聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




申命記 1:34 主はあなたたちの不平の声を聞いて憤り、誓って言われた。
1:35 「この悪い世代の人々のうちで、わたしが与えると先祖に誓った良い土地を見る者はない。
1:36 ただし、エフネの子カレブは例外である。彼だけはそれを見るであろう。わたしは、彼が足を踏み入れた土地を彼に与え、その子孫のものとする。彼は主に従いとおしたからである。」
1:37 主は、あなたたちのゆえにわたしに対しても激しく憤って言われた。「あなたもそこに入ることはできない。
1:38 あなたに仕えているヌンの子ヨシュアだけはそこに入ることができる。彼を力づけなさい。イスラエルに嗣業の土地を継がせるのは彼である。
1:39 あなたたちが略奪されてしまうと言っている乳飲み子や、まだ善悪をわきまえていない子供たちは、そこに入ることができる。彼らにわたしはその土地を与える。彼らがそれを取るであろう。
1:40 あなたたちは向きを変え、葦の海の道を通って荒れ野に向けて出発しなさい。」

詩篇 130:1  都に上る歌。 深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
130:2 主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
130:3 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら 主よ、誰が耐ええましょう。
130:4 しかし、赦しはあなたのもとにあり 人はあなたを畏れ敬うのです。
130:5 わたしは主に望みをおき わたしの魂は望みをおき 御言葉を待ち望みます。
130:6 わたしの魂は主を待ち望みます 見張りが朝を待つにもまして 見張りが朝を待つにもまして。
130:7 イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに 豊かな贖いも主のもとに。
130:8 主は、イスラエルを すべての罪から贖ってくださる。

2コリント 5:1 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。
5:2 わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。
5:3 それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。
5:4 この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。
5:5 わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として"霊"を与えてくださったのです。


私たちの生きる世界にある全てのものは永遠には存在しえない。
どんなに強固なものでも、いつかはやがて朽ち果ててしまう。
そして、人の命もまた同様に、いつか終わりの時を迎える。
そう考えると、私たちの人生も空しく儚いものと言える。
しかし、主なる神様は、そんな空しく儚い私たちを永遠に生きるものにしようとされ、なんとそのために自らの命をも捧げて救って下さるのである。

詩篇 8:4 あなたの天を、あなたの指の業を わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。
8:5 そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは。

この美しい世界の中に生きる私たちは、ちっぽけな存在であり、しかも、罪深く愚かな存在である。
時々生きていることにさえ罪悪感を抱くこともあるが、主なる神様はそんな私たちを救うために御子イエス様の命をも捧げてまで、愛しぬいて下さった。
なんとも畏れ多く、感謝なことである。
そのことを覚えるならば、たとえどんな困難なことがあろうとも、感謝して生きていよう。
体は衰えても、永遠の命の約束は変わることはないのだから。


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