアでは町内会単位で、学区を大住小へ変更することが特例で認められているようだ。通学距離がだいぶ短縮されるし、バスに乗ったり国道を通行・横断しなくて済む。
一方で、学校の西・北・東はかなり狭い。
学校北側でいちばん遠いのは、市立病院付近だけど、通学距離は1キロにも満たない。
それに、学校の所在地である旭南一丁目でさえ、一部地域(5番地、6番地の一部)は旭北小の学区になっている。(一方で旭北小学区っぽい大町六丁目や川尻小学区っぽい川元開和町などの各一部は旭南小学区)
つまりは、学区の北寄りに学校が位置するとも言える。
隣接する各学校との児童数のバランスを考慮しているのだと思うが、川尻・旭北・築山の各小学校に通うよりは、旭南小のほうが近そうに思えるエリアもある。例えば築山小学区のイオン秋田中央店や若草団地周辺とか。
旭南小の卒業生は、山王中または秋田南中へ進学する。(秋田西中や城南中へ進学する特例地域もあるようだ)
茨島の南側の五丁目~七丁目は山王中学区だが、山王中まで4キロもある。山王中は原則徒歩通学だが、この地域からのみ自転車通学が認められていたはず。
茨島や卸町が宅地化されたのは、戦後だろう。
明治時代に旭南小が開校した当時は、そんな遠くから通ってくる児童がいることなど想定していなかったはず。(雄物川放水路完成前だったから、田んぼと川の下流の湿地ばかりだったかもしれない)
宅地化が始まって人口が増える段階で「茨島小学校」でも設立していればまた違っていたのだろうが、子どもが減る一方の現在では、それもできない。
今後も、市街地としては長い距離を通学する小学生がいることになりそうだ。
小学校の新入生たちにとっては、新しい学校生活はもちろん、登下校の通学路さえ未知の世界で恐怖に感じることがあるだろう。我々大人は、せめて安全運転を心がけ、見守ってあげたい。
※茨島地区の選挙の投票所については、この記事。
【12月2日追記】全国的には、旭北小と旭南小よりも近い距離に同校種の公立学校が存在する例がある。
埼玉県川越市中心部には、道路を隔ててほぼ向かい合うように2つの市立小学校がある。それぞれの学区の端に建っているようだ。
俳優の市村正親氏がその片方の出身で、小学生の頃は相手をバカにして自分たちをよく言うような言い合いというかはやし立てるような(全国的にありますね)ことをしていたという。(日本テレビ系11月27日放送「火曜サプライズ」より)
【2016年4月14日追記】
1954年5月15日付広報あきたの「市民の要望がどう処理されたか! 第3回歩く市役所結果報告」という記事があった。
「茨島地区の旭南編入の措置(川尻学区)」という要望に対し、「答 将来茨島、牛島地区に対し小中学校を新設予定であるが取敢えず本年四月より茨島地区三百名を旭南学区に暫定編入を完了した。 」とある。同時に、川尻小学校の移転(当時は川尻十字路近くの現在の高清水醸造元の一角にあった?)・校舎改築の話も出ている。
ということは、元々は茨島は川尻小学区で、戦後しばらく経ってから何らかの事情で(住民から要望があって)旭南学区へ振り替えられた。
当初は茨島への学校新設計画があって暫定措置だったのが立ち消えて(あるいは1980年開校の大住小学校のことを指していて、開校時に学区に組み入れられなかった)、そのまま現在へ至っているということだろうか。茨島からなら、川尻も旭南も距離的にさほど違わない気がするけど。
秋田市中心部には、学区の設定がおかしいというか不思議な箇所がいくつかある。機会があればまた。
■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色、似た校舎、憧れの明徳小、坂の途中の学校、旭南学区は広い(この記事)
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あのあたり、なぜ校を増やさなかったのか…
となると、旭南小からそう遠くはなく、南中学区でもおかしくないようにも思えます。
でもやっぱり、茨島あたりに小学校と中学校があってもよさそうですね。今となっては遅いですけれど。
小学校は歩きなのですが20分
中学校は春~秋は自転車で20分、冬は歩きで40~50分でした
茨島に学校が無い理由は、旭南の児童数が茨島から通っている人数が多く、
分けると旭南が廃校?になりかけると聞きました
ちなみに旭南は中学校で分かれてしまうので、中学校では肩身がせまい?というか、引っ込み思案な子供が多いと思います
こういう環境なので小学校→中学校→高校が全て一緒な友達はかなーり少なくなります
小学校が全部そのまま同じ中学校へ進学するところと、旭南のように分割されてしまうところがあるのは、不公平だと思っています。
僕も分割された小学校のクチですが、中学校では肩身の狭い思いをし、高校で3年ぶりに再開した人の変化に戸惑ったものです。
大人になってからの同期会も、1つの中学校へ行く小学校では、中学校の同期会を開けば小学校の同期会が“同時開催”できてしまいます(小学校の先生や附中進学者には会えないけど)が、我々は別々に開催しないといけませんし…
学校を簡単に移転するわけにもいかないのでしょうが、人口が減る一方の今、旧雄和町の小学校が1つに統合される計画がありますし、30年後、50年後…を考えると、秋田市中心部でも統廃合があるかもしれません。
親類がその地区の学校に絡んでいますので
部活の選択肢の問題とか色んな話があるようです
小学校がサティ辺りにあるなら色んな意味でよかったと思います
今は独立した給食センターがありますが、小中1校では効率が悪そうだから、学校と一体化した共同調理場にするとかあるかもしれません。
雄和地区の人口が減ったことも原因なのでしょうが、秋田市と合併してしまったことも一因の気がします。循環バスもなくなったし。
平成の大合併の弊害かもしれません。