聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ホセア 12:3 主はユダを告発される。ヤコブをその歩みにしたがって罰し その悪い行いに報いられる。
12:4 ヤコブは母の胎にいたときから 兄のかかとをつかみ 力を尽くして神と争った。
12:5 神の使いと争って勝ち 泣いて恵みを乞うた。神はベテルで彼を見いだし そこで彼と語られた。
12:6 主こそ万軍の神 その御名は主と唱えられる。
12:7 神のもとに立ち帰れ。愛と正義を保ち 常にあなたの神を待ち望め。
12:8 商人は欺きの秤を手にし、搾取を愛する。
12:9 エフライムは言う。「わたしは豊かになり、富を得た。この財産がすべて罪と悪とで積み上げられたとは だれも気づくまい。」
12:10 わたしこそあなたの神、主。エジプトの地からあなたを導き上った。わたしは再びあなたを天幕に住まわせる わたしがあなたと共にあった日々のように。
12:11 わたしは預言者たちに言葉を伝え 多くの幻を示し 預言者たちによってたとえを示した。
12:12 ギレアドには忌むべきものがある。まことにそれらはむなしい。ギルガルでは雄牛に犠牲をささげている。その祭壇は畑の畝に積まれた石塚にすぎない。
12:13 ヤコブはアラムの野に逃れ イスラエルは妻を得るために仕え また妻を得るために群れを守った。
12:14 主は一人の預言者によって イスラエルをエジプトから導き上らせ 預言者によって彼らを守られた。
12:15 エフライムは主を激しく怒らせた。主は流血の報いを彼に下し その恥辱を彼に返される。

詩篇 62:1  指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩。
62:2 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。
62:3 神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。
62:4 お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにしようとして一団となり 人を倒れる壁、崩れる石垣とし
62:5 人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。常に欺こうとして 口先で祝福し、腹の底で呪う。
62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。
62:7 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。
62:8 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
62:9 民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。
62:10 人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。
62:11 暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。
62:12 ひとつのことを神は語り ふたつのことをわたしは聞いた 力は神のものであり
62:13 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と ひとりひとりに、その業に従って あなたは人間に報いをお与えになる、と。

マタイ 19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
19:17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
19:18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
19:19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
19:20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。


ある金持ちの青年がイエス様に「永遠の命を得るためには、どんな善いこよをすればよいのでしょうか」と尋ねた。
しかし、その後のイエス様との問答を見る限り、彼の関心事は、死後にある永遠の命にではなく、この地上での生活やそれを保つための富の多さにあったようである。
イエス様はそれを見抜いておられたからこそ、このような対話をなさっておられるのであり、何も全ての人に対して、自分の持ち物を売って貧しい人に与えることを求めているというわけではないのだろう。
逆に、誰もがそんなことをし始めたら、生活に破たんする人が増えたり、社会は混乱するだけだろうし、あるいは、財産を分け与えられた人が、今度は逆に貧しくなった人を助けていかなければならなくなり、富を持つ者はとにかくその富を手放すことだけを徹底しても、何の意味も無いことになってしまうからである。
イエス様が言いたいのは、あなたの命を守るものは、富によるのではなく、神によるのだということを知るように、ということであり、たまたまこの青年がお金持ちで、富に対して執着し、それによって自分の平穏や幸いを保とうとしていたからこその勧めなのであろうと思われる。
つまり、このことは、私たちにとって自分が大切にしているものに数着し過ぎて、神を見失っている事への警告という意味合いがある、ということであろう。
ある人にとっては家族であったり、ある人にとっては仕事であったり、人は様々なものを生きがいとし、そのために生きていると考えがちであるが、確かにそれらのものは大切なものに違いないが、残念ながらそれによって永遠に滅びることのない命を得ることはできない。
ただただ私たちの罪の償いのために十字架で死なれたイエス様の贖いの御業による救いの約束だけがそれを可能とし、イエス様は私たちにそのことを信じるように導いておられるのである。
イエス様は、何も私たちが大事にしているものを手放し、何もかも捨てて従って来ることまで求めているのではなく、ただそれらによっては救いは得られないということを知って欲しいだけなのだろう。
むしろ、家族も仕事もお金も大事なものであり、大切に扱うべきもの。
イエス様の十字架の贖いによって救われ、永遠の命を頂いたものとして、それらの大事なものも、さらに大切に扱っていけたら、きっとそれが正解なのだろう。

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