秋田駅の東側は、かつては一面の水田で、昭和後期以降に宅地化された。
そのうち、秋田駅から見て南東方向の、住居表示実施【10月1日補足・桜ガ丘、大平台、山手台は町名地番整理事業実施】で町名が誕生した年を記してみる(初出年。その後も段階的に拡大)。横森と桜1977年、桜ガ丘1987年、大平台(おおひらだい)1997年、山手台(やまてだい)1998年、桜台1999年、南ケ丘2018年。※宅地化された年ではなく、あくまで町名ができた年。
横森と桜は、元・田んぼだった平野部。昭和末頃に横山金足線(県道41号)が貫いた。
それ以外5つは「丘」「台」の名の通り、横金線東側の田んぼに迫った丘を造成したようだ。高低差のある住宅地であるとともに、外部からその地域へ出入りする道路が1本程度しかなく、実質的に通り抜けられない(通り抜けにくい)構造の街という点で、秋田では珍しいと思う。
うち、横金線に直接出入りできるのは、桜ガ丘と山手台。
路線バスが乗り入れるのは、桜ガ丘、大平台、南ケ丘、桜台ではある【23日補足・山手台以外には乗り入れていることになる】が、南ケ丘と桜台は申し訳程度の本数で使い物にならないから、実質的に桜ガ丘と大平台のみ。「桜ガ丘線」として、主に秋田駅東口から、横森・桜・桜ガ丘経由大平台三丁目行きとして、それなりの本数運行されている。
※横金線は、日赤病院・御所野方面行きの路線(広面・御所野線)も走るので、そこから歩いてのアクセスも可能。
桜・横森地区に乗り入れる路線バスは、秋田市営バスが1975年に横森行きの小型バスを運行したのが最初かと思う。これが発展(延長・中型化・駅東口発着メイン化)して、桜ガ丘線となったようだ。
2022年10月バスダイヤ改正では、桜ガ丘線のうち、わずかな本数ある西口~桜ガ丘~梨平の系統が廃止され、大平台三丁目発着に統一される(桜ガ丘~梨平の区間廃止)。
その記事で記した変遷を改めてまとめておく。
・1988年時点では「桜ガ丘三丁目」発着。
・1989年春改正で、築地経由の系統を「梨平」へ延伸。
・1997年か1998年改正で、東口発着メインにシフトするとともに、(梨平行きでない)桜ガ丘止まりの系統を「大平台三丁目」へ延伸。※引き換えに「桜ガ丘三丁目」バス停を廃止?
廃止前に、行ったことがない梨平という地を訪れてみたのだが、今回は大平台のほうを紹介します。
秋田駅を出た桜ガ丘線は、横森の狭く曲がりくねった道を抜けて、750メートルだけ横金線を走る。この区間の「桜三丁目」「桜郵便局」「桜二丁目」バス停では、桜ガ丘線と広面御所野線の両方を利用できる(駅との運賃は同額、所要時間もだいたい同じ)ものの、両路線が近接した時刻、あるいは同時刻に設定されているものもあるのが惜しい。2022年10月改正では、減便分の穴埋め調整もあり、いくらか改善されそう。
地理院地図より
地形図のマル1。しまむらの丁字路を東へ曲がると、桜ガ丘。「桜ガ丘入口」と交差点名があっても良さそうなのに、ないのが秋田県道(と秋田県公安委員会のせめぎ合い?)。
丁字路の道は緩い上り坂。東西に長い桜ガ丘地区の、中央からわずかに南寄りに一直線に延びる、桜ガ丘のメインストリート。と言っても、沿道は民家と公園ばかり。店は床屋と精肉店程度。
地域内にはスーパーもコンビニも(丁字路向かいにファミリーマート)金融機関もないし、自動販売機も少ない。医療機関はあるだろうか。個人事務所みたいなオフィスもなさそう【22日補足・皆無ではなさそう】だし、アパートもない(県営住宅はある)。
ほかの丘、台の地域も似たようなものだと思うが、戸建住宅に特化したベッドタウンだ。
空洞化著しくも、コンビニや町医者くらいなら徒歩圏内に点在する秋田市中央部に住む者としては、異世界。
メインストリートの直線区間には、「桜ガ丘中央公園前」と「桜ガ丘二丁目」の2つのバス停。上屋などなく、ポールが置かれるだけ。
「桜ガ丘中央公園前」下り。向かい側奥が公園
2バス停は上下とも、台座が古く、支柱と表示板は新しかった。表示板のフォントからして、近年交換されたもの(2019年9月のGoogleストリートビューでは未更新。更新前については後述)。
地形図のマル2。丁字路から670メートルほど進むと、変形した十字路のような五差路のような場所。
丁字路からのメインの道路は地形に合わせて、カーブしながら下っていく。桜ガ丘のおおむね西端(後からできた桜ガ丘五丁目は西へ飛び出ている)。梨平行きのバスは、そのカーブを下りていく。
大平台行きは、南南東というか右前方の少し狭い下り坂へ。「←ヴァンベール大平台」の看板が出ていて、歩道があるが、車道の幅は狭く、ここを中型バスが通るのは少々意外。
※「ヴァンベール」は「緑の風」の意味らしく、分譲地としての大平台の名前のようだ。
左が梨平、右が大平台
バスが桜ガ丘三丁目止まりだった頃は、どうしていたか知らない。メイン道路上に三丁目バス停があったのかもしれないし、地理的には南側が三丁目なので、この手前のもっと狭い道などへ曲がっていたのかもしれない。【23日コメントいただき追記・メイン道路ではないところに、三丁目の回転地があったとのこと。分岐点手前の狭い道へ入っていたようだ。】
大平台行きのバスは、片側が斜面、もう一方に大平台の住宅が見渡せる、300メートルほどの緩い坂を下る。桜ガ丘と大平台は隣接しているものの、標高差があって、大平台のほうが低いことになる。
大平台への出入りは、南側のふもと・上北手大戸の市道とつながる2本の道がメインだと思われるが、第3の出入り口が、この桜ガ丘につながる道なのだろう。歩行者用には階段もあった。
大平台の住宅地へ下りると、「大平台一丁目」バス停。
突き当りの山の左上が桜ガ丘方向
150メートルで地図マル3「大平台三丁目」終点。待合所と方向転換・待機の場所がある。ポールは上下兼用。
待合所内に、タクシー会社直通の専用電話があるようだ
大平台には2002年8月に行ったことがあった。20年ぶり。
あまり記憶がなかったが、当時の写真と比べると、家が増えたものの、今なお空き地もあった。
大平台を行く秋田市営バス桜ガ丘線
桜ガ丘線は、2003年春に秋田中央交通へ移管。
3つ上の写真と同じ位置。後ろの山の木が少ない
2022年に撮影して、当ブログに何度か掲載した画像がこれ。
(再掲)大平台三丁目バス停表示板
ナール書体。路線延伸から5年ほどだからまだ新しい。
これまで取り上げてきたように、市営バスのナールの表示板は、ほとんどが最近まで使い続けられ、今も残っている。
ところが、大平台三丁目の現在は…
違う!
子会社名が併記されているのは、もっと東側の農村部へ行く中北手線の廃止代替の「秋田市マイ・タウンバス東部線」が、大平台三丁目へ乗り入れるようになったため。中北手線は桜ガ丘へは行かず、南側から出入り。
表示板が、透明シールにパソコンの丸ゴシック体で印字したものに替わっている。ローマ字は「OHIRADAI-3-CHOME」と、丁目の数字の前後をハイフンで結んだ、見慣れぬ表記。
ナールの表示板なら、20年経っても劣化が少ないことが多いが、こちらはサビが目立つ。
隣の大平台一丁目も上下とも、
トンボ付き下り。板が曲がり、青空に同化しているが右上に穴が開いている
下に「市営(市章)バス」の文字が透けているものもあるので、板自体は市営バスからの引き継ぎ。
実は、上記、桜ガ丘中央公園前と桜ガ丘二丁目の更新前の表示板も、
2017年7月撮影ストリートビューより
同様の表示板だった。
そして、「桜ガ丘」が正当なのに「桜ヶ丘」と誤記している。
これら透明シールへの交換は、誰がやったのか。
移管前年度の2002年度でナールのままだったのだし、秋田市役所の公営企業であった交通局が、秋田市の地名を間違うとは考えにくい(なくはないでしょうけど)。
また、文字が扁平な泉上丁の時に考察したように、透明シール丸ゴシック体のバス停は、市営バス最末期だけでなく、移管後の中央交通でも作っていた可能性がある。
そんなわけで、桜ガ丘~大平台の表示板は、移管後に中央交通が交換したと考える。
その理由は分からない。
(桜ガ丘の市営バス時代はそれ以前がどうだったか知らないが、)大平台2バス停はまだ新しいナールの板をわざわざ塗り直して貼り直したのか、あるいはよそで使っていたのを改造してわざわざ付け替えたのか。いずれにしても、事業者名だけ上張りすれば済むものを、わざわざ余計なことをしたと思えてならない。
最近、桜ガ丘2バス停だけ新しくしたのは、字を間違っていたのに気付いたからだろうか?
同じような古さの大平台が未交換な理由もまた分からない。
最後に、20年前と今の大平台三丁目の上り時刻表。
2002年。左は明田地下道経由西口行き、右が東口行き
現在(2021年10月改正)
駅行きは、現在は平日も土日祝も9本。2002年は、東西合わせれば、平日22本、土日祝21本。
半分以下に減ってしまったが、これは秋田市内の多くの路線で同じこと。
昔から桜ガ丘線で特徴的なのは、運行時間帯の偏り。上りは朝、下りは夕方~夜に偏っている。
2002年は、平日22本のうち、朝7時台に4本もあるのに、午後は6本しかない。今は9本中、午後5本と平均化されてはいる。
途中経由地での需要も関わることではあるが、これもまた、大平台や桜ガ丘がベッドタウンに特化した地域であることを示すのだろう。
梨平方面について後日。
そのうち、秋田駅から見て南東方向の、住居表示実施【10月1日補足・桜ガ丘、大平台、山手台は町名地番整理事業実施】で町名が誕生した年を記してみる(初出年。その後も段階的に拡大)。横森と桜1977年、桜ガ丘1987年、大平台(おおひらだい)1997年、山手台(やまてだい)1998年、桜台1999年、南ケ丘2018年。※宅地化された年ではなく、あくまで町名ができた年。
横森と桜は、元・田んぼだった平野部。昭和末頃に横山金足線(県道41号)が貫いた。
それ以外5つは「丘」「台」の名の通り、横金線東側の田んぼに迫った丘を造成したようだ。高低差のある住宅地であるとともに、外部からその地域へ出入りする道路が1本程度しかなく、実質的に通り抜けられない(通り抜けにくい)構造の街という点で、秋田では珍しいと思う。
うち、横金線に直接出入りできるのは、桜ガ丘と山手台。
路線バスが乗り入れるのは、桜ガ丘、大平台、南ケ丘、桜台ではある【23日補足・山手台以外には乗り入れていることになる】が、南ケ丘と桜台は申し訳程度の本数で使い物にならないから、実質的に桜ガ丘と大平台のみ。「桜ガ丘線」として、主に秋田駅東口から、横森・桜・桜ガ丘経由大平台三丁目行きとして、それなりの本数運行されている。
※横金線は、日赤病院・御所野方面行きの路線(広面・御所野線)も走るので、そこから歩いてのアクセスも可能。
桜・横森地区に乗り入れる路線バスは、秋田市営バスが1975年に横森行きの小型バスを運行したのが最初かと思う。これが発展(延長・中型化・駅東口発着メイン化)して、桜ガ丘線となったようだ。
2022年10月バスダイヤ改正では、桜ガ丘線のうち、わずかな本数ある西口~桜ガ丘~梨平の系統が廃止され、大平台三丁目発着に統一される(桜ガ丘~梨平の区間廃止)。
その記事で記した変遷を改めてまとめておく。
・1988年時点では「桜ガ丘三丁目」発着。
・1989年春改正で、築地経由の系統を「梨平」へ延伸。
・1997年か1998年改正で、東口発着メインにシフトするとともに、(梨平行きでない)桜ガ丘止まりの系統を「大平台三丁目」へ延伸。※引き換えに「桜ガ丘三丁目」バス停を廃止?
廃止前に、行ったことがない梨平という地を訪れてみたのだが、今回は大平台のほうを紹介します。
秋田駅を出た桜ガ丘線は、横森の狭く曲がりくねった道を抜けて、750メートルだけ横金線を走る。この区間の「桜三丁目」「桜郵便局」「桜二丁目」バス停では、桜ガ丘線と広面御所野線の両方を利用できる(駅との運賃は同額、所要時間もだいたい同じ)ものの、両路線が近接した時刻、あるいは同時刻に設定されているものもあるのが惜しい。2022年10月改正では、減便分の穴埋め調整もあり、いくらか改善されそう。
地理院地図より
地形図のマル1。しまむらの丁字路を東へ曲がると、桜ガ丘。「桜ガ丘入口」と交差点名があっても良さそうなのに、ないのが秋田県道(と秋田県公安委員会のせめぎ合い?)。
丁字路の道は緩い上り坂。東西に長い桜ガ丘地区の、中央からわずかに南寄りに一直線に延びる、桜ガ丘のメインストリート。と言っても、沿道は民家と公園ばかり。店は床屋と精肉店程度。
地域内にはスーパーもコンビニも(丁字路向かいにファミリーマート)金融機関もないし、自動販売機も少ない。医療機関はあるだろうか。個人事務所みたいなオフィスもなさそう【22日補足・皆無ではなさそう】だし、アパートもない(県営住宅はある)。
ほかの丘、台の地域も似たようなものだと思うが、戸建住宅に特化したベッドタウンだ。
空洞化著しくも、コンビニや町医者くらいなら徒歩圏内に点在する秋田市中央部に住む者としては、異世界。
メインストリートの直線区間には、「桜ガ丘中央公園前」と「桜ガ丘二丁目」の2つのバス停。上屋などなく、ポールが置かれるだけ。
「桜ガ丘中央公園前」下り。向かい側奥が公園
2バス停は上下とも、台座が古く、支柱と表示板は新しかった。表示板のフォントからして、近年交換されたもの(2019年9月のGoogleストリートビューでは未更新。更新前については後述)。
地形図のマル2。丁字路から670メートルほど進むと、変形した十字路のような五差路のような場所。
丁字路からのメインの道路は地形に合わせて、カーブしながら下っていく。桜ガ丘のおおむね西端(後からできた桜ガ丘五丁目は西へ飛び出ている)。梨平行きのバスは、そのカーブを下りていく。
大平台行きは、南南東というか右前方の少し狭い下り坂へ。「←ヴァンベール大平台」の看板が出ていて、歩道があるが、車道の幅は狭く、ここを中型バスが通るのは少々意外。
※「ヴァンベール」は「緑の風」の意味らしく、分譲地としての大平台の名前のようだ。
左が梨平、右が大平台
バスが桜ガ丘三丁目止まりだった頃は、
大平台行きのバスは、片側が斜面、もう一方に大平台の住宅が見渡せる、300メートルほどの緩い坂を下る。桜ガ丘と大平台は隣接しているものの、標高差があって、大平台のほうが低いことになる。
大平台への出入りは、南側のふもと・上北手大戸の市道とつながる2本の道がメインだと思われるが、第3の出入り口が、この桜ガ丘につながる道なのだろう。歩行者用には階段もあった。
大平台の住宅地へ下りると、「大平台一丁目」バス停。
突き当りの山の左上が桜ガ丘方向
150メートルで地図マル3「大平台三丁目」終点。待合所と方向転換・待機の場所がある。ポールは上下兼用。
待合所内に、タクシー会社直通の専用電話があるようだ
大平台には2002年8月に行ったことがあった。20年ぶり。
あまり記憶がなかったが、当時の写真と比べると、家が増えたものの、今なお空き地もあった。
大平台を行く秋田市営バス桜ガ丘線
桜ガ丘線は、2003年春に秋田中央交通へ移管。
3つ上の写真と同じ位置。後ろの山の木が少ない
2022年に撮影して、当ブログに何度か掲載した画像がこれ。
(再掲)大平台三丁目バス停表示板
ナール書体。路線延伸から5年ほどだからまだ新しい。
これまで取り上げてきたように、市営バスのナールの表示板は、ほとんどが最近まで使い続けられ、今も残っている。
ところが、大平台三丁目の現在は…
違う!
子会社名が併記されているのは、もっと東側の農村部へ行く中北手線の廃止代替の「秋田市マイ・タウンバス東部線」が、大平台三丁目へ乗り入れるようになったため。中北手線は桜ガ丘へは行かず、南側から出入り。
表示板が、透明シールにパソコンの丸ゴシック体で印字したものに替わっている。ローマ字は「OHIRADAI-3-CHOME」と、丁目の数字の前後をハイフンで結んだ、見慣れぬ表記。
ナールの表示板なら、20年経っても劣化が少ないことが多いが、こちらはサビが目立つ。
隣の大平台一丁目も上下とも、
トンボ付き下り。板が曲がり、青空に同化しているが右上に穴が開いている
下に「市営(市章)バス」の文字が透けているものもあるので、板自体は市営バスからの引き継ぎ。
実は、上記、桜ガ丘中央公園前と桜ガ丘二丁目の更新前の表示板も、
2017年7月撮影ストリートビューより
同様の表示板だった。
そして、「桜ガ丘」が正当なのに「桜ヶ丘」と誤記している。
これら透明シールへの交換は、誰がやったのか。
移管前年度の2002年度でナールのままだったのだし、秋田市役所の公営企業であった交通局が、秋田市の地名を間違うとは考えにくい(なくはないでしょうけど)。
また、文字が扁平な泉上丁の時に考察したように、透明シール丸ゴシック体のバス停は、市営バス最末期だけでなく、移管後の中央交通でも作っていた可能性がある。
そんなわけで、桜ガ丘~大平台の表示板は、移管後に中央交通が交換したと考える。
その理由は分からない。
(桜ガ丘の市営バス時代はそれ以前がどうだったか知らないが、)大平台2バス停はまだ新しいナールの板をわざわざ塗り直して貼り直したのか、あるいはよそで使っていたのを改造してわざわざ付け替えたのか。いずれにしても、事業者名だけ上張りすれば済むものを、わざわざ余計なことをしたと思えてならない。
最近、桜ガ丘2バス停だけ新しくしたのは、字を間違っていたのに気付いたからだろうか?
同じような古さの大平台が未交換な理由もまた分からない。
最後に、20年前と今の大平台三丁目の上り時刻表。
2002年。左は明田地下道経由西口行き、右が東口行き
現在(2021年10月改正)
駅行きは、現在は平日も土日祝も9本。2002年は、東西合わせれば、平日22本、土日祝21本。
半分以下に減ってしまったが、これは秋田市内の多くの路線で同じこと。
昔から桜ガ丘線で特徴的なのは、運行時間帯の偏り。上りは朝、下りは夕方~夜に偏っている。
2002年は、平日22本のうち、朝7時台に4本もあるのに、午後は6本しかない。今は9本中、午後5本と平均化されてはいる。
途中経由地での需要も関わることではあるが、これもまた、大平台や桜ガ丘がベッドタウンに特化した地域であることを示すのだろう。
梨平方面について後日。
山手台を通り抜けて、またよそへつながればよりいいのでしょうが、位置的にも道幅的にも厳しいので、横金線から入って、横金線に戻る形でしょうかね。
住民の需要がないのなら、いらないとも言えますが、心もとなくもあります。秋田市中央地域に住む者の感覚としては。
秋田中央道路、あるいは手形や泉外旭川で造られているような、新たな線路を越える(潜る)計画もないようですし。
梨平は訪問して来ましたが、バス停のある集落入口だけに終わってしまいました。梨平の先のほうはストリートビューも未公開。秋田市内にも、まだ知らない土地があるものです。
桜ガ丘唯一と言っていいであろうお店が、ミートハウス吉野家ですね。1980年代に成立した住宅地なら、食料品を扱う店がもう何店かあったかもしれませんが、1990年代だとスーパーで済ませる時代になっていたのでしょう。
松崎→小山田→日赤を結ぶ道は何本かありますが何れも林道みたいで険しい。
んで桜、中北手、山手台、山田、南が丘と何本もある盲腸線。
確か離合も危険で待避所が何箇所かありました。
街の作り方を考えたり、国道や県道などの幹線予算道を誘致すれば良かったのかも。
県外にも似たようなニュータウンありますが、みんな出口あり。
梨平や中北手は秋田市内とは思えない雰囲気があります。
建築や雰囲気や村のつくりかたが違うんです。
桜団地のなかにある肉屋は秋田市0号進出といわれた「吉野家」ですね。
それまでは吉野家はこの肉屋でした。
大通りから三丁目の中へ入って、折り返していたのですね。ありがとうございます。
さほど大規模ではない大平台へ路線を延長したのは、交通局のサービス精神だったのか、地元からの働きかけでもあったのでしょうか。山手台には乗り入れないのと対照的です。
横森付近は、昔は本数が多くダイヤ調整も限りがあったのか、積雪期は無線でやり取りして、横森でバスどうしが鉢合わせしないようにしていました。今回、久々に乗車しましたが、小さいダンプと譲り合うなど運転技能に感心させられました。
横金線開通以前では、横森経由以外に選択肢がなかったのだと思いますが、中型バスでは限界に近い道かもしれません。ただ、渋滞がない分、所要時間的には広面御所野線(城東十字路経由)と互角なのはメリットでしょうか。
>網地 耕部、さん
桜の園前、梨平も、同じようなシールでした。
10月にそちらを撤去しないといけませんから、ついでに大平台を交換となるかもしれませんね。
いつになるか分かりませんが、また確認したいとは思っています。
ここは一層、終点の大平台三丁目と一つ前の大平台一丁目のボンボロな透明シール表記の表示板と支柱の入れ替えがありそうです。
さてこのエリア内での表示板の更新、一体どうなる事でしょうね。
この路線は本数のわりに通る道が狭くて、大平台に降りる道、明田から横森にかけての道、築地経由の廃止になった楢山方面、それから桜五叉路への左折など、運転手さんは難儀だなと思ってました。上り下りの片寄りは、以前あった経法大線(当時)との兼ね合いもあったのか、朝は桜ガ丘から秋田駅がメーン、午後は附属高校から秋田駅メーンと分けていたのかもしれませんね。今思えば、すれ違いとかも考えられたダイヤだったんでしょう…
雪の多さはよく言われますね。除雪の負担としてはどの程度違うもんでしょうか。
実はクマについては、僕も気になって、事前に出没マップを調べました。桜ガ丘周辺は、夜間1件しか登録されておらず、昼なら大丈夫かなと判断しました。
実際に行ってみると、この林から出てくるかも…と、少々緊張した場所もありました。
桜は知人が居たので行った事があるのですがそこから先はもはや謎な世界です。
冬季は城東中から東は山王と比べてハッキリ分かるくらい積雪が多いのが分かります。
その代わり季節風はいくらか弱めですね。
大平台や桜ヶ丘も坂があったりで散歩したい地区なのですが
何分熊の目撃情報が多いのでつい敬遠しちゃうんですね・・。