エレミヤ1:4 主の言葉がわたしに臨んだ。
1:5 「わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に わたしはあなたを聖別し 諸国民の預言者として立てた。」
1:6 わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」
1:7 しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ 遣わそうとも、行って わたしが命じることをすべて語れ。
1:8 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す」と主は言われた。
1:9 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ 主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口に わたしの言葉を授ける。
1:10 見よ、今日、あなたに 諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し あるいは建て、植えるために。」
ここには、主の預言者として立てられたエレミヤは、主なる神様により、生まれる前から聖別されていたということが語られています。
そうであるならば、エレミヤ自身が「自分はまだ若いから・・・」と言って恐れおののいていたように、未熟さゆえに預言者としての働きを遠慮するようなことはせず、召された者であるならば、年齢など関係なく、堂々と、むしろ、若い力を持って真っ直ぐに主の御言葉を語り告ぐことが求められていたのでしょう。
私も時々思います。私が偉いのではなく、私に語るように託された主の御言葉が素晴らしいのだと。ならば、経験や年齢などなんら関係なく、ただ、真っ直ぐに聖書の御言葉を語ろうではないかと。
そして、いつの日か同じようなことを思うのでしょうね。「もう私は年老いてしまいましたから・・・」
おそらく、主はその時、こう語りかけてくださることでしょう。「もう年老いたと言うな」と。そして、「私の語りかける御言葉を語れ」と。
いつまでも、聖書の御言葉を、真っ直ぐに語り続ける者でありたいものです。
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