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気になる事  blueのためいき

日々気になる事を記します。共感してくださる方もそうでない方もちょっと立ち止まって考えて頂ければ、うれしいです。

占守島の戦いを知っていますか。※再掲です

2019-08-18 23:39:17 | つぶやき

占守島戦闘、最後の慰霊祭 関係者高齢化で 

2016/8/21 21:08 日本経済新聞

 太平洋戦争で日本のポツダム宣言受諾後に日ソ両軍が激戦を交わした千島列島北東端・シュムシュ島(占守島)の戦闘に参加した元兵士や遺族でつくる「北千島慰霊の会」が21日、札幌護国神社(札幌市)で慰霊祭を行い、元兵士ら十数人が参加した。関係者の高齢化などを理由に、会としての慰霊祭は48回目の今年が最後。

 旧日本軍の守備隊が配置されていた占守島には、1945年8月18日未明にソ連軍が急襲。停戦となった同21日までに日本側約300人、ソ連側約3千人が死亡したとされる。この戦闘後、ソ連軍は千島列島を南下。8月28日~9月5日に択捉、国後両島など北方領土をほぼ無血で占拠した。

 占守島戦没者の慰霊碑がある札幌護国神社では68年から毎年、停戦日の8月21日に慰霊祭が行われてきた。かつては50人を超す戦闘経験者が参列していたが、21日に参加したのは17歳で戦闘に遭遇した元少年戦車兵の小田英孝さん(88)=山形県東根市=一人だった。

 小田さんは「体力とお金がある限りここに来たい。最後の慰霊祭を終えて肩の荷を下ろせた気持ちもある。100歳まで生き、これからも戦闘のことを次世代に継承していく」と話した。

 「北千島慰霊の会」事務担当の尾山仁さん(67)=北海道石狩市=によると、同会にはかつて200人程度の占守島戦闘経験者が入会していた。占守島の戦闘経験者で現在も存命なのは、同会が把握する限りで小田さんを含め3人という。〔共同〕

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千島列島北東端の島、占守島。 

この島で1945年8月18日から21日にソ連と日本陸軍との戦闘がありました。 

それが「占守島の戦い」です。

 

上記は3年前の記事ですが、占守島の慰霊祭は3年前の48回が最後だったようです。

この様な闘いがあったことはどんどん忘れられるのかと思うと残念です。

 

当時、日本はソ連と不可侵条約を結んでいました。

しかしソ連軍は終戦後3日経ち、武装解除しつつあった日本に攻め込んできたのです。

 

日本が悪かったと、教え込まれてきた私達。 

北の最果ての日本領で果敢に戦った日本兵の事を忘れてはなりません。

※参考wikiより

 占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄(8月9日)したソ連軍が占守島に奇襲攻撃、ポツダム宣言受諾に従い武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となった。戦闘は日本軍優勢に推移するものの軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留された。

 

8年前にはNHKでも放送されていました。↓ 


※こちらにも詳細が ↓

https://ironna.jp/article/2414

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占守島・戦没者の慰霊祭開かれる慰霊祭

2019-08-18 23:31:09 | 呆れる

占守島・戦没者の慰霊祭開かれる慰霊祭

終戦直後、北千島の占守島で、旧ソビエト軍との戦闘のため戦死した旧日本軍の兵士らの慰霊祭が札幌で開かれました。

千島列島の最も東にある占守島には、1945年8月18日に旧ソビエト軍が上陸、武装解除を始めていた旧日本軍との間で激しい戦闘が行われました。
日ソ両軍の死傷者はおよそ3000人にのぼります。
遺族の高齢化が進んだことから、18日の慰霊祭は戦死者の遺族以外も参加できるかたちで開催され、自衛隊関係者やシベリアに抑留された兵士の遺族らも参列しました。
主宰した「慰霊の会」は、来年7月に占守島で遺族以外も参加できる慰霊祭を開く予定です。
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北方領土よりまだ北、最果ての地に占守島があります。
 
この地で1945年8月18日にソビエト軍が上陸し日本軍を攻撃しました。
 
それが占守の戦いです。
 
この戦いを知ったのは浅田次郎の小説「終わらざる夏」でした。
 
それが今から9年ほど前です。
 
 
ソ連は油断ならない国です。
 
そして不気味な国です。
 
日本との不可侵条約がありながら一方的に破棄したソ連。
 
また日本のポツダム宣言受諾後の8月18日に千島列島最北端の占守島に奇襲攻撃したのです。
 
卑怯極まりないです。
 
 
Wikiによると
 占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄(8月9日)したソ連軍が占守島に奇襲攻撃、ポツダム宣言受諾に従い武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となった。戦闘は日本軍優勢に推移するものの軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留された。


 
また北方領土返還も遠のいた感が強いです。
 
ロシア相手では油断大敵です。
 
火事場泥棒的な事を平気でするのがロシアです。
 
生半可な気持ちで、そして楽観的な気持ちで対応していたら、いつまで経っても北方領土は返還されないでしょう。
 
ロシアが経済的に困窮している時しかチャンスはないと思います。
 
憲法9条を平和憲法だと崇めている内は外国から舐められ、いい様に利用されます。
 
武力行使も辞さない気持ちでないと返還されないでしょうし、
 
経済協力の名の下、日本の援助金だけ持って行かれそうです。
 
武力行使は現実的ではありません。
 
それ以外では日本国民一丸となり、大々的なキャンペーンやデモがない限り返還は夢のまた夢です。
 
綺麗ごとを言っても始まりません。
 
交流は今以上に盛んになっても領有権となるとそうは簡単にはいかないと思います。
 
 
占守の戦いはあまり知られていません。
 
そんな戦いが終戦直後にあった事をもっと多くの日本人、そしてロシア人に知ってもらいたいです。
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沖縄の彫刻家が元慰安婦像を制作する理由「表現の自由は憲法で守られている」あいちトリエンナ…

2019-08-18 22:55:30 | つぶやき

沖縄の彫刻家が元慰安婦像を制作する理由 「表現の自由は憲法で守られている」 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」中止に抗議

 【読谷】愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、元従軍慰安婦を象徴する少女像などを展示した「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた。彫刻家の金城実さん(80)=読谷村=は「芸術に対する政治権力の不当介入だ」と指摘する。自らの手で慰安婦だった女性を表現する像を制作することで、不当介入に対し抗議の意を表明する考えだ。

 名古屋市の河村たかし市長による中止要請などを受け、危機感を持ったことが制作のきっかけとなった。「表現の自由は憲法で守られている」。ホルトノキを材料に、8日からノミやチェーンソーで少しずつ彫っている。

 制作しているのは少女像ではなく、元慰安婦の韓国人高齢女性をモデルにした像。「人間の尊厳が傷つけられたことへの怒りや悲しみを叫んでいる様子を表現した」と語る。9月中に完成予定という。

 「不自由展」同様、苦情や批判が来るのを覚悟の上で制作を決意したのは、辺野古問題で政治権力と相対する沖縄の人間として「黙っていていいのか」という思いが込み上げてきたからだという。完成した像をどうするのかはまだ決めていないが、金城さんは「政治権力への抵抗の象徴にしたい」と考えている。
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金城実さん、彫刻家であり反政府活動家というところでしょうか。
 
日本人だと思いますが、韓国に同情し寄り添いたいとの思いが強いようです。

http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2016/post_6796.php

 
あいちトリエンナーレ2019で慰安婦像などの展示が中止されましたが、
 
金城さんはこれに抗議する為に高齢の慰安婦像を制作しているとか。
 
彼はこの中止騒ぎが政治権力の介入だと思っているようですが、
 
慰安婦像は反日の象徴です。
 
日本を貶める為のいわばツールです。
 
何が政治権力への抵抗ですか。
 
この人に愛国心もないのでしょうか。
 
 
日本人の中にも慰安婦像を好意的に見ている人がいる事に驚きます。
 
韓国人の元慰安婦に同情する事は「良い人」だと思っているのでしょう。
 
 
この人たちは慰安婦の事をどこまでわかっているのか疑問です。
 
河野談話でも https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていた」
とあり多くの慰安婦の出身地は日本だった事がわかります。
 
その事をどれだけの人がわかっているのでしょう。
 
何度も何度も日本の首相は謝罪をしています。
 
では多くを占めた日本人慰安婦を念頭に謝罪した事はあるのでしょうか。
 
 
歴史問題では現在の社会通念で判断するのは間違っているといつも思います。
 
当時はどんな社会情勢だったのかで判断すべきです。
 
日本も朝鮮も貧しさ故、口減らしの為に奉公の名の下、人身売買に近い事が罷り通っていました。
 
そんな時代でした。
 
また戦場売春婦として慰安婦募集をしたのは兵士の性の捌け口の目的の他に
 
現地の女性を守る為もあったのです。
 
戦後、内地への引き上げ時にソ連や朝鮮中国の犠牲になった日本人女性が多かったと聞きます。
 
それは一般の日本女性、それも少女まで含まれていたのです。
 
また残酷な事に最後には惨殺された場合もありました。
 
この事を知っても、慰安婦を同行していた日本軍を批判出来ますか。
 
 
一昨日テレビで黒川開拓団の話が放送されていました。
 
悲しい出来事だし、それを決断した開拓団幹部も批判されるべきだと思いますが、
 
もしもソ連軍に慰安婦のような存在がいたなら、日本女性が惨たらしい目に合わなかったと思いませんか。
 
 
日本の一般の少女を含む女性が終戦前後の混乱期に蹂躙された事実。
 
その様な事態を避ける為の慰安婦たち。
 
これらの歴史的事実から、どうして日本だけが批判されるのでしょう。
 
寧ろ慰安婦がいなかったソ連の方が批判されるべきではありませんか。
 
 
日本の首相は日本以外の元慰安婦を念頭に謝罪しています。
 
特に執拗に謝罪を迫る韓国人に向かって何度も謝罪し癒し金を払っています。
 
しかし当時は朝鮮も日本の一部でした。
 
韓国人に謝罪するならなぜ日本人女性にも謝罪しなかったのでしょう。
 
また慰安婦はそれなりの覚悟があり、高給でした。
 
しかし終戦前後の一般の日本女性は覚悟もなく、乱暴に扱われ命さえ奪われたのです。
 
また終戦直後にはGHQ相手の日本人慰安婦もいました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56962
 
これも一般女性を守る為の苦肉の策だったのです。
 
韓国人慰安婦には何度も何度も謝罪を繰り返す日本ですが、
 
終戦前後に大変な目に合った日本人女性達に謝罪をしたのでしょうか。
 
 
韓国の慰安婦を念頭に相手が許してくれるまで謝罪し続けるべきだと主張する人もいます。
 
その人たちは日本人女性の事を考えた事はあるのでしょうか。
 
日本人女性に謝罪したのでしょうか。
 
いつも腹立たしく感じる「マイク・ホンダ」。
 
日系米国人だそうですが、米兵相手に慰安婦をした日本人女性がいた事を知っているのでしょうか。
 
そして米兵も日本占領期に一般の日本女性を強姦した事実を知っているのでしょうか。
 
 
不幸な経緯があったにせよ、高給を得ての慰安婦と
 
突然外地で強姦された日本人女性や連合軍の占領期に強姦された日本人女性達。
 
この様な歴史的事実から目を背け、ただ単に韓国人元慰安婦が可哀そうだと思うのは短絡的です。
 
 
それにしても男という生き物は、有事には理性の欠片もないのかと思うと本当に腹立たしい限りです。
 
※参考動画
9. 日本軍慰安婦
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