聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ルカ1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、
1:77 主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。
1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」
1:80 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。

救い主イエス・キリストの到来に先立って、主から遣わされた最後の預言者ヨハネは、罪を悔い改めるためのバプテスマ(洗礼)を説き、来るべきメシア(救い主)を受け入れる備えを導いていました。
このことは、私たちがイエス・キリストによる救いの恵みを受け取るためには、非常に重要なことであると言えるでしょう。すなわち、罪を悔い改めなければ、救いに与ることはできないということ。簡単なことですが、これが難しいのでしょう。
悔い改めなしに、救いに与ることはできません。なぜなら、イエス・キリストの十字架の死は、私の罪のために身代わりとなって死んで下さった」ということを認める時に、はじめて意味を成すものであるからです。
ほかの誰のためでもない、この私のためであり、そして、あなたのためでもあり、「我らの歩みを平和の道に導く」ためなのです。

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