聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




哀歌 2:1 なにゆえ、主は憤り おとめシオンを卑しめられるのか。イスラエルの輝きを天から地になげうち 主の足台と呼ばれたところを 怒りの日に、見放された。
2:2 ヤコブの人里をすべて、主は容赦せず圧倒し 憤って、おとめユダの砦をことごとく破壊し この国を治める者、君侯らを 地に打ち倒して辱められた。
2:3 イスラエルの角をことごとく 激しい怒りをもって折り砕き 敵の前から右の御手をひるがえされた。御怒りはヤコブに対して烈火となり 炎となって焼き尽くした。
2:4 敵となって弓を引き絞り、右の御手を構え 瞳のように愛しておられたものを 苦しめる者となって皆殺しにし おとめシオンの天幕に 火のような怒りを注がれた。
2:5 主はまことに敵となられた。イスラエルを圧倒し その城郭をすべて圧倒し、砦をすべて滅ぼし おとめユダの呻きと嘆きをいよいよ深くされた。
2:6 シオンの祭りを滅ぼし 仮庵をも、園をも荒廃させられた。安息日をも、祭りをもシオンに忘れさせ 王をも、祭司をも 激しい怒りをもって退けられた。
2:7 主は御自分の祭壇をすら見捨て 御自分の聖所をすら見捨て 城郭をも城壁をも、敵の手に渡された。敵は主の家で喚声をあげる あたかも祭りの日のように。
2:8 主はおとめシオンの城壁を滅ぼそうと定め 打ち倒すべき所を測り縄ではかり 御手をひるがえされない。城壁も砦も共に嘆き、共に喪に服す。
2:9 城門はことごとく地に倒れ、かんぬきは砕けた。王と君侯は異国の民の中にあり 律法を教える者は失われ 預言者は主からの幻による託宣を もはや見いだすことができない。
2:10 おとめシオンの長老は皆、地に座して黙し 頭に灰をかぶり、粗布を身にまとう。エルサレムのおとめらは、頭を地につけている。
2:11 わたしの目は涙にかすみ、胸は裂ける。わたしの民の娘が打ち砕かれたので わたしのはらわたは溶けて地に流れる。幼子も乳飲み子も町の広場で衰えてゆく。
2:12 幼子は母に言う パンはどこ、ぶどう酒はどこ、と。都の広場で傷つき、衰えて 母のふところに抱かれ、息絶えてゆく。

詩篇 30:1  賛歌。神殿奉献の歌。ダビデの詩。
30:2 主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく わたしを引き上げてくださいました。
30:3 わたしの神、主よ、叫び求めるわたしを あなたは癒してくださいました。
30:4 主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ 墓穴に下ることを免れさせ わたしに命を得させてくださいました。
30:5 主の慈しみに生きる人々よ 主に賛美の歌をうたい 聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。
30:6 ひととき、お怒りになっても 命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。
30:7 平穏なときには、申しました 「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。
30:8 主よ、あなたが御旨によって 砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されると わたしはたちまち恐怖に陥りました。
30:9 主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。
30:10 わたしが死んで墓に下ることに 何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。
30:11 主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。
30:12 あなたはわたしの嘆きを踊りに変え 粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。
30:13 わたしの魂があなたをほめ歌い 沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ とこしえにあなたに感謝をささげます。

2コリント 8:1 兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。
8:2 彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。
8:3 わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、
8:4 聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。
8:5 また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、
8:6 わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。
8:7 あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。


マケドニアの教会の人たちは、苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなった、と語られています。
具体的なこととしては、経済的にも相当厳しい状況に置かれていたのにもかかわらず、聖なる者たちの働きをサポートするための献金や奉仕を担おうとしていた、ということであろう。
しかし、興味深いのは、彼らを動かしていたのは「満ち満ちた喜びと極度の貧しさ」であるということであり、それがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなった、というのである。
「満ち満ちた喜び」があふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなった、というのなら理解できなくもないが「極度の貧しさ」もあふれ出て、それゆえに人に施す豊かさとなったとも語られているのである。
極度の貧しさの中に置かれていると、食べるものも着るものもみすぼらしくなってしまい、誰が見ても「あの人は貧しそうだな」ということが分かるように、極度の貧しさは、隠そうとしても隠すことはできず、文字通り、表にあふれ出てしまう。
しかし、それゆえに、人に施す豊かさとなっていくというのだ。
人は多くのものを持っているから捧げられるのではない。
持っていないから、持っていない人の痛みが分かるから、なんとか助けてあげたいという気持ちもわいてくるのではないだろうか。
豊かさの中で人は憐れみの心や人を助けてあげたいという気持ちが薄れていくのかもしれない。
一方、貧しければ貧しいほど、人の痛みや苦労を敏感に感じ取ることができる。
だからこそ、イエス様は貧しい人間の姿となって下さり、私たちのことを心に留めてくださったのではないだろうか。

フィリピ 2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

貧しいことは決して幸いというわけではないかもしれないけれど、他者を憐れむ心を失うくらいなら、貧しいままでいいのかもしれない。
少なくとも、私たちのことを救うために人としてこられたイエス様のことを覚えつつ、人の痛みを分かる人、人の苦しみを共有できる人でありたいと願うものである。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )